白髪のザールとルーダーベの間に、息子ロスタムが生まれます。これはシャーナーメ中盤、ずっと活躍するヒーローです。
今回は、シャー・タフマスプ本ではなくて、他の写本から3つの挿絵を持ってきました。
挿絵がないと、文章を訳したり書いたりするやる気もでないということが分かったので、これからも足りない挿絵は他から借りてこようかと思います。
(シャー・タフマスプ本には白象退治の挿絵があるのですが、詳細画像で使えるものがなかったのです)
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8.ロスタムの誕生
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■登場人物
ザール:サームの息子で生まれつきの白髪。ザブリスタンの若い王。Zal
ルーダーベ:カボルの王女でザールの妻。Rudaba/Rudabeh
シンドゥクト:カボル王妃。ルーダーベの母。
ロスタム:ザールとルーダーベの息子。ルスタム/Rostam/Rustam
サーム:ザールの父でザブリスタンの先王。今は別の領地を治めている。Sam/Saam
ミフラーブ:ザールの領地内にあるカボルの領主。ルーダーベの父。
霊鳥シムルグ:ザールの幼少期の育ての母。
■概要
白髪のザールの妻ルーダーベは身ごもりましたが、大変な難産でした。
そこでザールは霊鳥シムルグを召喚し(シムルグと別れるときに、いざというとき助けに来ると約束した)、その助言で手術により息子を無事に授かることができました。
その赤子は生まれたときから途方もない大きさで、沢山の乳と食べ物を食べてぐんぐん成長して立派な体格になりました。
祖父サームは孫に会いにザブリスタンを訪問し、立派な孫に歓びました。
またその後、ロスタムは暴走する戦象をひとりで退治しました。
(なお、象退治のあと、ロスタムがシパンド山に行って蛮族を退治して、曾祖父ナリマンの敵を討つ場面もありますが、ここでは省略)
■ものがたり
□□ロスタムの誕生
ルーダーベの糸杉のようなほっそりした体型が変わり始め、腹は膨らみ、体は重く、薔薇色だった顔はサフランのように黄色くなってきました。
母シンドゥクトが訪ねました。
「可愛い娘、顔色が悪いわ。とても具合が悪そうです。」
ルーダーベは答えました。
「時が来たのに、私の中の重荷を産むことができないため一日中苦しんでいます。 私のおなかはまるで石を詰めたような、鉄の塊のような感じです。」
ルーダーベの苦しみは続き、眠ることも休むこともできませんでした。
ついにある日、ルーダーベは気を失ってしまいました。
侍女たちは悲鳴をあげ、シンドゥクトは取り乱しました。
ザールもなすすべがなく、彼女の枕元にやってきて涙を流して嘆きましたが、その時、育ての母、霊鳥シムルグの約束を思い出しました。
彼は気を取り直して少し微笑み、シンドゥクトに「心せよ」と告げ、火鉢を持って来て火をつけ、シムルグの羽を燃やしました。
するとたちまち空気が暗くなり、暗黒の雲から真珠の雨が降ってくるように鳥が現れました。シムルグが彼を助けるために来たのです。
ザールはシムルグの前に跪き、彼女を褒め称えました。
シムルグは彼に言いました。
「どうして私の獅子の目は涙で濡れているのでしょう。この銀の糸杉から、名声を求める子があなたのもとに生まれるのです。彼の声が鳴り響けば、豹はおびえて恐怖の中でその鋭い爪を噛み、戦場では鉄の勇気の戦士を震えさせます。糸杉の背丈、マンモスの力。彼の槍の飛翔は2マイルにもなるでしょう。
その赤子の誕生は自然なものではありません。善を与える方がそう望まれるのです。
彼をこの世に誕生させるためには、鋭いナイフと呪文に精通した呪術師を連れてこなければなりません。まず、ルーダーベを葡萄酒で酔わせ、彼女の心から恐怖と心配を追い払うのです。彼女は呪術師が呪文を唱え始めるのを見てはなりません。その者はルーダーベの腹を切り裂きますが、彼女は痛みを感じないでしょう。そして呪術師は赤子を引き出したあとに傷口を縫わなければならない。私が教える薬草を牛乳と麝香で練り、日陰で乾燥させなさい。これを傷口に塗って擦り込めば、一日で治るでしょう。そして私の羽で彼女の体を撫でると、その影が良き兆しをもたらすでしょう。
