風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉11月サプラーイズ!

2015年11月28日 | 詩吟
今日は、フルメンバープラスゲスト1名。

いつも通りの練習が、ことのほかスムーズに進みました。
律詩の練習ですから、ゲストさんは、ちょっと背伸びだったかもしれません。
そして、山口華雋会長の講義の録音の、大山の練習のさわりを聞いてもらいました。

これは、こんな話を聞いたということのお知らせで、もう少し自分が体得してから、ちゃんとした伝え方をしたいと思います。

そして、今日は、夢青葉始まって以来5年目にして、初めての忘年会。
若いメンバーに手配をしてもらい会場が決まり、お祝いから、歓迎から、誕生日からすべて込み込みの忘年会との呼び声に、きらーくに参加した私でしたが、

なんと!その実情は、「上師範昇格おめでとう会」だったのです。
なんと!主賓は、私。

主婦集団ですから、完全なサプライズは、家庭のこともあり、突然帰りが遅くなるってことは難しいのでと、私への配慮からはじまり、あらかじめ日にちを設定するにあたり、ある程度の情報開示は仕方ないから、すべて込み込みのお楽しみ会という風に私には、伝えられました。
その後の、秘密裏の準備は、怠りなく、進みすっかり、びっくり!でした。


本当に、びっくりしたのですもの。

サプライズって、本当にうれしいねぇ。

花束あり、圧巻は、「夢青葉号外」と称する、新聞。
なんと、総範の野田 芦孝先生も巻き込んでの秘密裏の制作。

驚いて、嬉しくて、危うく落涙するところでした。

さらに、それだけではなく、くじ引きをすると、それぞれに各々に対する指示が書いてあり、それが人数分ではなく、10枚以上もくじが作ってありました。

私に当たったのは、三人に伝えたいこと。

まだ、驚いて頭の半分は、白い私は、実に、生の言葉で、それぞれに注文を付けていました。
こんな時は、それぞれが気持ちよくなることを言うべきなのに。私ったら。

そして、それぞれが質問に答えたり指示を受けたりした後、残ったくじのなかに先生のこれが一番といえる吟詠は何ですか?」の問いがありました。
せっかく作ってくれたのだからと、開いてみたのだから、答える必要はないのですが、即座にこの前の練成会の吟と答えました。
若い人「気合が入ってましたものね。」と。

三人が受けた指示はここには書きませんが、その全部は、夢青葉を愛し、ここで頑張ろうと思うからこその質問であったり、指示であったりが書かれていました。
若いから、お姉さまたち(?)三人のおしゃべりに押され気味で、言葉は必然的に少なくなるので気にはしていたのですが、夢青葉にこんなに溢れる思いを持っていてくれたことがわかりました。

すべて含めて、ありがとう!!!







左 頂いたブーケをアレンジして飾りました。
中 夢青葉号外 こんな感じ。 
  中身は、私だけのものなので、ぼかしてます。
 右 早速こたろうのチェック、フムフム いいねぇ!




        


さて、この日、今までにないことが計画されました。

12月の二回目の夢青葉教室は、指導担当が、若い人となります。
師範代の指導資格を持ち、来年度には、準師範に挑戦することになっているので、ここらで、指導の練習をして見たら?ということで、25日に私は、一生徒として練習に臨みます。


吟題は、お姉さん方のリクエストにより、「結婚を賀す」松口月城をいたします。

若い人は、「チャレンジ」が当分のテーマですから、何でも取り組んでもらいます。

若い人は、吟歴は先輩、夢青葉歴、年齢共に後発ですから、微妙な立場になりそうなところが、生来の明るさと人懐っこさ、お姉さん方のこだわらない明るさで、いい感じに整っています。

