熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十二月大歌舞伎・・・幸四郎の「籠釣瓶花街酔醒」

2008年12月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   上州の絹商人佐野次郎左衛門(幸四郎)が下男の治六(段四郎)と、騙されて迷い込んだ吉原で、兵庫屋八ッ橋(福助)の花魁道中に出くわし、八ッ橋にぞっこん惚れ込んで、人生を狂わせてしまう話が、この「籠釣瓶花街酔醒」。
   カネはたんまりあるが、田舎者の豪商次郎左衛門と治六が、少しづつ花のお江戸の花町の水に馴染んで行く様子から、騙されて修羅場に追い込まれて行く物語を、畳み掛けるようなテンポで小気味良く展開した舞台で、楽しませてくれる。
   何より、田舎者主従の幸四郎と段四郎のコンビが秀逸で、立女形のスターダムへの道を歩み続ける堂々たる福助の八ッ橋と、その紐でニヒルでやくざな風来坊の繁山栄之丞の染五郎が素晴らしい味を見せて舞台を支えている。

   いずれにしろ、シェイクスピアからミュージカルまで、縦横無尽にパーフォーマンス・アートで活躍を続け、ウエストエンドやブロードウエーなど世界の桧舞台で通用する唯一の日本の大スター幸四郎の芸が、天国から地獄へのバリエーション豊かな舞台に異彩を放っているのが、何よりの魅力であろう。

   ところで、この籠釣瓶だが、辞書によると、籠の釣瓶では水が流れて溜まらないので、水もたまらぬと言うなぞときからよく切れる刀と言う意味で、この歌舞伎の舞台終幕で、次郎左衛門が、八ッ橋を一刀の下に切り捨てた名刀「籠釣瓶」でもある。
   この後、次郎左衛門は、入ってきた女中や、栄之丞や八ッ橋を食い物にして金を強請っていた釣鐘権八(市蔵)をも切り殺すと言うことになっているのだが、吉原で起こった実話で、100人切りにまで話が膨らんだと言う。

   私が前に観た八ッ橋は、玉三郎で、次郎左衛門は、勘三郎であったような気がするが定かではないのだが、you tubeでは、玉三郎と幸四郎の吉原でのこの出会いの場面が収録されていて参考になって面白い。
   ウロウロしていた次郎左衛門が、花魁八ッ橋にぶつかって、その美しさに放心状態となり、口を開けてじっと目を離さずに見とれていると、花道の七三で、八ッ橋が、意味有り気に後を振り返って、次郎左衛門に、にっこりと妖艶な笑みを投げかける決定的なシーンがあり、あばた顔の田舎者が吾を忘れて人生の奈落へ突き進む伏線となる。
   花道を、高下駄を左右に大きくスイングしながら優雅に歩き去る八ッ橋を、着ていた羽織を落として呆然と見送る幸四郎の次郎左衛門が、本来の実直まじめイメージが突出して素晴らしい。
   それに、定番の玉三郎とは、一寸、正攻法の感じの演技でニュアンスが違うのだが、福助の勝ち誇ったような意味深な妖艶な眼差しも、中々、堂に入って魅力的である。

   高級遊女へのアプローチは、引手茶屋の紹介で、初回、裏を返す、でその後馴染みになると言うことだが、そのあたりの経緯は省略して、兵庫屋二階八ッ橋部屋縁切りの場では、次郎左衛門が、久しぶりにしっぽりと八ッ橋と濡れて、身請け話にけりを付け様と、同業を誘って兵庫屋へ意気揚々と乗り込んだのだが、権八の入れ知恵で、分かれるか次郎左衛門と切れるかと間夫の栄之丞に迫られた八ッ橋は、満座の前で、「わたしや、つくづくイヤになりんした」と、次郎左衛門を袖にする。
   次郎左衛門への縁切りのための台詞だが、今を時めく吉原一の花魁でも、もう、こんな遊女人生がつくづくイヤになったと意味を込めての悲しい真情の吐露で、福助の台詞と表情にも、どっちつかずの苦しい心の鬩ぎ合いが見え隠れして上手い。
   文楽や上方歌舞伎では、傾城が一途に思い続ける相手は、唯一人で、バカボンかガシンタレの優男だが、江戸歌舞伎の世界では、必ず色男の間夫が居る二股膏薬の花魁のケースが多いようだが、気の所為であろうか。

   八ッ橋のただならぬ応対に、気分が悪かろうかと気遣っていた次郎左衛門が、ことの次第を悟ってはく台詞「おいらん、そりゃあ、あんまり、そでなかろうぜ・・・」。胡弓の調べに乗って、あんなにも愛して馴染み枕を交わし続けてきた八ッ橋に愛想を尽かされて、その悲しさと無念さを、切々と訴える次郎左衛門の表情が、語るにつれて、少しづつ穏やかさを増す。
   身請けの成就が適う嬉しさで喜び勇んで訪れた晴の舞台が、急転直下、満座の中で恥をかかされ屈辱の世界に変わってしまった悲しさ口惜しさ。殺意が少しづつ芽生えてきた瞬間である。

   最後の「立花屋二階の場」では、数ヶ月が経ち、久しぶりに落ち着いた表情で吉原を訪れた幸四郎の次郎左衛門は、一寸、風格のある武士のような雰囲気で、八ッ橋を切り付ける刀さばきも颯爽とし過ぎていて気になるのだが、福助の後振りで仰け反って頭が畳に着くまでエビゾリになって倒れる姿など、実に優雅で、殺伐とした舞台だが、絵になるシーンが雰囲気を和らげていて、短い幕切れに華を添えている。

   身請けされれば、食い扶持を失う廓への八ッ橋の紹介者で親判の釣鐘権八の悪巧みと、その口車に乗って恥も外聞もなく八ッ橋に迫る栄之丞の二人の存在は、見ているだけでもむかむかするのだが、それだけ、市蔵と染五郎の演技が上手いと言うことであろうか。
   特に、実も何もないニヒルで無頼漢の紐男の染五郎の芸が光っている。
   八ッ橋を演じてもおかしくない魁春が、地味だが、立花屋女房おきつをしんみりと演じていて、存在感を示しており、八ッ橋の同僚の九重を演じる東蔵も、中々味のある表情を見せていて、脇役陣の活躍も素晴らしい。

      
   
コメント
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