この大樹を与えたのは神であり、この大樹は日毎に大きな幸福をもたらします。いまこのような事態になっても悲しまないでください。あなたの尊い苗木は実を結ぶのです。」
彼女は翼から羽をむしり取って落とし、上空に飛んで行きました。
ザールはその羽を拾い、シムルグに言われたとおり、呪術師を探しに行きました。
シンドゥクトは、どうやって横から赤ん坊を出すのだろうかと気を揉み、涙を流しながらルーダーベに付き添いました。
ここにようやく腕のいい呪術師がやって来て、ルーダーベに葡萄酒を飲ませました。そして彼女の脇腹を切り裂き、赤ん坊の頭を開口部の方に向けると、苦痛を感じることなく赤ん坊を取り出しました。このような不思議なことは誰も見たことがないほど、呪術師は無痛で子供を取り上げたのでした。
●ルーダーベが手術により子供を産む
(IO Islamic 3540, f. 54r, British Library)
その子は獅子のように立派な男の子で、大きくて凜々しく、見るからに愛らしい子でした。生まれて一日なのに、12ヶ月の子ほどの大きさでした。この巨大な赤ん坊を見た者は皆、思わず驚きの声をあげ、驚嘆して彼を見つめるのでした。
母親は一昼夜、ワインの効果で眠り続け、何が起こったのか知りませんでした。呪術師は彼女の傷を縫い合わせ、シムルグが説明した塗り薬を傷跡に擦り込みました。
彼女が眠りから覚めてシンドゥクトに話しかけると、居合わせた人々は神に感謝し、宝石や金貨を彼女に浴びせ全能の神を称えました。
彼女は自分の立派な赤ん坊を見て、その中に王としての栄光の兆しを見たので微笑み、
「私は危険から逃れ、私の苦しみは終わりました」と言い、その男の子をロスタムと名付けたのです。
彼らは、生まれたての赤子と同じ大きさの絹の人形を縫い、セーブルの毛皮を詰めました。その顔は太陽や宵の明星のように輝いていました。その上腕に龍を描き、手には獅子の前脚を描き、腕の下に槍を挟み、片手に棍棒、片手に手綱を握らせました。そして、召使いに囲まれた馬の上に座らせ、このロスタムの像を祖父サームのもとに送りました。
ザボレスタンからカボルまで祭りが行われ、平野はすべて喇叭の音と葡萄酒を飲む声で満たされ、王国のいたるところで百人の客を招いた宴会が開かれました。カボルではミフラーブがその知らせを喜び、貧者に銀貨を浴びせかけました。ザボレスタンには音楽家がいたるところにいて、平民と貴族は一つの布の縦糸と横糸のように親しげに混じり合って座っていました。
使者が赤ん坊のロスタムの姿をサームに見せると、サームの髪は喜びでツンツンと逆立つほどでした。
「この人形は私に似ているではないか。もし彼の体がこの半分の大きさでも、彼の頭は雲に触れるだろう。」
そして、使者を呼び寄せると沢山の褒美を与えました。サームは酒と楽人を呼び、貧者に銀貨を配り、マザンダランとカルグザランの地を飾り立て、太陽と月が驚いて見下ろすほどの宴会を開きました。
そしてザールの手紙への返答を使者に告げました。
まず創造主、そしてザール、ルーダーベの二人にもたらされた幸運を祝福しました。そして贈られたこの人形を愛し気に見つつ、
「息子をそよ風もあたらないほど大切にするように。
私は全能の神に、汝の種からなる息子を無事もたらすよう、昼も夜も密かに祈ったのだ。 この祈りが叶った今、この子が立派な勇士になるのを見る日まで自分が生きるよう祈るばかりだ。」
ロスタムに乳を与えるために、10人の乳母が用意されました。
やがて乳離れしたロスタムの食事はパンと肉で、大の男五人分を食べ、人々はその食欲に驚きました。 彼の身長が8(諸説あり、8スパンだとすると180cm、8歳の可能性もある)の高さになると、まるで立派な糸杉のようで、顔は星のように輝き、世間は驚きの目で見ていました。顔つき、体格、知恵、勇気など、サームそのもののようでした。
□□サームがロスタムに会いに来る
「ザールの息子が獅子のように成長し、その戦士のような資質を持った若者を世界の誰も見たことがない」という知らせが勇者サームに届くと、サームの心臓は鼓動を早め、その少年に会いたいと思いました。彼は軍を指揮官に任せ、ザールの息子への愛情に導かれて、経験豊かな戦士の分隊と共にザボレスタンに向かいました。
