風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

おかえりぃ どうだった?

2010年01月31日 | 徒然に日々のことを
小金原の鈴木先生の春の会から、母さんは帰ってきた。

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           鈴木 恭皚先生

僕は、珍しく玄関に迎えに行った。
実は、外の空気も吸いたかったんだけど、母さんのご機嫌な様子で、今日の舞台は満足の行くものだったということが良くわかる。

その様子を、感じるだけで父さんは安心して、細かいことはまったくたずねようとしない。
これって、夫婦だからなんだろうねぇ。
少しは、聞いてあげたらいいのにねぇ。

まぁ、気分良く一日を過ごせたらそれでよし、失敗して聞かれたくないことをたずねられて、さらに気分を害するよりは良いのかも。
それが、わが両親であります。


以下、母のことば
              ☆ 詩吟 ☆

「寒梅」は、ほんとに気持ちよく吟じられました。
今ある、すべてを出し切ったのかなぁ、この爽快さたまらない。
鈴木先生のおもてなしの心と、心から私たちの参加を喜んでくださる気持ちが、肩肘張らないで壇上でのびのびとしていられるのでしょう。

10周年という大きな山を越えて、一皮向けた東京支部の面々は、いままでは、一歩引いた吟をしていたのが、一歩前に出た詩吟をされるようになりました。
自分を主張するのではなく、「私」を良く表現しているといったらいいのかしら。
大仕事をなした自信と苦労の積み重ねがそうさせるのでしょう。

それぞれが、脱皮したということかなぁ。

私の吟についても、指摘を下さる方が増えたことに、喜びを感じます。
師範 七段 というレッテルがあると、どなたも意見を控えてしまって、聞きたいことを教えていただけない。
礼儀ということもあるでしょうが、まだまだ、私らしく伸びていきたい。
その思いを、わかってくださったのと、私も元気を取り戻して、少々のことを言っても大丈夫という感触を得て下さったのでしょう。

何にしても、うれしい。
そして、さらに、私らしい吟を追及したい。



               ☆ 詩舞 ☆

詩吟は、東京側の司会担当の方が、懇親会の依頼という形で鈴木先生にお願いしてくれました。「月夜三叉口に舟を泛かぶ」は最近、吟じる機会のなかった詩吟で、ちょっと困っていらっしゃいました。

さすがに、先生ですから、あれこれ会の進行について指示を出さねばならない忙しいときに、心の隅に止めていただいていたようで、懇親会の1番目に出ることが決まった時には、心を決めて吟じてくださいました。
指導者という立場になると、めったなことで、依頼を断ることができないものなのだねぇ。大変だ。
断ってくださっても良かったのだけれど、小金原と東京との交流問いことを考えると、出来不出来は二の次で、それぞれの会の共同作業が壇上で発表され、目と耳を楽しませたのだから、良かったのよね。

先生の吟は少し、速かったので、転句の決めが思うようにできませんでしたが、最後の「落つ」の決め場所はなんとか合わせることが出来ました。

詩舞をなさる方が一人も居ないおかげで、黒紋付に袴、舞扇という視覚的なものに助けられて、花を添える役目は十分に果たせたと思います。

吟をお願いした先生には、突然でほんとに申し訳なかったのですが、交流ということや鈴木先生を立てるということ、鈴木先生のお弟子さんたちがことのほか喜んでくださったということをみると、東京支部サイドの吟友には、お願いしていた吟を断るということになりましたが、納得して腹を立てることのなかったのには、ほんとに安堵し感謝しました。

衣装という見た目に助けられている今頃ですが、皆さんの暖かい応援でほんとに助けられます。

皆さん、ありがとう。
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実行委員会終了

2010年01月28日 | 風のこたろう裏日記
関西吟詩文化協会東京支部の10周年記念大会(21年11月22日終了)実行委員会が、めでたく終了し、打ち上げがありました。

去年は、10周年の鰍ッ声高らかに、すべての行事に優先させ、友達に顰蹙を買いながら、時には感心して応援してもらったり、まさに充実した一年を過ごすことができました。

自分から、舞台に動きをと提唱し、言いだしっぺの私が詩舞を習うことになりました。
おかげで、出会うはずのなかった人たちに出会えて、新しいかかわりを持ち、違った世界への道も開けて行きました。

さまざまな、アクシデントにあいながら、10周年大会が無事盛況のうちに終了し、実行委員会も会計をどう締めるかも解決して、やっと、枕を高くして眠れることでしょう。

ほんとにご苦労様でした。
私も、途中から参加して一応打ち上げに出席させていただきましたが、何もかもが中途半端でしたから、その賑わいをフィルターを通して見ている気分でいました。

