採集生活

お菓子作り、ジャム作り、料理などについての記録

『私の名は紅』とペルシャ細密画(『シャー・タフマスプのハムセ』)

2020-03-25 | +イスラム細密画関連

マレーシアのイスラム美術館がきっかけだったでしょうか、イスラム美術の、写本絵画(ミニアチュール)が気になる今日この頃です。

『わたしの名は紅』(オルハン・パムク)という本を読んだのは、美術館に行く前だったか、後だったか。
16世紀トルコが舞台で、細密画の絵師やその関係者が登場人物。
殺人が2件起こって、ミステリー仕立てになりつつ、細密画に関する蘊蓄も語られて、読み応えのある小説です。

装飾美術的な伝統を踏襲するのが最善だったはずの細密画界に、西洋の写実的な画風(遠近法だったり影だったり)が入り込んでくる時代で、
登場人物たちが、「画風(スタイル)とは」「伝統芸術とは」、のようなことを語っています。
いま、実際にアートに携わっている人が読んだら面白いだろうなあと思います。

当時の写本は、国家プロジェクト的な芸術品でした。
王立芸術院みたいなところの書家、絵師が数年かけてようやく1冊完成させ、王様やその一族だけが、しかもたまにしか開いてみないような、大変に高級なものだったようです。

今だったら、アニメ映画に相当するかなあ、と想像したり。
大勢の人が年単位で精魂込めて絵を描いて、それでようやく1つの作品が完成します。
監督や原作者の名前は出るけれど、絵を一枚一枚描いたアニメーターの名前は基本的には知られないまま。
写本絵画も、主要な画家の名前は幾人かは残っていますが、その他大勢の職人達の緻密な作業がなくては完成しなかったはず。

当時は文字を書く書家の方が格段に地位が高く、絵を描くのはどちらかというと不遜な仕事で、書よりも下に見られるものだったようです。
でも、今、高値で取引されるのは、もちろん挿絵。
いろいろな写本が、バラされてサザビーズなどのオークションなどで流通するようですが、良質な挿絵には、1ページに何万ドル、何十万ドルもの値段がつくとか。
(それに比べると、文字だけのページは、少なくとも西洋ではそれほどの値段はつかないのではないかしら)
写本絵師達は、もしこれを知ったら驚いて、そして少し誇らしく思うだろうなあ・・。

『私の名は紅』

これが『私の名は紅』の表紙。
『ホスローとシーリーン』という本の挿絵で、大英博物館蔵と見返しに書いてあります。
綺麗な印刷ではありますが、もっと詳しく、絵のほかのところも見たいですよね。

そうだ、ネットで公開されているかも?
と思いついて、大英博物館のサイトを見に行ってみました。
nizamiや、その他思い当たる単語で調べてみてもヒットなし。
まあ、すべての所蔵品がネット公開されているわけでも無いだろうしなあ・・・。

大英博物館 コレクション検索 nizami
ニザーミー ウィキペディア
ホスローとシーリーン ウイキペディア

でもまだあきらめきれず、出版社の藤原書店にメールしてみました。
(出版社って、意外とお返事くださるのです。以前お菓子の本の分量もれを問い合わせたら回答が頂けました。)

今回もお返事がもらえて、この絵の作者がAgha Mirak アカ・ミラック(1520活動開始-1576没)ということが分かりました。
作者が分かるとだいぶ検索が捗ります。

教えてもらった画家の名前Agha Mirakで検索したら、Wikiのページがあり、表紙の絵も発見!

https://en.wikipedia.org/wiki/Aqa_Mirak  
https://en.wikipedia.org/wiki/Aqa_Mirak#/media/File:Xosrovun_taxta_%C3%A7%C4%B1xmas%C4%B1.JPG  
ここにも大英博物館と出典が。
 表紙のデザイナーさんはここから画像をとったのかな。色合いがちょっと似ています。

更に、画家名で画像検索したらたまたまこのページにあたりました。
アカ・ミラックの絵で、出典は(大英図書館Or.2265、f。66v)。
赤いとんがりのあるターバンが同じだし、同じ本かも!?

