お正月の準備が出来ました
ぐい飲みとかたくち
関西吟詩文化協会東京支部長野田芦考先生
まだなじんでくれない鼓太郎
持ち帰った陶結ウ室の作品
25日の納吟会・久しぶりに会った先生
鼓太郎・昨夜やっと私の布団の上で就寝しました。
この写真はまだ、私を見る目が冷たい。。。
関西吟詩文化協会東京支部長野田芦考先生
まだなじんでくれない鼓太郎
持ち帰った陶結ウ室の作品
25日の納吟会・久しぶりに会った先生
鼓太郎・昨夜やっと私の布団の上で就寝しました。
この写真はまだ、私を見る目が冷たい。。。
娘と、鼓太郎とのんびり楽しい時間を過ごしています。
畳と日本食、それだけで十分です。
夫には申し訳ないですが、ほんとに体をゆるゆるとして、娘と何気ない会話をして、鼓太郎をなでる。
他には何もいりません。
後は、可能な限りの友人とあったり電話をしたり出来ればよいです。
同じメールも、日本の土地を踏んでやり取りするのは、格別の思いがあります。
陶撃フ先生が、今、焼きあがったと言って電話をくれました。
ぐい飲みは娘のために作ったと言うこと覚えていてくださったようです。明日もって帰れるように、ご主人様と届けてくれました。
受け取った、陶器はとても冷たかった。
車とはいえ、ずいぶん寒い中を来てくださったのが分かる。
ありがとうございます。
壊さないように、もって帰ります。
ぐい飲み、片口、湯飲みの3点はすぐさま新聞にくるんで、スーツケースに詰め込みました。
なので、写真は、お皿2枚、小鉢、花瓶(夫作品)の写真です。
なかなかの出来でしょう?
あしからず。
今日、今年最後のSAVE THE CHILDRENの授業に行きます。
モギーさんに、感想を聞かせてくださいと言われていましたので、作文をし、自分でモンゴル語に訳そうとしたのですが、ちょっと無理でした。
夫の通訳さんにお願いしました。
ウツカには多分無理だろうと思ったのです。
そして、そのモンゴル語の文章を自分で読もうとしたのですが、あまりにたどたどしくて、子どもには理解できないと思ったので、最初の一行を読んであとはウツカに読んでもらう事にしました。
手作業のほうは、Kさんが折り紙を持ってきて、今まで習った折り紙を復習をかねて作り、大きなツリーが教室に飾ってありましたから、それにぶら下げることに決まりました。
日本語は、○○がすきですか?をちょっと発展させて、△△さんのお父さんは、○○がすきですか? ◎◎の○○はすきですか?
をやってみようと思いますが、混乱するかもしれません。
モギーさんが先に感想文を読むと言ったら、娘が送ってくれた日本の絵葉書を見せて、日本の話をしようと思います。
帰ってきたら、荷造りです。
明日は、8時発のソウル経由で帰ります。
成田の雪はどんな具合でしょうか。少々の遅れは覚悟ですが、欠航にはならないで下さい。
UBは、例年より暖かく地方から上ってきた人も、UBは寒いはずなのに、あたたかいですねぇ!と言っていました。(それでも、マイナス15度)
UBに降るはずの雪が、どっさり日本に行ってしまったようです。
鹿児島にも雪が降るなんて。
どうなっているんでしょう。
昨夕は、また、パールが冷たくなっていました。
夕方5時に外出から帰った来た時、まだ、部屋が寒いと感じませんでしたが、夫が仕事から帰ってきたときは、気づかないうちに室温が下がってきていたのです。
寒い外から帰ってきて、部屋が寒いとがっかりするのです。
そのうち、、、と待っていても何も音沙汰がなく、老朽化したパールはところどころひびが入っていて、温度が下がると日々の隙間が開いてきて水が漏れるのです。
水を受けるために、買ってきて無理やり食べた(ほんとは嬉しかったかも、、、)カップラーメンの空き容器を下に受けました。
風邪気味の夫は、お湯も出ないし布団に入るしかない。
念のため湯たんぽを入れて、さっさと眠ってしまいました。
8時を過ぎても、、、9時を過ぎても、、、
さすがに、足先が冷たくなってきた。
バイガルさんに携帯メールを送ったら、ほとんど電源を切っているのに嬉しいことに通じました。
でもねぇ。この時間だからけいたいをそばに持っているかしら?