支部となってから10年間を見届けてきた方たちには、その感慨はひとしおと思います。私は、支部に昇格する前年から母の介護のため会員登録だけをしてきたのですから、事実上は、ゼロスタートをせねばならない立場です。

久しぶりに復帰したら、10周年大会のお祭りが始まっていて、ともに戦ってきた人たちの親密さに一歩引いた形で、何とか、古参ということでえっちらおっちらと一歩後ろをついてきたような気がします。

何はともあれ、いろんな立場の人が居ることで、大きな行事が完結するのだから、私には私の居る場所があったのです。

メンバーとして迎えてくださった皆さんに感謝です。

改めて、
関西吟詩文化協会東京支部10周年大会大成功おめでとう
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しょうがないなぁ

2010年01月28日 | こたろう


昨日は、母さんは熱が出て仕事を休んだ。
その前の日から、様子がおかしいから、ずっとそばに居てあげたんだよ。
ずいぶん具合が悪そうで、『31日は詩吟の会なのに、10周年の二の舞か?』なんて考えてるのが、読めたんだよね。

母さん、まだ5日あるよって言ってあげたんだけど。
それがきこえたのかどうか、居直ったのか、寝てるしかないって、昨日は静かにしてた。

今日は、もともとお休みの日だったから、大事をとって昨日の代わりに出勤するのをやめてお休みしている。
よかったねぇ、今回は、熱だけで一日で収まってよかったねぇ。



お昼近くになって、パソコンの前に座って、なにやら始めたので、僕は安心して母さんのそばを離れた。
とっときの場所に居たら、母さんは「こたろう、こたろう、どこ?」とさがしはじめた。
僕はお気に入りの、モンゴルカシミアの毛布の上で、夢見心地だったのに。

いきなり、布団を剥いで、「あ、ここにいたの、どこに行ったかと思った、よかった」だってさ。

パソコンに夢中なときは、しらんぷりして、自分が暇になったら、どこどこ?って探すんだよね。

ぼくはぶぜんとした。
ホットカーペットの母さんから良く見えるところに居るしかないじゃないか。
しょうがないなぁ。
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こまったなぁ

2010年01月28日 | 徒然に日々のことを
今月31日は、関吟哲皚会小金原支部錬成会があり、東京支部からも多数参加です。私は、新島穣の「寒梅」を吟じるように申し込みがしてあります。

10年以上前から、小金原でも錬成会が行われていましたが、去年初めて参加し、今年で二回目の参加です。

以前練習に欠かさず参加していたころ、小金原支部の指導者鈴木恭皚先生も中央会の会場に良くこられてともに練習していました。
同じ年代なので、親しみがありましたが、そのころは、お稽古が終わっても三々五々帰宅していて懇親会などはありませんでしたから、お互いに言葉を交わすのも、こんにちわ、さようならだけのこともありました。

それでも長年、詩吟を聞かせていただいているとおのずと親しみがわくものなのですねぇ。
ただ、その親しみだけで、解決できるかどうか心配なことが起こりました。

31日の錬成会の後の懇親会で、詩舞を舞うようにとの野田先生からのお達しがありました。
早速、いつも練習の時に吟じてくださり大輪神刀流の発表会のときにもお付き合い願った方に、詩吟のお願いをしました。

ところが、野田先生は、鈴木先生にお願いするのが礼儀とおっしゃるのです。

長年の知り合いとはいっても、合吟したこともないし、まして、詩舞と吟をあわせたこともありません。
同じ関吟流といっても哲皚会という別の会に所属されているわけで、、、、、
詩吟をお願いするのも、当日直前ということらしいし、、、、、

いつも、詩吟をしている仲間でしたら、タイミングもわかるので舞をあわせられるのですが、鈴木先生といえども、思いがけず頼まれて、運良く練習をなさっていた吟ならまだしも久しぶりに吟じるのなら、おそらく、多少の迷いがあることでしょう。
上手下手ではなく、迷いのない吟なら合わせられるかもしれませんが。

うーーーん、困ったなぁ。

詩吟の準備をしていないからと、鈴木先生が断ることも考えられます。
私としては、どのようにも対応できるようにしておくしかないのでしょう。

東京支部で、最初に詩舞を習い始め、先鞭をきったのは私ですから、詩舞について知る人はほとんどなく、無理難題とも思えることを頼まれるのは、起こりうることなのでしょう。

