風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京支部10周年大会

2009年11月26日 | 風のこたろう裏日記
22日に、無事終わりました。

詩舞の出来は、予想以上で、大好評。
舞台を盛り上げるために、詩吟と詩舞あるいは剣舞は機っても切れない間柄にあることを、皆が胸にしたことでしょう。

8月からは、詩舞専門の先生との縁がはじまり、さらに、形が出来上がってきました。

その練習と共に、気持ちが浮上していきました。

皆が危惧していたのですが、吟友に詩舞を見せる機会があるたびに上達していることを実感してもらってきたので、舞台には欠かせないものと皆が思うようになりました。

ただ、詩吟の練習は、本当に困難を極め、結局物に出来なかったけど、そして、三日前に風邪を引くと言うアクシデント!

話せば長くなるから、結局は、舞台には乗ることが出来ました。

がらがら声の前日、電話をかけて着てくれた詩友は、こなくてどうする。
「死んだら骨をひろってやる!」と言われて、見る見る元気を取り戻し、翌朝は、声が戻った。

そのうえ、その日が本番当日と知らない学生時代の吟友が、今週末の集合時間を知らせる電話をかけてきた。

これって、何が何でも詩吟もやれってことよね。

不出来な詩吟を舞台に乗せてしまったことで、引くことも出来たのにと、悩んだけど、その落ち込みと同じくらいの満足感もあった。

舞台を不完全なものにしておいて、満足感なんて、つける薬が無いという人もいるだろう。

骨を拾ってやると言った人は、偶然、岡山出身の人だった。

最近の、高校の同窓会、倉敷会で出会った人たちへの、それが初対面であっても特別の感情がわきあがるとは、その二つの会に一緒に参加したともちゃんも言っていた。

同郷って不思議だ。

野田先生からも、詩舞は絶賛してもらったし、詩吟で降りることは無かったとの返事を頂いて、ホット一安心。

大きな大きな山を超えて、深い落胆を感じたけれど、それも致し方ないと、学生時代の吟とのかかわりをもう一度思い出して、女だてらに過激だったなぁと思うのでした。

実行委員の中の特に目を引く頑張りをなさった方には、ほんとに、頭が下がります。よくも、体を壊さず最後まで、まっとうなさったことに、目を見張っています。

直前に、ダウンして当日の準備も後片付けもできなかった私は、恥ずかしい限り。

これこそ、私の言う激しい詩吟なのかも。
その、膝元にひれ伏すしかない。
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10周年大会その2

2009年11月25日 | 徒然に日々のことを
紙を見て吟じてもいいじゃないの。
間違って吟じるより、正しくゆとりを持って吟じれば良いのではないの。

スメ[ツの部活のようなバンカラ精神は今では、死語です。
自分の吟じる詩を覚えられなくてどうする、なんて誰も言わない、美しく、ゆとりを持って、訴えるように、情景が目に浮かぶようにと、件p性を求められるようになり、精神の有り方を示すものでも精神を鍛える道具でもなく、古典券\としての詩吟に変化して来ているのが、今の関吟なのだなぁ。

関吟であったといっても、私が始めた学生のときは、やはり詩吟を道具とした部活だったから、その時の精神性を云々するのは当たらないのですが。

学生時代の恩師は、遠くに離れているため、共に円熟の境地に至る作業をすることが出来ず、強烈さだけが私の中に色濃く残ってしまっています。

去年の、今頃は、其のことを十分理解したうえで、美しい舞台を展開しようとしていたのですが、直前の風邪という事態がパニックを起こし、なだめていた野獣が起き出した。



前進前進攻撃攻撃。。。。。

あぁ、止まらない。

私が、吟じないと彼女は紙を見ながら舞台に立つことになる。

それでもよかったのかも。
今の時節、体調不良により欠番になることも悪いことではないし。

彼女と私しか、その場にはいなかったので、結局彼女は、私のブルドーザー化した思いに飲み込まれてしまった。

実に、私と組むことになって、大きな被害をこうむってしまったわけです。
構成吟の最後を飾る律詩を女性二人で華やかにしめくくるはずだったのに。私は、鼻声で伸びの無い苦しげな詩吟をしてしまった。

