風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

お箏ナイト

2015年05月16日 | 好きなこと
      秋葉原UDXビル内のピザ屋さんのテラスでお箏ナイト

和音のメンバーの内二人の(菊池伸城・鈴木真一郎)のライブ演奏

昨日、心もお腹も満足状態で見たチラシの琴のライブが気になって仕方がない。
朝から、空模様に気をとられながら、気持ちは、秋葉原へと向かっている。


やはり、昨日の今日だけれど、土曜日だけれど、家族に了承を得て出かけることにした。


極度の方向音痴で、駅からあの近さでも危ないから、昨日の道筋を注意深く思いだしながら、”キオッチョラ・ピッツェリアへと向かう。



さて、目的のテラスでは、ピザ屋さんの入口のイタリアンカラーの赤いテントが見えてきた。
そのテントの下にテーブルとスツールが並べてありました。

飲み物とサラダを注文して、箏を間近に見える右の端っこに座りました。
ワインの一杯でも飲めたらなぁ。ほろ酔いで聞くライブの音はどのように響くのか体験したかったのになぁと思う。

ャXターでは紋付袴姿でしたが、ライブでは、帯の柄ゆきのチョッキが衣装でした。
写真も確認したら撮り放題なのだが、逆光になるので、この程度の写真がやっと。
お店と赤いテントの見えるテラスの様子は、残念ながら、暗くて撮れなかった。

十三弦と十七弦の二台の琴、 高いメロディーを弾く琴と、低く伴奏をつける琴との演奏です。

演奏は、若者向けの選曲で、いきものがかりやグリーンの曲、そして今真っ盛りの「Let it Go」
彼らの作った曲は、2曲演奏されて、「雷来(らいらい)」「獅子の真の心(ししのしんのしん)」
雷来を弾くと必ず雨が降るとの逸話のある曲。これを今弾くとまずいんじゃないの?といいながら、お箏の説明から、宮城道夫さんのすごさなど、さりげなく入れて軽快にMCが続く。

「雷来」人間の力を超えた視座縁の圧涛Iな力強さをあらわし、

「獅子の真の心(ししのしんのしん)」とは、たとえその身滅びようとも愛するものを全力で守り抜く熱き志であると。

ャbプな曲は、琴のやわらかな音質によくあっています。
この「獅子の真の心」は男性二人の演奏の力強い面が強調されていて、ここちよい「転」でした。


高いチケットを買ってかしこまって聞かせていただく演奏会も悪くはないが、元気なおしゃべりが多少聞こえても、近くで汗が飛んできそうで、息を同気するような生演奏が良い。



よく知ったャbプスでは乗りが良くても、彼らの作曲した二つの曲では、反応が違ってくる。

客層も違うことだろうから、今度は、ちゃんとチケットを買って聞く演奏会にも行ってみなければ。7月末にあるようだから、心がけておこう。



単純に男性二人が奏でる琴のライブ演奏に惹かれて、一人でやって来て、ゆっくり楽しみました。気づくと、帰り道には、詩吟のことを考えている。

どうつながるというのだろう。

吟詠とは切っても切れないお琴があって、その向こうに若者が居ても、詩吟と若者はすぐには通じあえないよね。

和と洋、老と若。その間をつなぐものは何だろうねぇ。

歴史や漢詩にまつわる知識からだろうか。
剣舞や詩舞という目に訴えるものからだろうか。

「詩吟ってなぁに」を、具体的に考えて、若い人たちに理解して、仲間になってもらえるようにしていかねば、一人でも好きになってくれる人を見つけねば。
まずは、孫から?今度遊びに来るのは、何時かなぁ。

絶滅危惧種なんて言葉が、頭をよぎる。





              ☆  ☆  ☆


海外の映画によく出てくる、酒場やちょっとしたレストランでの生演奏に若いころから魅力を感じていました。田舎育ちのこととて、喫茶店さえないところに育ちました。
初めてライブに行ったのは、結婚して首都圏に住むようになり、子供も留守番ができるようになって、銀行のパート勤めをしていた時のこと。

シャンソン好きな上司が居て、好きが高じてご自身がアレンジし、毎月のように赤坂の喫茶店で、シャンソンのライブが催されるようになりました。

昔ライブとい形式に興味があったということはすっかり忘れて、赤坂とシャンソンという洗練された雰囲気に酔っていました。

それから、ブルーノート、スイートベイジル、ペチコートレーンなど、機会があれば、ライブを楽しみに行きました。
まだ、そのころは、子供たちが小学生でしたから、思うようにはいけませんでしたが、そのちょっとだけ工夫をして、困難を押して参加することが、余計に感情を盛り上げていたようです。

