風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉7月練習

2012年07月27日 | 詩吟
怪我でお一人欠席。

二人になったとき、つい、友達同士に戻ってしまう私たちですが、練成会、昇段を控えているので、今日は、おしゃべりに興じないで、まじめに練習です。

今日は、「生田に宿す」のおさらいです。
彼女は、先生にそっくりの吟をすると、練成会の時にはよく言われるのですが、そのことを今日二人で合吟してみて、実感しました。

こういう、共鳴があるのだなぁと、教えることの冥利を感じました。

小林快川先生が、徹底的にまねをしなさいといわれたことが、生徒側からの助言でした。
それが行われたら、教える側からの感覚はこんな風に感じるのだとわかったのでした。

教えることについて、入り口にいる私にとって、こんな新鮮な感覚をいただけるのは、さらに、吟じることと教えることについて、精進をしようと素直に思えるのでした。

その次に、独吟で、詳しく聞かせてもらったのですが、今の段階では、直すところは無く、彼女の良さがよく出ていたのです。
ワンランクアップしたいですかとたずねたら、「もちろん、したいです」との答えが返ってきました。

それで、まず出だしの「千歳の恩讐」を、徹底的に、細かく分析しながら、何度も何度もやり直ししながら、仕上げていきました。

この、彼女のお国訛りの癖に触れるのは、危険なことでしたが、あえて、挑戦しました。

彼女とは、郷里が同じということも有り、気持ちやその困難さは十分わかっているので、今日のようにマンツーマンだからできるという利点を生かして練習をしました。

彼女は、本当に私のテープを聴いてくれているようで、自分との違いを同じなまりを持つものなのに、どうしたらよいのかという疑問をすでに持っていたのです。

それで、難しいテーマでの、直しを、本当にありがたいくらいまじめに受け止めてくれました。

まだ、完成には至りませんでしたが、やはり、頭の中の訛りを横に置くことと、おなかの使い方をもう少し丁寧に練習せねばならないということが、わかりました。
私にとっても大いに参考になる実践練習でした。

こんなとき、知り合い同士というのは、言葉が控えめになったり、要求を抑えたりしがちで、結果的に、不十分なものに終わってしまうのです。
ものともせずに取り組んでくれたことは、感謝としか言いようが無い。

そして、私の詩吟が好きだからと言ってくれる。ありがとうと、言いたい。

今日お休みだったメンバーにも、これと同じくらいの練習をしたいと思います。
一度経験してみれば、今度は、マンツーマンをまたなくとも、できる自信が出来ました。

三人の友達同士では有るけれど、ちゃんと切り替えてくれる二人のメンバーは、得がたいと思うのです。

今日の、経験で、遠慮は禁物と、お休みしたメンバーも含めて思うことでした。


                ☆感謝☆          
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夢松風7月2回目

2012年07月26日 | 詩吟
暑い中、三人集まりました。
元気で何より。

「大楠公」仕上がりました。いつものように、まだまだとの声。
譜名表番号13番の抑揚という吟法が、曲者でした。
簡単に単純に片付けたくない面々には、出来上がったとの満足感が得られなかったらしい。

何処で完了となったのかの満足感は、それぞれの感度によって違うのだけれど、まじめなメンバーには、あとちょっとの何かがほしいのだねぇ。
次回、おさらいをたっぷりしますからと言って、納得していただく。

残りの半分は、練成会の合吟の練習。

男性を中心に良くまとまってきています。

ずっと控えめで来た、女性も、少しずつ自信を増してきています。
あるときは、他の二人を引っ張る場面も有りました。さすが年の功。

もう一人の女性には、可愛さを払拭してもらって、彼女の持つ隠れた強さを出してもらいたいと思いました。それで、吟題を言うところから詩吟は始まってますよ、力強く発声してと言い渡しました。

最年少で、一歩出遅れていることもあって、控えめすぎるところを、それでは、満足が得られないからと手助けしました。
抵抗感があるかと危惧したのですが、だいじょうぶでした。ちゃんと、力強く、吟題作者を言うことが出来ました。
そうすると、詩の最初の言葉にも、おのずと力がこもってくるのです。

