風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足利学校で論語

2013年05月31日 | こたろう語録
明日、明後日はかあさんのおでかけ。
行く先は、足利学校。

論語の会の須藤先生に、誘われて会のメンバー数人が行くらしい。
おおらかな、須藤先生のもとで、論語の勉強をするのは、さぞよいきぶんだろうなぁ。

お泊りセットをじゅんびしているかあさんは、うきうきしてる。

声を出すことにしかきょうみのなかったかあさんが、やっと、勉強という分野に興味を持ったんだね。

がんばれ!


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東京芦孝会中央会5月

2013年05月26日 | 詩吟
前回の東京芦孝会中央会は、風邪で欠席。
総会と昇段試験がある要の会だったのだが。

ほぼ欠かさず出席するつもりの会に一度でもお休みするとなんだか、浮遊感がある。

なんとか、その穴埋めが出来上がって、練習に身を入れるようになる。

今日は、出席が少ない。

先月のように行事があると、増えるのではなくて減るのだ。

今日は、年に二度開かれる指導者会議。
幹事さんは、毎回幹事会が行われるので、指導者ではない人は、明るいなぁと言っていそいそと家路へ。

昇段についての相談でしたが、意義ある話し合いができたように思う。

東京芦孝会の成り立ちの特殊性から、規定通りに物事を勧められないこともあり、それは臨機応変に運営していかねばならない恨みがある。

そして、上へと進めば進むほど、それぞれの会員の詩吟への、東京芦孝会への、そして関吟への温度差が開いてくるのは、しかたがない。

それを、一つのまとまりとしてまとめていくには、テクニックが必要となってくる。

夢組のような、小さな会は、温度差が生じる隙がないのだが、それも、長く続けて行けば、個性の違いが表れてくることだろう。

今は、私の特性を生かした教室運営が出来ていて、みな幸せに次の練習を心待ちにすることができている。

会の後の飲み会では、久しぶりにご一緒する方の隣で、ウーロン茶を頂く。
その方は、私の特性をよーく見ていて、それが、今までは欠点として映っていたのが、長年やっていると、欠点は欠点として、認めたうえで、仲間として認めてくださったようだった。

この年になり、長年続けていることがあると、欠点をむりやり改善するのではなく、それがあらわす別の面から、認めがたいことが認められるようになってくるものだ。
ありがたくうれしいことではある。

その人らしさを失わないのは、私のテーマで、いつも練習しながら、言い続けていること。

私も、その大先輩のように、認めがたいことも認めるあるいは別のアプローチをして人を認めることができるようになっていかねばね。

今日も、男性9人と女性は私一人のなかで、意見を当たり前のように言ったのだけれど、皆さん紳士なので、どんな意見もきちんと聞いてくださるのがありがたい。
それに威をかりて、空気を読まない出来ていることも確か。

次回から、女性の指導者が増えてこの会も賑やかになりそう。
二人は心強いけれど、女性二人となると、却って気遣いが要りそうで、空気を読む訓練がいるのかなぁ。

ま、練習の延長で、体を固くしないで、伸びやかにいきましょうか。




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ひばり会5月

2013年05月25日 | 徒然に日々のことを
剣舞と詩舞の会「ひばり会」に参加。
大輪神刀流の方々の自主練習の集まりで、小西如泉先生が指導をなさっています。

小西先生は、関吟東京支部十周年のために詩舞を取り入れるために協力を惜しみなくいただいた先生です。

詩舞をプログラムに入れましょうとの言いだしっぺは私。帰国したとき、すでにはじまっていた実行委員会にまだ正式には入っていなかったのだけれど、中央会の後の飲み会に、昔からいたような顔をして参加し、そのうえ、言いたい放題を最初からしていたような記憶が・・・

まだ、実行委員でもないのに、飲んだ勢いで(ウーロン茶だけど)詩舞がなきゃあね、舞台には、先生の書道吟剣だけでは、十周年という大舞台には彩と動きが足りない気がしたのです。
しらふの、会議場ではとても言えないことを言い出したのでした。そして、獅「具合に実行委員ではなかったために仕事で手がふさがってもいなかったので、私が、詩舞をゼロから習うことになったのでした。

