出雲旅行の際、大量の銅剣類が出土した、荒神谷遺跡というところに行ってきました。
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特にどうということはない谷あいに、荒神谷はあります。
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ごく普通に見える斜面に重要な遺跡があるなんて、想像がつきませんよね。 1983年、広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い、(恐らく単にルーティンとして)遺跡調査が行われたのだそうです。(もともと神庭と呼ばれる土地だったそうですが、特に期待はしていなかったのではないかな・・)
ここで調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始されたのだそうです。 掘ってみたら、、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土する大発見!ということに。
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行ってみると、しっとり落ち着いた谷あい。
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かなりの急斜面に段が作ってあり、そこに出土品が綺麗に並べられていたのだそうです。
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びっしり、交互にならべられた銅剣。 (発掘当時の様子を再現してあります)
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こちらには銅鐸と銅矛。
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どれも、実用品というよりは、まつりごとの道具だったとのこと。
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なお、発掘される青銅製品は緑青が出て渋い色合いになってしまっていますが、鋳造直後および埋納時は金色だったそうです。 ふむ。 ピカピカの金色なら、なんか有り難みがある気がする。
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発掘関係者は大興奮で、マスコミにも随分と取りあげられたそうです。 最終的に出土した銅剣358本というのは、それまでに全国で発掘された銅剣の総数を超える数なのだとか。 出土品は、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されています。
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じゃじゃーん!
再現模型は、金ぴかに輝いており、しかも大量にあって壮観です。 (錆びてレースみたいになってしまった実物は下段に)
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銅矛と銅鐸も、昔は金色だったようです。
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これら銅製品の製作年代は、弥生時代前期末から中期中頃、製造地は北九州と考えられているようです。
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(写真がひどくてすみません) 埋納された時期については定説はないとのこと。 何かの勢力争いがあって、負けている側が、将来の再起を誓って宝物を隠した、という説があるそうです。で、未明もしくは夕暮れ時の薄闇の中、宝物を隠す様子の模型が展示されていました。
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このほかにも、出雲のあちこちに、まだ宝物が埋まっているのかも?
歴史のことはサッパリですが、宝探しはワクワクします。
観光途中も、爪先で地面を蹴りながら歩いたりしてました・・・・。