風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会5月中央会

2014年05月25日 | 詩吟
今日の中央会は、出席が少なく、まるで幹事会のような顔ぶれでした。

いつも隣に座る幹事さんで長年功績のあった女性が幹事を退任されて、練習にだけ参加されるようになりました。
なんだか空疎な感じがして、練習が始まって、入室されいつもの席に座られると、ほっと、いつもの感覚がよみがえりました。

今日の練習は、俳句「夏草や」
杜甫咋の「春望」に思いをはせて芭蕉が作ったもので、冒頭に俳句そして漢詩と組み合わせて吟じられることもあるのです。

和歌、新体詩、俳句は、柔らかに吟じなくてはいけないので、苦手分野です。
入門一年生として習うと決心したのですが、今日は、参加人数が少ない割には、声を出して練習する時間が少なく、残念です。

会議とレクチャーとにどうしても時間がとられて、新しい吟題をさらりと流すだけの練習になってしまうのは、スキルアップしたいわたしにととって、自分の課題はどう解決したらよいのか、悩みの種です。

あとに続く会員たちがどんどんと上手になって迫っているのを思うと、うれしいのですが、このまま今の位置から動けないでいるのは、何んとも、情けないのです。

関吟のHPに模範吟が載るようになって、その時の吟詠と、最近になってCDも販売されるようになって、同じ先生方の吟詠を聞くにつけ、その精進を目の当たりにすると、その先生方は、どのようにご自身を鍛えてこられたのか、お聞きしたいほどです。

はたして、自分だけの努力で、ああいう風にいくものなのか。こんな時、おひざ元にいる方たちは、その香りだけでも嗅ぐことができるだろうのになぁ。


せんない繰り言を言ってないで、まず、咳を直し喉の調子を整えねばねぇ。

体操に、温タオルに、足湯。
そういえば、始まりの体操の時、梅雨に向かって体にたまりがちの水を、体操や足湯で、排出しましょうと言った私の言葉は、どのくらい届いたのかなぁ。

体操教室ではないのだから、その、一言の効果はそう望めるものではないけれど、一人でも興味をもってくれると良いのにと思う。

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夢松風&訪問

2014年05月21日 | 詩吟
雨の中、よんどころない用件発生のため、30分遅刻してしまいました。

楽しく歓談中かなと思いながら行きますと、なんと、体操から始まる一連の準備も終わり、詩吟三題の復習と問題点を挙げて、待っていてくれました。

さっそく、その質問についてのお話をして、今日、訪問する老人ホームでご披露させていただく詩吟の予行演習ともなりました。

とても良い質問が出て、日頃の吟法に関する私の思いなども交えて、説明をいたしました。

さすが、夢松風さん。他のサークルでは責任者を務めていらっしゃる方々だと、そして、ゲストのお二人もゆっくりと時間をかけた説明にどのような感想を持ったでしょうか。
きっと、満足なさったかなと思います。

この件に関しては、大いに満足でしたが、ここぞとしゃべりすぎないで、繰り返し声を出していただくことが必要だったと、反省しのです。


さて、練習の後は、先ごろから訪問している施設の系列の別の施設への訪問です。
電車で3つほど先の駅に、職員の方が送迎車で、お迎えに来てくださいました。

初めての場所で、どのような方がいらっしゃるかわからない中で行うのは、緊張しました。

職員の説明では、反応はこちらのほうが鈍いかもしれませんとのことでしたから、どれだけ、その方たちの思いを汲むことができるか、始めてみなければわかりません。
心の準備はたっぷりとしながら、いつものごとく、出たとこ勝負であります。


安ずるほどのこともなく、いつもと同じように二題の吟詠発表のあと、富士山の吟詠指導もスムーズにできました。

気になっていたマイク使用が、使わないほうがよいことがわかりました。
O川さんが、大変な思いをして運んでくださったマイクですが、部屋もせまいことだし、十分に声が届き、マイクでは耳に心地悪い方がいることがわかったのです。
日頃、ご老人の中には、耳の遠い方も、機械音に嫌悪感を持つ方もいるだろう、それには、マイクよりは肉声のほうがよいのではないかと考えていたことが、この施設のこのメンバーには、マイクではないほうがよいとわかりました。

詩吟で盛り上がったあとにハーモニカのやさしい音で、みなさんがいい感じに落ち着いてくるのを感じました。
いい感じで、この訪問が終えられることは、ハーモニカのやさしさと○川さんがそれ以上にやさしい方だから、盛り上がった気持ちを落ち着かせてくれます。
本当に良いコンビネーションだと思います。