といっても、詩舞を舞台に上げるということを認知されるには、それから、何か月かかかったのです。
ゼロからのスタートで、舞台に上げられるものを身に着けられるかどうかは、本人の私にすらわかっていないのに、大事な舞台に、上げる決断は誰にもできないのですもの。

それから、主要メンバーは忙しく手がふさがっていますし、詩舞を習った経験のある人はいませんから、私一人で、始めるしかありません。まず、先生探しが始まり、あれやこれや・・・・・一年の道のりがスタート。

二人目の先生が、小西先生でした。

さすがに大輪神刀流の指導者だけあって、最初に習い始めた新舞踊の先生とは、すべてにおいてキレがあり、詩吟を長年やってきた私には、歌謡曲に合わせて舞う勘所とはすべてが、ぴたりとはまる心地よさがありました。

新舞踊の先生のそのまた先生には、剣舞の素養があったので、その大先生が、振り付けをしてくださり、練習が始まりました。
詩吟は、私が吹き込んだテープで行うわけですから、タイミングは合わせようとすることなく合わせられるのです。

そして、踊りに関する一切の習い事をしたことのない私は、新舞踊のソフトタッチの練習で始まったのが、入りやすかったのだと、思い、それはそれで、小西先生に巡り合わなくても、舞台に乗せられるものは出来ていたと思うのです。
でも、望めば、降りてくるもので、結局最後まで、二人の先生について、練習を続けたのでした。
日舞の素養のある先生が振り付けした詩舞は、そっけないほどの振り付けであった大輪神刀流で修業を重ねてこられた小西先生には、違和感がありつつ、新しい方向性を見つけることのできる振り付けであったようでした。

最初に指導してもらった先生への配慮もしていただきながら、小西先生にはきちんと詩舞の動きを指導して頂き、どうしても納得のいかない部分の振り付けの変更などもしていただきながら、練習は進みました。
本当に、おかげ様でした。

先生は、今日になって初めて、「あの時は死にものぐるいでしたからおたがいにね。」という言葉を聞きました。

先生は、淡々と指導なさっていたように見受けられて、そのようにずっと思っていたのですが、先生も、そうだったのですね。


あれだけ集中して練習をしたことはなかったと思うし、まじめに、家でもおさらいをしていましたから。
小西先生の前に出た時は、すっかり心身の準備が出来上がっていて、まっすぐに、懐に飛び込んでいけたのでした。
その、思いをまともに受けてくださって、伝えたい思いがひしひしと伝わってきて、超速の進歩と毎回褒めても頂きました。


まだ、小西先生には本格的に教えていただいてない頃、プレリハーサルがあり、衣装を着けて舞台上で踊り、十周年の舞台に上げても良いとやっと、実行委員から許可が下りました。
さらに練習に熱が入り、小西先生との出会いへと進みました。

新舞踊と、大輪神刀流の秋の会にそれぞれ出演許可を頂き、舞台の経験もさせていただき、正式リハーサル、そして本番当日に至りました。

その時は、帰国後の逆カルチャーショックの真っただ中。不安定な心がそれ以上落ち込まないで、浮上する力を仕事と詩舞の練習でもらってきたように思います。

もし、仕事をしてなかったら、もし、詩舞という未知のものに取り組まなかったら、とよく思い返していましたが、そういえば、最近忘れているなぁ。


今日は、6月9日の第一回新座市吟剣詩舞道大会 主催新座市吟剣詩舞道連合会に出演するための練習会です。

当日、九段の桜の伴吟をさせていただきます。そして、独吟は、大輪神刀流の所属として出吟します。大輪神刀流としては、臨時の新参者ですから、出吟は関吟の名前を使えませんから、本名で出るのです。
そして、出吟順は前の方です。
流派とか所属とか、考えたことがないのですが、逆の立場になってみてなるほどそうなるのねぇと、思うのです。
関吟の所属年数が長くなり、昇段昇格をしてくると、望むと望まざるとにかかわらず、だんだん後ろの方へ押し下げられて(押し上げられて)居心地がなんとなく、、、と感じるのですが、逆に、新参者として、前の方での出演となると、あ、そうかと思うのです。
気が楽というのは、とてもよいことなのですが。