今は、行きたければ、予定さえなければ、自由に行けるようになりました。


コメント

コンポステラ

2015年05月13日 | 好きなこと
思いついて、「コンポステラ」をブログ内検索してみたら、コンポステラという言葉が入っている日記があっという間に30件も並べられます。
その一番最初の記事は2009年8月9日のライブの記事になっています。

帰国後休止中のブログを再開して間もないころで、いきなりのライブ情報です。
ライブのなかった時期から行っていたはずだから、始めて、この店を見つけたのは、いつのことだったろう?
始めて、お店に行ったときの優しい奥様の姿はすぐに思い出すけれど、いつ?というのがわからない。

行きはじめたころズタボロ状態だった。
奥様の気取らない自然な応対が、いい感じだった。
そして、この店とオーガニック料理と生の音楽がどれだけ、力をくれたことか。
どれだけ、励まされたことか。
オーガニック料理には、やはり何かの力があると思う。

そのころから、この店のファンが増えたらいいなぁと書いてある。



あれやこれやあって、なかなか、お店に行けなくなる時期もあったけど、久し振りに訪れても、ちっとも変りなく接してくれるマスター夫婦に、安堵を覚えたものです。


その、好きが高じて、ある一時期(23年9月から一年間月に1回)は、空き時間に教室として使わせて頂いたことがあります。
これは、秘密練習だったので、ブログでは公開はしていません。
ノートのメモには残っていますが、非公開ページにでも残しておけば良かったなぁ。残念!


コンャXテラのHPをちゃんと見ると、「レンタルスペースとして」の表示があることに気づく。
ライブ情報を確かめるために見ることがあっても、表のページをゆっくり見なかったなぁ。
この表示が始まったのは、いつのことだろう。


詩吟は、声をまき散らすから、あの頃、本当は迷惑をかけていたのかしら。
ちょうど1年で、その教室がおしまいになったとき、実は、マスターたちは、静かになると、ほっとしていたのかもねぇ。
客という立場になると、そのつもりはなくてもいつしか、強気になっていものなのだ。
それを、ゆるりと受けてゆるりとのがしてくれるから、本当のところを取り逃がしているのかもしれない。


あ、そうそう、ライブがお気に入りになって、友達を5人も誘ったのに(トリスタン ホンジンガーと向島ゆり子)、本人が風邪をひいてしまって、初めての人たちだけで参加させてしまって、ご案内もできなかったことがあったなぁ。

それからは、お誘いはしないで、ブログで告知をするだけに変わりました。

この告知を、どれだけの人が見て、感心を持ってくれているのだろうと思って、アクセス解析なるものを珍しく開いてみた。
訪れる人がほんとに少ない(ほぼ一桁、珍しく20人というのが数回、ゼロという日もある)この数では、体制に影響はないね。



一人では寂しいこともあるけれど、お世話下手の私には、自分のペースでのんびり楽しめるのがいい。

そんな場所が、自宅から徒歩圏内にある。贅沢なことだ。



別に頼まれたわけでもないのに、マスターのオーガニック料理を大事にする気持ちを、どう伝えたらよいのかと思う。
世の中、客に媚びる店主が多い中で、黙って、作り続けるマスターの心のうちは、どうなのだろう。


なかなか、一介の客に胸のうちを開いて見せるほど、軟な人ではない。
年代も違うから、余計に感覚が違うだろうし、会話の弾む時は最近、稀にしかない。
口数の少ない、もう少しおしゃべりしようよと思うくらいだ、そこがまた、魅力でもある。


熱く語りすぎる自分とは、対極にいるご夫妻だから、思いをはかりにくい。
私にとって、ある意味ミステリーなお二人なのだ。


それでも、それだから、やはり、また、行きたくなる店だ。





コメント

七夕能

2014年07月13日 | 好きなこと
先日学びピアで講習会があり友人が受講したご縁で、山階弥右衛門率いる山階会の七夕能の鑑賞券が手に入りました。
友人とその夫君と三人で、鑑賞してきました。