見事に吟じる彼女との落差はきっと大きなものだったはず。
もう、その時は、私は懸命と言う言葉しかない吟じかただったと思う。


私の声の高さは、詩吟で言う7そして、彼女は、一つ高い8の音。
最初に、決めたとき、8の高さで発表する。したがって、、最高音の出る3行と7行を彼女が受け持つことになるから、比較的低い音を出す1、2,5、6行が私が担当し、3,4,7,8行が彼女が吟じることになった。

まず、6の高さで、吟の流れを掴み、次に7の高さで自分なりの吟をする。
そして、8の高さで彼女とのコンビネーションをとる。

低い声の人から見れば、7と8はたいしたことの無い差とおもうのでしょう。
超えるに超えられない大きな壁があるというのに。

最後まで、8の高さで納得のできる吟ができなかった。
どうしてもゆとり無く声を出すので、情緒や思い入れが出来ない。
そして、その上に風邪。

穏やかな形で、その吟から身をひくことができたのに。
誰も悪者を作らず、私を、不十分な吟詩しか出来てないと告げることもしないで。。。

何で、そのチャンスを掴まなかったのだろう。

未完だったからこそ下がれなかった。舞は、二度の発表会に満足な結果を残していたので、やめることはなんでもなかった。十分、達成感を味わったから。

詩吟は、じぶんとの戦い。常に上を見て。
そう、教えられた。
他の部分では、自分に大甘に甘い、ゆるいわたしなのに、詩吟にこれほど、強さを発揮できるのは、岡大OBだった永井、鈴木の連携による徹底的な指導であった。

女扱いをしてもらえなかったお陰で、二人の先生に恋心を抱くこと無く、同期の吟友5人との間柄は、まるで輝光を放つようなものだったなぁ。
先生に恋をしていれば、今の私は詩吟を続けていないかもしれないが、運良く続いていたら、たおやかにぎんじられていたかもしれない・・・・・

うーーーん、どう考えても、ないなぁ・・・・・
この激しさは、今の世の中無用のものなのよねぇ。

関吟だって、変わって来ているんだから。
体力年齢を考えようよ。
そろそろ、落ち着こうよ。

一歩下がれる人になろうよ。


さぁて、次に、詩吟の人たちに会う時は、どんな顔をするのかなぁ。
あとすこしあるから、いつものようになれるだろう。
長く悩んでいられないB型の私だからね。


しかし、実行委員の方たちの粘り強さには、敬服する。
長丁場を、ダウンせずに先生を支えながら、着々と仕事をこなし完成させたのだから。
私の詩吟がせめて、力が足らなくても風邪を引かない吟声であったら、その援護射撃をしたと、胸張っていえるのに。
最後の土壇場で、足を引っ張った。
ほんとに申し訳ない。




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関吟東京10周年大会

2009年11月24日 | 徒然に日々のことを
22日に無事終わりました。
実行委員さんたちの、2年にわたる大きな仕事の結果です。
ほんとにご苦労様でした。

他人事のように言う私は、一生の不覚とおもえることになった。
三日前に風邪引き。
声が出なくなり、咳がとまらない。
詩吟にとっては、最悪の状態。

前日まで、ガラガラ声でどうにもならない状況で、大会の関係者に出場できないときの手当てを依頼する。

全ての委員さんたちが、緊張し懸命に頑張っていると言うときに、力添えをしなければならない立場の私が、気遣われる立場になってしまった。

恥じ入りながら療養に努めていたら、メールや励ましの電話をもらいました。

電話を頂いた方には、絶望的な声を聞かせてあすはもう駄目かもとあきらめの気持ちを抱かせたことでしょう。

ところが、その連絡を頂いたとたんに、なんだかつき物が落ちていくように体が楽になっていって、ぐっすり眠ることが出来ました。
翌朝の大会当日には、熱も出ず声がずいぶんと明るく戻ってきていました。

これぞ詩友と感激をしたエネルギーが、風邪を退治してくれたらしい。熱さえ出なければ、いらっしゃい、とにかくいらっしゃいと言ってもらったので、あわてて着物の支度をしてPCと一緒に持って娘に一足先に行ってもらいました。
それからは、怒涛のように時が過ぎ。
気が付いたら、詩舞を舞い詩吟までやってしまった。

