十二月の東京での文楽は、昔玉男さんが、気候が厳しいので出かけないと語っていたが、恒例なのか、人間国宝の長老たちが抜けた飛車角落しの公演で、演目も1部だけである。
しかし、今を時めく次代を担うエースを中心に若くて溌剌とした三業のベテランが揃っての公演なので、スピードと迫力があって素晴らしい。
今回は、「源平布引滝」の木曽義賢(勘十郎)の最後の「義賢館の段」から、木曽義仲誕生と太郎吉(簔紫郎)が家来になる「九郎助内の段」までの舞台で、平家の武将斎藤実盛(玉女)が、かっての源氏での恩義を感じて義仲誕生などを助ける錯綜した舞台が見所であろうか。
この話は、平家物語と源平盛衰記が下敷きになっているようだが、話を大分脚色している。
文楽とは違って、義賢を討ったのは清盛方ではなく甥の悪源太であり、妻の葵御前(清十郎)は義仲を身ごもったまま逃亡することになっているが2歳になった義仲を連れて逃げることになっており、この後の方の義仲の誕生に纏わる話が、この文楽の重要なテーマとなっているので、その変化が面白い。
この義賢館の段では、勘十郎が、中々重厚で迫力のある義賢を遣っていて素晴らしい。
さて、実盛だが、この舞台では、竹生島遊覧の段で登場し、清盛の命令で源氏の係累探索の途中、琵琶湖洋上で平宗盛の船に行きかって乗り移り、ここへ、波にもまれて辿り着いた小まん(和生)が持っていた源氏継承の白旗(義賢が討たれる直前に託す)を平家に取られまいと腕を切って湖上に落とす。
次の「九郎助内の段」では、詮議に来た同僚の妹尾十郎(玉輝)に難癖をつけてカモフラージュして義賢の奥方葵御前の出産を助けるなど、平家と源氏の立場を巧みに使い分けて、源氏に忠義を示す。
また、ここでも、どんでん返しで、悪役であった妹尾十郎が、実は、小まんの父で太郎吉の祖父だと分かって、誕生した義仲の家来となる為の手柄として、太郎助に平家方の自分を討たせる。
ところで、母を殺された太郎吉は、仇の実盛を討とうとするのが、子供に討たれては情をかけたと思われて太郎吉の手柄にならないので成人してから戦場で見えようと、実盛は馬に乗って退場して幕となる。
これまで、玉男師匠が演じていた実盛を、後継者の玉女が、実に情感豊かに格調高く遣っていて重厚な舞台を見せてくれた。
清十郎の葵御前の何とも言えない優雅で品のある身のこなし、和生の小まんのバリエーションに富んだ機敏でリズミカルな動き、玉輝の妹尾十郎の堅実さ、簔紫郎の太郎吉のかわいさ健気さ、中々、人形たちの舞台展開が素晴らしかった。
ところで、平家物語と源平盛衰記の記述を総合すると面白い話が浮かび上がる。
義中が討たれ、葵御前が2歳の義仲を連れて逃げた時に、実盛がその逃亡の手助けをしており、先の文楽の舞台で子供であった太郎吉(手塚太郎光盛と命名)が、その後、篠原の合戦で、平家方の実盛を討って、義仲の面前に首を差し出す。
差し出された首の髪などは黒々しており、義仲は、見知っている実盛は白髪の老人の筈だと言うので、洗ってみると白髪で、戦場に向かう為に、鬚や鬢を染めていたのである。
平家物語では、樋口の次郎が60を超えた武将実盛の天晴れな心の丈を語っているのだが、能「実盛」にもなり、松尾芭蕉が、陸奥北陸の旅の途中実盛を弔い、「あらむざんやな兜の下のきりぎりす」と詠んで残したのも故あろうと言うものである。
ここで、興味深いのは、義仲と実盛の接点は、葵御前の逃亡時のみで、2歳の義仲が実盛を見分けられる筈がないと言うことへの物語への疑問と、実盛を見知っていたとするなら文楽の舞台で子供だった手塚太郎光盛の方だが、平家物語では全く実盛だとは分かっていないと言う矛盾。
別に、物語の脚色であるから、何の不思議もないのだが、そのあたりの変化が作者の物語づくりの綾が分かって興味深い。
文楽や歌舞伎では、大体、底本や原典があるのだが、時には、奇想天外な脚色やどんでん返しなどがあって面白い。