    プログラム〈表紙我が家のグリーンカーテンを背景に〉


対談が最初にプログラムされていて、野村 萬 四郎兄弟のお話がことのほか面白く聞きました。能の会には珍しいのだそうです。


発声は、腹から出しますがどこが大切かと言うと腰である。
舞の体を動かすのも、腰が大切。

おけいこは、常識をくりかえすこと。
常識の常は情に通じ、情け高じておもいあがり、傲慢、慢心はいけません。

「言葉は、演劇に偏りやすい」とは、意味の深い言葉だった。
いつも、情をこめてといわれるが、その情の込め方が、過剰になると演劇となってしまうとは、今まで、考えたり試みていたことのその上を行く、習練鍛錬が、要求されるということなのでしょうか。

そして、能と狂言は一つのものである。
能は「虚」を「実」にみせる。
狂言は、「実」を「虚」に見せる。と。

例えば、間違いを犯したものを打つとき、「実」は、打ち下ろした手にあり、「虚」は振り上げた手の方にある。

打ち据えてしまえば、それでおしまい。振り上げた手は、深いイメージを膨らませて、そこにそれぞれの思いが限りなく存在する。

あ、そんなことはいわなかった。でも、私の中にはそのイメージが残った。

伝えたい言葉が、私に、どこまで伝わって、どこから間違えたのか。

修業を重ねて、ふくらみのある言葉は、正しく受け取らないと、嘘になってしまうなぁ。

そうなんだ、打ちあげて打ち据えてしまっては、おしまいなんだなぁ。


そのことは、どの分野のどの場面にも、通用する、奥深い言葉だ。

その道の大家にお目にかかると、その一つ一つの言葉に、深いいみがあり、却ってどうにでも取れるような言葉を聞くことになる。

習練の深さによって、その意味の汲み取り方が違って、くるよねぇ。




プログラムは、それから、連吟、舞囃子、狂言、仕舞へと続き、最後は山階弥右衛門殿村昌司との「砧」。

夫の不実を恨み砧を打ち、いよいよ夫の心変わりと思い望みを失ってなくなってしまう。
帰郷した夫は、残された砧を前に弔いをする。
三途の川から浮かび上がってきて、六道を輪廻する辛さを訴え、夫の不実に対して恨みの気持ちをうったえます。そのうち恨みも静まり、法華経をによって妻の例は成仏する。

私には、少々難しく、下調べも怠ったため、最後の妻が成仏したのだろうという場面に、やっとそうかしらと感じることができました。

プログラムには、十分な説明がありましたが、ななめ読みをするのにやっとでした。
鑑賞するのには、不十分な態度だったことを、反省。

それにしても、幽玄をあらわす能というものの、奥深さは、計り知れないと思ったことでした。
  
コメント

整体

2014年07月11日 | 好きなこと
整体をカテゴリー「好きなこと」に入れてよいかどうか、考えたのだけれど、好きなことなんだよね。

未病の部分にスャbトを当てて、いろんなことを話しながら、体の調整をしていく、そして、人任せではなく、主体を自分自身において、相談しながら、そのときの状態にふさわしい体操を、私に合わせて、ご指導いただく。

そして、朝な夕な、自分のペースで、体の言葉を聞きとるようにして、ほんのちょっとの時間で、体操をし、その日一日の体の調子を、伺い確かめる。


ほんのちょっとの時間と労力なのに、確実に体が良いほうへと変化していくる。

これって、大変なことだ。


このツールを手にして、年だからとあきらめていたことが、年ではないということがよくわかる。

先生は、私のように、一歩手前で、言葉を発したりしない。私がしっかりと聞く耳をもって初めて、ゆっくり語り始める。



私も、詩吟において、本当は、そのようにした方が良いのだろうか。
一歩手前と言うのは、私の自己満足だ。

だれが、それを一歩手前とわかるのだろうか、わかっているつもりの私だけなのだ。

先延ばしをしたら、もったいないことになると考えるのも、私の主観なのだから。
だれも、そうそう、今が一歩手前だよと、告げる人はいないのだ。
危ういことをしているのかもしれない。






