谷中教室で第一回目の漢詩の作り方講座が、ありました。
漢詩を歌う詩吟を長年やりながら、漢詩を作ることに興味を持たないというよりも難しくてとても私には出来ないとずっと敬遠していたのです。
谷中の教室も一番近いのに、なかなか足が向かなかったのも、漢詩&中国研究という副題のついた教室だからということもあったのです。
最近は、谷中教室の先生に高い声をだす女性のためにとほだされ、近いからという足場のよさも手伝って、足を運ぶようになりました。
今日、講座を受けてみて、イメージを持つことはまずはじまりですが、いろいろと難しい決まりごとにあわせた表があってそこから、熟語を選んでいけばよいということがわかり、少し身近になったかなぁ・・・
それにしても、物を作るというのが苦手なのは、物事の表面を簡単に捕らえてよく観察しないということが私の欠点なのだ。
良く観察して気持ちのあふれる方のどなたかに作っていただいて、吟じるのが私にはよいなぁ。(なまけものめ)
基本的な作り方をはじめて教えていただいて、表を見ながら、ジグソーパズルのように七言で四行の絶句を作るのを、あっという間にやってのけた猛者が出現したのには驚いた。
彼女は、洋楽の楽器でライブをやる人で、詩吟も習っている多彩な人です。
これで作詞が出来るようになったら、シンガーソングライター&吟者だ!
彼女は、先日の私の舞を惜しみなくほめてくださり、今日も、当然舞いもこれから続けるのよねと、励ましてくださった方です。
関吟のテキストの巻頭言にあるように、詩吟が好きであること楽しむことはもとより、好きであるということだけではまだ十分ではないよということばに、いつも、好きなんだけどなぁ、それ以上をと望まれると私って、、、と思っていたのです。
そして、去年は、詩舞に心を散らしてしまったし、ますます、心苦しい。
教室をひらくというのに。
やだなぁとおもいつつ、作詞の講座にしぶしぶ参加したのも、この巻頭言の言うところにいつまでも、心苦しく思っていてはという気持ちから。
むりなく、心動かされたらそのときがチャンス派、私のモットー。
すみこという私の本の巻頭言だ。