練成会の日に、私は居ないので、そのことを思うと、強くなってもらわねば。
リーダーに従うことも大事だけれど、ぶら下がらないで、ともに進む事が大事です。

いい感じで、合吟も出来て、安心。


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ほっと一息

2012年07月24日 | 詩吟
コンクールを終え、大事な中央会でのお試しの練習会も終えて、ほっと一息。

緊張から解き放たれて、脱力。

今までは、お昼前のひと時を、声を出しても出さなくても、コンダクターを目の前においていた日々でした。
きょうからは、本当に声を出したいときでよいのだからと思うと、ちょっと、淋しい気がします。
ただ、練習のための練習ではなく、一つの目標があって、身体と声との関連を考えながらの発声でしたから、充実感もあったのです。


昨日は、いろいろと溜まった片づけをして、歯医者に行き、夜は、近所の図書館の朗読の会に参加。

今日は、一日カレンダーになにも書き込みの無い予定の無い日です。

はーっとゆっくり意気を吐いて、完全脱力。

緊張が続いていたから、この開放感はなんともいえない。
一日でれでれとすごし、その弛緩したままの顔で、夫の帰宅を出迎えるとき、なんとなく安心した表情を見せるはず。

何もしない夫ではあるが、私の、緊張の極みから解き放たれたときの表情は良く見ていてくれてると思う。
この弛緩したままが、何日も続くと、何か言いたげになるのだが、、、

次のテーマが、ほぼ構想として出来上がっているのだけれど、ぐぃーっと深く考え込むまでには、まだ、気の高まりがいまいち。
まだ、今やったばかりのことを反芻し、定着しておかねばね。

その高まりがやってくるまで、のんびりと、過ごそう。

あさっては、松風の日。
練成会のための九月十三夜の合吟練習と課題吟「大楠公」。
次の富士山へ進めるだろうか。

そして、その翌日は、青葉の日。
青葉は、今月から平日へと移行中。
松風は、当分ゲストはお迎えできないが、青葉は、ずっとオープンにしているのです。
遠いことも有って、ゲストは来ない。
一人、人数も減ったことだし、終わりの時間も少しゆとりが有るのになぁ。

青葉さんたちは、そのほうがのんびりで、喜んでいるのだが。
この辺で、昇段試験に向かって喝が入るとよい時機かもしれません。


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東京芦孝会7月中央会

2012年07月23日 | 詩吟
あまりうれしくない縛りから解き放たれて、やっといつもの日々がやってきた。
コンクールは、嫌だったけれど、その思いを引きずることなく今朝を迎えられたことは、私は私に、良かったねと声をかける。

今日は、午後からは、そうそうたる方たちを前に、私の詩吟の練習法をご披露する日です。
依頼を頂いてから、一転して、野田 芦孝会長の所用が無くなり、先生もその場にいらっしゃるということで、いろいろと考えすぎるぐらい考え込んでしまいましたが、結局は日ごろの練習を展開することしかないということで、心に決着をつけました。

しかし、その前に、コンクール出場という事態になり、別の嵐が吹いたわけなのです。
その間、あれこれと考えることも出来なかったので、「いつもの通りに」と出した結論が、そのまま、ぶれることなく維持されたわけです。

午後、私へ与えられた時間が来たとき、野田 芦孝先生は、いつも座っていらっしゃる席を荷物ごと取り除いて、私に提供してくださいました。そして、下の席へと移動されました。

いざ始まると諸先輩方も、さも、私の弟子であるがごとく指示に従ってくださって、私の実技を暖かく支えてくださいました。

初心者向けと言っても、結局は初心者のゲストが一人で、その方も3段保持者ということなので、夢組でやっている練習を少し高度に厳しくやることになりました。

一人ずつ、もっと自分の楽器としての身体を正しく補正して、喉の力を抜いて、「あー」と高い声を出すことに熱中しました。

中央会は、全て実技のときは席順に実行するという習慣ですから、そのとおりにするとなると、上師範の岸菜先生が、一番バッターとなります。
一瞬迷いましたがその一瞬後には、いつものようにと思い、上師範にたいして、師範の私が稽古をつける事が始まりました。好奇心旺盛で、何でも学ぼう精神の上師範は、とても素直な良い生徒をしてくれました。
そして、総師範の野田 芦孝先生の番に来ても、ちっとも気取ることなく生徒に徹して下さったのには、驚き頭が下がりました。