詩吟には、周到に準備するけれど、詩吟の会だから、そのほかのことはそれほど周到にすることはない。だからといって、大きな失敗はやはりしたくない。

何か起こったときは、いつも司会をなさっていて名司会との誉れの高い方のフォローに頼るしかないなぁ。
あるいは、懇親会という和みの場だから、うそでも、盛大な拍手をしてもらって、その場を盛り下げるだけはしたくない。
こんなとき、同胞吟友との日ごろの親しみがものを言うのよねぇ。
そして、試される・・・・・
年を重ねるほど、自分自身の吟の精進とはべつに吟友を如何に大切にしているか心の問題が問われるんだね。はぁーーー、自信がない。

とほほ・・・


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実行委員会

2010年01月24日 | 徒然に日々のことを
中央会のこの日、関吟東京支部10周年実行委員会が解散されました。

二年半以上にわたって、ご苦労様でした。私は、途中から参加した何茶って実行委員でしたが、打ち上げの会には、最初から関わっていたような顔をして、実は申し分けな居気持ちを心に折りたたんで、乾杯の輪に参加してました。

大事な、下積みの人には見えない部分にご苦労をされた皆さんに心から敬意を表します。

最後まで、がんばって、具合が悪くなるのも、大会が終わるのをまって、迷惑をかけなかったということが、その永きに渡って苦労された方のがんばりと根性とが証明されたわけです。
そこまでがんばっても、その働きが大きければ大きいほど、反対意見の人も有り、なかなか、評価されないことがあって、釈然としないことが起こっています。
これは、どうしようもないことなのかしら。

私は、ほぼ出来上がったころ、ちょこんと末席に座ることになって、実行委員とは程遠い働きだったのです。その上、肝心なときに風邪を引いてしまって、さらにあしをひっぱってしまって。

おかげで、中央からお越しいただいた関吟会長はじめ偉い人たちの接待に欠席したので、同じように働いたと誤解されることもなく、なんちゃってらしくひっそりできたことが、無理やりの安心材料となった。

詩吟のことを考えるとき、いつも目に浮かぶのは学生時代の吟詩部ボックスでの、あるときは孝治先生あるときは健二先生を囲んでの練習風景。
一番ふさわしい詩吟の位置を考える。







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キャスター付かばんと詩舞との関係

2010年01月21日 | 徒然に日々のことを
今日は、詩舞のお稽古。

袴と着物と舞扇を入れたキャスター付のかばんを持って母さんは意気揚々と出かけた。

ふとした拍子に、二段階に伸び縮みする取っ手を下げた方が押していくのに、ちょうどいい位置にあることを発見したんだって。

取っ手が短いほうが、階段なんかで持ち上げなくてはいけないときや、エスカレーターで体の前におくために一段違ったところにおいて確保する時に、いちいち取っ手を上げ下げしなくて、そのままひょいと持ち上げられるから楽なんだって。

詩舞のお稽古が終わって、ガラガラとかばんを押し始めると、
あら?朝くるときと違って、握り具合が違ってる。
少し、手の握り方をゆるくしなければならなくなった。

どうやら、2時間の詩舞のお稽古で、姿勢が良くなったらしい。
それで、取っ手の位置が、母さんの肩から少し遠くなったということらしい。

詩舞のお稽古をすると姿勢が良くなって、歩幅が大きくなるってことは、去年からわかっていたらしいけど、今日それが証明されたってわけ。

母さん、詩舞を再開してよかったねぇ。健康にも良いんだねぇ。

今日の詩舞のお稽古は、太田道灌ではなくて、宝船になったんだって。
詩をおさらいして行ってなくても、小西先生は自分で吟じながら教えてくださるので、ちっとも困らなかったんだって。

詩舞の先生は、詩吟もできなくちゃならないから、大変だねぇ。
舞台で、お弟子さんが舞うときに、吟者がみつからないときは先生が吟じるんだってねぇ。

詩吟をやってますといって、エッヘン!なんて、言えなくなったんじゃない?母さんや。

母さんは、先生にヒントを貰ったので、帰りに駅前で、喫茶店に入って、ノートに今日習った振り付けを自分なりにメモしてた。
はて、次に読んだときにわかるんだろうかと言いながらね。

大輪神刀流では、舞の手の決まった呼び方は無いらしく、自分なりにメモするしかないそうです。
帰りの電車の中でも、詩吟の本を手に、振り付けを思い出していたみたい。

次の会までに、頭に残っているかなぁ、僕はしんぱいです。





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15周年

2010年01月17日 | 徒然に日々のことを
    震災でなくなられた方々のご冥福をいのります。
    今も苦しんでいらっしゃる方の、ご多幸をいのります。

15年前の今朝、大きな地震があり、死者が6人というニュースを聞き、地震でなんてたくさん亡くなったんだろうと、思いつつ仕事に出かけました。

その日は、仕事の後も予定が有り、帰宅してニュースを見て驚いたのでした。
最終的には、6,000人を超える死者を出すという未曾有の被害と知りさらに驚いたのでした。

母はまだ存命で、一人で留守番をしながら、テレビの映像を見て、どれだけ浮ュて心配だったかと胸がつぶれました。
そのころ、認知症の入り口に居た母は、このニュースの衝撃が、悪い方向へと加速したきっかけなのではないかと、今頃思うのです。