今、時期なので、盛んに演じられたり放映されている忠臣蔵の世界のバリエーションなど、見方が違えばこれだけ違うのかと思うほど変化があって鑑賞の楽しみが増える。
しかし、今を時めく次代を担うエースを中心に若くて溌剌とした三業のベテランが揃っての公演なので、スピードと迫力があって素晴らしい。
今回は、「源平布引滝」の木曽義賢(勘十郎)の最後の「義賢館の段」から、木曽義仲誕生と太郎吉(簔紫郎)が家来になる「九郎助内の段」までの舞台で、平家の武将斎藤実盛(玉女)が、かっての源氏での恩義を感じて義仲誕生などを助ける錯綜した舞台が見所であろうか。
この話は、平家物語と源平盛衰記が下敷きになっているようだが、話を大分脚色している。
文楽とは違って、義賢を討ったのは清盛方ではなく甥の悪源太であり、妻の葵御前(清十郎)は義仲を身ごもったまま逃亡することになっているが2歳になった義仲を連れて逃げることになっており、この後の方の義仲の誕生に纏わる話が、この文楽の重要なテーマとなっているので、その変化が面白い。
この義賢館の段では、勘十郎が、中々重厚で迫力のある義賢を遣っていて素晴らしい。
さて、実盛だが、この舞台では、竹生島遊覧の段で登場し、清盛の命令で源氏の係累探索の途中、琵琶湖洋上で平宗盛の船に行きかって乗り移り、ここへ、波にもまれて辿り着いた小まん(和生)が持っていた源氏継承の白旗(義賢が討たれる直前に託す)を平家に取られまいと腕を切って湖上に落とす。
次の「九郎助内の段」では、詮議に来た同僚の妹尾十郎(玉輝)に難癖をつけてカモフラージュして義賢の奥方葵御前の出産を助けるなど、平家と源氏の立場を巧みに使い分けて、源氏に忠義を示す。
また、ここでも、どんでん返しで、悪役であった妹尾十郎が、実は、小まんの父で太郎吉の祖父だと分かって、誕生した義仲の家来となる為の手柄として、太郎助に平家方の自分を討たせる。
ところで、母を殺された太郎吉は、仇の実盛を討とうとするのが、子供に討たれては情をかけたと思われて太郎吉の手柄にならないので成人してから戦場で見えようと、実盛は馬に乗って退場して幕となる。
これまで、玉男師匠が演じていた実盛を、後継者の玉女が、実に情感豊かに格調高く遣っていて重厚な舞台を見せてくれた。
清十郎の葵御前の何とも言えない優雅で品のある身のこなし、和生の小まんのバリエーションに富んだ機敏でリズミカルな動き、玉輝の妹尾十郎の堅実さ、簔紫郎の太郎吉のかわいさ健気さ、中々、人形たちの舞台展開が素晴らしかった。
ところで、平家物語と源平盛衰記の記述を総合すると面白い話が浮かび上がる。
義中が討たれ、葵御前が2歳の義仲を連れて逃げた時に、実盛がその逃亡の手助けをしており、先の文楽の舞台で子供であった太郎吉(手塚太郎光盛と命名)が、その後、篠原の合戦で、平家方の実盛を討って、義仲の面前に首を差し出す。
差し出された首の髪などは黒々しており、義仲は、見知っている実盛は白髪の老人の筈だと言うので、洗ってみると白髪で、戦場に向かう為に、鬚や鬢を染めていたのである。
平家物語では、樋口の次郎が60を超えた武将実盛の天晴れな心の丈を語っているのだが、能「実盛」にもなり、松尾芭蕉が、陸奥北陸の旅の途中実盛を弔い、「あらむざんやな兜の下のきりぎりす」と詠んで残したのも故あろうと言うものである。
ここで、興味深いのは、義仲と実盛の接点は、葵御前の逃亡時のみで、2歳の義仲が実盛を見分けられる筈がないと言うことへの物語への疑問と、実盛を見知っていたとするなら文楽の舞台で子供だった手塚太郎光盛の方だが、平家物語では全く実盛だとは分かっていないと言う矛盾。
別に、物語の脚色であるから、何の不思議もないのだが、そのあたりの変化が作者の物語づくりの綾が分かって興味深い。
文楽や歌舞伎では、大体、底本や原典があるのだが、時には、奇想天外な脚色やどんでん返しなどがあって面白い。
今、時期なので、盛んに演じられたり放映されている忠臣蔵の世界のバリエーションなど、見方が違えばこれだけ違うのかと思うほど変化があって鑑賞の楽しみが増える。