熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

年越しの庭仕事

2008年12月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   秋の紅葉を楽しませてくれていた落葉樹も殆ど葉を落として、庭が少し明るくなった。
   手入れが行き届いていないので、大分荒れていた庭を少し整理するために庭仕事を始めた。
   植木などの剪定の時期でもないのだけれど、急いで忘れていた秋植え球根の植え付けをしなければならないが、まず、雑草の除去を終えなければならない。

   一本一本雑草を丁寧に抜き取るのが本来であろうが、大体の所は、スコップを2~3センチ地面に沈めて前に押しながら土と一緒に草を浮かせたり、スコップの先で地面をかいて草を抜くと言った横着なことをしているのだが、雑草と言うものは特別なものを除いてそれほど根が深くないので、結構、これで上手く行く。
   問題は、地面に芽を出し始めた草花の芽の先を一緒に切ってしまうことだが、まだほんの出始めなので、芽には大きな害はないであろうと勝手に思っている。
   (尤も、これは、新しく植えた花壇ではなく、残っていた以前の球根などが発芽した場合のこと)

   この除草方法のもう一つの問題は、同じく発芽したばかりの木の小さな幼苗も抜いてしまうと言うことである。
   尤も、この芽吹いた苗は、私が植えたものではなく、小鳥たちが落とした種が発芽したものなのだが、これまでに、そのまま、放置しておいて育てたたもので、今では、庭の住人然としている木もある。

   今回、枯葉などを熊手でかき集めていたら、隠れていた幼苗が沢山現れてきた。
   多いのは、万両、かくれみの、ムラサキシキブ、アオキで、それに、ヤブランや龍の鬚なども芽を出している。
   私の庭には、かくれみのの木はないので、小鳥たちがどこかで食べた種を落としたのであろう。
   ヤブランは、元々、植えたこともないのだが、今では、結構、庭に広がっている。
   今年は、何故か、発芽が多いような感じがするのだが、摘み取るのも忍びないので、殆ど消えてしまうであろうけれど、そのまま放置しておいて、大きくなったら移植しようと思う。

   ところで、抜いた雑草や剪定した枝などの処分だが、かっては、すべて袋に詰めて廃却していたが、最近は、大枝などは処分するが、それ以外のものは、しばらく、庭の片隅に仮置きすることことはあるが、庭の木の間の空間に何箇所か適当な長さの穴を掘って埋め込み、上に10センチほど土をかぶせて放置している。
   忘れた頃には、土に馴染んでしまって、腐葉土を埋め込んだようになっていて、土壌改良になっているような気がしている。

   これは、植物生態学者の宮脇昭先生の、すべて貴重な資源であるから切った枝などは捨てずに傍に置いておけと言う教えを守っているのだが、焼いてCO2を排出するよりははるかに好ましいと思っている。
   宮脇先生は、日本列島の土地本来の森、即ち、どんぐりの鎮守の森を日本中に再生しようと「ほんものの森」つくり運動を推進している。
   日本の森の主木であるタブ、シイ、カシなどの常緑広葉樹が高木層を形成し、その下に、ヤブツバキ、モチノキ、シロダイ、カクレミノなどの亜高木層、葉の厚ぼったいアオキやヤツデ、ヒサカキなどの低木層、常緑のベニシダ、イタチシダ、ヤブコウジなどの草本層と続く立体的な緑の森が形成されるのだが、一度、創り上げれば、自然のエコシステムが働いて、一切手入れ不要の素晴らしい森が生まれるのだと言う。

   この照葉樹の日本本来の森は、主木が深根性、直根性であるため、台風や地震にも倒れず、葉は常緑で水分を含み延焼を防ぐなど、防災、防音、防塵、暴風、大気浄化、斜面保全、水分保持、水質浄化等々様々な災害防止・環境保全機能を果たすのだと宮脇先生は強調する。
   CO2を吸収して、地球温暖化を緩和するためにも、最善の方法でもあるのであろう。

   私も、宝塚で過ごした子供の頃、よく、近くの鎮守の森で遊んだが、シイやどんぐりの実を拾ったり、藪椿の蜜を吸ったり、ヤツデ鉄砲を作ったりしていた記憶があるが、確かに、誰も、森の中を手入れしなくても、木々は四季折々の花や実をつけて移り変わっていた。

   最近の大地震で、日本古来の森では部分的にしか生えていなかった針葉樹を、建設材として植林した山が大きく崩れた姿を見せているが、日本本来のほんものの森なら、このような無残な崩落はないであろうし、第一、定期的に、下草を刈ったり枝打ち、ツル切り、間伐など管理の必要のないのが良い。

   宮脇先生の話は、大分前に、NHKのTV講座で時々聞いていて知っていたのだが、今、NHKで、宮脇先生の「地球環境へのまなざし」と言うラジオ講座が放送されている。
   テキストを買ったが、日曜日なので、ついつい忘れて聞けなくて、結局、テキストだけ読んだのだが、あらためて、宮脇先生の素晴らしいほんものの森つくり哲学に感動を覚えている。

   久しぶりの庭仕事が、大きな話になってしまったが、
   緑の植物が唯一の生産者であり、我々人類は、謂わば、森の寄生虫にしか過ぎないのだが、この40億年続いてきた生物社会のエコロジカルな共生の上に立って、地球上の命のドラマの頂点にいる自分の存在は一体何を意味するのか。
   一つでも、輪が切れておれば、自分の存在はなかった筈。
   命を育むほんもののエコシステム、ほんものの森を再生して人間本来の地球に戻そう、と青年のような情熱を持った80歳の宮脇先生は語り続けるのである。   
コメント
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