この次はいつ?来月にでもとの要望は、さらりと流して、また、次の教室でみなさんと良く考えて、結論を出しましょう。

練習が、何のために行われているのかを本末転唐ノならないよう、気を付けねばなりません。

今日は、ゲストさんのおひとりも参加なさって、観客側になって、参加対応してくださり、とても良い効果があったと思います。

端っこの男性のそばに座って、サメ[トをしどのように詩吟を聞いてくださっていたかを観察し、教えてくださいました。

何かの会があって、いつも思うことは、詩吟の立場で観客側に立って観察する人がいてほしいということ。
独りよがりにならず、そして、詩吟に参加しなかった方の満足感が得られるやり方、あるいは人選がとても大事だと思うのです。

今日は、本当にありがとうございました。





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宝塚ブスの25か条

2014年05月19日 | 徒然に日々のことを

            宝塚ブスの25箇条

1・笑顔がない
2・お礼を言わない
3・おいしいといわない
4・目が輝いていない
5・精気がない
6・いつも口がへの字をしている
7・自信がない
8・希望や信念がない
9・自分がブスであることを知らない
10・声が小さく、いじけている
11・自分が正しいと信じこんでいる
12・愚痴をこぼす
13・他人をうらむ
14・責任転嫁がうまい
15・いつも周囲が悪いと思っている
16・他人に嫉妬する
17・他人につくさない
18・他人を信じない
19・謙虚さがなく傲慢である
20・人のアドバイスや忠告を受け入れない
21・何でもないことにキズつく
22・悲観的にものごとを考える
23・問題意識を持っていない
24・存在自体が周囲を暗くする
25・人生においても、仕事においても、意欲がない

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江戸川詩吟道場

2014年05月17日 | 詩吟
今日は、同じ日に詩吟のコンクールがあるため、出場の方応援の方たちが、欠席で9人の練習でした。

和歌と俳句を一節声を出した後は、それぞれの課題詩を練習です。

それぞれが、好きな詩、あるいは次の目標とするコンクール出場吟題で特訓を受けます。

師範とはいえ、道場に来たら、一会員ですから、遠慮なく指摘を願いたいと切に願っていました。

今日は、やっと、コメントを頂いて、これが次回も続きますようにと、願う。

無謀にも、次回コンクールへは、漢詩と和歌で挑戦することにしまた。

和歌は、帰国直後に始めて練習に参加したとき、関吟にも和歌が取り入れられ、テキストも出来上がっていることを知り、浦島太郎を実感し愕然としました。

漢詩と和歌をそれぞれ別の分野だ。私は、長年漢詩をやってきたから、和歌はお好きで上手な方にゆだねると居直って、今から思えば、一目散に逃げました。

それから、5年の間には、師範となり、教室も持った以上は、私は和歌はやりません(実際にはできません)と、言っていられないと悟りました。

ちょうど、華雋先生の発声のレクチャーを三度経験して、今までの発声を根本から直さねばならないとわかったとき、和歌元年が始まっていたといえるのでしょう。

そして、今年、関吟CD第三集で先生方の和歌を聞いていた時、ある日突然モンゴル語が聞こえるようになった時のように、和歌や俳句、新体詩のメロディーがうけいれられるようになっていました。

さて、それがつい昨日なのに、コンクールに和歌で出場なんて、無謀といえることですが、和歌は、一年生として、出場すればよいのだ。



まず、恥をかいて、居直れば、練習にも熱が入り精進にも加速が付くことだろうとの期待が生まれました。

詩舞を始めた時のように、和歌は初心者なのだと実感し、漢詩と格段に劣る腕前を、恥ずかしいと思わなくなってきました。

新しい分野への挑戦。それは、生徒さんに自信をもって教えるようになりたいと願う気持ちと、和歌もいいものだなぁと感じたことから、始まったのです。

そして漢詩に対しても、須藤先生という良き師を得て、今までと違った思いを抱くようになり、いろいろと、元年なのであります。

それで、和歌と漢詩と二題吟じさせていただきました。
和歌については、コメントなし。そうよねぇ、逆の立場になったら、私も言えない。

漢詩については、言葉の運びについて、チェックしていただき、とても参考になり、練習の課題ができました。

ただ、三か月にわたって咳が収まらないことには、困ったものです。
本格的な練習は無理なので、イメージトレーニングに当分はいそしむことにしています。

実際には声を出さず、頭の中に声を響かせながら、息を声を出しているかのごとく、シャドウボクシングならぬシャドウ詩吟をやっています。
そばに居たら、録画の音を消してみているいるような状態とでもいうのでしょうかね。


