Robert B. Reichのこの本「資本主義の救済 富める少数者のためではなく 多くの人のために Saving Capitalism: For the Many, Not the Few 」は、従来のライシュ節を踏襲しているので、新鮮味には乏しいが、年を追うごとに、富と所得が記録的な勢いで富裕層に集中して行き、もう、富の偏在が頂点に達してしまって、このままでは、資本主義そのものが行き詰まってしまうと言う危機意識が極に達した本である。
ライシュの本は、これまで、大体読んでいて、このブログでは、「暴走する資本主義」と「余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる」については、レビューしている。
どの本でも、ライシュは、リベラルの視点から、舌鋒鋭く、現代資本主義の病巣を抉り出し、糾弾しているのだが、珍しく、この本では、切羽詰まって(?)、どうすれば、この資本主義を救済して、本来の健全な資本主義に立ち戻せるのか、その処方について提言している。
その理論とは、偉大な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが、1952年に著わした「American Capitalism: The Concept of Countervailing Power」で展開した「拮抗力 countervailing power」を、国民を糾合して再構築して、富者や強者に益々富が集中して行く現代資本主義を修正せよと言うことである。
大多数のために機能する民主主義と経済を取り戻すための唯一の方法は、大多数が再び政治に対して積極的になり、新たに拮抗力を打ち立てることだ。巨額な資金に支えられた勢力は、彼らが最も得意とする金儲けを続けて行くであろうが、それ以外の我々は、自らが最も得意とする、自分たちの声と活力と投票権を活かして、経済と政治に対する支配権を奪い返すことである。と、ライシュは、激しく激を飛ばしている。
奇しくも、私が、最初に買った経済学の原書が、このガルブレイスの「American Capitalism」で、この本で論述されている「拮抗力 countervailing power」の考え方にいたく感激して、その後、「豊かな社会The Affluent Society (1958)」で展開された、もう一つのガルブレイスの重要な理論・官と民との「ソーシャル・バランス」論とともに、一気に、ガルブレイス経済学に傾倒して、その著作は殆ど読んで勉強を続けてきた。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によると、
「拮抗力 countervailing power」とは、
経済社会のなかに存在する経済権力に対抗し,それを相殺する権力。 J. K.ガルブレイスが名づけたもので,彼は『アメリカの資本主義』 (1952) のなかで現代資本主義経済はこのような拮抗力によって平衡が保たれているという理論を展開した。今日の社会は消費者主権が保証されず,現代のビッグ・ビジネスの多くは独占または寡占市場のなかで巨大な力をもっている。このような企業に対して,社会的厚生の見地からその力を牽制する組織をつくり上げることで抑制力とし,そこに平衡的な関係を形成してフェアな競争を実現させようとする。たとえば労働条件をめぐる対立において大企業に対する労働組合,消費者運動を通じて行う製品の不買活動などによって大企業の社会的責任の遂行を迫るという形で拮抗力が働くとする。
ガルブレイスは、
この新たに生まれた拮抗力と言う影響力の中枢が、経済成長から得られた利益を広く拡散させる手段となると考えた。経済には民間の市場支配力が存在するため、拮抗力の拡大によって米国経済が自立的に自己調整する能力が強化され、大企業とウォール街に集中した権力との均衡を図る重石として作用し、経済成長が齎した利益のかなりの部分を、米国で大多数を占める中間層や労働者が受け取ることができ、それによって政府に求められる全面的な統制や政策立案の規模が少なくて済むようになった。事実、拮抗力をこの20年間支えたことは、平和時の連邦政府が果たした恐らく最大の役割となった。と述べている。
事実、第二次世界大戦後30年に及ぶ高度経済成長期には、経済とは、将来への希望を生み出すものであり、きつい勤労は報われ、教育は上昇志向で、より多くのより良い仕事を生み出し、殆どの人々の生活水準が上がり続け、米国では、他には見られないような巨大な中間層が形成されて、米国経済の規模が倍増すると同時に、平均労働者の所得も倍増した。
企業経営者たちも、自らの役割を、投資家、従業員、消費者、一般国民、夫々の要求をうまく均衡させることだと考えて、大企業は実質的には、企業の業績に利害をもつすべての人に所有されたステイクホールダー資本主義であった。