さて、伴吟も本気だよというのが伝わると、何度も何度も繰り返し、中断し,再開しを繰り返すので、本当に良い練習になります。
今までは、中断することなく、2回ほどで、申し訳ないと終わってしまっていたのです。
繰り返すたびに、息があってきて、満足感たっぷりとなるのです。
これで、お客様で伴吟をしているのではなくなったなという気がしました。

おかげさまです。当日、がんばりましょう。



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夢松風5月2回目

2013年05月22日 | 詩吟
風邪全快のつもりでしたが、やはり、2時間の練習は喉に影響ありでした。
このところ、いろいろと力の入らない脱力した発声法を試みているところでありますが、文章で書いてあるボイストレーニングは、いまいちつかみどころがなくて、試行錯誤全開なのでありました。

梁川星巌作 「芳野懐古」は順調に、練習が進み、「終了」と言おうとしたら、アンコール(?)の鰍ッ声で、次回も同じ吟題に取り組むことになりました。
欲張り?な松風さんたちであります。

教場トピックに書いて頂いた文章について、あれこれ、休憩時間に花が咲いたのですが、○○体操と私の名前の付いた呼び方はどうも・・・と言ったら、「夢体操」はいかがとの提案有り。

松風の夢は、トピックスに書いたように、介護施設の方々にお聞きいただくということ。
これは、Oさんのハーモニカと合わせて松風の詩吟とのコラボをという形が望みです。

また、青葉の夢は、特に具体的に話すことはなくても、それぞれが、それぞれの胸に収めた夢があり、其の夢が、それぞれの会の頭についた夢に表れているのです。
そして、その二つの会の総称が夢組というのも、みんなのお気に入りです。

夢体操なんて、良い素適な呼び名が付いたものだと、うれしいのでした。

山田先生に整体を施していただいて、3年目になろうとしています。
出会ったころの私は、かなり、変形した骨盤をしていたようで、おそらくそれは、落馬によるものと思います。

いろんな心身の悪い状態が起こり、探し求めるうちに、山田先生と出会ったことで、すべてが良い方向へと導かれたように思います。


そして、その学びの中の一つが、心地よい体の状態を作ることで、より、柔らかく明らかな声が出ることがわかり、練習の前に体操をして体をほぐすことを始めました。

整体からいうと、ベストの体の動きや運びを100%とすると、夢体操は、20%行けば好いと思えるほどのものですが、それでも、ゼロよりはかなり良いと考えます。

おのおのの心地の良い体の状態を、知ることで、固まったからだが普通と思っていたことが、今ある体のままで、もっと良い状態を自分で作ることができ、一番良い状態を知ることができるだけでも、十分な成果と思えるのです。

     宝の持ち腐れはもったいないよ
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江戸川詩吟道場参加

2013年05月18日 | 詩吟
このところ、月2回開催している江戸川詩吟道場に参加しています。
「本能寺」の合吟の練習に、道場のコンセプトがぴったりなので、参加しています。

三人の足並みがなかなかそろわないのですが、来週は、教室以外にも時間を見つけて、練習をする予定になっています。

今日は、教室としての練習が、和歌でした。
苦手な和歌の練習ができたので、大いに満足をした次第。

吟じるのが苦手なくせに、聞く耳だけは育っていて、バランスの悪い私でありました。

部活で、女は軟弱という言葉に腹を立てていたくせに、和歌のみを吟じる他大学の女性の吟を軟弱と笑っていた私たち。
なんて浅はかなことだったろうと、今では思うのです。
まさに、目○○ 鼻○○を笑うでありました。