指導者になったからと言って、すべてに、強いわけではないよねぇ。
足りないところは、助けてもらって、続けましょう。
青葉さんの実力なら、手助けもいただけない場合でも、私の足りないところは足して、吟じることができるようになることでしょう 
 
 
        居直ったら、強い私でした。


子が親のマネをして成長し、やがては親を追い越していく。
子育てって、そうでなくてはねぇ。

さながら子育ての妙味を、詩吟の上でこれからいつ味わうことができるのだろうか。
楽しみ。


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論語基礎講座 & はじめの一歩

2014年05月15日 | 論語と
第三木曜日は、基礎講座のあと詩吟はじめの一歩

今月は、はじめの一歩二回目。

須藤先生の漢詩解説は、「絶句」

鮮やかな色のあるこの絶句は、画家でもある須藤先生のお気に入りの一つ。

須藤先生の手で、詩を書いた墨の黒から、鮮やかな色が立ち上ってくる。


鳥の白さは江の藍のような碧だからこそいよいよいっそう白くまばゆい
山は青々として緑濃く、紅の花は燃えるように映えて美しい
今年の春も移り過ぎようとしている。
いつになったら、故郷へ帰ることができるのだろうか   ≪須藤明実先生≫




はじめの一歩 漢詩の解説は毎回新しい詩を須藤先生のチョイスでおこなわれます。
詩吟の部は、一年をかけて一つの詩を吟じられるようにしようというのんびりとしたもの。

漢詩はいつも目にしていても、詩吟となるとこの講座に参加して初めて耳にする方がほとんど。
まず、耳に慣れることから始めよう。
 
それには、私が声を出して、耳になれて、様子をわかってもらう夢組方式が最良と思います。

二つの教室が始まった時のように、最初から最後まで私が声を出し続けることが大切。

なのに、この3か月というもの咳が出て止まらない状態が続いている。
ベストコンディションではない声で臨むのは申し訳ないけど、その足りない部分は、下手でもコンダクターを頼りに、何んとか音をつかんでもらおうとしています。

最初の一歩のためには、この咳は最悪なのですが、伸びやかな声を出すための試行錯誤中の私にとっては、喉に負担をかけないで発声をするための一つの手助けとなっているような気がしています。

声を出す人が喉の状態がよくないことも喜んでしまうことに、整体の山田先生と、『いつものプラス思考』と笑いあったことでした。

喉の調子の良いときは、気が付いたら喉に頼る発声をして、終わったらやっぱり嗄声になっているので、なかなか、喉に負担のない発声を実現しかねているのです。

一人であがいているのですが、今のコンディションを味方につけて、一歩前進といたしましょう。

さてと、話がそれましたが、ほんとに少しずつ、すこしずつ進めていきましょう。
参加のみなさんの明るい期待に満ちた表情を曇らせないように、聞いて聞いて聞いてもらおうかな。

そばで見ている人は、きっと歯がゆいことでしょう。

夢組が始まったときは、メンバーとは顔見知りで相当なコミュニケーションができていましたが、一歩は、これからです。

大体10人ほどの参加ということがわかってきたので、次回は、スクール形式の机の並びを変えてみなさんの顔が見える四角に机を並び替えて、やってみようと思います。

ゆっくり、ゆっくり。






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須藤明実講演会

2014年05月03日 | 論語と
足利へ、一人ででかける。
2時間の電車旅、かねてよりの宿題を携えて、心うきうき。

まず宇都宮木鶏クラブ主催 須藤明実先生の講演は、いつもと変わりのない語り口で、分かりやすく「徳」についての講演だった。
先生は、どんな場所でも手抜きをせず、相手を選ばず語ってくださることを、今日、はっきりと実感しました。



講演のあとは、ホテルの部屋で一人豊かに時が過ぎた。

開いた窓からは五月のさわやかな風が部屋を満たし、隣室の見ず知らずの人たちの会話さえ心地よく耳に入ってくる。

ホテルの女将はよく知った人だから、安心感もある。

そんな一人の時間は、宿題がはかどり、ちょうど終わったとき、つけたテレビからは女子卓球の日本の勝利を知らせていた。

祖の宿題とは、80周年で、再会した井先生におねだりして送っていただいた佐藤鷺照先生の資料や音源。
心待ちにしながら、受け取ってすぐには、手に取る気がしなくて、少し気持ちが落ち着くのを今か今かと待ち受けていたため、しばらくは封を切ったママになっていたものです。