この推理はあたりでした。
探している絵は大英博物館ではなく、ブリティッシュライブラリー(大英図書館)の蔵書でした。
(Wikipediaの誤りは広まってしまいがちですね・・)

大英図書館蔵書は検索できるようになっていますが、今回の場合は、メインの蔵書検索サイトではなく、手書き写本検索ページから検索しないといけません。
manuscript の欄に %2265  と入れると2265のつくものがヒット。
(keyword に nizami と入れても)

探している書物は、写本番号 or2265 です。
http://www.bl.uk/manuscripts/FullDisplay.aspx?index=1&ref=Or_2265 
 
 
『私の名は紅』の表紙の絵は、ページ f.60v
 
ということが分かりました。 
Wikiの画像は画像加工なのかゴールドを強くしてあるようで、ブリティッシュライブラリーの画はもっと薄い色合いです。
拡大できるので、細部まで鮮明に見えて、すばらしい・・・。

壁の幾何学模様やアラベスク模様はタイルでしょうか。床のまた違うアラベスク模様は、カーペットなのかな。最大に拡大しても細かい・・。
下端に見える濃いグレーの四角形は、人口の池のようです。池は銀箔で装飾されるので、時間が経つとこんな濃いグレーになります。
右のやや奥の方にはやはり濃いグレーに変色した小川があります。
(美術館でも、ここまで接近しては見られないです。研究者でもない素人が自宅で自由自在にみられるなんて、現代文明万歳です)


更に調べると、ブリティッシュライブラリーの写本 or2265 は、「シャー・タフマスプのハムセ(五部作)」(1539-1543)という別称もある、写本の傑作のひとつのよう。
『私の名は紅』の舞台となる時代のトルコにとって(今でもですが)、細密画の輝ける黄金期は1520年頃、シャー・タフマスプの時代のペルシャ(今のイラン)。
その時代の作品です。
小説の中で、細密画の老名人と若者が、とある理由でトプカプ宮殿の宝物庫に入って写本を沢山調べるのですが、老名人がこの時代のペルシャの絵を見て
「もうこのような絵は描けまい」と嘆くほど。
(伝統工芸に携わる人ならこの感じ、痛いほどわかるのではないかなあ)


この写本が、まだ本のかたちで残っているのはありがたいことです。
(例えば『シャー・タフマスプのシャーナーメ』という傑作写本は、近代になって所有していたアメリカ人が相続税対策のためにバラして売り払い、世界各地に分散所蔵されています)
でも、本のままだと、挿絵がどこにあるのか、探さないとよくわかりません。
折角なので、この写本の大体の構成と絵のありかを調べてみました。

●シャー・タフマスプのハムセ(五部作)の目次

f. 2 Makhzan al-asrār (مخزن الاسرار) 『マフザヌル=アスラール』 ( مخزن الاسرار Makhzan al-Asrār) (神秘の宝庫)
f. 36 Khusraw va Shīrīn (خسرو وشيرين) 『ホスローとシーリーン』
f. 120 Laylá va Majnūn (ليلى ومجنون)『ライラーとマジュヌーン』
f. 193 Haft paykar (هفت پيكر)(七王妃物語)
f. 260 Iskandarnāmah (اسكندر نامه)『イスカンダル・ナーマ』 (اسكندر نامهIskandar Nāma) (イスカンダル(アレクサンドロス3世)の書)
(細密画の解説: N. Titley: Miniatures from Persian manuscripts (London: British Library, 1977), p. 139  )

(f というのはフォリオ(葉)。rは表面、vは裏面。第一葉表面は、f1rとなります。写本独特のページの数え方)


●何らかの絵のある場所
(絵の説明は、調べたり、自分で勝手に書いたりしてます。それぞれストーリーがまだよくわからない状態なので描写が適当ではないかも)
数人の画家の作品が混ざっているようです。

f1v 写本の最初のページに描かれる星形の模様(シャムサ)
f2r 
f2v 
f3r 
フロント 後からの加筆?
バック 後からの加筆?
 