さすが、東京芦孝会の、ざっくばらんな暖かい環境で、伸びようとする者の芽をつまない、権威主義ではない考え方が、夢組を教えているだけだった私に、大きく開眼させた瞬間です。


ちょっとしつこく訂正を入れた方にも、真剣に考えてくれているのがわかったから、なんでもないよとかえって喜んでくださったのには、ホッとしました。

自分の考えを、応援して下さる人が居るということが、どれだけのびのびと振舞えるか、それによって、十分に考えを伝えることが出来たという幸せは、最高です。

その練習の後の合吟は、このまま合吟コンクールに出てもよいような意気のあった詩吟でした。あら、コンクール嫌いの私がコンクールをたとえに出すなんてね。

一人越に入った私でしたが、好評を得て、中央会第一回の試みは、成功したようです。

これから、指導者の集まりが結成され、よりよい中央会の有り方、ひいては、東京芦孝会への明るい展望がさらに開けるよう、知恵をだしあうことになりました。

組織のことについて考えるときは、頭が痛くなって、会議では眠くなるのですが、いかに声を出すかについて考えることなら、楽しくてしょうがないのですから、出来るなら会議はパスして、声を出すことに精出したいなぁ。
そして、いっぱい学びたいことを保留にしないで、思ったときに学べる体制になって欲しい。

会議後の反省会でも、議論百出。盛り上がった一日でした。

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関東地区予選ご報告

2012年07月21日 | 詩吟
第4回グローバル全国吟詠コンクール大会=開催大阪平成24年11月23日予定=
第1回関東地区予選(北千住)が滞りなく終わりました。

暑さが和らぎ、喉にはちょうどよいお湿りでした。

大阪の本選をめざして、82人が戦いです。

ひょんなことからコンクールに出ることになって、十分な練習もしないまま当日となっていました。

出場のことを思うだけで、心臓バクバクで、深い呼吸が出来なくなる始末。
山田先生に気を一杯入れてもらって、そのことだけが支えのように、順番が来るのを待っていました。

いろんな人が居て、皆、それぞれ上がっている様子が受け止められて、一緒なんだなぁと思ったときに、かなりの興奮状態から抜け出ることが出来ました。

コンクールだけあって、ちゃんと練習する部屋が確保してあって、そこでは気兼ね無しに練習が出来ました。

ただ、お隣で練習している人があまりに上手だったり、厳しく指導する人が付いていたりすると、落ち着きかけた気持ちがざわついてくるのでした。

舞台の端で、一つ前の出場者の吟を聞いていると、落ち着いていた気持ちがまたざわついてきて、心臓のどきどきが聞こえてきそうなあがりっぷり。

おちつけ、おちつけ。深息法だ。おなかに深く息を入れて~ はい、とめて。

すこし、落ち着いてきたら、名前が呼ばれた。

吟題が先だからね。よし、次は、作者。それだけで、エネルギーの半分を使ったみたい。

小林快川の姿だけが、不思議によくみえた。
何度も、顔を上げて、私を見たのは、後で聞いてみてなぞが解けた。マイクからの立ち位置が遠すぎて、マイクに声が乗っていなかったのだ。

付け焼刃のコンクール用の練習が一度だけ。マイクの使い方を習ってうれしがっていたのですが、却って裏目にでたようです。

出場前には、マイクのことについて、ヒントも貰ったのに、それをどう形にしてよいやら理解していなかったのです。ただ、もう一歩前へということだったのですが。
場慣れしていないということは、こういうことなんだな。

ということで、入賞さえおぼつかないと腹をくくって発表を待っていたら、なんと、入賞。
しかも、4位だったらしい。優勝者、準優勝者、3位の人たちはそれぞれが表彰状を受け、その他の入賞者の代表で、私が賞状を受け取りました。

いつも留守番をしてくれている主人へのお土産にはなったかな。

今日は、朝から何も手に付かなくて、何も出来ない私に文句も言わず、黙って送り出してくれた夫に感謝。

詩吟仲間からは、それ以上の成績を望まれていましたが、私の実力といったら、そんなものでしょう。たとえ、マイクに声が乗って、高音の伸びや、低音の引きに手助けが有り、少々良く聞こえたとしても、そう簡単に順位が上がるものでもない。

