熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

緑萌ゆる新宿御苑

2009年04月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   桜の季節が終わった新宿御苑は、新緑萌ゆる正に緑一色で、芽吹いた柳の大木が、池畔で、風に揺れながら逆光に浮かびあがる風情は、実に清々しくて美しい。
   久しぶりに、寒気が上空を覆ったために、逆戻りした冷気が程よく肌をさし、クリアな光が木漏れ陽として地面に揺れる緑陰の新宿御苑の散策は格別である。

   鮮やかな色彩を庭園に鏤めるのは、季節を迎えたツツジと皐月で、玉造りに綺麗に刈り込まれた木々が、微妙な濃淡に息づく新緑に映えて輝いている。
   特に、一群の玉造りのツツジのオンパレードであるツツジ山は、赤い雪洞が地面から生えてきたような感じで面白い。

   オオヤマレンゲの大木に、大きな蘂を付けた白い大輪の花が鏤められていて壮観である。
   昔、花の形が気に入って庭植えしたのだが、すぐに枯れてしまった。知らなかったとは言え、このようなオープンな庭に育ってこその花木で、ほっとしている。
   公園事務所のボードには、今咲いている花情報が書かれていたが、ぐるりと回っただけなので、気づいたのは、山吹と、シランの群生と君子ラン、緑陰の花々には、目が届かなかった。

   私は、キューガーデンでの散策経験が多いので、広大な公園の緑陰や池畔の散歩が好きで、特に、木洩れ陽のさす冷気の漂う林間の風情に限りなく憩いを感じる。
   特に、逆光に照らされて、浮かび上がる木々のささやきが好きで、暗いトンネルのような林間や木々の陰から、宝石のように光り輝く緑の輪舞を見つけると嬉しくなる。

   私は、何時も新宿御苑には、新宿門から入って、日本庭園の方に向かって歩き、池畔にでる。
   椿の林を抜けて茶室楽羽亭を過ぎると池畔に出て、オープンな空間が広がる。
   この口絵写真は、その池畔の休憩小屋から、上の池の対岸を展望したもので、橋の袂の柳が輝いていた。
   
   池畔に沿って、中の池、下の池と歩いて、プラタナスの並木のあるフランス式整形庭園に出る。
   手前に、バラ庭園が広がっているのだが、蕾が固く、咲いている花はほんの僅かで、2~3週間まだ早い。
   プラタナスも、葉が少し出始めたところで、様にはならない。

   このフランス庭園から、新宿門に向かっては、広々とした芝生の空間であるイギリス風景式庭園が広がっている。
   周りの遊歩道沿いには桜などの大木が植えられてはいるが、何故、この何もない緑の芝生の空間を、イギリス風景式庭園と言うのか、全く分からない。
   世界有数の庭園王国イギリスの名誉のために言っておくが、原始林を切り刻んで地球の自然環境を破壊してしまったイギリス文明の野蛮さは許せないと思っているけれど、イギリスの庭園の美しさと奥深さには、目を見張るものがあると言うことだけは付記して置きたい。
   私は、在英中、ミシュランの緑本を手にして、あっちこっちのイギリスの広大な素晴らしい名園の数々を回ったが、自然と共生するイギリス人の美意識を感じて、文化の豊かさを実感している。

   新宿御苑で許せないのは、閉園30分前から園内に流す強烈なスピーカーで、おまけに、15分前からは、大音響で蛍の光を延々と流し続ける。
   ただでさえ、御苑をハイジャックしているカラスの鳴き声に精神の平衡を揺すぶられているのに、無粋なスピーカーで、折角の緑陰の憩いを台無しにされて公園を出る後味の悪さをどうすれば良いのか。
   尤も、「もしもし、ベンチで囁くお二人さん・・・」と言う歌が流行ったことがあるが、お節介な場内放送は、どこの公園もやっているようで、これをサービスと考える民度の低さと言うべきか、文化度の欠如と言うべきか、日本だけ(?)の悲しさ。
   今は、陽が高くなったが、夕暮れで穏やかな斜光に輝く公園が一番美しくて心和む時間であることを、環境省は分かっているのであろうか。

   本当のイギリス風景式庭園に、もう一度、戻りたいとつくづく思っている。
   
コメント
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