こんな、何物にも解き放たれたときに、懐かしい佐藤鷺照先生のこと、改めて知ることができ、また、お声を聴いて、深く満足し、安らいだのです。
先生って、やはりすごいと思いました。

翌日は、6時から素読の会。
木鶏クラブのメンバーも歩いて15分の距離のホテルから20名近く参加なさった。
昨夜は、懇親会の後に二次会もありお酒も召し上がっていたのに、須藤先生と素読の会会長の一声で、早起きをなさったのです。

震えるくらいの寒さのなか、30分ほどの素読の声が渡良瀬川の川を渡って、広がっていく。

あー、心地よい。爽快。うれしい。

空気がおいしい。風が心地よい。ごはんがおいしい。

程々に人がいて、自由な時が過ごせるのはよいなぁ。


満足満足。またこようっと!

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論語育成講座 5月

2014年05月01日 | 論語と
久しぶりに落ち着いた気分で論語に参加。
早めに着いたので、資料を配るお手伝いもできたし、じたばたと時間にやっと間に合うのでは、先生の言葉もそうでなくても上の空になってしまうのに、今日は、ゆっくりと滑らかに入ってくる。

これは、須藤先生に慣れてきたということもあるのだろう。

教科書を見ると、書き込みからすでに講話を聞いていたはずというのを知り、人に語ることはできなくても、自分の中に少しずつ積もってきているような気がする。
これが重なれば、何かが残ってくるのだろう。

そして、その時の先生の思いが少しずつわかってきている気がする。

詩吟も耳慣れないメロディーに、なかなか覚えられないのだが、繰り返しているうちに、何んとなく口ずさめるようになり、だんだんに自分のものになっていくのと似ている。

まず、新しいものを増やすのではなく、繰り返すのが良い。
その時には、小難しく考えないで、素直に入ってくるものを受け入れていればよい。

今日のサブテーマは、「木鶏」

千代の山が、最後の負けた時、そして、白鵬が最近負けた時、「木鶏」に至らずと言った。
白鵬がこよなく日本を愛し学んでいることに思い至る。

そして、今日、少し理解が進んだと思えた言葉は、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」

知ったかぶりをするのではないぞということと思っていたのですが、そうではなく、理解が進んでいるうちはよいが、理解が届かなくなった時、いずれわかるときが来ると保留にしないで、わからないことをはっきりと認識すること。
そこから、またさらに先へと理解が進んでいくのだよ。ということと、今日の私は、そう理解したのでした。

また違った日に、違った心持の時に、同じ須藤先生からとみ解いていただいたら、また、違った観点で、心が動くことでしょう。

今までは、ノートを見ても、先生の言葉を聞いているときは、なんとなくわかった気分になっていたのですが、ノートを見返したとき「あれ?なんだっけ」状態だったのが、たった一つでも、こうして書く言葉を持てたのは、大進歩だと思う。













    ☆ 「荘子」より木鶏(もくけい あるいは ぼくけい)☆

闘鶏を飼う名人の紀渻子は、王のために闘鶏を飼う。
十日にして、そろそろ戦わせてはと。
未だ、敵も見えていないのに、気の立つところがある。
十日にしてまた問う。
未だなり、相手の影が見えただけで、応戦しようとします。
十日にしてまた問う。
未だなり、相手に向かうところが強すぎて、己の気を蔵するに至りません。
十日にしてまた問う。
未だなり、他の鶏が鳴こうとも、少しも動かされところがありません。
一見すると木鶏のようである。
その徳は、完全なものになり、どんな鶏も相手にならず、逃げだすでしょう、と。




さて、須藤先生から、ご案内。

宇都宮木鶏クラブ主催 須藤明実講演会のお誘い

日時  平成26年5月3日 (土)14時30分 ~ 16時30分
場所  足利市駅前 ニューミヤコホテル
テーマ 『論語』に学ぶ、その基礎と姿勢
参加費 クラブ会員に準じて、3千円。

木鶏クラブは、致知出版社より出版されている月刊誌『致知』をもとに、人間学を学びあいたかめていくという目的を持ったクラブだ。北海道から沖縄、オセアニアやロサンゼルスにも、詩舞があり、活動している。

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