秋晴れの八幡宮の境内は、非常にオープンで明るく、大らかで豪快な雰囲気が良い。
真黄色に染まった大銀杏と並んで、朱塗りも鮮やかな本宮の建物が輝いていて、お馴染みの絵葉書の世界が展開されている。
三の鳥居を回りこむと、右手の源氏池には、沢山の鴨とかもめが池面に群れていて、水鳥の天国である。
政子が造ったと言うこの源氏と平家の双子池だが、左側の小さな平家池は、ひっそりと静まり返っていて、その対照が面白いが、何故か、平家池の方が風情があるような気がしている。
源氏池の手前を左に回りこむと、池畔に沿って東鳥居に向かって、長い回遊式のぼたん庭園が続いている。
細い回遊路の左右にぼたん畑が展開されているのだが、今は、新年からの冬ぼたんに備えて、黒い幹と枝だけになったぼたんの木が黒い地面に行儀良く並んでいる。
不思議なもので、早咲きのぼたんであろうか、既に、鮮やかな赤い花を咲かせたぼたんが数本混じっている。
これから、寒さが厳しくなるにつれて、少しづつ葉が出て蕾をつけて咲き始めるのであろうか。
冬牡丹の鮮やかさは格別だが、私は、まだ、雪を頂いたこもを被って妍を競っているぼたんの姿を直に見たことがない。
ところで、このぼたん庭園は、左右に多くの木が植えられていて、巨大な天然記念物のケヤキなど年輪を経た古木もあり、細長くて幅がないわりには、林間庭園の雰囲気を醸し出していて、小鳥たちの憩いの場となっている。
それに、ぼたん畑に置かれた大小の岩や石に風情があって、垂れ下がったもみじの枝の鮮やかな紅葉を彩っているハーモニーが中々良く、これが、また、ぼたん時期には、ぐんと、存在感を増す。
この庭には、中国では古来から奇石として珍重されてきた蘇州産の太湖石を据えた「湖石の庭」(口絵写真)が造られており、左右の色付いた紅葉を背負って、ぼたんとは違った趣を現出しているのが面白い。
蘇州や上海で見た中国の古庭園の、このような自然の織り成した天然の妙とも言うべき造形の不思議さには驚かざるを得ないが、今一つ、その哲学的な良さが分からないのを、もどかしく思っている。
ところで、この庭園には、非常に多くの色々な花木など植木が植えられているので、秋の風情は紅葉だけではないのだが、もみじでも、かなり種類が違っていて、場所にもよるが、夫々色付き方やその鮮やかさにバリエーションがあって面白い。
私の場合には、紅葉全体の美しさと言うよりは、極端に言うともみじの葉っぱ一枚一枚の美しさ、或いは、数枚の葉っぱの醸し出す色のハーモニーに興味を持って見ているので、勢い、陽の当たった紅葉の下から逆光に輝く綺麗なもみじを追っかけることになる。
今、鎌倉の長谷寺では、日が暮れると照明を当てて夜の紅葉を鑑賞できるようだが、夜桜は別にして、私には、あまり興味がないので出かけなかった。
ところで、この庭は、源氏池に面した回遊式庭園だが、池を見渡せる場所は、限られていて、2~3箇所しかないのだが、ここからのオープンで大らかな展望が実に良く、床机に座ってしばらく瞑想に耽るのも中々乙なものである。
季節外れ(?)のこのぼたん庭園には、訪れる人も少なく、喧騒を極める八幡宮の境内の中では、別天地である。
真黄色に染まった大銀杏と並んで、朱塗りも鮮やかな本宮の建物が輝いていて、お馴染みの絵葉書の世界が展開されている。
三の鳥居を回りこむと、右手の源氏池には、沢山の鴨とかもめが池面に群れていて、水鳥の天国である。
政子が造ったと言うこの源氏と平家の双子池だが、左側の小さな平家池は、ひっそりと静まり返っていて、その対照が面白いが、何故か、平家池の方が風情があるような気がしている。
源氏池の手前を左に回りこむと、池畔に沿って東鳥居に向かって、長い回遊式のぼたん庭園が続いている。
細い回遊路の左右にぼたん畑が展開されているのだが、今は、新年からの冬ぼたんに備えて、黒い幹と枝だけになったぼたんの木が黒い地面に行儀良く並んでいる。
不思議なもので、早咲きのぼたんであろうか、既に、鮮やかな赤い花を咲かせたぼたんが数本混じっている。
これから、寒さが厳しくなるにつれて、少しづつ葉が出て蕾をつけて咲き始めるのであろうか。
冬牡丹の鮮やかさは格別だが、私は、まだ、雪を頂いたこもを被って妍を競っているぼたんの姿を直に見たことがない。
ところで、このぼたん庭園は、左右に多くの木が植えられていて、巨大な天然記念物のケヤキなど年輪を経た古木もあり、細長くて幅がないわりには、林間庭園の雰囲気を醸し出していて、小鳥たちの憩いの場となっている。
それに、ぼたん畑に置かれた大小の岩や石に風情があって、垂れ下がったもみじの枝の鮮やかな紅葉を彩っているハーモニーが中々良く、これが、また、ぼたん時期には、ぐんと、存在感を増す。
この庭には、中国では古来から奇石として珍重されてきた蘇州産の太湖石を据えた「湖石の庭」(口絵写真)が造られており、左右の色付いた紅葉を背負って、ぼたんとは違った趣を現出しているのが面白い。
蘇州や上海で見た中国の古庭園の、このような自然の織り成した天然の妙とも言うべき造形の不思議さには驚かざるを得ないが、今一つ、その哲学的な良さが分からないのを、もどかしく思っている。
ところで、この庭園には、非常に多くの色々な花木など植木が植えられているので、秋の風情は紅葉だけではないのだが、もみじでも、かなり種類が違っていて、場所にもよるが、夫々色付き方やその鮮やかさにバリエーションがあって面白い。
私の場合には、紅葉全体の美しさと言うよりは、極端に言うともみじの葉っぱ一枚一枚の美しさ、或いは、数枚の葉っぱの醸し出す色のハーモニーに興味を持って見ているので、勢い、陽の当たった紅葉の下から逆光に輝く綺麗なもみじを追っかけることになる。
今、鎌倉の長谷寺では、日が暮れると照明を当てて夜の紅葉を鑑賞できるようだが、夜桜は別にして、私には、あまり興味がないので出かけなかった。
ところで、この庭は、源氏池に面した回遊式庭園だが、池を見渡せる場所は、限られていて、2~3箇所しかないのだが、ここからのオープンで大らかな展望が実に良く、床机に座ってしばらく瞑想に耽るのも中々乙なものである。
季節外れ(?)のこのぼたん庭園には、訪れる人も少なく、喧騒を極める八幡宮の境内の中では、別天地である。