アメリカにも、そのような民主主義と資本主義が息づいた素晴らしい時があったのである。
私が、フィラデルフィアで学んでいた1970年代は、ウォーターゲイト事件の最中ではあったのだが、正に、アメリカは憧れの国であり、そのような幸せの残照の時であったのかも知れないと思う。
しかし、その同じ学び舎で、少し前に、トランプが学んでいたとは、驚天動地。
ところが、1980年代から何かが決定的に変わった。
その一つは、草の根の会員組織であった米国在郷軍人会や労働組合、小規模小売店、農協、地方銀行などと言った拮抗勢力の中枢が経済力とパワーが衰退し始めて、米国の多元主義に力と意味を与えていた各種団体の巨大なモザイクがばらばらに崩れ去り、21世紀の最初の10年までに殆ど姿を消し集団としての発言力を消滅させた。
その後は、一気に、富裕層が、カネと権力を駆使して、アメリカの民主主義と資本主義のルールを捻じ曲げて、富の集中に邁進し、格差社会を極致に追い込む。
私は、「暴走する資本主義」のブックレビューの冒頭で、
ライシュ教授は、今日の資本主義をSupercapitalism超資本主義と捉えて、資本主義の暴走が、社会的正義を犠牲にして国民生活ををどんどん窮地に追い込んでおり、この暴走を止めるためには、法律や制度で方向付けを行って規制する必要があると説いている。
多少ニュアンスが違うが、何十年も前に、ガルブレイスが、ソーシャル・バランスの欠如、すなわち、民間企業分野の成長発展に比べて、国民の厚生や社会福祉や正義など公的部門の著しい立ち遅れによって社会的な価値のバランスが欠如していると説いて当時の社会に警告を発したが、丁度、その現在版の再来のようで面白い。
と書いたのだが、ソーシャル・バランスと拮抗力とはガルブレイス経済学の表裏一体の理論であって、ここで、ガルブレイスを想起したのは、偶然とは言え、何となく、ライシュにガルブレイスの影響のあることを感じた査証として、興味深いと思っている。
クリントンは、2008年の世界的金融危機を引き起こす因となったグラス=スティーガル法を廃止に走ったし、あのオバマでさえ、米国史上最も経済界に好意的な政権だと言われており、弱者の味方である筈の民主党でさえ信用できなくなったアメリカ国民の堪忍袋の緒が切れたとは言え、あるいは、それ故にか、選りによって、トランプと言う信じられないような人物を大統領にしてしまった。
ライシュは、新しい時代を信じて、第三政党を立ち上げるなど、果敢に拮抗力復活に向けた処方箋を展開しているのだが、果たして、アメリカ国民は、健全な資本主義を再興できるのであろうか。
ライシュの本は、これまで、大体読んでいて、このブログでは、「暴走する資本主義」と「余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる」については、レビューしている。
どの本でも、ライシュは、リベラルの視点から、舌鋒鋭く、現代資本主義の病巣を抉り出し、糾弾しているのだが、珍しく、この本では、切羽詰まって(?)、どうすれば、この資本主義を救済して、本来の健全な資本主義に立ち戻せるのか、その処方について提言している。
その理論とは、偉大な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスが、1952年に著わした「American Capitalism: The Concept of Countervailing Power」で展開した「拮抗力 countervailing power」を、国民を糾合して再構築して、富者や強者に益々富が集中して行く現代資本主義を修正せよと言うことである。
大多数のために機能する民主主義と経済を取り戻すための唯一の方法は、大多数が再び政治に対して積極的になり、新たに拮抗力を打ち立てることだ。巨額な資金に支えられた勢力は、彼らが最も得意とする金儲けを続けて行くであろうが、それ以外の我々は、自らが最も得意とする、自分たちの声と活力と投票権を活かして、経済と政治に対する支配権を奪い返すことである。と、ライシュは、激しく激を飛ばしている。
奇しくも、私が、最初に買った経済学の原書が、このガルブレイスの「American Capitalism」で、この本で論述されている「拮抗力 countervailing power」の考え方にいたく感激して、その後、「豊かな社会The Affluent Society (1958)」で展開された、もう一つのガルブレイスの重要な理論・官と民との「ソーシャル・バランス」論とともに、一気に、ガルブレイス経済学に傾倒して、その著作は殆ど読んで勉強を続けてきた。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によると、