ザールは父の接近を知ると、カボルの総督ミフラーブや、大勢の兵士たちと共に歓迎隊として出発しました。
大軍勢に囲まれて一頭の象が黄金の玉座を運び、その上に糸杉のような背丈と大きな肩と胸を持つザールの息子が座っていました。その頭には冠をかぶり、腰には帯を締め、体の前に盾を持ち、手には重い棍棒を持っていました。
サームの隊列が遠くに現れると、軍は2列に分かれ、ザールとミフラーブ―若者と熟練の戦士―は馬を降り、地面に頭を下げ、英雄サームに祝福を呼びかけました。
サームは象の背に乗った獅子の子を見ると、顔が花のようにほころびました。なんと立派に育ったことか。
彼は少年を象に乗せたまま近くまで来させ、その冠と王座をじっと見つめました。そして勇者サームは
「我が仔獅子、比類なき子に長寿と幸福を!」
と祝福の言葉をかけました。
●ザールの一行がサームを出迎える
(Persian MS 910, f56b, The John Rylands Library, The University of Manchester)
ロスタムは象から降りてザールの鞍に口づけをし、新しい表現で祖父を褒め称えました。
「偉大なるわが主に栄えあれ。あなたという丈夫な根から、私ロスタムという新しい芽が生まれました。私はお祖父様の献身的な奴隷です。私が生きている間、美食、睡眠、快適さは私を惑わさないでしょう。兜、鎧、弓、鞍、馬、棍棒と剣、敵と戦うためのこれらのものが私の人生のすべてです。
偉大なる閣下、私の顔はあなたに似ていると言われます。願わくば、戦うときの決してたじろぐことのない力もあなたに似ていますように。」
象もシンバルも静止して静かになったなか、サームは彼の手を取り、目と頭に口づけをしました。
そして一行は笑顔で語り合いながらザブリスタンの宮殿に向かいました。到着すると黄金の玉座に座り、幸せのうちに宴を開きました。宴はひと月の間続き、その宴席では音楽が奏でられ、皆が順番に歌いました。
壇上の一角にはザール、反対側には棍棒を手にしたロスタム、そして二人の間には王家の栄光を意味するイヌワシの羽を王冠に差したサームが座っていました。サームはロスタムのすばらしい体格を感嘆して見つめ、ザールに向かって言いました。
「百代を問うとも、このような生まれ方をした者の話は聞かない。彼ほどの美男子も、彼のような背丈と肩を持つ者も、この世にはいないだろう。 さあ、この幸福を祝い、憂いを忘れて葡萄酒を飲もう。この世界は隊商宿だ。古い客は去り、新しい客がその場所を取る。」
ミフラーブはたっぷり飲んで、大いに酔って語りました。
「ザール殿やサーム殿、イランのシャーも、王冠も恩寵も、どうでもいいのだ。
私とロスタム殿、そして私の剣と馬シャブディズ、どんな雲も我々を覆い隠さない。向かうところ敵なしだ。
私は先祖ザハクの流儀を復活させ、この足の下にある塵を純粋な麝香に変えよう。そして金に糸目をつけず、彼の武器を手に入れるのだ。」
もちろん彼は冗談で言ったのです。ザールとサームはその言葉に喜びました。
ひと月の滞在の後、サームは自分の領地に戻ることにしました。
出発の日の明け方、彼はザールに言いました。
「私の息子よ、公正で、イランのシャーに忠実であれ。富よりも知恵を選び、常に悪い行いから離れ、日々に神の道を求めよ。公の場でも私的な場でも、必要なことは一つであることを知るがよい。私がかつて犯した過ちとやり直しを見て、正しい道を歩んでくれ。」
こう言って、息子と孫に別れを告げ、その言葉を忘れないようにと諭しました。
鐘と喇叭が鳴り響くなか、サームは西に向かって旅立ちました。
息子と孫は、従順な気持ちで頬を涙で濡らしながら三行程を共にし、またシスタンに戻りました。
□□ロスタムが白象を退治する□□
ある日のこと、庭で酒宴が開かれ、ハープの弦が甘い音色を奏でる中、戦士たちは皆、陽気に騒ぎ、おおいに酔うまで水晶の杯で葡萄酒を飲んでいました。機嫌がよくなったザールは息子にこう言いました。
「我が子よ、太陽のように優美な子よ!汝の戦士のために栄誉の衣を用意せよ。高位の者には駿馬を与えよ。」
ロスタムは戦士たちに黄金とアラブ馬、そして他の贈り物も与え、皆は喜びに浮かれて帰って行きました。
