風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

まとめてアップ

2014年11月25日 | 詩吟

11月9日 武道館にて全国詩吟大会  風邪にて、鑑賞叶わず。

11月19日 松風 通常練習 吟題「花朝澱江を下る」承句の中山に差し鰍ゥる音程に注意 

11月21日 青葉 「月照墓前の作」 大中山の31番と31ノ2番との違いを十分認識   

11月23日 東京芦孝会中央会 吉田松陰「辞世」五言絶句を吟じるには、間合いを大切に。
      新しく加わる予定の詩 先生はじめそれぞれが、好みの譜付けで吟じるという
   
      試みがなされました。


午後からは、松陰作の和歌「親思う」 少しずつ少しずつ和歌の節調に慣れてきて、それぞれのうまみがでてきている。
習うより慣れろなのかなぁ。やはり、習わねばとも思う。

最後には、次のコンクールに出場する人の吟詠を聞き、意見交換をいつものように行う。
コンクール出場を避けている私が、連戦している方の吟の評をするのは、遠慮申し上げたほうが良いのではないかとの気持ちは、野田 芦孝先生により一蹴され、重い口を開いて、評をしてしまった。
言われた方は、さぞやと思う。そのように思って気にかかるなら、通り一遍の言葉あるいは、褒める側に回ればよいのであるが。
それができないのである。

言い淀みながらも、結局はモノ申してしまうわけなのだ。言いっぱなしで、それをどう解釈されたのか、十分わかっていただけたのかは、試しに吟じてみるということもなされないので、私は、一体何をしたことになるのやらわからない。

もう少し、前向きの中央会ならではのバトルがあっても良いように思う。
言いっぱなし、言われっぱなしでは、私は、ただケチをつけただけになってしまう。

中央会ならではの、切磋琢磨を展開することは、できないものかと思う。

言いっぱなしになるのだけは、もう止めたいなぁ。
言った以上は、その実現の糸口だけでも、相手が、何を言われたのかわかるところまでは何とか、時間がほしい。




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閑話休題

2014年11月25日 | 徒然に日々のことを







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訃報

2014年11月10日 | 徒然に日々のことを
風でだうんしているところへ、学生時代の詩吟の先輩の訃報が届きました。
まだ、60代、これから一杯やりたいことがあったでしょうに、道半ばにして唐黷トしまって、さぞ、心残りが多かったことでしょう。

神戸の80周年吟道大会では、岡山地区の女性のリーダーとして、若いころと変わらない美声をひびかせていらっしゃったのに。
そして、私の頭を見て、「白い髪もいいねぇ」とおっしゃった。
その言葉が、最後の言葉になった。
その時は、病を得ていらっしゃるとは、とても思えなかった。
お聞きすると、6月ごろには、様子が悪くなっていたとのこと。
だから、吟詩部の全体の同窓会が流れて、小さいグループで行うことになったというわけなのだ。


結婚で、岡山を出て以来、お目にかかることもなく、風のうわさを聞いていたのが、80周年のおかげで、俄然、遠くの人が身近になったばかりだったのに。


残念としか言いようがない。
せめて、電報を打たせて頂こう。  ご冥福をお祈り申し上げます。



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論語 知の会 仁の会

2014年11月06日 | 論語と
知の会は、元の育成論語。仁の会は、素読を元として、初心者向けの新しくできた講座。

二コマ続けての講義は、少々集中力に欠けてくるけれど、二コマ目のほうが、初級者向けなので、何とかついて行っている。

今日は、早めに学びピアについて、7階のさくらスカイレストランで、須藤先生がいtもランチをしていらっしゃるので、合流しました。
吟詩日本に投稿した、「論語と私」ーはじめの一歩ーの随想が掲載されたので、須藤先生にお読みいただこうと持参しました。

ランチをしながら、講義の時とは違う溢れる思いをお聞きしていると、このランチの時間の先生のお話も得がたいものと思います。

もう一人その場で合流した紳士は、理系の仕事だったので、リタイアまで論語を知ろうともしなかった。之を、現役の時に知っていればなぁと、先生のお話を聞きながらいつも思っていると、おっしゃいました。
さすがに、ピカイチの頭脳の持ち主ですから、数年の自習で、膨大な書籍がすっかり頭に入っていらっしゃる様子で、先生との質疑応答も、私には、少々難しいけれど、お話として聞いている分には、何とかついて行ける。
その、知識いっぱいのお話や、ちょっとひねった質問に応えていらっしゃる須藤先生の言葉は、私にもすんなりと入ってくるのが、不思議で、面白くてしょうがない。