神戸に住む姉は、幸い家に被害は無く少しの間水に不便をしただけと聞きました。
しかし、就職して家を出ていた息子のベッドの上に本棚が唐黷ト、もし、うちに帰って居るときだったらと思うと血の気が引いたと言いました。

そして、その月の最後の日に、短大吟詩部のお別れの会が催されたのですが、交通網の復興が未だしの時期でしたから、関東からの出席は断念しました。

私の出身の岡山県立短大が、県立大学に昇格し最後の卒部生送り出すのと同時に、吟詩部の閉部が決まったのです。

その儀式に出ることなく今に至る私は、幸か不幸か栄華の時代の吟詩部の記憶しかありません。
当時のことばかりを色濃く覚えている私は、もしかしたら、古い時代の栄華にしがみついているのかもしれません。

その後、まもなく、母の介護で仕事をやめ、大病をし、詩吟も中断して、時の流れは自分の中だけで熟成し、そして、国外へ。

私の中の誰からも影響を受けず、(受けたとしたら、私を娘とわからなくなった母だけだったのかも)まっすぐに若いころのままの詩吟を持ち続けてしまったことで、支えられるものもある代わりに、大いに悩んでしまうところもあります。

変化を受け入れなかったのは私の選択なのだから、いまさらあれこれ言うことは無いのだけれど。
震災のニュースを聞くと閉部式に出席できなかったことを思い、母の心の変化を思うのです。

一つの時代が終わったというのに、見届けなかったというのに、母の介護ではすっぱりとやめたつもりだった詩吟をモンゴルに行って馬に乗っているときに思い出すなんて。そして、詩吟を教え始めるきっかけになったのも、面白いこと。

草原を渡る風と走る馬が、海を駆ける奔馬を思い出させるなんてねぇ。
そして、風林火山が吟じることを促すなんて。

何がどこでつながって、どこで触発されるのか。

悲しみのうちに追悼をしているこの日に、私の記憶は詩吟へとつながっているのです。



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お好み焼き

2010年01月17日 | 徒然に日々のことを
今日は、3人でお昼。

スーパーに行く前に母さんの頭にピコン!と「お好み焼き」がひらめいたのが、見えた。
お姉ちゃんに、なにたべたい?って母さんがたずねたら、「お好み焼き」って答えがかえってきた。

この親子って、こういうところがあるんだよね。

母さんは、やっぱりねって顔で、スーパーにいった。当然、父さんの意見は聞かない。
聞いても、何でもいいというに決まってるからさ。

キャベツにお好みソース、山芋、豚の三枚肉をさっさとかってきた。

ホットプレートって、意外に温度が上がるのに時間がかかるからねといいながら、まず一番にスイッチをいれてた。

キャベツを切って、やまいもをすりおろして、粉と水を混ぜた中に入れてよく混ぜる。
そして、最後に卵。
卵は最後に入れないと、ホットケーキのようになるから注意だよねって、先週下の姉ちゃんのところで言ってたことを、頭の中で反芻してた。

粉はちょっぴり、山芋たっぷりだから、焼きあがるのも早い。
そして、豚の油がプレートに流れたのを、焼けたお好み焼きを再度ひっくり返して味をつけると、ほんとにおいしいお好みができる。
ちょっと、メタボ対策には、いただけないんだけどね。

お姉ちゃんは、「わぁー、おいしいー」と歓声を上げながら食べてた。

あんまりおいしくできたので、ほんとはおやつに冷凍をするはずだった分までぺろりと平らげてたなぁ。

父さんが、こたろうのやつ、こないねぇ、かつおぶしがあるのにといっているのがきこえた。
ぼくはそのとき、あったかい日差しの中で昼寝中。
昨日、新しいダンボールのつめとぎにしてくれて、その箱の底にまたたびがしこんであるんだよね。
当分、その効果がなくならないので、僕はつめとぎの上で恍惚としていた、そのあとの昼ねだからね。