その夜、ザールはいつものように涼しい東屋を探し、ロスタムは自分の部屋に引き返し、横たわって眠りました。
突然、ドアの外では、叫び声が上がりました。
「王の白い戦象が暴れて逃げた!民衆が危険にさらされている!」
それを聞いたロスタムは、祖父サームの棍棒を持ち出し、通りに向かって走り出しました。
門番は彼に反対しました。
「お止め下さい!この暗い夜に象が暴走しているのです。殿が行くことは認められません。」
その言葉に怒った無敵のロスタムは彼のうなじを叩き、彼の頭は転がってしまいました。
ロスタムが他の守衛を見やると、皆、背を向けて逃げて行きました。そこでロスタムは大胆に門に駆け寄り、激しい打撃で鎖やボルトを打ち壊し、勇ましく棍棒を肩にかついで風のように出て行きました。
彼は、山が轟き、その下の地面が煮え立つ鍋のように揺れるのを見ました。道にいる戦士や貴族たちが散り散りに逃げるなか、彼は海のように咆哮し、勇敢に立ち向かって行きました。
その獣は山のように彼に襲いかかり、鼻を持ち上げて激しく襲いかかってきました。
しかし、ロスタムがその頭に棍棒で一撃を加えた次の瞬間、巨大な象は力を失いうずくまりました。そして体全体を震わせると、鼻で弱々しく力のない一撃のそぶりを見せたあと、崩れ落ちました。
●白象に槌を打ち下ろすロスタム
(Persian MS 932, f64a, The John Rylands Library, The University of Manchester)
こうして、あの咆哮する象は倒れ、無敵のルスタムは再び自分の場所に戻り、眠りました。
さて、太陽が東から昇り、麗しい娘の頬のように空が明るくなったとき、ザールはロスタムの昨晩の行いを聞きました。
荒れ狂う象に立ち向かい、一撃でその首を折り、その体を地面に投げ捨てたことを。
彼は叫びました。
「何ということだ。その強大な戦象は、かつて戦場で紺碧の海のように咆哮していた。その強い獣は何度突撃して敵の軍勢を打ち負かしたことか! しかし戦場で如何に征服しようとも、我が息子はそれに勝ったのだ!」
■シャー・タフマスプ本の細密画
サムネイル | ページ番号 | 画のタイトル※ | タイトル和訳 | 所蔵館と請求番号 | 画像リンク先 | 備考 |
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92 VERSO | Rustam slays the white elephant | ロスタム、白象を退治する | Tehran Museum of Contemporary Art, Tehran, Iran | 詳細画像非公開Hollis |
■それ以外の写本からの細密画
サムネイル | ページ番号 | 画のタイトル | タイトル | 所蔵館と請求番号 | 画像リンク先 | 備考 |
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f.54r | The birth of Rustam. | ロスタムの誕生 | British Library, IO Islamic 3540 | カタログ f. 54r |
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f.56v | The young Rustam, crowned, armed, and mounted on an elephant, meets his grandfather Sam, Painter A. | ロスタムが象の上から祖父に挨拶する | The John Rylands Library, The University of Manchester, Persian MS 910 | カタログ f. 56b |
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f.64r | Rustam kills Zal's white elephant. | ロスタムがザールの白象を退治する | The John Rylands Library, The University of Manchester, Persian MS 932 | カタログ f64a |
