風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

5月最後の日に

2007年05月31日 | 風のこたろう裏日記
風のこたろうをいったん休止にいたしました。

モンゴルの生活を、伝えるために始めたブログですから、住まいがUBから日本に変わったのですから、終わりにしてもいいかなと思ったのです。

そのまま、続けても、老人力を感じ始めたただのふつーの主婦である私の日記は、おばさんの愚痴や繰言の日記になってしまう。

それはそれでいいのだけれど、せっかく輝いた2年間の記録のしっぽが、愚痴ではねぇ。。。。。

それはとても残念だから、栄光(笑)のUBの記はひとり立ちにいたしました。
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モンゴル編終了にて表紙の役目は終わりました。

2007年05月31日 | 日本から
2年にわたり、UBでの生活模様をお伝えしてまいりました。
夫の、任期満了に伴って、日本に帰ってまいりました。
モンゴルと一度結んだ縁は、切れるものではありませんが、この2年間のような劇的場面はもうないでしょうねぇ。

劇的といえば、夫の仕事がまたモンゴルで始まるということが一番のそして最後のニュースとなりました。
前回のモンゴルの所属とは違いまた、仕事の内容も違っているので、随伴としてUBで生活することは難しく、私は、日本でお留守番ということになりました。

それを機に、5月の最後の日に、「風のこたろうモンゴル編」はこれにて終了といたします。
今のところ「風のこたろう」の別冊は、今のところアイディアがありませんが、夫を送り出し、こちらでの生活が一段落して、伝えたい、書きたいことができたときは、「風のこたろう○○○編」として、再出発があるかもしれません。

それでは、これで中締めとさせていただきます。

  2年間お付き合いありがとうございました。



             さようなら、チンゲル亭
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そうなのかぁ。。。

2007年05月29日 | 風のこたろう裏日記
モンゴルでの就労ビザの申し込みにモンゴル大使館へ夫が行きました。
書類は受理されて、1週間後に、取りに行くことになりました。
そして、UB行きのチケットが取れたら、同じ週の遅くても土曜日の便でUBへと飛びます。
それは6月9日になるでしょう。やっぱり行くのね。

楽しげに、資料を作ったり、同じ専門の知人に電話をかけ夢を見させてもらうと言うのを聞き、UBで大学で指導していたときよりも、実際に現地で仕事のできる喜びにあふれている夫を見て私も喜ばざるを得ないと思っています。

UBに居る人たちは、また来るでしょう?といって送り出してくださったのがその通りになりました。
私はそのように思わなかったし、同行しないのですけれどね。

夜、夫は仕事を続けるから60歳をまもなく迎える今年はまだ田舎に帰らないということを告げていました。
しかし、まだ、行く先が海を越えた外国ということは、今はまだ告げませんでした。
母は、田舎に帰っても仕事がなくてぶらぶらしている人を見ていてそれを良しとしないので、まして夫の専門とする仕事が田舎には無いということは良く知っていますから、帰郷を強く望んではいませんが、いずれは帰ってくると思っています。
もう少し元気で居てもらいたい、そして、夫の満足の行く仕事を終えてから、同居したいと思っているのです。

今回は母の口から、たまには帰ってきてほしいという言葉が出ました。
今まで、「かえる」という言葉は決して言わなかった母ですから、いろんな体験をして思いをだせるようになったものと、感じました。
お母さん、良かったおめでとう。我慢ばかりしないようにしましょう。

できることはできるし、できないことはできない、それでも、今日のように言ってみましょうよね。
夫の気持ちに、ちょっとしたピリオドを打ってあげたら、先に行って、お互いに良い結論に導けると信じます。
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モンゴルのご縁

2007年05月28日 | 日本から
主人の仕事がまた、モンゴルで始まることになりました。
さる会社に就職し、日本からモンゴルへ長期出張という形で仕事が始まります。
今日、ビザの申請をしました。
1週間後には、ビザを受け取り、チケットが取れ次第出発します。

モンゴルの縁は、これでおしまいと思って帰国したのですが、4年間狽チたものが大きく、夫はモンゴル復縁(笑)です。
夫は出張という形で、モンゴルへ行きますから、私は日本でお留守番です。
田舎の母の心待ちの思いを良く知っているだけに、なんといって話してよいやら、、、
私は、その任からは一目散に逃げています。
やさしい夫は、なんと言って切り出すのやら。

