古都京都と違って、東京にある名園は、江戸時代の豪壮な感じの文化を色濃く残している感じだが、今回、初めて江戸時代の大名庭園の代表と言うべき六義園を訪れた。
有名な内庭大門そばのシダレザクラは、既に若葉が茂り始めており、他の桜の木も、吹上茶屋の裏手の桜が1本だけ僅かに花を残すのみで、咲き始めの宣春亭前の八重桜を除いて、全く、季節外れと言う感じであった。
この口絵写真は、残っていた桜を、白鷗橋を渡って林間の遊歩道越しに撮ったものだが、そこだけ明るく輝いていた。
さて、この六義園は、赤穂浪士で有名な浅野長矩を切腹させた張本人である柳沢吉保が築園したもので、4代将軍綱吉に寵愛されて大老格として幕政を主導した実力者であるから、とにかく、スケールが大きくて素晴らしい庭園である。
リッチモンドにあるハンプトンコート宮殿を造ったトマス・ウルジーが、その壮大さのために、ヘンリー王に嫉妬されて献上せざるを得なくなった話があるが、綱吉は何度も、この六義園を訪れているようだが、嫉妬しなかったのは、江戸城内の庭園の方がはるかに良かったのか、吉保が愛い奴過ぎたのか、変なことを考えてしまった。
園内の説明では、築園当時の庭園を狩野派の画家に描かせて、将軍に献上したとかで、その絵のコピー写真が展示されていたが、どうも、桜の木が中心で、そばに赤い花の花木(まさか、紅葉ではない筈で、桃であろうか)が描かれている程度であったから、この庭園のポイントは、桜の名園と言うことであったのであろうか。
園内の桜の木は、悉く大木だが、1702年当時の木ではない筈なので、岩崎彌太郎の別邸になってから植えられた桜の木かも知れない。
しかし、桜の木は、オープンスペースでの単植は少なく、林間に溶け込んだ巨木が殆どで、新宿御苑の桜とは全く違っている。
今、園内で綺麗に咲いている花は、一重で黄色の山吹の花だが、少しずつ咲き始めたツツジや皐月類の花との対照が美しい。
これからは、庭園のあっちこっちに植えられたツツジや、綺麗に刈り込んで成形された皐月やツツジの景観が見事になるであろう。
しかし、今、何よりも美しいのは、木漏れ日を浴びて風に揺れる新緑のモミジや木々の織り成す濃淡取り混ぜた緑のオンパレードで、正に、桜の去った春の林間の風情である。
この庭園の素晴らしさは、やはり、大きな池の中に妹山・背山のある中ノ島、臥龍石、洞窟石組の蓬莱島などを臨み、背後に展開される和歌の名所をあしらった築庭を眺めながら散策しながら楽しむ「回遊式築山泉水」の庭であろう。
とにかく、池を眺めながら、池の周りを一周するだけでも、移り変わる景色の変化が楽しめて素晴らしいのだが、その背後にある高台の藤代峠や林間の茶店など、がらりと変わった名園の姿を味わえるなど、サービス精神横溢の庭である。
私は、豪壮な池越しの風景を楽しむ吹上茶屋より、林間にひっそりと佇むつつじ茶屋や、水音が心地よい滝見の茶屋の雰囲気の方が好きで、質素な佇まいながら、屋根と僅かな壁があるだけの完全にオープンで、林間の木々に溶け込んでおり、ここだけは、五月蝿くて興ざめなカラスの鳴き声からフリーで野鳥のさえずりが聞こえてくる。
つつじ茶屋など、明治年間のつつじの古木で建てられたとかで、曲がった柱の風情が何ともいえないほど風雅であり、周りはモミジで覆われているので、秋の錦はさぞかし素晴らしいであろうと思われる。
閉園前の斜光になった木漏れ日の柔らかな光の乱舞を楽しみながら、静かな茶屋の長いすに座って、色々なことに思いを巡らせていた。
有名な内庭大門そばのシダレザクラは、既に若葉が茂り始めており、他の桜の木も、吹上茶屋の裏手の桜が1本だけ僅かに花を残すのみで、咲き始めの宣春亭前の八重桜を除いて、全く、季節外れと言う感じであった。
この口絵写真は、残っていた桜を、白鷗橋を渡って林間の遊歩道越しに撮ったものだが、そこだけ明るく輝いていた。
さて、この六義園は、赤穂浪士で有名な浅野長矩を切腹させた張本人である柳沢吉保が築園したもので、4代将軍綱吉に寵愛されて大老格として幕政を主導した実力者であるから、とにかく、スケールが大きくて素晴らしい庭園である。
リッチモンドにあるハンプトンコート宮殿を造ったトマス・ウルジーが、その壮大さのために、ヘンリー王に嫉妬されて献上せざるを得なくなった話があるが、綱吉は何度も、この六義園を訪れているようだが、嫉妬しなかったのは、江戸城内の庭園の方がはるかに良かったのか、吉保が愛い奴過ぎたのか、変なことを考えてしまった。
園内の説明では、築園当時の庭園を狩野派の画家に描かせて、将軍に献上したとかで、その絵のコピー写真が展示されていたが、どうも、桜の木が中心で、そばに赤い花の花木(まさか、紅葉ではない筈で、桃であろうか)が描かれている程度であったから、この庭園のポイントは、桜の名園と言うことであったのであろうか。
園内の桜の木は、悉く大木だが、1702年当時の木ではない筈なので、岩崎彌太郎の別邸になってから植えられた桜の木かも知れない。
しかし、桜の木は、オープンスペースでの単植は少なく、林間に溶け込んだ巨木が殆どで、新宿御苑の桜とは全く違っている。
今、園内で綺麗に咲いている花は、一重で黄色の山吹の花だが、少しずつ咲き始めたツツジや皐月類の花との対照が美しい。
これからは、庭園のあっちこっちに植えられたツツジや、綺麗に刈り込んで成形された皐月やツツジの景観が見事になるであろう。
しかし、今、何よりも美しいのは、木漏れ日を浴びて風に揺れる新緑のモミジや木々の織り成す濃淡取り混ぜた緑のオンパレードで、正に、桜の去った春の林間の風情である。
この庭園の素晴らしさは、やはり、大きな池の中に妹山・背山のある中ノ島、臥龍石、洞窟石組の蓬莱島などを臨み、背後に展開される和歌の名所をあしらった築庭を眺めながら散策しながら楽しむ「回遊式築山泉水」の庭であろう。
とにかく、池を眺めながら、池の周りを一周するだけでも、移り変わる景色の変化が楽しめて素晴らしいのだが、その背後にある高台の藤代峠や林間の茶店など、がらりと変わった名園の姿を味わえるなど、サービス精神横溢の庭である。
私は、豪壮な池越しの風景を楽しむ吹上茶屋より、林間にひっそりと佇むつつじ茶屋や、水音が心地よい滝見の茶屋の雰囲気の方が好きで、質素な佇まいながら、屋根と僅かな壁があるだけの完全にオープンで、林間の木々に溶け込んでおり、ここだけは、五月蝿くて興ざめなカラスの鳴き声からフリーで野鳥のさえずりが聞こえてくる。
つつじ茶屋など、明治年間のつつじの古木で建てられたとかで、曲がった柱の風情が何ともいえないほど風雅であり、周りはモミジで覆われているので、秋の錦はさぞかし素晴らしいであろうと思われる。
閉園前の斜光になった木漏れ日の柔らかな光の乱舞を楽しみながら、静かな茶屋の長いすに座って、色々なことに思いを巡らせていた。