コメント

ひばり会

2014年07月08日 | 好きなこと
剣舞と詩舞のお稽古に、久しぶりに行ってきました。

たまに伴吟をさせていただいている○塚さんが、三年後には、故郷に帰ってしまうことが決まったので、精を出しておけいこに行かねばと思うのです。

汗びっしょりとなり、冷たいペットボトルのお茶がほんとうに、おいしい。

月に1回の練習は、ともすると習ったことをすっかり忘れてしまうのですが、繰り返すうちに思い出してくるのです。

そして、爆弾を抱えているひざは、帰り道になるころには、悲鳴を上げてしまいます。

腰を落とす姿勢は、美しく、また、自然に次の舞の手に流れていきます。楽な姿勢は、見ていても楽ですが、そこに美しさと凛としたところがかけています。

なるべく、先生の動きをマネして、ときに質問をしながら、足さばきを覚えていきます。

袴に隠れた足の動きを察知するのは、難しく、出来ればスパッツをはいて教えていただけないかと冗談めかして、お願いしてみたら、先生も気持ちが動いたようでした。

先生は、私が習ってきた詩吟のように、先生の動きを見よう見まねで覚えてきたとよくおっしゃっていたので、まさか、袴を脱いでご指導くださる気になるとは思わなかったのです。


袴に隠れた足さばきを想像するのは、始めたばかりの私にはとてもできるものではなく、単純な動きの中に、精妙な秘密が隠されています。

袴を脱いで、足の動きがわかるのは、ある意味裸になると同じことなのに、先生はいとも簡単に、そうねぇ、と言って、袴をたくし上げて、足の動きをつぶさに見せてくださいました。

今度、出かけた時に、ユニ○ロにでも行って、レギンスを探してくるわねとも、おっしゃってくださいました。


それに伴って、私もレギンスなり、女性用のステテコなるものをはいておけいこをするとなると、じたばたとした足の動き、みっともなくつじつまを合わせようとする足の運びが、あからさまになってしまう。

はぁーーー、見ものだなぁ。





自分を切り売りしているような作業を続けていて、自分の心が擦り減らないように、それ以上に技を磨き、心の鍛錬をせねばね。


私と同じ干支のお姉さんである小西如泉先生の、意識の高さと熱心さとこだわりのなさを実感した今日の練習でした。

さて、私も太くてまがった脚の線が適当にカモフラージュできるもの、ユニ○ロの、カラフルな女のステテコなるものが第一候補なのだけれど、それを、探しに行こう。

それをはいて、詩舞の練習は、いかなる場面になるのか、想像すると今から赤面する。
それにしても、先生は、すごい。正しく教えたい気が満々だ。感謝。

コメント

はじめの一歩

2014年06月19日 | 好きなこと
論語と漢詩の解釈がおわり、休憩ののち、はじめの一歩。

もう一度、一言付け加えての互礼
そして、今日は、演壇からおりて、みなさんと同じ机で、座っての講義にしました。
同じ目線になると、感じ方も違ってくるものです。
やはり、このほうがやりやすい。


「偶成」  朱熹作(といわれているが・・・)
体操も三回目となるとおなじみになり、それでも、飽くことなくコツをしゃべり続けるわたしです。
そして、体側をたたき、体を目覚めさせる。

発声練習は、まだ、無理な喉使いに発展しやすいので、行わず、時間をかけて息を吐く。
そして、鼻から息を吸ったとたんに、はぁーと声を素直に出す。

さて、しょうねんおいやすくぅ~  と、聞いては吟じ、聞いては吟じをくりかえす。
起句と承句を何度も繰り返し、やっと転句にさしかかる。
いまださめずのあとの譜は、ちょっとややこしい。
ややこしいのは、繰り返すに限る。

これを、繰り返し行うことで、何んとかついてくることができる。ここを、怠ると、次が苦しくなる。
かといって、一か月に一回のおけいこでは、その時覚えたつもりでも、次の時には忘れている。
それを承知で、繰り返す。この繰り返しの時の私の気の入れ様が、かすかな定着につながる。

次回、忘れていても、体は覚えているから、意識に浮上させるのは、一回目より二回目、二回目より三回目と速度と定着が早まる。

だから、みなさんに口に出して言うのです。「来月になったらきっと忘れているから、大丈夫」と。
ここで、笑いが取れたら、大丈夫。私の気持ちは、かなり落ち着いて、今日のみなさんに取り付いていける。

そして、さらに付け加えて、「来月も何回も繰り返しますから」と。

この相互の安心感は、体を柔らかくし、心もやわらかくし、浮上速度を速めると、信じている。

だから、忘れても大丈夫。忘れるのが普通と、言い続ける。

そして、浮上を助けるのは、テキストに自分で書いた書き込み。
そのために、お渡ししているテキストのコピーは、行間や余白をたくさん作ってある。
自分で書き込みをして自分だけのテキストを作ってくださいと。