おかげ様。

「上師範」の資格は、その資格名でも座布団付きのバッヂでもなく、夢組さんたちメンバーがいてこそ、そしてその人たちが楽しんでいることが、一番名誉で、嬉しいことです。

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関吟懇談会

2015年11月26日 | 詩吟
関吟の会長、副会長が、東京にお越しになりました。
ぷろぐらむその1は、関吟の現状と方針を伝えに、みずから伝えていただきました。

プログラム其の2は、会長自らの吟詠指導となりました。

声を支えましょう。
言葉は最後まで正確に気張らずにと、そして、声が支えられていれば、如何様なテクニックも思いのままと、自在に声を変化させて聞かせてくださいました。

横隔膜を平らに下に引っ張れば、息は勝手に入ってきます。
だから、息は盗むことができるのです。

支えられた声であれば、どんなに長いフレーズも、単調にならずに一息で吟じきれます。
そして、絶妙の「間」をもたらします。
「ま」と「あいだ」は、全く別のもの。
文章にして表すには、とても私には表現できないのですが、実例でとても鮮やかに表現してくださるので、耳は覚えていられます。

毎日三か月間練習しましょう。

気張って喉に力を入れないで、発声ができたら、8行詩も、何のその。

浜松で山口華雋先生の、講義を聞き、螺旋の理論をお聞きして、自己満足の上達をして、不安なままに、ここまで来ました。
実技の切磋琢磨を、来年度の吟道大学では、出来るようです。
今年出席したばかりで、来年度は出席しませんが、芦孝会会から4人も出席なさるようですから、お土産話と何らかのレクチャーをいただくことを楽しみにいたしましょう。

よんどころないご用のため、早いうちの新幹線でお帰りになったので、会食は、いつもの中央会帰りに立ち寄る居酒屋さんで、行われました。
お酒の出る席になっても、関吟の方たちは、詩吟談義が続きます。
本当にお好きなのですねぇ。
また、お越しいただいて、お知恵を、技術をお伝えください。
ありがとうございました。






今日ご指導いただいたのは、大山のテクニックがメインの要であり、実は、支えられた声を出せるようになること。そして、支えられた声が絶妙の「ま」を生み出し、それが、情緒ある流れる吟詠につながるというお話に行き着きました。

大山は、とても特徴のある譜で、その人の力が如実に出るものであり、短い4行の漢詩の中に、ほぼ、3回は出てくる形です。

初心者は、まず、正しく音階通りに声を出すことを学び、その一つ一つの音の微妙な長さの違いを表現し、やがては、揺りが入れられるようになる。
そのころには、思いを超えに乗せられるようになり、単調さを打ち破って、音を出す吟詠から表現するところへと上昇。

やはりこれも、らせんを描きながら、初心に戻りつつ、基本を崩さず、上昇していくという山口先生の教えの通りに、進んでいくのです。

「螺旋を描きながら」のフレーズは、何かを思い考える時、まず、頭に浮かび、ちょっと下がって一つ前に降りてみると、意外に簡単にもつれた糸がほどけて、スイッと二回りぐらい上昇していることがあったりします。

物事、直線に右肩上がりにばかり進んでいるのではなく、時には遠回りしながら、その遠回りが物事に深みを与えてくれるものなのです。

努力を惜しまず、いつも心がけながら、ここまで居らっしゃった山口先生のお言葉は、私にも直接に心を震えさせるものがあります。

私は、長年続けてきて、今ここにいますから、なんてこと無く伸びてきたと思われがちですが、どんくさいのであります。
だから、一生懸命になれたし、ちょっと、感情が激することもあり、そんなことが前進へのエネルギーになっていました。
そんな経験が、内に秘められず、外に溢れてしまうのは、不徳の致すところで、とばっちりを受けるそばにいる人には気の毒なことを、しています。

山口先生の年齢になったら、少しは、おとなしくなるかしら。


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夢松風11月2回目

2015年11月25日 | 詩吟
今年は、雨の多い年ですが、その割には、お稽古日が雨に当たる日が少なかったように思います。
今日も、出かける時は、雨でしたが、帰りは上がっておりました。

12月並みの気温で、ダウンのジャケットがちょうど良く、手袋も邪魔かと思ったら、快適でした。
首と称されるところと、手先は、早めに暖かくしていたほうが、軽快に心地よく過ごせるものなのだと、改めて、感じました。