f. 2: Makhzan al-asrār (مخزن الاسرار) 『マフザヌル=アスラール』 ( مخزن الاسرار Makhzan al-Asrār) (神秘の宝庫)=================  
f15v 廃墟となった町を騎馬の男性ふたりが訪問。(ミラック画)
より高位の男性の馬の耳は短く、もう片方の男性の馬の耳はウサギみたいに長いのだけれど、馬の品種の違いということかしらん。(同時代で、同じ場面の別の絵がスミソニアンのコレクションに)


f18r 野山で老婆が貴人一行と面会
f18r

f26v 医師ふたりの勝負(アカ・ミラック画)
f26v
 
f. 36 Khusraw va Shīrīn (خسرو وشيرين) 『ホスローとシーリーン』  =================
f53v 水浴びするシリンを農民姿のホスローが見る。(スルタン・ムハンマド画)
(この物語の名シーンのひとつで、だいたいどの写本でも挿絵がつく感じです。
ホスローの肖像画を見て恋に落ちたシリンは、しばらく家出して、漆黒の名馬シャブディズに乗ってペルシャのホスローのもとに向かった。ホスローはこのことをシャプールから聞いていたが、不仲の父王の計略から逃れるためしばらく逃亡することにした。
シリンが途中の泉で水浴びしているところに、粗末な服に身をやつしていたホスローが通りがかり彼女を盗み見る。シリンは驚き、互いに誰かを知らないまま、逃げ分かれる。)

f53v

f57v 側近であり画家のシャプールがホスローの元に戻る
(シャプールは、シリンに三度ホスローの肖像画を見せ、彼女を恋に陥らせた。
そして彼女がアルメニアの宮廷を家出してホスローの宮廷に到着していることを伝えた。このときホスローはシリンに会いにアルメニアに来ているところで、このあと引き返してペルシャからアルメニアに、彼女を送り届ける。)
(ミラック画) 
f57v
 
f60v ホスローの戴冠(アカ・ミラック画)
『私の名は紅』の表紙の絵がこちら。
(シリンを送り届けた直後、ペルシャの父王がなくなり、ホスローは急遽引き返して王位を継いだ。
しかしその後、奸臣の計略により失脚、故国を追われ、またアルメニアのシリンのもとに向かう)
f60v
 
f66v ホスローとシリンがシリンの侍女たちの物語を聞く(アカ・ミラック画)。中央にホスローとシリン。
(ホスローがシリンの実家(アルメニアのミヒンバヌ王妃の宮廷)を訪問し、もてなしを受けているところ。二人きりにはしてもらえず、侍女10人の詩を聞いたりしている。
このあとホスローはシリンから王位を回復しないと結婚しないと言われ、ビザンチンの王女ミリアムと政略結婚して軍備増強して王位回復する。)
人口の池を挟んで左に、いろいろな人種と思われる女性10人。右には男性9人。
衣装のきれいさは、男性と女性同じくらい。数人の女性の手に模様があるが、手袋なのかヘナなのか。
瑠璃色に塗られた空には金の星が。金色の炎で描かれた松明もあるので、夜のシーン
f66v

f77v ホスローが楽師バルバドの音楽を聴く(ミルザ・アリ画)
(王位を回復したホスローの宮廷では、頻繁に宴が開かれていた。
リュートを弾いているのが楽師バルバドで、シリンへの愛を歌っている。
ちなみにこのときは妻ミリアムはまだ存命で、左上の二階にいる母子がミリアムと息子シルエ。
なお、その後いろいろありつつ、ミリアムの病死後シリンとホスローは一旦結ばれるが、このシルエが成長後義母シリンに横恋慕して父ホスローを殺すことになる。)
従者の持つお盆には、黄色の洋梨(マルメロ?)、ピンクと白の洋梨又は桃。
床においてあるお盆には、デーツと、白い山形の、チーズかな。
空はほんのちょびっとだけ描かれており、金色に塗られているので昼のシーンのよう。