たとえば、平引き止めの譜は、テキストだと一本の棒であるから、止めを明らかにするため、棒の最後にを付け加えて、音が一つ上がって次に一つ降りるのを視覚的に表現するのはどうですか?と提案する。

そして、最後の締めは合吟ですが、前二回は、最後まで習ってないので、できませんでした。
今日は、転句を習いましたから、次に来る大山などの譜は、起句承句で習ったものばかりですからできないことはないのです。
構わず、最後まで合吟を強行しました。

うれしくなるくらい揃って、形になっている吟を合吟してくださいました。思わず拍手です。

帰り道、どうでしたかとお聞きしたら、やはり、「最後の行を習ってなかったから大丈夫かなと思ったけど、前に教わっているのと同じと聞いたので、何とかやれました。」

との、お答えでした。

一緒に吟じる、みんなで吟じると心強いのだよねぇ。


三回目となり、そして互礼について一言付け加えたこともあって、最後の互礼は、みなさん気持ちよくさっと立ち上がり、気持ちの良い互礼にて終了いたしました。

            気持ち良い~!




コメント

詩舞

2014年06月10日 | 好きなこと
ひばり会日、体調を崩して、お休み。

ひばり会では、伴吟の練習と、手慰みに詩舞「宝船」をならっている。
何事も始まりが興奮して、日々達成感を得られることから、休みたいと思うわけはないのだが。

それでも、腰が上がらないのは、興奮の余熱を覚ましたいからだろうなぁ。
頭痛くらいなら、出かけるのに、ちょっと控えたくなる症状があって、いずれにしても外出は無理なことだった。


雨の音を聞きながら、詩集を紐解く。


          看 桜
                      新井 杜泉

春光 漾漾 倉庚囀る     しゅんこうようようそうこうさえずる
坐して見る 紅塵 園裏の桜  ざしてみるこうじんえんりのさくら
樗n 相逢うて 交誼厚し   ちくばあいおうてこうぎあつし
遊人 誰か識らん 詩情惹くを ゆうじんたれかしらんしじょうひくを

               漾漾=光や気配を発散する
               倉庚=うぐいす
               園裏=寺の境内
               遊人=旅人

     
コメント

ひばり会

2013年02月26日 | 好きなこと
かつて、東京支部十周年の舞台のために、詩舞を習っていた思い出の場所が、勝手に名づけた『ひばり会』です。

久しぶりに、訪ねてみました。
一人メンバーが欠けていましたが、相変わらず愉快で気の良い人たちで、剣舞の練習を達者な伴吟で続けていらっしゃいました。

詩舞の指導をしてくださった先生も半月板の故障を押して指導をなさっていました。
お聞きしたいことがあり、その問題の解決も見て、ついでに、本能寺の伴吟も何度もさせていただきました。
最近では珍しいくらいの十分な声慣らしになりました。

そして、剣舞の発表会の伴吟(九段の桜)もおおせつかり、また、その会では、独吟もできると言うので、独吟の申し込みもあっという間に乗せられた形で、いたしました。

このところ、意に反して載せられる事が続いているのですが、それぞれに、私なりのテーマが見つけられたので、載せられたとの表現は当たってないかもしれません。

伴吟をすることになって、剣舞を舞う方が手放しで喜んでくださったのが、とても印象的でした。

ここにも、良い仲間が居て、私を必要としてくれている。うれしいなぁ。


コメント

ライブ告知

2010年09月10日 | 好きなこと
体温の感じられる小さい会場のライブは、とってもいい。

徒歩圏内のレストランのライブは、楽しみの一つ。

今月は、比較的近いところ葡萄舎)(で、オルティンドーのライブ。

来月は、自転車圏内のバーで、三枝彩子のオルティンドーのライブ。世界初の豆本製のオルティンドー専門誌早くも3号発刊記念ライブ。
場所は、北千住コズミックソウルにて。地図

          ☆三枝彩子よりメッセージ☆
『豆雑誌『隔月誌オルティンドー』第3号のテーマは「衣食住」。
10月8日北千住コズミックソウルでの3号おめでとうライブは、予約の方限定でモンゴルプレートが付きます。ご希望の方はお早めにご予約を!』