逆にこの成績はなにかの温情があったのではないかと、勘ぐってしまう。




関東地区予選は、今年が第一回。運営幹事も出場者が勤めるという、過酷なものでした。
コンクールに出場しなければわからなかったことです。
やはり出場者には、雑事を忘れて専念してもらいたい。
と、言っても優秀な人は、その、仕事をこなした上で、優勝までした猛者もいたのだが。

私のように、家を出る前から、そのことばかり考え必要以上に心乱されるよりは、一点集注できるのかもしれないが、それも、長年経験してきての賜物なのです。

3つのグループのうち二つまでも優勝者を出し、入賞者も数多くいた東京芦孝会は、とても優秀な人が多いということですね。

ただ、今のままのやり方では、この力を維持するには、難しいように思うのです。
大阪本部より、優秀者を招いて、テーマごとの個人特訓のようなものを取り入れたら、もっと力が付くのにと思いました。

明日は、中央会です。
練習の後、今後の運営について幹事会が開かれます。このようなことについての、意見が出るのではないかと思います。
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関東地区予選

2012年07月20日 | 詩吟
明日は、北千住にて、「第4回グローバル全国吟詠コンクール大会」の関東地区予選です。

壇上を想像するだけで、あがってしまって、低音の発声に著しい問題を生じてしまいます。

以前は、あがるなんてことは無かったのに、年を重ねて欲と連れ添うようになったのだろう。

今日は、整体の山田先生に気を一杯入れてもらったおかげか、帰宅してからの練習は、日ごろの実力どおりの吟が出来たように思う。

一つ大きな発見をしたことがある。
関吟の作法では、禅僧の間に吟題、作者を言うのは、作者が先で、吟題が後と決まっている。
今回のグローバルでは、吟題、作者の順に言うことになっている。
たったそれだけのことなのに、大きな齟齬感があって、それが、このコンクールへの抵抗感の一つと勘違いしていました。

単なる習慣の違いだけれど、それが、大きな障害となっていたことが直前になってわかったのでした。
気がついてよかった。これに気がつかなければ、一言も発声しないまま、吟題が出てこなくて、失格になるかも知れないところでした。

今、詩吟よりも、まず、吟題を正しく発声して、作者を間違いなく言うことを繰り返しています。

作者から言うのであれば、何も考えることなく始められるのに、吟題の第一番の「九月・・・」がまず出にくくて、それに繋がる作者「上杉・・」がまた、口ごもりそう。

たったこれだけのことで、詩吟を吟じるところにまで到達しないのかと思うと、残念で、悔しいのでした。

さて、足首を暖め、深息法で、心身のバランスをとり、難行に取り組む準備をいたしましょう。

先生をするようになって、生徒さんには、自信を授けているつもりだけれど、私には、自信を授けてくれる人がいないよなぁ。
聞いてもらって、忌憚ない意見を貰いたくても、「結構でした」との言葉が返ってくるのは、取り止めが無く、ゆるぎない自信には繋がらない。

いっそのこと、野田先生を飛び越えて、大阪へ訓練を受けに行こうかと思ったりするが、そんなことできるはずも無いし。

頼りは、CDや関吟のHPだ。
それは一方的に聞くだけで、何の反応も返ってこない。何か言ってよね。

英会話学習のインターネット詩吟版のようなものは、できないものだろうか。


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井本整体会員セミナー

2012年07月16日 | 徒然に日々のことを
千駄ヶ谷の井本整体道場会員向け無料セミナー参加でした。一般向けのセミナーと連続して行われたので、その両方で2時間受けました。

今日のセミナーその1は、うってつけの深息法。いまひとつ、掴みきれて居ない深息法の指導を全体会でも、グループ分けをした上でも個人的に行ってくださいました。
一歩前進。

深息法方の要の下丹田は、整体では大事な部位であり考え方でもあるので、そのたびに、説明を受け、場所を指し示して、覚えてきました。
そのたびに理解が深まっていきます。その場所を忘れないで居るということが、いかに、整体生活を豊かにするものかが、わかってくる。

深息法は、オルティンドーの発声を習ったときにも、よく似たことを先生が教えてくださいました。
ジャンルに関わらず、声を出すことにおいて、深息法は、強力なツールということがわかります。