■細密画解説(本や所蔵美術館の解説より適宜抜粋)
●92 VERSO Rustam slays the white elephant ロスタム、白象を退治する
〇Fujikaメモ:
詳細画像がみつからなくて残念。
●ロスタムの誕生
〇Fujikaメモ:
このシーンで呪術師として出てくるのは(文面からは男性かと思ったのですが)この絵を見るとおそらく女性ですね。
粗末な服で、赤ちゃんを引っ張り出している年配の女性がその呪術師だと思われます。
(他の写本では、男性のような人が赤ちゃんをとりあげているのもありました。男性が後宮に入るのは相当ハードルが高そうですが・・)
出産は女部屋の内部でのイベントのようで、夫のザールは左側の塔の上にいて、立ち会うことはできないようです。
文章からすると出産時にはシムルグはいませんが、この絵にシムルグを描き込んでいるものもありました。
あと、(ザールがいて?)シムルグの羽根を描いていたり。
この写本には、シムルグの痕跡は何もない感じです。
●ロスタムが象の上から祖父に挨拶する
〇Fujikaメモ:
そんなに名シーンではない気がしていたのでこれの挿絵があってびっくりでした。
跪いている二人のうち、ひげと眉が灰色(白)なのがザール、そうでない方がミフラーブでしょうか。
馬上で手をさしのべているのがサーム。
象の上のロスタムは、りりしく若々しいです。
文中では、ロスタムはあっという間に8スパン(180cm)に育ったとありますが、原典では、「8」とだけあって、「スパン」としたのはとある注釈者だそう。8歳の大きさ、という意味にもとれるのかもしれません。
この絵では、180cmではなく、もうちょっと子供らしいサイズ感です。
馬の蹄や横顔は割とリアルっぽいですが、象の足先がなんか肉球っぽくなってしまっているのが、かわいいです。
●ロスタムがザールの白象を退治する
〇Fujikaメモ:
これは、いろいろな写本に挿絵が描かれている名シーンです。
(象が可哀そうとかそういうことはここではおいておきましょう)
ロスタムがはだしで、とるものもとりあえず出てきた感じになっています。
他の写本では、象が鈴や布で飾られていたり、ロスタムがもっとちゃんとした服を着ていたりするものがあります。
あと、この絵は建築物が全く見えない屋外(郊外)ぽいですが、他のものでは、室内では?と思うような挿絵もありました。
■■他のシャーナーメ写本
ケンブリッジ大学のシャーナーメプロジェクトのロケーションインデックスで、各国の蔵書の概要が分かります。
ただし、オリジナルサイトへのリンクがないので、いくつか整理してみました。
(おそらくシャーナーメプロジェクトの方が成立が古いため)
基本的に、1500年代(16世紀)前後のものに着目しています。
■ブリティッシュライブラリーのシャーナーメ写本
挿絵があって、webで見られるのは次の二つのようです。
●Add MS 18188
カタログによる解説:
「序文なしのシャーナーマ。Ghiyās al-Dīn Bāyazīd Ṣarrāfによって 891/1486 年に複製され、Turkman/Timurid 様式の 72 のミニチュアで描かれています。」
このカタログに挿絵のリストとリンクあり。
私の勝手な呼び名:「キリンブチのラクシュのシャーナーメ」
●IO Islamic 3540
カタログによる解説:
「かつてウォーレン・ヘイスティングス (1732-1818)が所有していた Firdawsī の Shahnāmah の精巧で華麗に装飾された写本。4つのイルミネーション。57 ミニチュア」
このカタログに挿絵のリストとリンクあり。
私の勝手な呼び名:「すっきり眉毛のシャーナーメ」
●そのほか、写本全体はデジタル化されていない挿絵について、キーワードで検索できます。
検索結果はダウンロード可ですが、高解像度のものは有償(ええっ!)。
British Library Images Online
■マンチェスター大学ジョン・ライランズ図書館のシャーナーメ写本
挿絵があって、webで見られるのは次の二つのようです。
●Persian MS 910
カタログによる解説:
「100 のイラストを含む優れたコピー。16 世紀前半と後半の 17 世紀初頭のサファヴィー朝の画家の 2 つのグループによって完成された多くのシーンには、多くの歴史的な修復と合わせて、おそらくインドで行われたように思われる塗り直しの兆候が見られる。」
私の勝手な呼び名:「素朴だが後半充実のシャーナーメ」
●Persian MS 932
カタログによる解説:
「この壮大な写本は、おそらく 1542 年にシラーズで完成し、ジョン ライランズ図書館に保管されている 9 部のうちの 1 部であり、38 枚の挿絵を特徴としており、そのうちのいくつかは通常の描写スキームから逸脱しています。ペルシア語翻訳者のターナー・マカン (1792–1836) は、以前この巻を所有しており、 1829 年にテキストの最初の重要なペルシア語版を出版したときに彼が参照したいくつかのコピーの 1 つです。」
私の勝手な呼び名:「白地面にかわいい花のシャーナーメ」
■ニューヨーク公共図書館
●Spencer Coll. Pers. ms. 3
17世紀初頭。シラーズで作られたものか。
私の勝手な呼び名:「小さい挿絵のシャーナーメ」
■プリンストン大学のシャーナーメ写本
●Islamic Manuscripts, Third Series no. 310(通称The Peck Shahnama)
カタログによる解説:
「45 の高品質のフルページのミニチュアと 998 H [1589 または 90] の日付のシーラーズ派の 3 つの見開きページの構成を含むシャーナーマの贅沢に装飾されたコピー。シーラーズでサファヴィー朝の王族のために作られたと思われる。」
挿絵の一覧は整理されていないようなので(書籍になってるかも)、見てもどのシーンかわからないものもあります。
このビューワーではフォリオ番号は分からないです。
左側に縦に並んだサムネイル群から挿絵を探すことができます。
うち12枚分の画像タイトルとフォリオ番号
私の印象では、物語、つまり人物表現に重きを置いて、不必要な背景の草花や調度品等は省略気味です。
シャー・タフマスプ本にある、「ここまでしなくても」という密度の高さはあまりなし。
噴水を囲む赤御影石の、小豆色に白い結晶が散らばる様子を、規則的な白点で表現してしまっているところは、師匠によるアシスタントの監督不足かと思ったり。
■ドイツのシャーナーメ写本
図書館横断東洋写本検索サイトQalamos による「Firdausī」の検索結果
●Ms. or. fol. 359(ベルリン州立図書館蔵)
16世紀制作。
私が勝手に名付けたのですが、「小花柄シャーナーメ」。
絨毯や壁のアラベスク模様が、地色や描画色を変えつつ、ほぼ一種類の模様でまかなわれていて、それが小花柄のように見えます。
こういう柄が流行っていたのかしら?省力化? とはいえ、これがひとつの個性になっています。(下図、丸印四か所は柄が同じ)
●BSB Cod.pers. 10 (ミュンヘン、バイエルン州立図書館蔵)
1560-1750頃制作。
さまざまな時代の多くの (約 215) の素晴らしいミニチュアを含む非常に素晴らしいコピー。
215 のイラストを含むこの写本は、ペルシャの王の書であるシャーナーマの最大の絵のサイクルの 1 つ。さまざまな時期に働いていた何人かの画家がその細密画に関与した。したがって、ミニチュアはスタイルが均一ではない。4 つの異なるグループが識別でき、2 つの最も古いグループは 16 世紀のもの。最初のグループの細密画は、多くの人物を含む大規模な構成を示しており、鮮やかな色を使用して詳細に実行されている。2 番目のグループの細密画は、構図と人物画に関して品質が劣る。3 番目のグループは、17 世紀初頭に追加された、イスファハンの宮廷様式の 2 つの原寸図で構成されている。しかし、4番目のグループは、イランの伝統とは関係がないと思われるミニチュアで構成されており、インド起源の可能性がある。この写本の最良のイラストのいくつかは、1565 年以前にマシュハドのスルタン イブラーヒーム ミルザーの宮廷で描かれた可能性がある。
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