孔子の思いが、そっくりそのまま体に入り、須藤先生なりの咀嚼をして育んでいるのだろうなぁ、とっつきにくいと感じる様な投げかけについて、須藤先生の応えて曰くの言葉は、初心者の私にも分かりやすく、上級者の質問者さんにも、過不足のない言葉が、どんどんと紡ぎだされてくる。
はぁ~~、感動。


楽しい時間を過ごし、意気揚々と教室に向かったのですが、さて、教室が始まるころから、急に体調の悪化があり、ほとんど内容が耳に入らず、先生に申し訳なく思うのでした。

何とか乗り切って、外に出ると雨。いつも入っているはずの傘がない。
駅まで、同輩との相合傘でやっとたどり着きました。
体調悪化は、家を出る時からすでに始まっていたらしい、雨模様と知りつつ、注意力散漫で、傘の確認もせず、出てきてしまって、その時、もうすでに下降線をたどっていたことを知る。


でも、あのランチの至福の時間は、代えがたいものがあり、できる限り、早めに行ってご一緒させていただきたいと、思うのです。









翌日、その様子をつぶさに見ていた人から、様子伺いの電話を頂きました。
やっぱり、悪かったのですねと、「もしもし」の第一声を聞いての素早い反応。
やさしい言葉を頂き、しおれていた体に、潤いが戻ってきて、元気をもらいました。

「どうですか?」の一言が、下降線をたどっていた体調にピリオドを打ち、起き上がって食べなくっちゃという気にならせてくれました。
ありがとう。

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夢松風11月1回

2014年11月05日 | 詩吟
メンバー三人とゲストさん一人。

今日は、「舟由良港に至る」の復習。と初めての律詩の練習に「関西吟詩文化協会会歌」

二段にめでたく昇段したので、三段となると律詩も習う必要があり、また、その力もついてきたこともあり、新人さんには、先輩の支えがあるから大丈夫でしょう。

絶句の力配分で、慣れてしまうと、律詩はとてつもなく長いものと感じるのですが、早いうちから律詩に親しむと、違った力もついてくることでしょう。
幸い、新人さんは音感の良い方ですから、それほど無理ではないと思います。

夢組では、音符表示のテキストは、お渡ししていませんが、彼女には、資料として、吟詩へのいざないの1ページだけコピーしたものをお渡ししていました。

それを見て、彼女は、このようなもの(五線紙方式)がほしいとおっしゃいましたが、当分は、聞き覚えで習ってくださいとお願いをしました。

洋楽での経験のある方は、おそらく五線紙で音をとるのが当たり前ですから、当然の願いをおっしゃったのですが、吟詠はまずまねることから、とお伝えしました。

五線紙方式のテキストは、近い将来関吟でも採用されるとの説明でした。
来春、初心者向けの20題を掲載した教本は、私たち指導者にどのような影響があり、どのように対処せねばならなくなるのか、会員さんたちの反応、そして、同輩指導者たちの間で、どのような受け止め方をされるのか、興味のあるところです。

古い時代の指導法で、育った私には、音符で簡単に音をとって、「はい!完了」というのは、あまりに簡単すぎて、詩吟を習うということから、ちょっと意味が違ってくるような思いにとらわれます。
ですから、「聞いて、真似をして」方式を通そうとすると、どのような反応が起こるのか、興味のあるところです。

真似をして、と言い続けて、夢組は4年。おかげ様で、夢組さんたちは、聞いてすぐに私のもとで練習をした人たちとの評価を得て、それは、とてもうれしいことでした。

大した腕でもない私そっくりの吟詠をすることは、果たして、会員さんたちにとって幸せなことだろうか。


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五似ん会 河口湖その2

2014年11月03日 | 徒然に日々のことを












しばし、霊峰富士の姿を、眺めた後、朝風呂、絶品のプレーンオムレツのあるバイキング朝食。
身支度をして、ホテル(富士ビューホテル)の庭を散策。富士薊の紫に見とれて、指をチクリと差した。
黄と紅とのコントラストが美しく、庭の芝生に散り敷く落ち葉が、何とも言えない秋の情緒。

道の駅に向かって湖のほとりを歩く。

河口湖駅では、あまりの量の多さに驚きながら名物のほうとうを頂き、駅舎の三角と富士山の稜線が同じだねぇと言いながら、バス停に。

ここで私は、家路につく三人とわかれて、湖畔周遊バスに乗って、人形作家の与勇輝館へと向かう。




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五似ん会 河口湖その1

2014年11月02日 | 徒然に日々のことを
今年で何回目になるのだろう。
五似ん会の日が、高校同窓会の日に当たってしまった。
たまには、岡山ではなく、限りなく関東に近づけようと企画され。河口湖にきまった年だったので、3時に終わる同窓会に支障なく出席して、新宿高速バスターミナルに飛んでいきました。