詩舞はどんなことがあっても舞えますが、声を出す詩吟は、風邪を引いたらアウトです。
幸い、私には相棒がいて穴をあけることは無いので、安心していればよかったのですが、詩吟の会に詩吟をしないで詩舞を舞っても良いものかと、考えてしまいました。

それは、18歳のとき短大の部活で始めた関西大学の流れを汲む岡大吟詩部のOBに叩き込まれた岡大魂によるものです。

会場に来る元気があるなら詩吟をしないで行くわけには行かない。

しかし、鼻声で吟をするのは・・・・・と揺れ動きながら開会1時間前にやっと到着。
とりあえず、相棒のNさんの所に駆けつけて、こんな声なんだけど、と準備の整った過剰で詩の一節を出してみたのです。「鼻声やねぇ・・・」マイクで試してみましょうと壇上のマイクを使おうと思ったらメインスイッチが切られていて、音声さんも中座していたので、マイクを使って試してみることは出来ませんでした。

じゃぁ、大山を出してみてと、言われるままに最初の1行目の大山を出してみたら、声は出てきました。
彼女に独吟をしてもらったほうが良いのではないかと思ったのですが、紙を見ながらやりますと言う彼女の言葉に、魂のスイッチオン!

続きはあした

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詩舞発表会

2009年11月15日 | 徒然に日々のことを
大輪神刀流の発表会と、思い込んでいましたが、新座市民祭りでした。hi

新座の人たちで、詩吟、詩舞、剣舞、新舞踊を習っている人たちが今日集まっての発表会です。

今日は、先日のリハーサルで、二度踊ることができ、舞台の広さを体験できていたし、包容力のある方の生詩吟で舞ったこともあり、なかなかの出来だったようです。

ビデオ撮りに着てくれた娘は、最初登場したとき男の人かと思ったと、私にしてほめ言葉を貰いました。

詩吟のリハーサルのビデオは、歯切れの悪い腰の高いものでしたが、詩舞本番とあって、準備運動とイメトレとで、今あるものを全部出し切った気がしました。

何かよいものが憑いていたような気分。

初心者の火事場の馬鹿力って、このこと。

ああ、爽快、愉快、満足。

詩吟もこの感覚で行きたいなぁ。
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東京倉敷ふるさと会

2009年11月11日 | 徒然に日々のことを
倉敷会は、今年で4回目だそうだ。
お祭りみたいなものと聞いていたので、気楽に仕事帰りの服装のまま参加しました。

ホテルは、立派でちょっと気持ちが引いてしまったけれど、来てしまったものは仕方がない、それに、同窓会の余韻の残る今やはり、ふるさとの香りは強烈にひきつけられる。
服装が、それらしくなくても、あまり気にならなくて参加していられたのは、年を重ねたことと、詩舞を習うことで姿勢がよくなったと自信を持ち、何よりも達成感を日々感じていることもあるかもしれない。
そして、ふるさとにこれだけ惹きつけられるのは、やはり年を重ねていろんなことを経験したからなのだろう。

倉敷出身の参議院議長、一時週刊誌をにぎわせた議員さんや、若年で当選されたばかりの女性市長、市議会議長までそうそうたるメンバーでした。

目を引いたのは、それらの名士たちではなく、テーブルに飾られた、花瓶にあふれるばかりに挿したいろんな色のスイートピー。
帰りに140名へのお土産にさびしくない本数が当てられたわけだから、相当の数があったことになる。

スイートピーだけで、さびしくない飾り付けをしたセンスは、とても素敵だと思いました。

おかげで、持ち帰った二人分のスイートピーがあでやかに部屋を飾ってくれています。

そして、次に目を引いたのは、アトラクション。
 
   「Live Painting」中塚翠涛さん(painting) isao osada(trunpet) TOJO(dj)