これを、詩吟の人に関わらず、知って欲しいのだが、まず、習うときは、仰臥して行うため、導入しにくいのです。
慣れてくれば、たっていても、歩いていても、電車に乗っていても出来るようになるのですから、なんとか、どうにか、立った姿勢でも、教えることが出来るようにならないものか。

その2 夏の身体を知るの中で、心の変調は身体に現れるということ、興味深く聞きました。
心と身体と呼吸は密接につながり影響しあい、傾いたり、堅くなったりして、信号を送り始める。その信号を早めにキャッチして、心身の病変に至る前に手当てをしましょうと。
家庭の中で、健康管理に当たるのは、母親がほとんどでしょう。
そのとき、ちょっとでも、整体生活の考え方を知っていれば、家庭の平和がより保たれるのに。

10月には、女性のための本が出版されるとのこと。楽しみに待っています。教えてあげたい人も何人か居ますから、指折り数えています。

暑い夏の盛りにもかかわらず、出版に向けて、大変な作業をなさっているのだなぁ。
先生たちは、丹田に力を込めること十分知っていらっしゃるから、疲れを貯めてしまわないうちに、処理なさっていることでしょう。
セミナーやサメ[トに道場においでくださっているとき、その周りはすっきりとさわやかな風が吹いているのは、丹田だけではなく、私がまだ学んでないことがたくさんあるのかなぁ。

秘密は、いずれ解き明かすことにして、まず下丹田への力の込め方、深息法を忘れなく行うこと二、精を出すことにしましょう。
まず、自分が納得行くようにできなければ、伝えたいという思いだけでは、次へと伝わっていかないのだから。





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江戸川詩吟道場

2012年07月15日 | 詩吟
東京芦孝会には、12の教場があり、そのうちの一つ江戸川詩吟道場があります。

その名の通り、他の教場とは違って、今ある技術のスキルアップを目指して特訓を目標としている教場であり、その名の通り道場です。
ですから、新しい吟を習うのではなく、何か目標を持ってその問題の解明と習得に行く場所です。

関西吟詩文化協会会詩合吟、巻頭言を朗読、滑舌を良くするための詩の朗読や、早口言葉を言い、オープニングの最後は、8行の律詩を何度も吟じました。

男性が多いので、4本の高さで吟じるのですが、男性はもとより、7本の私でさえ結構な発声練習となります。

4行ではなく8行の詩を連続して吟じるというところに、この訓練の意味があると思いました。

例えば、4行の詩を10回連続と、8行の詩を5回連続だと、合計どちらも40行を吟じたことになりますが、その、必要エネルギーは、8行の詩を吟じる方が、かなり高い値を示します。

うまく文字で説明できないのですが、実感として、身体が、感じています。

21日に、コンクールを控えているので、特にそのための練習を皆さんがいたしました。

コンクールに出たのは、97年でしたから、そのときと今とでは状況が変わっているので、そのときの経験はまったく生かされません。

百戦錬磨の先輩方に、いろいろと教えてもらい、特に、マイクの使い方を練習させていただきました。

おかげで、マイクを前にした立ち位置、マイクの高さの調整(自分で、吟が始まる前にすばやくしなけれななりません)の方法など、懇切に、指導してもらいました。

さて、壇上で、これらのことを思い出して、一連の作業としてやりこなせるかは、付け焼刃の練習で、どうなることやら。

この練習でさえ、あがってしまって、十分に息が吸えない酸欠状態になるのに、壇上で、しかも審査員の前ではどうなるのか予想だにつかない。

97年に出場したときは、あがるなんてことはなく、自分らしい吟をしたように記憶しています。

年を重ねると、欲が無くなって来るのかと思っていたのは、大間違いで、としを重ねるほどに欲が出てくるらしいのです。

あがってしまうのは、その欲があるからだと、すこしでもいいかっこしたいと思うからなのだそうです。

冥土の土産というのには、まだ早すぎるけれど、そんな何処かへの土産が欲しいらしい。

一説には、先生と呼ばれるようになると、生徒さんによいところを見せたくなると。
うーん、そうかなぁ。

一説には、優勝して凱旋したいと。  ・・・・・うーん、そうかなぁ。

一説には、練習不足。・・・それは、確かにある。これだけ練習したのだからという満足と達成感は、ないなぁ。


細かい勝つためのノウハウがあるようだけれど、今となっては、聞き流すしかない。
おそらく2分以内に吟じるという規定は、無いのだろうとのこと。私は、どうも2分を過ぎてしまうのんびり吟なので、コンパクトにするのは、なかなか難しい。
けれど、今日の練習では、短いくらいに終わったのです。あがると短くなるようなので、それは、なんとかOK。