豚肉のにおいのする食事には、つきあいきえれないものだから、昼寝を優先させてたよ。

なんだか、にぎやかに楽しそうに、たべてたなぁ。
やっぱり、娘が来ると、こうも楽しく食事ができるものかと、母さんが頭の中で言っていた。

キャベツと山芋の絶妙な具合で、近来にないうまい出来上がりのお好み焼きらしくて、三人で幸せな食卓を展開してたよ。

僕も最後に、お付き合いに出て行ったけど。
やっぱり豚肉は、好きじゃないし、キャベツと病もが絶妙なんてのも理解の外だ。
最近、ささみのフリーズドライのおやつを、食べるようになったけど、それ以外のものの肉系のものは、ごめんだな。

魚系のカリカリが、やっぱり僕の大好物だ、それと焼き海苔とかつおぶしのトッピングがあれば、ごきげん。

母さんたちは、いろんなものを食べるけど、あんなに必要なのかと思うよ。
まして、甘いものなんか。
僕は、たくさんなんだ。

ということで、みんなで夢中になるほどおいしくできたお好み焼きは、夢中になるほどだったから、写真を撮るゆとりもなく全部なくなったので、ここにあっぷできない。

まぁ、我が家のお好み焼きはシンプルだから、絵的にはいただけないからなくてもよかったんじゃないかな。


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かあさんごきげん

2010年01月15日 | 徒然に日々のことを
このところ、母さんのごきげん帰宅がつづいているなぁ。

11日は、詩舞の先生と次の約束ができたとよろこんでいた。
詩舞のお稽古は孫の住む町に行くから、孫にあってから行くんだよね。
迎えに出ていた孫に手を振ったら、おぼつかない足で駆け寄ってきたんだって!
僕は、母さんが帰ってきたら、一応玄関に迎えに行くけど、寝ぼけ眼だったり、爪とぎをして不在の所在無さを訴えたりするものだからねぇ。

いろいろと迷いもあるみたいだけど、母さんの詩吟と詩舞とはきっても切れない間柄になりそうだねぇ。
それには、やはり、今までの10周年のためにをスローガンにお客様待遇のお稽古ではなく、きちんと弟子として教えてもらわなくちゃね。
詩舞の小西先生に、快諾を得て、来週からちゃんとした(といっても、今までの練習がつまらないものだったわけではないんだよね。基本はさておき、見栄えを重視した促成栽狽セったよね。)お稽古が始まる。
よかったねぇ。母さんや。

そして、今日は、人に会うことがほんとにうれしいと感じるようになったらしいよ。

駅で友達に会ったんだけど、3分ほど立ち話をしただけで、次の約束をしたわけでもないのに、ただ出会ってにこにこしてちょっと話をしたってだけでうれしかったんだってさ。

この3年近くは、知り合いに予期しないときに出くわしそうになると、こそこそと、隠れたり道を変えたりして顔をあわせないようにしていたみたいだからね。


僕も、それを聞いてうれしくなっちゃったなぁ。

そうそう、昨日は、乗馬にも行ったからねぇ。
昨日の馬は、人懐っこい馬で、鼻面を肩に擦り付けてくるものだから、よだれでジャンバーが汚れたといってたなぁ。
だから、いつもと違った匂いがしたんだなぁ。それで、僕のにおいも、母さんのショルダーバッグの紐にこすり付けたやったさ。
ちょうど、ジャンバーの肩のにおいがショルダーの紐に乗り移った場所だよ。


これは、母さんではありません。母さんは、写真を撮ってます。
多分この馬は、ブットレア君のようです。

今習っている指導員は、母さんのことをよく観察していて、指示がほんとに的を得てるらしい。年配者の気持ちも良くわかる、若者なんだって。
若者っていうのがうれしいのかもね。(笑)
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春から縁起がよいねぇ

2010年01月09日 | 徒然に日々のことを

母さんの脳力のお助けグッヅのひとつが、DS。
小さいほうのお姉さんが、確かプレゼントしたんだったよねぇ。

閉じこもりをしていたときに、何時間も離さずに、何かから逃れるためにやけくそだったよなぁ・・・


今では、生活のスイッチの入れ替えをするときに、上手にメリハリをつけるために使っているみたい。

最近は、母さんもたのしげにやるようになったので、様子を眺めているのは、僕はとっても好きになったんだ。
だから、母さんがやり始めるといち早くキャッチして、そばで丸くなっているんだよねぇ。すると、思わずごろごろと音が出て、母さんも笑顔になるんだよ。

お正月早々、「888」というめでたい点数が出たので、母さんは喜んで僕と一緒にDSとの記念写真をとってくれた。

なんにしても、始まりのころの暗さを思うと、写真を撮って浮かれてみたりするようになって僕にはほんとに喜ばしい変化だなぁ。


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