マレーシアのイスラム美術館がきっかけだったでしょうか、イスラム美術の、写本絵画(ミニアチュール)が気になる今日この頃です。
『わたしの名は紅』(オルハン・パムク)という本を読んだのは、美術館に行く前だったか、後だったか。
16世紀トルコが舞台で、細密画の絵師やその関係者が登場人物。
殺人が2件起こって、ミステリー仕立てになりつつ、細密画に関する蘊蓄も語られて、読み応えのある小説です。
装飾美術的な伝統を踏襲するのが最善だったはずの細密画界に、西洋の写実的な画風(遠近法だったり影だったり)が入り込んでくる時代で、
登場人物たちが、「画風(スタイル)とは」「伝統芸術とは」、のようなことを語っています。
いま、実際にアートに携わっている人が読んだら面白いだろうなあと思います。
当時の写本は、国家プロジェクト的な芸術品でした。
王立芸術院みたいなところの書家、絵師が数年かけてようやく1冊完成させ、王様やその一族だけが、しかもたまにしか開いてみないような、大変に高級なものだったようです。
今だったら、アニメ映画に相当するかなあ、と想像したり。
大勢の人が年単位で精魂込めて絵を描いて、それでようやく1つの作品が完成します。
監督や原作者の名前は出るけれど、絵を一枚一枚描いたアニメーターの名前は基本的には知られないまま。
写本絵画も、主要な画家の名前は幾人かは残っていますが、その他大勢の職人達の緻密な作業がなくては完成しなかったはず。
当時は文字を書く書家の方が格段に地位が高く、絵を描くのはどちらかというと不遜な仕事で、書よりも下に見られるものだったようです。
でも、今、高値で取引されるのは、もちろん挿絵。
いろいろな写本が、バラされてサザビーズなどのオークションなどで流通するようですが、良質な挿絵には、1ページに何万ドル、何十万ドルもの値段がつくとか。
(それに比べると、文字だけのページは、少なくとも西洋ではそれほどの値段はつかないのではないかしら)
写本絵師達は、もしこれを知ったら驚いて、そして少し誇らしく思うだろうなあ・・。
これが『私の名は紅』の表紙。 https://en.wikipedia.org/wiki/
https://en.wikipedia.org/wiki/ ここにも大英博物館と出典が。 表紙のデザイナーさんはここから画像をとったのかな。色合いがちょっと似ています。 更に、画家名で画像検索したらたまたまこのページにあたりました。 アカ・ミラックの絵で、出典は(大英図書館Or.2265、f。66v)。 赤いとんがりのあるターバンが同じだし、同じ本かも!? この推理はあたりでした。 探している絵は大英博物館ではなく、 (Wikipediaの誤りは広まってしまいがちですね・・) 大英図書館蔵書は検索できるようになっていますが、今回の場合は、メインの蔵書検索サイトではなく、手書き写本検索ページから検索しないといけません。 manuscript の欄に %2265 と入れると2265のつくものがヒット。 (keyword に nizami と入れても) 探している書物は、写本番号 or2265 です。
http://www.bl.uk/manuscripts/ 『私の名は紅』の表紙の絵は、ページ f.60v
ということが分かりました。
Wikiの画像は画像加工なのかゴールドを強くしてあるようで、 拡大できるので、細部まで鮮明に見えて、すばらしい・・・。
壁の幾何学模様やアラベスク模様はタイルでしょうか。床のまた違うアラベスク模様は、カーペットなのかな。最大に拡大しても細かい・・。 下端に見える濃いグレーの四角形は、人口の池のようです。池は銀箔で装飾されるので、時間が経つとこんな濃いグレーになります。 右のやや奥の方にはやはり濃いグレーに変色した小川があります。 (美術館でも、ここまで接近しては見られないです。研究者でもない素人が自宅で自由自在にみられるなんて、現代文明万歳です)
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この写本が、まだ本のかたちで残っているのはありがたいことです。
(例えば『シャー・タフマスプのシャーナーメ』という傑作写本は、近代になって所有していたアメリカ人が相続税対策のためにバラして売り払い、世界各地に分散所蔵されています)
でも、本のままだと、挿絵がどこにあるのか、探さないとよくわかりません。
折角なので、この写本の大体の構成と絵のありかを調べてみました。
●シャー・タフマスプのハムセ(五部作)の目次
f. 2 Makhzan al-asrār (مخزن الاسرار) 『マフザヌル=アスラール』 ( مخزن الاسرار Makhzan al-Asrār) (神秘の宝庫)
f. 36 Khusraw va Shīrīn (خسرو وشيرين) 『ホスローとシーリーン』
f. 120 Laylá va Majnūn (ليلى ومجنون)『ライラーとマジュヌーン』
f. 193 Haft paykar (هفت پيكر)(七王妃物語)
f. 260 Iskandarnāmah (اسكندر نامه)『イスカンダル・ナーマ』 (اسكندر نامهIskandar Nāma) (イスカンダル(アレクサンドロス3世)の書)
(細密画の解説: N. Titley: Miniatures from Persian manuscripts (London: British Library, 1977), p. 139 )