先回の中央会欠席でニュースその他を受け取るのは、27日の夢青葉なので、手元になにもありません。
連絡事項があるとそれに付随して、お話が長くなるので、練習を早くしたいと催促の目線が送られるのですが、今日は、それもなく、しょっぱなから、練習が始められます。

今日は、ことのほか、良い緊張感のあるお稽古でした。
先輩の声が良く響き、きっちりと押さえるところを抑えているというのが感じられます。

その、影響もあって、後輩さん、ゲストさんにも良い影響が伝わっています。
少人数とは、そういう心模様までもが伝わって來るものなんですねぇ。


今日の、課題は、「華城春望」の後半の練習です。いつも通り、ゆっくりの練習ですが、先輩の声の先導が後輩に伝わって、新しく練習する吟にしては、スムーズです。

先回のャCントの、「音を下降させない」と言う箇所がきれいに、音程を保って、浮上するようなエネルギーを感じるくらい良くできていました。

そろそろ入会一年を迎えるゲストさんに、出だしのひらがな読みを、ちょっと厳しく指摘させていただきました。
もう一度やり直しをしたら、すぐにできました。

ということは、「くせになっているのですね」というご本人の言い訳は、ちょっと違っていますね。



帰りの電車の中で、今日のこの体験を本当に面白がって、快感でしたとの感想を聞きました。
そして、自分の吟を聞いてみたら、思っていたより期待外れでがっかりしたと。
それで、今日は、その気になって、厳しい指摘に良い方に反応できたのでしょうか。

音程のよい人は、一音一音に音を当てはめて正確であろうとするあまりに、はまり込んでしまう落とし穴があります。今日のはそれでした。

そして、力を入れた声を出そうとするあまりに、ブツ切れになってしまいます。

今日は、それに対する気づきになったでしょうか。

次回は、律詩全体をおさらいして、独吟へ持っていく予定です。



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同窓会

2015年11月22日 | 徒然に日々のことを
S41年度卒業高校同窓会参加。

周年行事は数あれど、自分自身の歴史が、50年以上を数えるようになったとは!
そう、高校卒業して、50年。驚きです。


中には、50年ぶりという人もいて、懐かしさもひとしお。

ここまで来ても、フレームは、白くなったり、無くなったり、たまには相変わらず黒いままの人もいますが、中身は、そのまま。
ただ、名前が出てこなくて、首から下げた名札に急いで目をやり、旧姓をゲット。

一瞬の間の面白いこと、あるいは、二舜、三舜必要な人もいる。

ひとたび、わかってしまうと、50年があっと今に飛び去って、あの頃に帰っていく。


髪の白くなり、たっぷり太った私は、後姿では絶対わからない。
珍しく、スリムなままで、後姿でもわかる人が居て、怪物だと思う。

そして、一度別れを体験し、二度目の幸せ時間をたどっている人が二人。おめでとう!
家族の温かみを、遅くして知って、心から幸せを感じている様子に、ほっとして、「よかったが」「よかったなぁ」と言い合う。

恩師にも来ていただいて、更に会は盛り上がりました。


卒業アルバムを見ていると、忘れていたことを思いだし、それにしても、私は、高校生の時に、苦手だったことばかりを今、やっているなぁと、感慨深い。

どうして、こうなったかなぁ。

やはり、あの誤解か? 「リケジョ」と思っていた例の件。
かもしれないし、卒業後の出会いで、無かったものが、浮上して来て、強化されたのかもと、思う。

故郷の地に生まれ育ってそのまま今ここにいる人なんて、ほんとに羨ましい。
私自身、親は転勤族だったし、結婚で遠く離れてしまい、更に二回の引っ越しをしているから、娘も、生まれたところから、遠く離れてしまっている。