トランペットの音色とともに古典文化の書道の技で自己表現をするというものでした。

ホテルの料理とともに、郷土料理の「祭り寿司」「船穂ワイン」 「ぶっかけうどん(ふるいち)」も供されました。

懐かしい味の郷土物産の即売会もありました。

今を盛りに働いているスーツ姿の紳士たちがたくさん出席されて、名刺交換も盛んに行われていました。
ふるさと納税のお願いも倉敷市議会の議長からあり、納税しない主婦の私は出席者数の数をひとつあげ田だけ。
そして、おいしいものを頂き、同窓生との楽しいおしゃべりと、懐かしい味を味わい、あたらなかったけどくじ引きに一喜一憂して楽しませていただいたのでした。

そうそうたる人たちの間にいても気持ちが落ち着いていられるのは、同郷であるという安心感からなのかしら。

さて、来年は参加するのかなぁ。





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11月の予定

2009年11月10日 | 徒然に日々のことを
同窓会を皮切りに、11月は予定がいっぱい。

去年、おととしのカレンダーのさびしいくらいの書き込みのなさを思い出すと、涙が出そうになります。

8日  詩舞の自由練習会
10日  大輪神刀流の発表会リハーサル
11日  倉敷ふるさと会
15日  大輪神刀流の発表会
19日  詩舞お稽古
20日  トリスタン ホンジンガー ライブ (同窓生5人の友人を迎えて)
21日  関西吟詩文化協会会長を囲んで、懇親会
22日  いよいよ関西吟詩文化協会東京支部10周年大会 
23日  関吟来賓の東京散策 
28日ー29日  五似ん会 


今日は、午後から詩舞のリハーサル。
本番では、生詩吟ですが、今日は、吟者画仕事で参加できないので、テープで舞ます。

吟と舞を知り尽くした方の吟で練習していましたから、テープでのリハは一抹の不安があります。
そして、舞台がかなり広い。

その悪条件で、リハが滞りなく終われば、詩舞の本番そして大本番の10周年では、浮「ものなしと、言い聞かせています。

朝から、洗濯機を回しながら、テープでタイミングを頭に入れ込んでいます。
狭いリビングで、ひろーい舞台をイメージするのは難しいのです。

小さくまとまらないようにとがんばりすぎると、本来帰らねばならないャCントに戻れなくなるし、小さく動きすぎると舞台が怪物になってしまうし。

うーーーん。少し、欲が出てきているみたい。

詩舞をご指導くださる小西如泉先生も、練習をしっかりすれば、上がらないよとおっしゃる。
この1週間は、少し上の空だったから、8日の練習ではちょっと力が入ってなかったように思う。
思い切りのよい、動きができてなかったかもしれない。
なのに、欲が出てきているかなぁ。

あるがまま、あるがまま。


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玉島高校同窓会

2009年11月01日 | 徒然に日々のことを
好天に恵まれて、関東地区高校同窓会がありました。

今年で、3年連続出席。私の同期はこの3ねんであったことがない。
姉妹のように育った一級下のともちゃんに誘われて、行き始めた敬意から一級下の人たちに混じっていかにも同期のような顔をしてなじませてもらっています。

今年は、なんと平成8年卒業という若い女性の参加が有り、幹事さんの努力もあって近年にない大勢の参加もあっていやがうえにも、盛り上がったことでした。

合唱で活躍した元生徒会長の指揮のもとに、校歌を歌うときはすっかりふるさとの空気を身にまとっていました。

酒の肴に、ライブのはなしをしたら、5人も参加の名乗りを上げてくれました。

ライブ初体験、ジャズ初体験の人もいて、わいわいがやがやとライブなるものをたのしんできましょう。
私もその日がはじめてというトリスタンさんのことはさておいて、面白そうな今年かも新しいことに興味を示して、のりよく楽しめる気質はもしかしたら玉島気質といってもいいのかもしれないなぁ。

「私もよく知らないんだけど・・・」という前置きのトピックに、飛びつくお人よしでおっちょこちょいの人たちkirakira
そして、絶対いえることは、それがもしちっとも楽しめるものでなくても、失敗だったとしてもその失敗すら面白がれる仲間たちであります。


当日は、6時に集合して小腹をなだめてからコンポステラにむかいます。
 
また、気のいい人たちと寄り合って、面白おかしく格調高い時間がすごせます。symbol4

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