熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

錦秋の鎌倉を歩く(5)~浄光明寺、寿福寺から近代美術館へ

2008年12月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   海蔵寺、岩船地蔵堂から、少し、鎌倉方向に歩いて、浄光明寺に向かった。
   頼朝の依頼で、文覚上人が創建した草庵が前身だと言うお寺だが、ここには、重要文化財の阿弥陀三尊像が安置されているので、やって来たのだが、残念ながら、休館日で、本堂である阿弥陀堂は、閉まっていた。
   一段高くなった台地に阿弥陀堂があるのだが、境内には、鎌倉市の天然記念物だと言うイヌマキの巨木がそそり立っている。確かに、葉を見るとマキの木で、幹の表面が筋状に伸びた表皮に覆われていて非常に精悍な井手達で、空洞など全くない現役隆々の巨木である。
   何の変哲もないお寺で、ひっそりと静まり返っていて寂しいくらいで、しばらく境内に佇んでから外に出た。

   ススキの美しい線路沿いの道を鎌倉に向かって歩き、踏切を越えて、少し歩くと寿福寺の総門に着く。
   寿福金剛禅寺と大書された石柱が門前に建っている。総門の奥には、鎌倉石を敷き詰めた綺麗な参道が一直線に中門まで続いていて、流石に禅寺の雰囲気で非常に気持ちが良い。
   しかし、参道の横幅も非常に狭く、左右の参道脇の木々も、神社などによくある杉木立などでそれなりに鬱蒼としているが、こじんまりしていて威圧感はない。
   この中門から内部へは入山を禁止されているので、正面に建つ仏殿と右奥の庫裏の建物くらいしか見えないが、殆ど、堂塔伽藍が無くなってしまったのか、頼朝の父の旧邸があった所であり、北条政子の開基で栄西の開山と言う由緒正しい鎌倉五山の第三位の禅寺としての威厳と風格は全く消え失せている。
   仏殿の正面には、天然記念物のビャクシンの巨木だけが往時を忍ばせて立っている。

   ところが、この寿福寺の背後の山の中には、広い墓地があり、奥の洞窟の中に、北条政子と源実朝の墓と目されている五輪塔がある。
   山から突き出して露出した岩に奥行きの浅い横穴を穿ったこじんまりとした墓で、実朝の方が大きく、政子の方は間口2メートルくらいの小さな墓で、奥の平土間の真ん中に五輪塔が据えられて、前の花立には、綺麗なピンクのユリとピンクのバラの花が供えられていた。
   二つの墓の洞窟は、ほんの10メートル足らずの距離なのだが、洞窟にあるという意味では、他の偉人たちの墓のように野ざらしではない分幸せだろうが、いかにも質素なのが印象的であった。
   ここの墓所には、高浜虚子や大佛次郎、陸奥宗光の墓があるようだが、虚子の墓しか見つけられなかった。
   この背後の山道を登ると源氏山に至るようであるが、道なき道を登る気はせず、鎌倉駅方向に歩くことにした。

   かなり交通量の激しい街道だが、鶴岡八幡宮の境内横を通って小町通に達して鎌倉駅に至る。
   この日、先日の美術館シンポジウムに触発されたので、丁度、行ってみようと思っていた近代美術館が八幡宮に隣接して建っており、街道に面しているので都合が良かった。
   しかし、残念ながら、ここも、展示換えと言うことで、週末まで閉館であった。
   大体、観光地などに出かけて、都合よく、目的の場所がオープンしていて見られるといった幸運に出くわすことなど、これまでも、それほど多くなかったので気にはならなくなっている。

   しかし、美術館に面した平家池の周りの風景が秋色に染まって、丁度淡い逆光を浴びて光っていて美しかった。
   大きな源氏池の方は、鴨やカモメのような水鳥で賑わっていたが、この小さな平家池の方は、全く人もいないので喧騒感などなく、一羽のコサギと、一羽のゴイサギが池に浮いている島の上でじっとしているだけで、実に静かであった。
   
   私は、鶴岡八幡宮には一度行けば十分だと思っているので、ここへ出かけてくるのは、この源氏と平家の二つの池の周りの自然の変化を楽しみ、源氏池に面したボタン苑のある回遊庭園を散策することで、明日、天気が良ければ、庭園の紅葉見学を楽しもうと思っている。
   
   
コメント
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