いろんな部分で、感性が違って育つのだろうなぁ。
幸い、私は、五似ん会で、年に一度とはいえ、関わりが復活しているのだから、まぁ、良い方なんだろう。

故郷とつながっていられることが、安心で、嬉しいと心から、思う。
幼稚園から、ずーっといっしょだという人は、どんな感じなんだろう、兄弟姉妹に近いのだろうなぁ。

52年目にして、初めて告白されたりして、きっと、この年になって、けじめをつけたかったのでしょう。

高校では、能力を発揮できなかった人が、社会に出てから、頭角を現してきた人もいて、高校生時代は、まだまだ、可能性を秘めて、分かれ道でもあったのだろうと、思う。













東京では、今日は11月の中央会。教室幹事さんに代わりに出席してもらって、いろいろと、お世話になりました。
何かあったらいつでも、メールでも電話でもと言っておいたので、問い合わせが一件。
無事、解決して、携帯のありがたさを感じる。
ピンチヒッターの彼女も、用件が当日中に片付いて、一安心だったことでしょう。

これに懲りずに、ピンチの時だけでなく、参加してくださいませ。
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菜根譚とはじめの一歩

2015年11月19日 | 論語と
憂勤は是れ美徳。
太だ苦しめば
則ち以て性に敵い
情を怡(よろこ)ばしむる無し。
淡泊は是れ高風。
太だ枯なれば
則ち以て人を済い
物を利する無し。


心を砕いて勤めることは、結構だが、あまりに苦しむばかりでは、本来の自分の性を養い生きている甲斐がない。
さっぱり無欲も良いが、あまりにも枯れて干からびるのは、世のため人のためにはならない。
どんな道でも程よさ、中庸の精神が大切。


程よさほど、難しいものはない。
「有力の男児は有力に唐黶A文明の才子は文明に酔う・・・」を吟じたくなるのは、それが一番苦手だから。
「中庸」とは、近いようで遠い道。


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はじめの一歩
課題は、「静夜思」
吟法のおさらいは、9≠R。
先生の私よりも、みなさん低音を響かせるので、難なく一番低い音を、出してくださる。
男性の先輩に、9≠Rを中心に模範吟していただきました。

今日は、何度も重ねて習った漢詩ですから、どなたか、独吟をとお願いしてみました。
恥ずかしがりながらも、とても上手に吟じられました。
もうお一方も、思いがけず、吟じていただいて、少しずつ詩吟になってきていることを実感しました。

はじめの一歩の名付けてくださった須藤先生の「明」を思う。

最近芦孝会で練習が厳しくなってきているので、今日の様子をご覧になった会員さんは、あまりに褒め過ぎていると、思われたかしら。

そうそう、今日の、菜根譚で、身内には優しく温かくと説いた章句も習いました。
何度も何度も、そして、それでもわからなければ、何か違う方法を試みて、また別の機会に、やさしく温かく、春風が氷を解かすように穏やかに教育しようね。と。


だんだんと厳しくなってきたのは、一つには、私の学びが足りなくて、会員さんたちとの差がなくなってきた。会員さんたちが私に迫て来たというのもあるのだろう。
ゆとりをもって、ご指導させていただいているうちは、春風のようにのんびりとしていられるのだ。

いつまでも春風で、いられるには、せめて吟詠だけでも、さらにさらに切磋琢磨をせねばと、思う。
切磋琢磨が、足りなくて、間に合わなくなったら、どうしたらよい?
身のほどを知って、先生と偉そうにしないで、同朋として、せめぎ合えばよい?



そう、そして、今日は、2月の施設予約も、他のグループに先を越されてしまって、次は、12月1日の予約に期待することになりました。

仮押さえが不調に終わって、思い切り声の出せない部屋になるもしれません。
詩吟とのドッキングのおかげで、菜根譚の授業の人にも、ご不自由をかけることになりました。
「えーっ」と叫びたい気持ちを、須藤先生がそばにいたおかげで、かなり抑えることができました。

次のチャンスを、頼みにして、苦しみ過ぎないように、楽しみを見つけましょう。
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夢青葉11月1回目