ライブの良いところは、場所にもよるでしょうが、飲み食いしながら聞けること、手の届きそうなほどすぐそばにアーティストがいる。
息遣いや、たまにはため息や、目配せや、サイドを固める人の思いが、そのまま伝わってくる。

会場の同じフロアにいて、上も下もなくて、アーティストが偉そうにしていないのが、とっても心地よい。

確かに、プロは偉い!でも、偉そうにしないで欲しい。

小心者だから、大きな会場だとそれだけで、アーティストが偉そうに見えてしまうのだ。
あ、でも、この前のたまゆらは違ってた。サントリーホールというとても立派な会場だったけど、居心地の悪さはちっともなかったなぁ。
よかった、会場の大きさだけに左右されているのではないのだなぁ。

このところ、詩吟とオルティンドーに対する思い入れが、ちょっと前と違ってきている。
なんだか、形にならないもやもやとしているが、かなり心地の良い思いが私を取り巻いていて、今までと違ったとらえ方になってきているみたい。

取り留めのない思いなので、形に出来ないけれど、私にとってはかなり、幸せなうれしい感情があふれてくるので、不穏な要素はないってことです。

オルティンドーは、それはそれでよいのだけれど、詩吟は、取り留めのないおもいをかかえて、教室運営が出来るかと、取り越し苦労を一瞬だけしたのです。

そして思うのは、それが、心地の良い思いだから、それがそのまま生徒さんたちに伝われば、悪い方に影響することはないと信じるのです。

いろいろ不安のある中で、こんな感じを味わえるのは、誰かが、何かが、後押ししてくれているのだろうねぇ。

教室名も、楽天夢青葉としたほうがよい?


コメント

オルティンドー ライブ

2010年05月28日 | 好きなこと
三枝彩子の創刊おめでとうライブがありました。
場所は、祖師ヶ谷大蔵のカフェムリウイ本屋さんの3階屋上にあるユニークなカフェでした。

三枝彩子のオルティンドーについての豆本の創刊号が6月1日に創刊されるに当たって、記念ライブです。

馬頭琴とホーミーの嵯峨さん、バイオリンのゆりこさんの三人のセッションでした。

三枝彩子さんの主催する「うたもん」の弟子たち(うたもんメイツ)が、花?をそえました。
何を隠そう私もその「うたもん」のメイトです。
このところ、詩吟とのバッティングでメイツさんたちとお稽古が出来ていないのですが、私は特別扱いをしてもらっていて、機器にいらっしゃるならご一緒しましょうと声を駆けてくださったのです。
では、女性の影で口パクでもさせていただきましょうと、ずうずうしくも舞台に上がりました。

モンゴル衣装のベスト(ハンターツ)を、黒のTシャツ黒のパンツの上に着て出ました。

この三人の、奏でる音はオルティンドーを高め、オルティンドーは馬頭琴とバイオリンを誘い、夢のような3時間でした。

ムリウイは、窓から空も屋上庭園の緑と空とが見える、風の通り抜ける空間です。

夕刻は、雲が空覆い半の少し夕日が差し込んでいて、幻想的で、草原を思わせるものでした。
ライブというと、どうしても閉じられた空間で窒息しそうになるのですが、今日は、ほんとに素敵でした。

豆本作家の末木さんも(キコキコ商店)札幌から駆けつけ、出来立てほやほやの豆本を届けがてら、豆本のレクチャーをほんの少しなさいました。

嵯峨さんのミニミニホーミー講座、オルティンドーの発声練習もあって盛りだくさんのライブでした。

ミニ本創刊オルティンドーも早速買いました。

写真のミニ本の隣の白いのは、ペットボトルのキャップです。
天眼鏡を探し出して、中を読むのが楽しみです。
おまけの、人形の着せ替えも楽しみ・・・


オルティンドーの発声は、疲れを知らないところが特徴です。
三枝彩子自身、仕事で肩こりバリバリでもコンサートが終わるとすっきり肩が軽くなっているとおっしゃっていました。

民謡もそうですが、オルティンドーの発声も口の前にろうそくをおいても決して消えることが無いのです。
息を吐いて音を出すのではなく、おなかにためた息を支えに声を出すのだそうです。

詩吟の発声をこの方式にすると、細かい情感や力強い声はもちろん、長い吟を歌っても最後まで疲れることが無いはずです。

なかなか、この発声方式が出来なくて、すぐに声を嗄らしてしまうのは、困ったものです。
何とか、がんばろうぞ。
コメント