「拮抗力 countervailing power」とは、
経済社会のなかに存在する経済権力に対抗し,それを相殺する権力。 J. K.ガルブレイスが名づけたもので,彼は『アメリカの資本主義』 (1952) のなかで現代資本主義経済はこのような拮抗力によって平衡が保たれているという理論を展開した。今日の社会は消費者主権が保証されず,現代のビッグ・ビジネスの多くは独占または寡占市場のなかで巨大な力をもっている。このような企業に対して,社会的厚生の見地からその力を牽制する組織をつくり上げることで抑制力とし,そこに平衡的な関係を形成してフェアな競争を実現させようとする。たとえば労働条件をめぐる対立において大企業に対する労働組合,消費者運動を通じて行う製品の不買活動などによって大企業の社会的責任の遂行を迫るという形で拮抗力が働くとする。
ガルブレイスは、
この新たに生まれた拮抗力と言う影響力の中枢が、経済成長から得られた利益を広く拡散させる手段となると考えた。経済には民間の市場支配力が存在するため、拮抗力の拡大によって米国経済が自立的に自己調整する能力が強化され、大企業とウォール街に集中した権力との均衡を図る重石として作用し、経済成長が齎した利益のかなりの部分を、米国で大多数を占める中間層や労働者が受け取ることができ、それによって政府に求められる全面的な統制や政策立案の規模が少なくて済むようになった。事実、拮抗力をこの20年間支えたことは、平和時の連邦政府が果たした恐らく最大の役割となった。と述べている。
事実、第二次世界大戦後30年に及ぶ高度経済成長期には、経済とは、将来への希望を生み出すものであり、きつい勤労は報われ、教育は上昇志向で、より多くのより良い仕事を生み出し、殆どの人々の生活水準が上がり続け、米国では、他には見られないような巨大な中間層が形成されて、米国経済の規模が倍増すると同時に、平均労働者の所得も倍増した。
企業経営者たちも、自らの役割を、投資家、従業員、消費者、一般国民、夫々の要求をうまく均衡させることだと考えて、大企業は実質的には、企業の業績に利害をもつすべての人に所有されたステイクホールダー資本主義であった。
アメリカにも、そのような民主主義と資本主義が息づいた素晴らしい時があったのである。
私が、フィラデルフィアで学んでいた1970年代は、ウォーターゲイト事件の最中ではあったのだが、正に、アメリカは憧れの国であり、そのような幸せの残照の時であったのかも知れないと思う。
しかし、その同じ学び舎で、少し前に、トランプが学んでいたとは、驚天動地。
ところが、1980年代から何かが決定的に変わった。
その一つは、草の根の会員組織であった米国在郷軍人会や労働組合、小規模小売店、農協、地方銀行などと言った拮抗勢力の中枢が経済力とパワーが衰退し始めて、米国の多元主義に力と意味を与えていた各種団体の巨大なモザイクがばらばらに崩れ去り、21世紀の最初の10年までに殆ど姿を消し集団としての発言力を消滅させた。
その後は、一気に、富裕層が、カネと権力を駆使して、アメリカの民主主義と資本主義のルールを捻じ曲げて、富の集中に邁進し、格差社会を極致に追い込む。
私は、「暴走する資本主義」のブックレビューの冒頭で、
ライシュ教授は、今日の資本主義をSupercapitalism超資本主義と捉えて、資本主義の暴走が、社会的正義を犠牲にして国民生活ををどんどん窮地に追い込んでおり、この暴走を止めるためには、法律や制度で方向付けを行って規制する必要があると説いている。
多少ニュアンスが違うが、何十年も前に、ガルブレイスが、ソーシャル・バランスの欠如、すなわち、民間企業分野の成長発展に比べて、国民の厚生や社会福祉や正義など公的部門の著しい立ち遅れによって社会的な価値のバランスが欠如していると説いて当時の社会に警告を発したが、丁度、その現在版の再来のようで面白い。
と書いたのだが、ソーシャル・バランスと拮抗力とはガルブレイス経済学の表裏一体の理論であって、ここで、ガルブレイスを想起したのは、偶然とは言え、何となく、ライシュにガルブレイスの影響のあることを感じた査証として、興味深いと思っている。
クリントンは、2008年の世界的金融危機を引き起こす因となったグラス=スティーガル法を廃止に走ったし、あのオバマでさえ、米国史上最も経済界に好意的な政権だと言われており、弱者の味方である筈の民主党でさえ信用できなくなったアメリカ国民の堪忍袋の緒が切れたとは言え、あるいは、それ故にか、選りによって、トランプと言う信じられないような人物を大統領にしてしまった。
ライシュは、新しい時代を信じて、第三政党を立ち上げるなど、果敢に拮抗力復活に向けた処方箋を展開しているのだが、果たして、アメリカ国民は、健全な資本主義を再興できるのであろうか。