2015年11月13日 | 詩吟
寒さを感じるようになって、喉の調子が、良くないのですが、以前より喉に負担のかからない発声ができるようになったのかなぁと、感じました。
というよりも、思い切り力一杯の声を、以前はどうやって出していたのか、よくわからないのです。
喉の調子も悪くなってみて、それでもなんとか、詩吟ができる。以前だったら、一挙に声がつぶれただろうと思える時も、何んとか、練習をこなせるようになった。

お一人が高さを6本に上げたため、二人の会員さんが揃って6本になりました。
ゲストさんは7本なで、音感の良い方なので、6本で、終始続けました。
なるべくその方の高さで、練習をしたいのですが、ままならないことのほうが多いのは、仕方のないこと。
青葉は、女性のみで、6本を基本とすることができるので、とても楽に声が出ます。
そのためもあって、心地よく発声ができます。
一番伸びやかな声で、新しい吟を覚えるための先導ができることが、一日気分良くさせてくれます。
一か所でだしの一節が音程の取りにくく、良い模範がしめせなくて、バランスの悪い、今日の練習でした。

今までは、こんなことがなくて、自分でも驚いています。コンダクターに音程を頼ることをせねばならなくなったかと、ちょっとがっかり。

今日は、リクエストに応えての吟題は「松樗~」。

お祝いの時に、ご披露できる吟ということで、機会あればぜひご披露してくださいね。
声のエネルギーは、お祝いごとの時には、ことのほか、雰囲気を盛り上げますね。

そんなときのために、心を込めて、思いを込めて、朗読を頭において素読をしました。
吟詠に、その思いを反映するのは、なかなか難しいのだけれど、素読の時から心がけていると、いつかは、思いを込められる吟詠ができる時が来ることでしょう。
すると、まず間を置くところが見つかります。それができるだけでも、ぶっきらぼうから脱却できますよ。


次回は、11月二回目の練習です。松風と同じで、律詩を練習です。
前回は、鳳凰䑓の仕上げをしました。
次は、女性向きの「桜花の詞」にしました。
源氏と平氏の歴史の一コマが語られるこの詩を、ご自分から調べてきますとの言葉を聞くことができました。自分なりの学びと解釈をしてみてください。

4段昇段に向けての練習が始まりましたから、その先を見据えて、吟詠のテクニックだけではないことにも、目が向いたのですね。 
              ベリー グー




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モンゴル製品

2015年11月12日 | 徒然に日々のことを
久し振りの娘とのランチの帰り、北千住駅のマルイに、懐かしいモンゴル製品が、並んでいました。

何が違うと思ったら、私が現地で、見ていたものより、ずいぶん手際よく、垢抜けた製品にできあがって並んでいるのです。

それは、モンゴルのフェルト製品です。






知り合いも、フェルト製品を作るプロジェクトを立ち上げて、毎年、ツアーを募り、フェルト製品を作ってみたり、馬に乗ったりしながら、弱い立場の人へのスキルアップにつなげているという話も聞いています。

そのプロジェクトの製品かどうかはわかりませんが、こんなにも、上等になって、デパートのお店に並ぶようになったこの製品が、どのような経緯で、こんなに立派になったのか、さぞ、大変な道のりだったことでしょう。
手作り感満載だった、あの頃のただの土産品が、こんなに、力を持ち、優秀な商品に仕上げるとはねぇ!


モンゴルではお馴染みのスリッパや帽子やバッグ、それから五畜の飾り物、靴下などがザハやデルグールにに並んでいた光景を思いだし、そのお土産品を差し上げたり、自分で使ったりしていたことを思いだしました。
今、目の前にあるものは、素朴な土産品ではなく、モンゴル製の上等な品に成長しています。

北千住マルイでは12月3日まで、臨時店を開いております。
モンゴル アンテナショップ ”MON”は、つくばエクスプレスのつくば駅からで車で5分のところにあるそうです。






娘とのランチは
アンチ ヘブリンガン

カレーとパスタを頼み、それぞれの味を試しました。
おいしい、気取らない味で、店の様子とよくあっています。
さて、食後のコーヒーは、ちょっとドキドキしながら、頼みました。
だって、せっかくのおいしい食事の喜びを台無しにする味だったら、ここまで来たかいがありませんもの。

