作日は夢松風の日。
駅前のコンビニで、テキストのコピーをして、飲み物を買って、鞄をゴロゴロと引っ張って。
公園の横を通って、今日の会場へ。
松風の会員は、少人数なので、その人数に見合った定員11人のこじんまりした部屋。
幹事さんのおかげで、いつもこの部屋が安定してお借りできるのは、本当に感謝しています。
この広さは、私の身の丈に会った部屋と、心から思います。
スロープをゴロゴロ引っ張って、上がっていくと、ロビーでは、もうみなさんが揃っていました。
いつになく、駆け寄って私を迎えてくださるゲストのTさん。
何事かと思っていたら、彼女、家庭の事情で、当分練習に参加できなくなったと、せき込むように一気にしゃべり始めました。
このことを電話でなく会ってお伝えしたいと、わざわざみなさんへの手土産持参で、来てくださいました。
和のお稽古ごとのしきたりや礼儀に詳しい彼女は、事あるごとに、驚くほどの気づかいしてくださっていました。
心から、松風の会員さんたちを愛し、練習を楽しんでいてくださっていたことは、感じていましたが、これほどまでに思って頂いていたとは、驚きました。
彼女が、別れのご挨拶をしてくださっているのに、これからの練習にモチベーションを上げきっていた私は、彼女の気持ちに沿うことができず、やさしい言葉がけをすることができませんでした。
本当にごめんなさい。彼女の涙に、慰めの言葉も、感謝の言葉も伝えられないまま、後姿を見送る私。
2時間の後、練習が終わって、やっと、寂しさがこみあげてきて、なんて心無い見送り方をしてしまったのかと気が付いたのです。
私って、たぶん、詩吟を振りかざして、会員さんの心を踏みにじっていたのだなぁ。
反省しきり。
50年前からちっとも成長していない。
ちょうど、帰ったら、先日の出席できなかった吟詩部OG会の写真が届いていました。
先生はじめ、後輩のみなさんの顔を見ながら、私のことを「鬼の田辺」と言った先生、関吟の80周年大会で、みずから私のことを探しに来てくださった先生、変わらぬ笑顔、懐かしい顔、あったことがないと思える顔、あの頃の後輩とのかかわり方など、次々と思いだします。
あれから、やめないで、続けてきたというだけで、長年携わってきたと思いあがってました。
何が重なってきたのかと、考える。
バランスよく成長したと思ったのは、幻想だなぁ。そう思いたかっただけだねぇ。
つい最近、吟詠のスキルは上がったと、幻想を抱いたけれど、思い上がりだったなぁ。
本当に、スキルが上がったのだったら、ちょっと褒めてもらったことを、手放しで喜んだりしないよねぇ。
不安だから、誉められて嬉しかったんだ。
同じくらいの経歴のほかの会員さんが褒められているのを、羨ましく思い、私も褒められたいと思うのは、まだまだ、足りないからだねぇ。
周りの会員さんは、本当に大人だねぇ。こんな私を、先生と取り立ててくださって、本当にありがとうございます。
「前進」しかない練習方法は、考え直さねばなりません。
ちょうど、夢組さんたちが、すくすくと育ってくれて、大人になってきたので、私も少しゆとりをもって、緊張を解いて行けるかもしれません。
彼女には、いつでも、帰ってきて、ちょっとでも顔を見せに来てくださいね。
あなたの、熱心で、まじめな練習の様子は、夢組さんたちに、良い刺激をくださいました。
一つの吟題を取り上げて、繰り返し練習すると決めたのは、私の助言を受けてのことでした。
一生懸命に、私の言葉を漏らさず受け取ろうとしてくださいました。
へなちょこでも、先生を先生として、限りなく尊重してくださいました。
帰りの電車でも、よく質問をもらったり、思いがけない気づきをもらったりしました。
登録教室ではないゲストとして参加する教室の先生として、絶妙のバランス感で、敬って頂きました。そして、だからこその気安さもあって、珍しい、貴重な人です。
本当に、ありがとうございました。
そんなことを思いだしていると、目湿ってきました。