もう、既に岡山チームは、河口湖に到着して、散策をしているはず。
意外に乗り心地の良い高速バスで、河口湖へと。JR利用よりもはるかに安い往復3,500円で、乗り換えなしというのは、ありがたい。

ぴったりと予定時刻に河口湖駅に到着、ホテルのお迎えを受けて、みんなと合流。
5人のうち長旅は苦手さんは、欠席で今年は4人。
それでも、10代で知り合った仲間と、還暦過ぎて毎年のように会って、心から楽しめるなんて、幸せなこと。

それぞれ知り合いには、まだやってるの、とか、亦行くのとか言われ続けているのだ。

何よりも、会って話をするのが一番のごちそう、そして、温泉をこよなく愛するメンバーは、今日は、富士山というダイナミックなご馳走に期待ワクワクだったのだ。

しかし、天気予報は、50パーセントの降水確率で、さすがの雨女さんも、今回ばかりはダメかとあきらめ気分だったのだけれど、、、

翌朝、カーテンを細く開けたとたんに、大歓声。
何と、その部屋は、布団の中から富士の見える、最高の部屋だったのです。
浴衣のまま、しばし呆然と、青い空に、かっこよく雪の帽子をかぶった富士の美しい姿を眺め入っていました。

やぁ、おめでとう!

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玉高同窓会パート2

2014年11月02日 | 徒然に日々のことを
玉高同窓会楽しく参加してきました。

今年は、出し物が準備されていて、お一人は、ギター。そして、もう一人は私。

ギターの紳士は、ギターをかき抱くようにして、プロ裸足の演奏をなさいました。若いころから、何かと触れる機会があって、長年親しんでこられたようですが、言葉では、最近習い始めたと謙虚なお方でした。

さて、私も無事に吟じ終えましたが、その吟詠を褒めに名刺を持ってわざわざ席のほうに来てくださった素敵な紳士がいらっしゃいました。
その少し前に、自己紹介の時、東京オリンピックの司会のセリフを、そっくりに滔々と語られた方でした。
わぁ、すごいなぁ、かくし撃烽アこまで来ると、かっこいいなぁ。と、軽く考えていました。

さて、その方の肩書は、まぁ大変!「公益社団法人 吟道学院 理事」でした。
そんな偉い方の前で、得意げに吟じたのかと思うと顔から火が出ました。
お偉い方は、芦孝会の方と同じで、ちっとも偉ぶったところがなく、更に、長年精進してきた吟と拝聴しました、来年もどうぞ吟じてくださいとおっしゃって、益々、私を戸惑わせ、慌てさせるのでした。

しばらく後に、そのような方が、玉高の先輩であったことに気づき、それまで、知らないでいたことに、そして、知らせようとしなかった配慮に、驚きました。

それぞれの自己紹介も終わり、岡山名産品があたるくじ引きでした。いつものごとく、くじには縁のない私は、残念賞。当たった方の商品ってなんだったの?
せっかく岡山のものを商品だったのだから、披露すればよかったのにねぇ。

いつもなら、二次会へとなだれ込むのですが、私は、記念撮影のあと予定通り3時に終了した会場を、後ろ髪をひかれながら、お暇をしました。


いつも思うことは、同窓会って不思議だねぇ。同窓というだけで、知らない同志が、あっという間に打ち解けて、和気あいあいとなる。
故郷を、あまり意識していなかった私でさえ、望郷の念を詩にしたりすることが起こるのだから、それは、それは、同郷という香りの魔法にかけられてしまうのだねぇ。



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玉高関東地区同窓会それから

2014年11月02日 | 徒然に日々のことを
6年前の関東地区同窓会が、今の夢組の、誕生の場所。

その翌年、つまり5年前が、東京支部の十周年の記念大会が催されて準備に、いそしんでいるころ。

同窓会と同じ会場だったことから、話が発展し、吟詠を聞いていただくことになり、それからそれへと、話が進みました。

十周年が終わったら、一段落するからと、お約束をして、会の始まりに向けて、ゆっくりのんびりと、気持ちを盛り上げていきました。

2010年、夢青葉誕生そして、2年後に夢松風誕生。

その記念の同窓会に、これから出かけます。

青葉の会員さんが、同窓会の幹事さんです。
今日は、どうしても私の吟詠をと所望されました。
吟題は、自作の「初夏即事」と、指定です。

なるほど、同窓会に故郷を歌った詩を吟じさせていただけるのだと、感謝。

一番ふさわしい吟題ではある。

ふるさとは、心に大きなうねりを生じさせるもので、詩作初心者の私には、大きな原動力になるものでした。

同窓会があって、教室ができて、神戸の大会があって懐かしい人、共に戦った人にあって、心かき乱され、初夏のすがすがしい風を想像して、望郷の念に駆られる。

山のない関東にいると、「ふるさとの山はありがたきかな」の心情が、わかってきた。


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