f. 120 Laylá va Majnūn (ليلى ومجنون)『ライラーとマジュヌーン』  
ライラへのかなわぬ恋に身を焦がすあまり気がふれてしまうマジュヌンの、悲恋物語。

f157v テント野営地、鎖につながれ石を投げられる半裸のマジュヌン。(ミール・サイード・アリ画)
   人物多数。羊の乳しぼりをする遊牧民、スピンドルで糸を紡ぐ老人、長い笛?を吹く老人、乳を飲む子羊、
   手で転がして1本ずつ長く伸ばす麺をつくる女性、甕をたき火にかける女性、
   テント内で刺繍したり子守する女性、水くみをする女性など。 

f166r 岩山、半裸青年、鹿たくさん、トラや豹(アカ・ミラック画)
f. 193 Haft paykar (هفت پيكر)(七王妃物語)  
f195r モハメットが天馬にのって天界へ。天使多数。(スルタン・ムハンマド画)


f202v  Bahrām Gūrは一本の矢で驢馬と獅子を射る。 竪琴奏者。 熊が石を落とそうとしている。(スルタン・ムハンマド画)


f203v 異質? Bahram Gurのドラゴン退治(サファーヴィー朝ペルシャの画家ムハンマド・ザマン画 1675/76年)
リティッシュライブラリーのアジアアフリカ研究部門のブログによると、この絵は、この写本がカジャール朝イランの二代目の皇帝ファット・アリ・シャー・ガジャール(治世1772-1834)の宮廷に所有されていた時期に付け加えられたのでは、とのこと。
絵が描かれた時期とその時期の間に100年くらいあるけれど・・。古い本をバラしたのか、散逸した本の絵のページだけあったのか・・・。


f211r バハラーム・グール(シャー・タフマスプがモデル)が 驢馬の蹄を一本の矢で耳に固定し、フィトナにその腕前を証明する。(ムザッファル・アリ画) 202vと同じ竪琴奏者。


f213r 異質? 邸宅の宴席に牛をかついだ人が来る

f221v インド王女の物語からのエピソード。トゥルクタズィー国王の 妖精の女王トゥルクタズの魔法の庭を訪ねる。(サファーヴィー朝ペルシャの画家ムハンマド・ザマン画 1675/76年)


f. 260 Iskandarnāmah (اسكندر نامه)『イスカンダル・ナーマ』 (اسكندر نامهIskandar Nāma) (イスカンダルアレクサンドロス3世)の書)  
f48v (乱丁)イスカンダルは自信の肖像画をヌシャバの前で見る。(ミルザ・アリ画)
f48v
 




f203v、f213r、f221v は、後期サファーヴィー朝ペルシャの画家ムハンマド・ザマンによるもののようです。
西洋の画風の影響がみられる気がします。
老名人の嘆きがなんか私もわかるような・・・。

ちなみに、この小説の時代の後、写本絵画の中心はインドに移り、インドでまた少し違う画風で花を咲かせています。
(『おどる12人のおひめさま』の挿絵画家エロール・ル・カインの『まほうつかいのむすめ』の何枚かの絵には、細密画の画風が取り入れられているような。
ル・カインはインド出身なのでバックグラウンドに多少関係あるかも?)
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老名人が『シャー・タフマスプのシャーナーメ(王書)』の絵を見るシーンもこの本に出てきます。
どのセリフがどの絵と対応しているのかも、いま調べ中。
まとまったらまた記事にします。


■参考情報
ブリティッシュライブラリーのペルシャ写本リスト

MET(メトロポリタン美術館)所蔵、コクランコレクション解説
検索ボックスで、Alexander Smith Cochran 13.228.13.(冊子/フォリオの受け入れ番号)などと検索。
番号は、PDFに鉛筆で描き込みあり。

ブリティッシュライブラリーブログ ムハンマド・ザマンについて

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