感の鋭い娘は、古いホーローのャbトに入ったものを奥様が持ってきたら、すかさずふたを開けて、「あ、やっぱり」という。
程なく、私の鼻腔にもコクのある香りが届いて、「香りが良いだけでなく、ミネラルたっぷりの体に優しい砂糖です。」とのオーナー奥様の説明に、なんとなくそんな気にさせられる。

それは、説得しようとしてではない、奥様の心からの言葉だったと、ドキドキしながら、飲んだコーヒーのおいしさで、わかるのです。

おいしいものを探すことに、労を惜しまない、いろんな意味で嗅覚の良い娘と、心から楽しいランチをいたしました。

ありがとう。またね。


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夢松風100回目

2015年11月11日 | 詩吟
昨日、ふと思いついて、今は、何回目の練習になるのだろうと、知りたくなりました。

今まで、ただただ、毎回の目の前の練習をつつがなく終えることをしか考えてなかったので、何回目かなどとは、興味のいたらないことでした。

思い立ったら、練習メモを出し、パソコンから、12年カレンダーというのをプリントアウトして、赤丸と緑丸のしるしを付けていきました。
ちょうど、青葉が誕生した2010年からの12年カレンダーがしょっぱなに、出現しました。

緑丸は、松風の稽古日です。

なんと、ちょうど、100回目が今日に当たっていました。
「やれ、めでたやのぉ~」

いつの間にか二ケタを過ぎて、三ケタの練習日数になっているとは。

みんなで、100回おめでとう!を言い合いました。


今日の練習は、「楓橋夜泊」新しい吟法はありませんが、出だしの4番の譜を丁寧に復習です。
三半から三の音へきっちりと降りましょう。ゆっくり伸ばして、三半⇒五と上がりましょう。

出だしの低い音の譜は、おろそかになりがちです。大事にしましょう。

大山送りは、大山とはっきりと区別できる速さにしましょう。
最後の行の七山は、頑張りましょう。頑張りすぎて、最後の締めのことば「至る」が、だれないで、きっちり占めて、三の音で締めくくりましょう。

そして、前回うるさく指摘した失速しないことを、再度、復習。


初めて、初回の練習で、独吟へ持っていきました。

今まで、甘やかしすぎた?ので、初回の練習では、独吟にまで至りませんでした。
恥ずかしさが先行しては、豊かな吟詠になりませんから、ご本人の気持ちにお任せしていましたから、「今日習ったばかりの吟は、まだ独吟できません」というお気持ちを受け入れてきました。
でも、習ったばかりの吟詠は、間違って当然ですよ。
間違ったほうが、懇切丁寧に説明をもらえて、お得(?)ですよ。と、いつも申しているのですが。
100回目おめでとうが効いたのでしょうか、それとも、今まで出したことのない他の教室の話を出したからでしょうか。
風で声の出ない人を除いて、独吟をしてくださいました。


夢組さんたちは、ゲストで出かけることがないので、他教室の練習風景を知りません。ですから、吟は毎回新しい漢詩を習い、練習の最後には、必ず独吟をするんですよ、というのも、今日初めて、知った次第。

同じ絶句を何回も続けて練習するのは、夢組だけですよと言うと、目を丸くして驚いていました。

ここで、私は、丁寧な練習をしているから、習ったことのある詩は自信もっていいのよと、言うべきでしたが、言葉が足りなくて、「他の教室の人たちは、一回の練習で、ちゃんとできるんだ!すごい!」と、思わせてしまって、失敗でありました。

狭い井戸の中では、昨日今日習い始めた私と、教えてくれる先生としかいませんから、私はまだまだと、卑下してしまうのねぇ。

たまには、よその教室にも行って、層のあつい人たちの様々な吟詠を聞くのも、必要なのかなぁ。

天狗になるよりは、良いか。それとも、天狗になるくらいが良いのか。
ほどほどって、いかほどのもの?


でも、今日の100回目というキーワードは、いい方向に気持ちが向いた気がします。

           
          松風さんたちがんばれ!