一日の終わりに今日の練習に参加して、思ったことは、自分を忘れないよう、丹田に力を込めること。
今、いろんなことを考えすぎて、丹田に力を込めることを忘れている。思い出せ、思い出せ。


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ほぼ日

2012年07月14日 | 徒然に日々のことを
 
いい問いは、互いの世界を広げたり豊かにしてくれます。
「その問いを、待っていたのかもしれない」と、答える者が感じるような問いは、きっといい問いです。
          
             from ほぼ日刊イトイ新聞 《今日のダーリン》


この いい問いを投げかけられることがあって、私の世界を豊かに確信に満ちたものにしていただいていることを感じています。


頭の中で考えているけれども、もやもやとしていたものが、問いかけによって、一歩外からそのもやもやを観察することが出来ル様になります。
そして、お答えを文字で表すためにさらに客観的に表現する努力をすることにより、かなり具体的な形を成すようになってくる。

この一連の作業は、自分の考えってそうだったの?と、へぇ、なかなかじゃない?と驚くことがある。

それが、正しいか間違っているかは、別の問題で、それだけ考えたことによって、自分にとってゆるぎないものが、蓄積されていく気がする。
そして、それに対して、異論が出てきたとしても、耐えられる気がする。
その異論から、また、いい問いと思えるものが出て来るかもしれないよね。楽しみ。
この年になると、正解は一つではないということがわかってきたからかもしれない。

よい流れを頂いて、感謝。


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夢松風7月1回

2012年07月12日 | 詩吟
今日も元気で三人そろいました。

今日の、課題は、「大楠公」徳川斉昭作
五本での練習は、最初女性のほうが、高音が苦しそうでしたが、何度も声を出すうちに慣れてきて、よい声が出るようになりました。

一音上げて練習をするタイミングとしては、たまたまのことでしたが、よかったのかなぁと、思うのです。

もう少し声が出来てきたら、無理の無い範囲で、女性の高さを上げることを考えていたのですが、自然の流れで、音が上げられたのは、幸運でした。

違和感無く声が出ているし、女性の声に力強さが出たのは、やはり4本ではひくかったのですねぇ。

練習が、全て自分の声の高さで行えれば、音感のよしあしに関わらず、覚えやすいはずです。

頭ではなく、身体に覚えさせましょうということを言っている私ですから、余計にそのことは、考えさせられます。

練成会の吟題は、松樗~に続いて二番目に習った詩の「九月十三夜」に決めました。
男性が出だしで、三人の合吟です。

初デビューの日に、先生が不在という申し訳ないことですが、男性を中心に、そして夢青葉のお姉さん二人が、影からのサメ[トをしてくれると思います。

夢組の双方のグループで、交流というのは、なかなか出来ないのですが、せっかくの練成会でほぼ全員が集まる機会に、親交を深めてくれたらよいがと、切に思うのです。

夢青葉と夢松風の両方をあわせて、夢組と今は私だけが呼んでいますが、その呼び名の通りの、兄弟姉妹として、お互いが認め合い、切磋琢磨しあう仲になりますように。



夢松風の前日、夢青葉の臨時会合を持ちました。
カラオケを使うつもりでしたが、もう一人のメンバーが家に招いてくださったので、お邪魔させていただきました。

相談したい内容は、事前に言ってあったので、おしゃべりが盛り上がる前に結論を出すことが出来ました。

冷たいお茶を頂きながら、そのあとは、話に花が咲きました。

それでも、今は、詩吟が面白くてたまらない二人なので、誰が言うともなしに、練習が始まり、姿勢のとり方、肩甲骨の位置について、和気藹々と、女性同士の気安さで背中にタッチしながら、確認が出来ました。

合吟の練習のときには、確認ャCントが的確に出されて、「ほー」つぼがわかってきているなと感心しました。

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