そんな、偏った情熱で、がなり立てるような吟に取り組み、何かにはむかっていたような、あのころの私は、とても愛らしいと思う。
その頃は明確な対象があったはずだけれど、そのはむかった対象はなんだったのかなぁ、今ではよくわからない。


さて、本能寺の練習に、かなり時間を割いてしまいました。
本当にありがとうございました。

あの練習が、当人以外にも参考になることを願っています。
一方では、間違って伝わってしまうことをも恐れています。
ここで、個人レッスンと、グループレッスンとの、違いを感じ、ミックス状態で行う練習の限界を思い知るのでした。

今の内に癖の矯正をしなければ、先に行って十倍もその上も苦労するのにという歯がゆい思いが、いつもいつも付きまとって、止まらなくなる。
ほんとうは、どうしたらよいのかなぁと、堂々巡り。

他教室のメンバーの様子が見えすぎるのも、辛いものであります。
夢組だけを見ていれば、悩むこともなく、しあわせなのになぁ。
東京芦孝会のシステムは、見えてしまうところが、良いし困るし、辛いのでありました。

おせっかいを辞めれば、辛さはなくなるよ。
それは、教室運営が始まってから、今までは、夢組に専念することで、周りを見ていなかったからよくわかる。

でもねぇ、、、、、また、すこし、外のことが見えるようになったんだよねぇ。



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夢青葉5月

2013年05月17日 | 詩吟
晴天に恵まれ、東村山駅からの桜並木もすっかり新緑に変わっていました。

今年で4回目の眺めが、とても新鮮に感じて、すっきりさわやかな気分で練習に行ける喜びを感じます。

風邪のおかげで、冬の体から夏の体への変換準備として、デトックスがおこなわれました。
すっきりした体で見る景色は、こんなにもすがすがしいものかと思います。

今日は、お一人欠席で、お一人ゲストを迎えての練習です。

吟題は、「花朝澱江を下る」 藤井抽O作

体操が久しぶりに思えるのは、今になって先月の練習日から体調が下り坂になり始めていて、少し上の空だったことがわかるのでした。

そのくらいひそやかに始まり急激に悪化し長引いた今年の春の風邪でした。

順番通りに、そしていつもより少し丁寧に説明を加えながら、時間いっぱいぎりぎりで、それぞれの独吟をしていただくことができました。

メンバーのTさん、ご自分で新たな発見。
「段さがりがもたついている」と。
聞き分ける耳ができたことが、上達のスタートと、みんなで喜び合いました。

Tさんは、7月にこの吟題でコンクールに出場を決めました。
コンクール出場を決め課題吟の中から吟を選ぶとき、その中にすでに習い終えている吟があることが、望ましいのです。
のんびりゆっくり練習をしている夢組は、習い終えた吟の数が少なく、課題吟の中に該当する吟がなかったのです。
出吟を申し込んでから、あわてて吟を習うということとなりました。
初めてのコンクールに出るにあたって、準備不足ではありますが、一つだけ、目標を設定して、そのクリアと、非日常の中で、どれだけ自分が自分を失わないでいられるのかいられないのかを経験してきましょうねと、決めました。

やはりコンクールとなると、さらに気を入れて練習をする気になるものです。
この気の入れ方ができるようになったのも4年目に入ったからであると思います。


友達関係から始まった教室で、切り替えをしながら練習に励んでいるつもりでも、どこか、緩いところがあるのではないかと、思うことがあります。
そのゆるさは、決して悪いものではないとは思うのです。
たまには、何かに挑戦する機会もあってよいから、その時、今までよりは、ちょっと違った緊張のもとに練習をしてみるのも、良いのかな。


そして、ゲストさん。
初めての参加に、いろいろと期待があったようですが、ご自身の所属する教室のやり方は、忘れていただいて、夢青葉のいつもの練習に参加をしていただきました。

ゲストさんも、同じコンクールに出場されるようで、その吟の指導をしてほしかったようですが、親師範にきっちりと習うことをお勧めしました。
今日、初めて練習に参加して頂いて、リクエストに応える時間はなかったと、わかって頂いたかと思います。