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武道館にて

2015年11月07日 | 詩吟
第47回全国吟剣詩舞道大会が今日と明日の二日間行われます。


初めての武道館のアリーナ席に向かう階段の上で、ぼんやりのろのろと歩いていると見覚えのある顔を発見。

かつて、まだ芦孝会が支部にもならないころで、東京へ転勤で来ている方がたくさん集まっていた時期がありました。そのころの中央会の練習に来ていらっしゃった方です。
そして、目を転じると、その前に野田 芦孝先生がいらっしゃってお話をなさっていました。

懐かしくて、お話が終わるのを待てずに、挨拶とお声かけをいたしました。

あの頃の方たちとは、淡々と接して、吟詠の時にだけ、思いの丈をぶつけるというパターンで練習に臨んでいました。それに、今のように、帰りに飲み会があってそれに加わるなんてこともありませんでした。
こんなに経っても懐かしい気持ちが起きるとは、意外でした。


去年あたりから、自分の心の中で、熟成しつつあるテーマの「岡山や大阪の存じ上げている方の教室訪問をしたいなぁ」が、突然口をついて出ていました。
野田 芦孝先生にもお話をしていないことを、懐かしさと親しみを込めて、「練習場訪問したいんです」と言ってしまいました。
ためらいもなく、「諾」の返答に、私のほうが驚きました。

そして、開始の時間になったので、お話もそこそこに、自席に向かいました。
入口でアットランダムに与えられた隣の席の方々は、西のほうのなまりのある方でした。
ちょっとした区切りの時に、聞いてみたら、なんと、先ほどお目にかかった方と同じチームの人でした。
思わず、そのSさんを存じ上げていて、今、階段のところでお目にかかったばかりと口走っておりました。
たったそれだけの会話でしたが、同じ関吟というだけで、また、いずれお会いすることもあるでしょうと、言ってくださってお別れしました。

今日の、プログラムは、幼年 少年 成年の部の吟詠と詩舞剣舞の優勝者のご披露でした。
日本一の若者たちの技は、感心するばかり。
若い人たちの育成が、今後の課題だなぁと、強く思いました。

  次のプログラムは、第四十七回全国吟剣詩舞道大会企画構成番組 
「兜」

色鮮やかな演出と、練達の技と、芝居仕立てになっていることもあって、3時間を飽きること無く看通すことができました。

吟詠にも、二部合唱や輪唱のテクニックを取り入れて、また、今まできいたことのない音の運びがあったり、眼も耳も、堪能しました。

女性の吟詠の声の高さが、とても引き立っていて、耳にうるさくないのが、やはり、日本のトップの吟者たちの技なんだと、感動です。

此の処、女性の高い声の上級の声について、目覚めることがあって、今日のこの女性の吟詠も、訓練された声の力強さと美しさに、今頃気づいています。

この声を出してこそ、豪華な着物が舞台衣装としてぴったりくると思いました。
着物に抵抗感があるのは、自分の技が、しょうもないからで、ただのつまようじを桐の箱に入れる様な恥ずかしことをしたくないと思うから。

こんな技を身につけたら、自然に豪華な着物を合わせたくなるし、見合わせねばならなくなるのだなぁ。

口をあんぐりして、その、強烈なエネルギーを浴びていました。

フランス大使と三味線の吉田兄弟のお一方がお客様でいらしていました。
どのように、感じたのでしょう?

とても良いものを聞いて、見てきました。

明日の、合吟コンクールは、所用で聞きにいけません。
今日ので、お腹いっぱいです。
さても、今日の構成吟はDVDが欲しくなりました。




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山田先生

2015年11月06日 | 体を整える
今は、冬に向かって体が変化する時期です。この時期は、いろいろな不都合が起きてくるものらしい。

体調が最悪の時は、その変化を感じ取ることができていなかったようです。

此の処、かなり整ってきたので、ちょっとした変化(悪い方への)をキャッチできるようになっています。
具合の悪いところを見つけると、せっかく調子が上向きになってきたのに、後戻りをしているのではと、不安になったりするのですが、定期的に山田先生の施術を受け、助言を受けるにつれて、季節的に誰にも起こりうることと知り、それに対処する方法を伝授くださり、まず、安心をし、その方法を実践して、なるほどと安堵します。
その方式とは、今も、切磋琢磨なさっている井本整体 によって、助言を下さる。         http://www.imoto-seitai.com/