と思っているうちに、返信が来ました。
「遅い時間にごめんなさい。パールが冷たくなりました。いつ、なおりますか? 原因は何ですか?」
「隣のアパートで工事中で、後、1時間後になおるそうです」
「はい、分かりました。後少しですから、がんばって我慢します。ありがとう」
体が冷え切る前に、私も布団に入っていましょうと思っていたら、思いがけなくまた返信が来ました。
「寒いでしょう?申し訳ありません。残りの窓の工事も明日やります。」
わぁ、おどろいた!
寒いでしょう?
しかも、「申し訳ありません」
こんなに心のこもった言葉をもらったのは、初めてです。
すごいねぇ。日本に行ったことがあるとはいえモンゴル人と心通わせるのは、初めてです。(TISの日本語科の先生は別です。)
嬉しい驚きで、いい気分のうちに早めに布団に入りました。
思わず、ザザに「お休み」を言おうとして、はっとする。
テレビを見ているときの、膝の重みがなくなって、ごろごろの音が聞こえなくて、やっぱりいないのね。
おぼつかないモンゴル語で、一人奮闘して白タクゲット!と言うのは16日のことでした。
約束は、昨日の19日。
朝、スタートのウツカから「タクシー来ません。私のタクシー 行きます。」とメール。
なぁんだ、がっかり。あんなにがんばったのになぁ。
昨日、雪が降ったから、新しい車をスリップさせるようなことはしたくないのかなぁ。
49学校がゲル地区にあるからかなぁ。
いろいろ考えましたが。ウツカに、なぜなのと言う質問を、手を変え品を変えて質問しても、ウツカには質問に答える語彙が無かったようです。
「来ません」と言うだけ。
一歩踏み込んだ質問には、ちっとも答えられないウツカでした。
それから、ウツカの乗ってきたタクシーに、12時まで待っていて欲しいといって何度も頼んだのに、ウツカは12時に来ればいいといって返してしまいました。
1時間1,000トグルクでは安かったのかなぁ。
それで、今日、チメグバータル先生に質問しました。
モンゴル人は、以前から比べると大きなビジネスを展開している人は約束を守るようになりました。
デモ、まだまだ、牧民時代の習慣が抜けてなくて、約束は守りません。
後からでも、自分の都合の良いことが出来たらそちらに乗り換えます。
そんな3日も前の約束なんて。。。
そして、1時間1,000トグルクというのは安すぎる価格だそうです。
タクシーを走らせたら、15分から20分で1,000トグルクは稼ぐからだそうです。
もし、車を走らせるより待ってて1,000トグもらったほうが良いと言う人がいたら、いいかもしれませんね。
と、おっしゃいました。
前日電話したとしても、来るか来ないかは同じでしょう。と、言いました。
タクシーは、その都度拾うしかないようです。
あるいは、250トグルクの手数料を払ってタクシーを呼ぶことです。
と、教えてくれました。
そうなのか。タクシーって呼べるのね。では、自分の居場所を正確に伝えるモンゴル語又は英語を覚えましょう。
真ん中のデール姿がオユンエルデネさんです。
日曜日に孤児院にボランティアで衛生についてお話をしに来ていました。
オルティンドーを披露してくれましたから、音楽科の学生さんと思っていましたら、医学部の学生さんでした。
小学校で先生にオルティンドーを習い、後はCDを聞いて独学していたそうです。
そして、2年前から、TISの音楽科のツェツェグ先生に習い始めたそうです。
今日は、今年最後のオルティンドーのお稽古の日でしたが、先生の都合で取りやめになりました。
せっかく空いた時間ですから、エルデネさんに連絡を取ってもらって、チョカさんの通訳で会うことになりました。
今年最後ですし、帰国前なのでボイナーにも声をかけて、サクラでランチを誘いました。
チョカさんと出かけたときに見つけた、オルティンドーの古い本を見せたら、これはなかなか手に入らない貴重な本ですと言っていました。
歌詞と音符の入ったハードカバーの薄い本です。
その中に、私の習った歌が4曲中3曲入っていました。
来年帰ってきたら、彼女に歌詞の意味を教えてもらおうと思います。
そして、「この曲はとてもよい曲です」とお勧めの「ヘルレン川の滝」を教えてもらおうと思います。
彼女は、南ゴビ出身です。
去年娘と行きましたと言ったら、とても喜んでくれて、ヨリーンアムに行きましたかとたずねられ、もちろんと応えると、満足そうな表情を見せてくれました。
チョカの優しさと日本語に助けられて、そしてボイナーのちょうど良い補助で、日本語のわからないエルデネとの会話は、違和感なく2時間も途切れることなく続きました。