(f というのはフォリオ(葉)。rは表面、vは裏面。第一葉表面は、f1rとなります。写本独特のページの数え方)
●何らかの絵のある場所
(絵の説明は、調べたり、自分で勝手に書いたりしてます。それぞれストーリーがまだよくわからない状態なので描写が適当ではないかも)
数人の画家の作品が混ざっているようです。
より高位の男性の馬の耳は短く、もう片方の男性の馬の耳はウサギみたいに長いのだけれど、馬の品種の違いということかしらん。(同時代で、同じ場面の別の絵がスミソニアンのコレクションに)
(この物語の名シーンのひとつで、だいたいどの写本でも挿絵がつく感じです。
ホスローの肖像画を見て恋に落ちたシリンは、しばらく家出して、漆黒の名馬シャブディズに乗ってペルシャのホスローのもとに向かった。ホスローはこのことをシャプールから聞いていたが、不仲の父王の計略から逃れるためしばらく逃亡することにした。
シリンが途中の泉で水浴びしているところに、粗末な服に身をやつしていたホスローが通りがかり彼女を盗み見る。シリンは驚き、互いに誰かを知らないまま、逃げ分かれる。)
(シャプールは、シリンに三度ホスローの肖像画を見せ、彼女を恋に陥らせた。
そして彼女がアルメニアの宮廷を家出してホスローの宮廷に到着していることを伝えた。このときホスローはシリンに会いにアルメニアに来ているところで、このあと引き返してペルシャからアルメニアに、彼女を送り届ける。)
(ミラック画)
『私の名は紅』の表紙の絵がこちら。
(シリンを送り届けた直後、ペルシャの父王がなくなり、ホスローは急遽引き返して王位を継いだ。
しかしその後、奸臣の計略により失脚、故国を追われ、またアルメニアのシリンのもとに向かう)
(ホスローがシリンの実家(アルメニアのミヒンバヌ王妃の宮廷)を訪問し、もてなしを受けているところ。二人きりにはしてもらえず、侍女10人の詩を聞いたりしている。
このあとホスローはシリンから王位を回復しないと結婚しないと言われ、ビザンチンの王女ミリアムと政略結婚して軍備増強して王位回復する。)
人口の池を挟んで左に、いろいろな人種と思われる女性10人。右には男性9人。
衣装のきれいさは、男性と女性同じくらい。数人の女性の手に模様があるが、手袋なのかヘナなのか。
瑠璃色に塗られた空には金の星が。金色の炎で描かれた松明もあるので、夜のシーン
f77v ホスローが楽師バルバドの音楽を聴く(ミルザ・アリ画)
(王位を回復したホスローの宮廷では、頻繁に宴が開かれていた。
リュートを弾いているのが楽師バルバドで、シリンへの愛を歌っている。
ちなみにこのときは妻ミリアムはまだ存命で、左上の二階にいる母子がミリアムと息子シルエ。
なお、その後いろいろありつつ、ミリアムの病死後シリンとホスローは一旦結ばれるが、このシルエが成長後義母シリンに横恋慕して父ホスローを殺すことになる。)
従者の持つお盆には、黄色の洋梨(マルメロ?)、ピンクと白の洋梨又は桃。
床においてあるお盆には、デーツと、白い山形の、チーズかな。
空はほんのちょびっとだけ描かれており、金色に塗られているので昼のシーンのよう。
人物多数。羊の乳しぼりをする遊牧民、スピンドルで糸を紡ぐ老人、長い笛?を吹く老人、乳を飲む子羊、
手で転がして1本ずつ長く伸ばす麺をつくる女性、甕をたき火にかける女性、
テント内で刺繍したり子守する女性、水くみをする女性など。
ブリティッシュライブラリーのアジアアフリカ研究部門のブログによると、この絵は、この写本がカジャール朝イランの二代目の皇帝ファット・アリ・シャー・ガジャール(治世1772-1834)の宮廷に所有されていた時期に付け加えられたのでは、とのこと。
絵が描かれた時期とその時期の間に100年くらいあるけれど・・。古い本をバラしたのか、散逸した本の絵のページだけあったのか・・・。
f203v、f213r、f221v は、後期サファーヴィー朝ペルシャの画家ムハンマド・ザマンによるもののようです。
西洋の画風の影響がみられる気がします。
老名人の嘆きがなんか私もわかるような・・・。
ちなみに、この小説の時代の後、写本絵画の中心はインドに移り、インドでまた少し違う画風で花を咲かせています。
(『おどる12人のおひめさま』の挿絵画家エロール・ル・カインの『まほうつかいのむすめ』の何枚かの絵には、細密画の画風が取り入れられているような。
ル・カインはインド出身なのでバックグラウンドに多少関係あるかも?)
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老名人が『シャー・タフマスプのシャーナーメ(王書)』の絵を見るシーンもこの本に出てきます。
どのセリフがどの絵と対応しているのかも、いま調べ中。
まとまったらまた記事にします。
■参考情報
ブリティッシュライブラリーのペルシャ写本リスト
MET(メトロポリタン美術館)所蔵、コクランコレクション解説
検索ボックスで、Alexander Smith Cochran 13.228.13.(冊子/フォリオの受け入れ番号)などと検索。
番号は、PDFに鉛筆で描き込みあり。
ブリティッシュライブラリーブログ ムハンマド・ザマンについて
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