それでも、良しと感じたら、またいらっしゃるのかなとおもいます。いつでも、どうぞ。


夢組の教室運営をしながら、きっぱりと決めているはずのことも、他教室のやり方をうかがうにつけ、心は揺れます。いったんは揺れても元に戻っているので、今のところ自分で自分に安心しています。

それぞれの方法には、必ず良いところも足りないところもあり、隣の芝生は赤くみえるものです。と、自分に言い聞かせるのでした。

その、良いとこ取りができるのが、東京芦孝会の良いところなのです。

そして、その良いとこ取りをしに、明日は江戸川詩吟道場にお世話になりに行きます。
よろしくお願いいたします。


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サイクリング、河川敷へ

2013年05月12日 | 徒然に日々のことを
おそろいの赤い色の自転車といっても、一つは、スメ[ツ自転車。
一つは、雨ざらしでさびだらけなんだけど、不興和音を奏でないですいすい走ってくれるママチャリの二台を連ねての名ばかりツーリング。


いつかは、詩吟の練習をしてやるぞと思いつつ、河川敷には、さまざまな人たちが遊びにスメ[ツに楽しんでいるので、気後れしてついぞ声を出したことがない。
                                         

おにぎりとミカンと飴玉二つと麦茶をかごに入れて出発。
かたやギア付き、かたやギアなし、ほんの少しの勾配もみるみる差がついてくる。
それでも、若いころのような「まって~~」の黄色い声は発しない。
ぐんぐんと離されようが、逆に追いつこうが、マイペースを崩さずに、似たような方向へと進んでいるのだ。
                          

これって、長年夫婦を続けていく極意と同じじゃないかと思ったね。

40年連れ添ってみて、おそろいのウエアにおそろいの乗り物っていうのは、どうやら趣味じゃなく恥ずかしいらしいのだ。夫は。

初め私は、それを目指したこともあったけど、いつの間にかその路線からは落ちこぼれた。
強要するのは、無駄なエネルギー消費だと、私はさとってしまったのだ。

そして、レストランではなく、おにぎり。
炊き立てご飯のおにぎりが冷めないうちに目的地に着くほどの近距離のお出かけなんだなぁ。


それにしても、今日の風は心地よい。「玉には、レストランへ」の言葉が出そうになたけど、そんな小さいことなんか飛んでいくような、さわやかな五月の風。

例年よりも回復に時間のかかった病み上がりだから余計に、外の風や日差しが心地よくうれしい。自転車の速度で切るくらいの風がほんとうに、サイコーだね。

借り物の体のように感じていた体が、やっと、自分に戻った気がする。

少し、かすんで見えるスカイツリーのソラマチは、二日前に、病み上がり記念に出かけて行った「献血ルームfeel]のあるところ。

この年になって、献血ができるとは自分でも驚いているのだが、若いころ貧血気味だったのがウソのようだ。

献血マニアがいて、回数を競う人もいるようだけれど、どなたかの手助けができて、何よりも健康体であることの喜びが大きいのだ。


先月オープンしたばかりの[feel]は、10階からの一大パノラマを望みながら身を横たえて献血ができるかなり快適な献血ルームなのです。
ちょうど、TBSの取材カメラが来ていて、インタビューもされたりして。非日常満載の一日でした。

634メートルの高さは、あっちからとこっちからの眺めを楽しませてもくれたのでした。

さてと、帰り道はすっかり主婦の顔になって、スーパーの買い物リストを思い浮かべながら、どうしても母なんだなぁと、思う。
これっていつものスタイルじゃないのと、思うのでありました。
そういえば、今日は、母の日。
こたろうの母であって、決して夫の母ではありたくないと、固く思うのでありました。




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江戸川詩吟道場参加

2013年05月11日 | 詩吟
「本能寺」の合吟の練習に、三人のメンバーが初めてそろっての練習。
問題点を出し合って、ちょっと時間をかけることができた。

その他、思いつくままに、教室の指導者を差し置いて意見を述べさせてもらったり、江戸川の道場たるゆえんをいかんなく発揮して、それぞれの参加者の今一番気になるところを、お互いに修正し合うという場面展開。