また、施術だけではなく、考え込みすぎたり、悩んだりするとすぐに体のどこかに違和感がおこり、先生はそれをすぐにキャッチして、どうしたのかなぁ?と心配してくださっている。

先生から、「どうしましたか」とは、お尋ねにならないけれど、施術の時、「気」が通じ合うことがある。その時は、ある体のサインが起こるのだそうです。
今日は、その秘密を教えていただきました。
そんな時は、問題点に対する興味や質問がおこるのかしら、それとも、すでに、気が通じた時に解決したのだけれど、私は、お話がしたくなって、会話をするうちに、なんとなく解決モードが産まれてきて、スイッと軽くなってきます。

今日は、特に、頭蓋骨に問題点があり、そのことに対する日頃の自助と気持ちの持ち方について、お話をしてくださった。
そして、そこから、楽しい会話が始まって盛り上がり、さらに、快適になってくる。

質疑応答という形ではなく、自然に会話が流れていくという感じです。
この、やり取りが、いつも、気持ちの切り替えを起こして、体調が上向きになってきます。

前回の施術の後、はじめて詩吟教室へ向かいました。
今日は、まっすぐ帰った自宅で、詩吟を久しぶりにやりたくなりました。
その二度とも、声が出る、溢れるという感じで、いつもと同じように発声しているのに、疲れを感じないで、律詩も息切れなくして、何回も何回も吟じることができました。

心身がほぐれると、不要に体に力が入らなくて、支えるところはきっちりと支えてくれるから、このように、快適な吟詠ができるのだなぁ。

吟詠をする前に、心身のほぐしを行い、発声練習で、喉を温める十分な準備ができたら、一世一代の吟詠ができるはずだね。

プロの歌手が、何時間もかけて体と喉を温め調整しているのだから、素人ならもっと時間をかけねばね。体の調整をして、いざ!とその時に臨むことができれば、最大の力を発揮できるかもしれない。そんな地味なメンテナンスに時間をかけるのは、プロだからかもしれないけれど。
素人は、枠外?

楽器の調整を念入りにする、サーファーやスキーヤーが板の調整を時間をかける、大工が道具を研ぐ、、、
でもその前に、体の軸が決まっていなければ、道具の調整もうまくはないのではないかなぁ。

声を出す人は、体以外の道具を調整する手間が一つ少ないわけです。
道具を調整する必要のある人は、その作業をしながら、自分を見つめる時間があり、それをしながら、土台を固めているのではないだろうか。

詩吟をする人には、よほどそのことに対して気付きがなければ、いきなり声を出してしまうことになる。
できる限りの手当をしたうえで、吟詠をする経験がなければ、苦労しなくても程々の声の出る人は、いつまでもそのことに気づくことがない。
体の管理を心を込めて、調整することは、必至のことなんだよ~。

でもねぇ、練習の前に、自分で、楽器としての体の準備をしてくる人は、まずいないねぇ。それに、練習の前に十分な発声練習をするのは、江戸川詩吟道場くらいかなぁ。

オルティンドーの先生は、練習に来る前に30分は発声練習をしていらっしゃいとおっしゃいました。

整体のすぐ後に吟詠をするということを二度続けて経験して、かなりの好感触を得たことをみて、もっと、もっと、良い体を作ることを習い、もっとよく知らねばと思う。
もっと楽に、もっと良い声が出る。なにより、自分の気持ちの充実が、得られる。
他と比べることによって得られる充実感とは、また格別のものがあるよ。

頼りは、山田先生。とても頼りになる先生、これからも、よろしくご指導をお願いいたします。

心と体と良き師に恵まれて、ありがたいと思います。




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