今週と来週は、期末試験の最中にもかかわらず、7時から日本語科の学生のシンジリーンのパーティー(新年とクリスマス)だそうです。
4時半に予約してある美容院に行って、顔も髪もきれいにして、ドレスも着てパーティーに行くのだそうです。
チョカもボイナーもはしゃいでいました。
エルデネは?とたずねられて、27日ですと答えてちょっとだけ笑っていました。。。
試験中にもかかわらず、私のオルティンドーのお稽古に付き合ってくれると言うチョカにすごく遠慮していたのですが、試験中も前も家で猛勉強と言うのは無いらしい。
医学部のエルデネは、どうなのでしょう、今度機会があったらたずねて見ましょう。
来年の、再会を楽しみにしています。
昨日のことです。
ホテルに入っていくと、いつもフロントにいる女性が迎えてくれた。
「猫がかえってきましたよ」と言うと、「かえってきましたね」と返事。
オトゴンさんは?とたずねると、私と応える。
夫と二人で男性とばかり思っていて、苦笑。
こちらへと通されて部屋は、前回迎えに行った部屋より広く上等でした。
夫が聞くと、社長の部屋とのこと。
ザザは、さっさと部屋に入り、ベッドの下を嗅ぎまわっています。
食器にフードを入れてやってもちょっとにおいを嗅ぐだけで、また、部屋の探索に余念が無い。
浮ェって入らないかと思ったら、多分、ナンダカ思い出のあるにおいだと思っていたことでしょう。
何しろ、拾われて直ぐに育ててくれていた人の部屋なのですから。
後ろを向いている間に、夫と早々に退散。
あまりのあっけなさに、涙も出ない。
「ケーキ屋さんに行って頂戴」「はい、かしこまりました」
飲めない私は、ケーキに頼るしかないことは、夫も良くご承知。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
鍵を開けても、ザザが出てこない。
ごろごろと言う音が聞こえない。
お皿にドライフードを落とし入れるちゃらちゃらと言う音がもうしない。
皮製の手袋を、バッグからいつの間にか探し出して、おもちゃにすることも無い。
喫煙のたびにベランダをあけて出て行く夫。直ぐに部屋に戻ってくるのに、ドアが開くと飛び出ていくザザがもういない。
煙いなァ言う顔で、ベランダから入ってくる夫。
出て行くときは、「ザザがいないと寂しいなぁ」と口に出していたのですが。。。
帰宅して、数時間後、胸が苦しい。
ザザが、ハッと気がついて、探しているのかもしれない。
モンゴル方式の、さっぱりした別れのおかげで、泣かなくて済んだけれど。
夕飯もらったかな?
水は入れてもらった?
夫は、今朝風邪気味で仕事を休みました。
ほんとは昨日連れて行くつもりだったが、帰宅が暗くなってしまったし、鼻水が出るからと夫から行かないと決めたのでした。
頭痛を抱えながら、出かけるのはかわいそうでしたが、もう先に延ばせません。
帰宅して、ぽっかりと開いた穴の寂しさをかみ締めながら、案外ほっとしている自分もいるのでした。
SAVE THE CHILDRENには、カメラクラブもあります。
その子どもたちが、移した写真の展覧会に招待されました。
施設のそばにある第72小学校の講堂に展示してありました。
資金面、器材面での援助をしているスイス人のご夫妻。
正面に貼ってあるFOCU ON KIDS の関係者だと思います。
そして、トヤさんというモンゴル女性が技術面の指導をしています。
カメラを首から提げた子どもが、写真の前に立っていました。
「君、うつした?」にっこり笑って「。。。。。。。。。。。。」
「わぁー、わからないよー ウツカァーなんていってるの?」
たぶん写真の専門用語がたくさん出てくるのだろう。日本の子どもだったら、おそらく分かるような専門用語ともいえない言葉でも、一眼レフのカメラには縁の無かったウツカにとっては、難解な専門用語に等しいくらいに分からない言葉が続々と出てきたようで、ほとんど、分からなかったようです。
彼らは、目を輝かせて楽しげに語ってくれているのですが、具体的なことはちっとも分かりません。
それでも、写真が好きで、それぞれの写真には一杯思い入れのある一枚のようです。
モギーさんは、彼らが写真を撮ることだけでなく、写真展を実行することによって、写真について、カメラについて、彼らの思いについて語ることが重要です。
しかもそれが、はるばる外国から来た人に語ると言うことは、特別なことで励みになります。とおっしゃっていました。
これについては、知り合いの日本人がたまたまそばにいたので、通訳をして下さって分かったことです。
木曜日の生徒の顔ぶれもありました。