熱心さが有り余って、一人で暴走してしまう人がいて、それぞれがそれぞれの立場で、胸を痛めていたのだけれど、ちょっとしたきっかけで、にっこり笑い、肩肘張っていたのが取れたように見受けられる場面がありました。

そして、もう一つ、一つ一つの音を大切に確実にとらえるために、一音一音区切って吟じてもらう場面も、そして、確実に音が捉えられたら、その段消しをしていきましょうと。

耳が捉えられたら、体はすっかり覚えているのに、頭で考えすぎるから、まだ、無理とかもう少しとか、脳みそが言わせてしまう。
幼児は、見て聞いてすぐにおうむ返しができるのは、下手に脳みそを働かせないからだ。

直接、体に働きかけて言い聞かせる訓練をしようよ。


8日の夢松風の練習は、前回お休みして、喉の保護のため前日も声を出さずにでかけました。
声を出してないまま練習に出るのは、初めてのこと。
それでも、喉にかなりの影響の出た風邪だったので、無理をして元の木阿弥にならないように、申し訳ないけれど、練習なしで、お稽古の当日になりました。

時間待ちのロビーで、関吟東京ニュースに載せる教場トピックスの原稿の修正をO三とやりました。

一つ一つの言葉が、優しく控えめなのが、とてもうれしい紹介の文章を書いてくださいました。

気をよくして、時間になったら、部屋に行き、体操からいつもの手順で始まりました。

少々緊張しましたが、いつもの手順を踏んでいると、体が詩吟をする方向へよみがえってくるのを感じます。

今日の吟題は、太田道灌の仕上げをして、「芳野懐古」梁川星巌に取り鰍ゥりました。
太田道灌の仕上がりは、さすがに1年がたったのだなぁと思える満足感を得ることができました。
今までは、終了ですと言っても、なんだか不安に感じていた様子が会員さんにありありでしたが、太田道灌では、それがなく、素直に終了を喜んでいる様子が見受けられました。

この、終了の手ごたえを感じてくださるようになったら、しめたもの、秋の昇段試験に向けて、手ごたえを感じるのでした。

終了という言葉は、曲者で、終了であって終了でない。教えている私にさえ、終了ということは、ありえないのだけれど、今の力ではここまでで一段落ということなのです。

いつも控えめな会員さんだからこその、「不安」の感情が起きるのは、とてもよい事なのかなとも思いますが、自信をもって卒業の喜びを感じてほしいので、そのためには、何が必要なのだろうねぇ。



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辞は達するのみ

2013年05月02日 | 徒然に日々のことを
須藤明実先生(漢文学窓『里仁』・全日本家族『論語』の会主宰)のお宅に伺いました。

先生は、足立区学びピアで、論語の読み説きをしています。
その一つは、基礎講座・二つ目は論語の主導者・講和者、育成講座です。

育成講座は、3年以上論語を学んできた人向けですが、基礎講座を受けている者には、例外的に受講可になっています。

基礎講座を受けて半年に満たない私ですが、例外措置により、二つ目の講座も受けることができました。

まだ、「レ点」の説明などから入っているので、漢詩に親しんでいる私にも、楽に受けることができています。

また、基礎講座では、須藤先生著の「一日一話 親子で学ぶやさしい論語 三十一撰 論語の教科書」を教科書として、わかりやすく読み解いてくださっています。

その前書きに、『論語』は不思議な書物です。とあります。
その不思議さを、知り、身に着けて行こうとしています。

ああ、たのしい。

そして、その第一日目。
 
      子曰く、辞は達するのみ

言葉は、文章は、自分の気持ちや考え方を、ただしく・わかりやすく伝えることが、大切です。善い人は、よい言葉を持っています。善い人・良い人・佳い人・好い人になるために、正しく、わかりやすい言葉を身につけましょう。


須藤先生の油絵「月明かり」


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