正月歌舞伎の夜の部に、玩辞楼十二曲の内 廓文章の吉田屋が上演され、これまでの藤十郎や仁左衛門とは違って、代替わりと言うべきか、襲名なってメキメキ芸の充実を示してきた鴈治郎が、この新歌舞伎座の柿葺落五月大歌舞伎で仁左衛門と登場して以来、久しぶりに出演した玉三郎の扇屋夕霧を相手にして、華やかな舞台を見せた。
鴈治郎は、昨年5月に、実父藤十郎の夕霧に華を添えられて演じており、今回は満を持しての晴れ姿であろう。
この歌舞伎は、歌舞伎美人では、男女の恋模様がみどころの上方和事の代表作と言うのだが、何度見ても、男女の典型的な色恋模様と言うよりも、近松を筆頭に、あの「夫婦善哉」もそうだが、頼りなくてがしんたれの大阪男の代表のような男の芝居であるから、げらげら笑って見ていても、何となく、あほらしくて切ない。
今放映中の朝ドラの「あさが来た」のあさと新次郎を見ているようで面白いのだが、何故、物語の世界では、しっかりして敢然と運命に対峙する健気な大坂女と、頼りなくて能無しの大坂男ばかりが、登場するのであろうか。
尤も、昔から、「また負けたか八連隊」と言われていて、大阪の兵隊は負けてばっかりだったと言う風説が立っているのだが、これは、本当ではなく、ウイキペディアによると、口数が多く弁舌が立ち、商人気質で損得勘定に敏く、かつ反権力的というステレオタイプかつ偏見混じりの大阪商人気質のイメージの反映だと言う。
とにかく、それもこれも、近松門左衛門の大坂を舞台にした心中物、曽根崎心中の徳兵衛とお初、心中天網島の治兵衛とおさん&小春、冥途の飛脚の忠兵衛と梅川、それに輪をかけたような、夫婦善哉の柳吉と蝶子、のイメージが悪過ぎる。
すべてこれであるから、弁解のしようないのかも知れない。
さて、歌舞伎の「吉田屋」は、
大坂新町の吉田屋に、放蕩の末に勘当されて、編笠をかぶって紙衣姿の藤屋の若旦那伊左衛門が、恋人の夕霧に会いたくてやってくる。落ちぶれたとはいえ、元々の飛び切りの上客であったので、喜左衛門夫婦の計らいにより座敷へ迎え入れられる。嫉妬してふて寝している伊左衛門のところに、伊左衛門に会えなくて病気になった夕霧が姿を現すのだが、二人は、つまらない痴話喧嘩を始めてすったもんだ。ようやく仲直りをした二人のところに、勘当が許されたと、夕霧の見受け金が届けれれて、万々歳。
ところで、この吉田屋は、近松門左衛門の「夕霧阿波の鳴門」の冒頭の九軒吉田屋の段と結末を合わせて改作した浄瑠璃なのであって、実は、そんなちゃらちゃらした芝居ではないのである。
伊左衛門と夕霧の間には、既に7歳になる男の子がいて、夕霧の客である阿波の侍・平岡左近に、二人の子供だと嘘をついて預けている。
左近の妻雪が夫の実の子ではないことを知って悲嘆にくれるが、二人から子としてもらい受けることを約束させて源之介として育てる。
その後、いろいろ、複雑なストーリーが展開されるのだが、どうしても子供に会いたい一心の夕霧は乳母になり、伊左衛門は親子を名乗って二人とも左近に追い出されて乞食になって彷徨い、吉田屋に戻って瀕死の状態になっていた夕霧に再会して、最後に、雪からの夕霧養生のための身請け金800両と、伊左衛門の母「妙順」の調達した金で、伊左衛門は目出度く許されて、花嫁、初孫と認められ、喜んだ夕霧が本復する。
そんな話なのである。
しかし、近松の深刻な悲喜劇話を、エエ所取りして、大坂のバカボンを主人公にして、絶世の美女夕霧のしっぽりとした美しさ艶やかさ優雅さを見せてくれた人畜無害の面白い能天気な浄瑠璃にしてくれたのだから、改作も悪くはないと言うことであろう。
伊左衛門を思い詰めて病弱になって紫の鉢巻きをつけた夕霧が、すねて相手にしないので、「懐紙」を取り出して口にくわえて口説くシーン、こたつを持って追いかけっこするシーン、ラブレターを引っ張り合って破れるシーン・・・コミカルタッチで描かれているのだが、遊郭の色事を彷彿とさせて、考え方によっては、実に艶っぽいのである。
いくら考えても分からないのは、才色兼備で遊芸に秀でた教養豊かな傾城夕霧が、何故、伊左衛門と言うちゃらちゃらしたバカボンに恋い焦がれて病気になるほどの物語を、近松門左衛門が書いたかと言うことである。
日本のシェイクスピアと称される近松門左衛門だが、そう言えば、シェイクスピアの戯曲にも、理解に苦しむストーリーが多かった。
それが、偉大な劇作家の劇作家たる所以でもあるのであろうか。
この廓文章の観劇記は、何度か書いているので、鴈治郎と玉三郎の素晴らしい舞台であったことを記して終えたい。
鴈治郎に配慮したのであろう、玉三郎の膝立ち姿のシーンが多かったが、その優雅さ美しさも、また、中々、絵になって素晴らしかった。