でもね、心からやりたいと思う仕事なんだそうです。私には引き止められませんでした。お母さん、がっかりしてしまうでしょうねぇ。
私は黙って、日本で元気に明るくお留守番をするしかありません。

というわけで、モンゴルには縁が復活したのですが、モンゴル情報は夫の仕事の内容にかかわることになるので、お伝えすることができなくなるでしょう。

モンゴル生活のブログとしては、これで終了ということになります。
長い間、ご愛読ありがとうございました。
この後は、どういう形にするか、ちょっと考えることにいたします。
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朝日新聞一面から

2007年05月22日 | 風のこたろう裏日記
5月17日のニュースはもう古いと思うくらい日本のスピードに感覚がついてきた(笑)。
心の病、労災認定1.6倍という大見出しに気がついたのは、今朝のこと。
新聞をまだ購読していないので、夫が出かけた時に買った新聞がかばんから出てきた。

そして、その同じ面の天声人語の最後の行には、「ときには、雨の気まぐれを五感で楽しめるような、時間と心の遊びを持ちたい。」とあった。

夫がJICAの仕事を選ぶについては、大きなストレスを抱えていることがわかったので、大賛成でした。
2年間仕事の前線から引き下がることについては、何の未練もなかったのです。そして、それが4年になってしまうことも。
元気で楽しくやりたい仕事をし続けてほしいという気持ちは今も変わらない。

時々、あの時前線での仕事を続けていたら、夫の新たな面の開発が行われたかもしれないとの思いにとらわれることはあるけれど、何事も表と裏の面があって、「もし、たら、、、」と思うのは仕方がないと了解はしています。

ですから、それは、後悔というのではないと思うのです。

この記事を読んで、「よかったなぁ。。。」と思うのは夫の選択について、外からの評価を気にしているからだろうと思う。
二人で考え悩み結論したことを、誰に何を言われようと決めたこととさっぱりとしているのは夫のいつものこと。

そして、モンゴルに行くことによって、天声人語に出てくる作家の山口洋子さんの言うロマンや男気を実践した(よね?)のは夫であると思う。
それも、外から見て実践したと思うのであって、当の本人は、ただ最良と思う道を選んだだけと言うでしょう。

自分たちがそういう選択をしたのを棚に上げて、身の回りにいる人の迷いやその挙句の選択を、堅実ではなかったと批判しかけている自分を見つけて、その選択をした人たちに、謝らねばならないと思う。

堅実な生活とは、主流を選ぶことだろうか、主流ってなんだろう。
世間の主流と、私のそしてあなたの主流は、それぞれ違っている。

夫の選択は、夫の主流であって、私の主流でもない。
まして、若い人たちの主流ではない。

山口さんにほめてもらう必要はないが、よーく考えて、自分たちの道を選んで、健康で明るく楽しいほんとにやりたいと思う生活を営むことができたら、右へ倣えでなくてよい。
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世の中そんなに甘くない

2007年05月19日 | 風のこたろう裏日記
帰国後約一ヶ月が経ち片付けも終盤を迎えるころ、仕事の話が舞い込んできました。
東京タワーの見える職場は、東京湾の水際で、眺めの良いところでした。
現場サイドでは喜んで来てほしいということだったのです。
ところが、上の方ではOKが出なくて、仕事に行くことはできないような気配です。

3年も前に働いていたところなのに、今も残っているスタッフから請われたのでした。
新しい場所に移転したために通勤経路を体験し、大体の仕事内容を教えてもらうために、出かけていったのでした。
後は条件だけ聞けばよい話は決まったものと思ったのです。

一緒に仕事をして、スターティングメンバーとして、ともに戦ったという記憶のある人たちに、喜んで迎えたいといってもらっただけ、幸せと思うべきなんだろうね。

採用する立場になれば、私の条件はすごく悪いことは良くわかっているのだけれど、ちょっと期待しただけに、がっかり。

仕方がないね。のんびり行くとしよう。
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お台場

2007年05月16日 | チンゲル亭裏日記

3年前に働いていた職場から、仕事をしませんかとお誘いを受けました。
私が働いていたときは、別の場所だったのですが、移転してお台場になりました。

地下鉄の駅からバスに乗り、降りたところから大観覧車が見え、5階の事務所の窓からは、東京タワーと東京湾の見えるとてもよい眺めの場所でした。

仕事が忙しくなったら、東京タワーなど眺めていられるものではありませんが、なんとなくうれしい。

詳しい条件はまだ聞けませんでしたが、来てほしいと望まれて仕事ができることはとても幸せであり、この年齢で仕事が向こうから舞い込んで来るなんて、めったにないことです。

一人留守番をしてくれていた娘も、近々家を出る気配がするし、夫も仕事の話が決まったら、出張勝ちの生活になるし、仕事と趣味とで自分らしい時のすごし方ができたら望むべくもないことです。

さて、夫も私も、どういう結論になることでしょう。
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現地へ

2007年05月15日 | 風のこたろう裏日記
主人が、本格的に仕事始動。
現地へけさむかったようです。
今日から、電話が通じません。電波の届かない場所での仕事です。
ゲルで寝袋生活です。

昨日は、夫からの頼みごとがあるというので、連絡待ち。
こちらから電話を何度しても、「ビジー」のメッセージ。
仕事になると、自分の言ったことも家族の存在もすっかり忘れてしまうのはわかっているから、オルティンドーの勉強会に出かけてしまおうかと思ったのだけれど、翌日は電波が届かないと思うと、早いうちに、頼みごとを聞きそれに対する質疑応答を完全に済ませたかったので、結局待つこと3時過ぎまで。
勉強会は終わってしまった。

今日は、今日で、マンションの総会。
詩吟の中央会の日と重なった。

行けなかったことを誰かのせいにしながら、いけなかったことになぜかほっとしている私。

友人の心配する空の巣症候群だろうか。
それとも、「ねばならぬは野暮」を決め込んでいるのだろうか。

仕事の連絡も取らねば。義妹と会う予定もきめねば。娘ともっと楽しい話をせねば。本も読まねば。聡怩烽ケねば。モンゴル時代の友達とも会わねば。
~~ねば。。。。。たくさんあるなぁ。
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楽しくやって居るみたい

2007年05月15日 | 風のこたろう裏日記
今日も、夕食は、4月までの同僚たちと一緒みたいです。
この人たちのことは、なんて表現したらよいのだろう。
UBの友達でいいのでしょうかねぇ。
同じ職場で仕事をしたわけではないけれど、仕事ではなくモンゴル人との戦いのような2年間をそれぞれが、愚痴をこぼしあうことも無く、ただ同期で来た仲間もがんばっているという思いを持ちつつすごした人たちであるのだから、なんていったらいいのでしょうねぇ。
同期、ともだち、、、、、
同期というのが良いのかなぁ。

日曜日には、現地に出発するので、その前にということでお誘いがあったようです。
夫の情報は、いまいち、わからない。

現地では、街中にアパートを借りてくれるようなので、とりあえず仕事が終わって現地から帰ってきさえすれば、電話が通じるらしい。
インターネットはどうなのかわからないようです。
40分の道のりを、毎日帰ってくるのだろうか。
40分といっても、きっと、でこぼこ道だから、運転を楽しんで変えるのか、疲れ果てて帰るのか、景色を楽しみながら帰るのか、その楽しみ、苦労を伝えてくれるだろうか。

スーツケースに入るだけの荷物で出かけたので、早速足りないものの問い合わせが来ました。
辞書類でした。

Gパンは買ったといっていたけど、ワークシャツはどうだったのかしら。

短い短いメールには、私の知りたいことは何にも書いてない。
何が知りたいか、わかりそうなものだけれど、いまだに、いまだしです。
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雷と雨

2007年05月15日 | 風のこたろう裏日記
仕事の連絡を待っていたはずの夫が、あわてて携帯で電話をかけ始めた。
どうやら今日の仕事は、時間の約束ができていたのに、すっかり忘れていたようです。
別件の大きな分かれ目になるはずの電話待ちをしているので、その思いに気持ちが引っ張られて、今日のスタートも連絡待ちと勘違いしていたみたい。
ぎりぎりで思い出して、良かった。
何とか、迷惑をかけなくて済む程度の遅れで済んだようです。

予定通りに出発していれば、雨の降る前に家を出て電車に乗れていたはずなのに、一番強い雨の中をあわてて出かけて行きました。

これから来る選択が、終わりよければすべてよしではあるけれど、嵐や雷のスタートはちょっとつらい
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