熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂の金春流能「黒塚」、そして、都響のプロムナード・コンサート

2017年06月25日 | 能・狂言
   週末にかけて、二つの公演を聴く機会を得た。
   全くジャンルは違うのだが、最初は、23日の国立能楽堂の生徒の団体鑑賞を意図した「能楽鑑賞教室」で、一週間にわたって行われた金春流の能「黒塚」と大蔵流の狂言「蜘盗人」。
   私の場合は、金春安明宗家が舞う舞台を鑑賞したくて、最終日の「外国人のための能楽鑑賞教室」を選んだ。
   プログラムは、
   解説 リチャード・エマート
   狂言 附子 山本 則俊(大蔵流)
   能  黒塚 金春 安明(金春流)
   当然、エマートの解説は英語で、ほぼ、分かっていることの解説なので、特に抵抗はなく、能楽堂の字幕も英語があって、この方の解説の方が説明が詳しいので、時には、重宝している。
   やはり、この日は、若い外人が多く、その殆どは、欧米人のようであった。

   この黒塚の舞台は、ストーリーとしては、歌舞伎の舞台とはそれ程変わっていない。   ただ、歌舞伎の舞台では、客である山伏(祐慶)たちのために、薪を取りに山に出た里の女が、成仏への予感を感じて、月明かりの荒野で舞う幻想的なシーンが、印象的で、猿之助襲名披露公演で観た当代猿之助の素晴らしい舞台が、いまだに脳裏から離れず、ロシアンバレエから想を得たと言う初代猿之助の芸術性の豊かさと、能舞台のアウフヘーベンを感じて、感激している。
   その意味では、能の方は、シンプルで、醜態を覗き見られた前シテ里の女が、後シテの鬼女に変身して祐慶たちに対して調伏されて消えて行くと言う救いのない姿で終わっている。

   ただし、この「黒塚」では、私自身は、勝手な解釈をして楽しんでいる。
   この鬼女は、前場で、自分の恵まれない苦しい身の上を嘆きつつ、糸を繰りながら糸尽くしの歌を謡い、夜が更けると、「留守中、決して寝所を覗かないでほしい」と頼んで、山伏たちのために薪を取りに出る。
   そんな優しい女らしい心遣いをする鬼女であるから、「紅葉狩」などほかの鬼女と違っていて、私には、心なしか、安明宗家の鬼女は、流れるようにどこか優しくて、優雅でさえあって、私には、殺伐とした安達ケ原の鬼女と言うよりは、先の猿之助歌舞伎の解釈と相通じる思いで、この鬼女には、縁に触れて苦界から抜け出して真人間として生きたいと言う願いを感じて、感慨深く見ていた。

   さて、今日、午後には、久しぶりに、初台の東京オペラシティ コンサートホールに出かけて、都響のプロムナードコンサートNo.373を聴いた。
   本来は、サントリーホールでのコンサートなのだが、休館中で、会場が変わったのである。
   プログラムは、
   指揮/大野和士
   ホルン/シュテファン・ドール
   曲目
   ━日本・デンマーク外交関係樹立150周年━
   ゲーゼ:交響曲第4番 変ロ長調 op.20【ニルス・ゲーゼ生誕200年】
   R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 op.11
   ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》

   デンマークの作曲家ゲーゼについては、全く知らなかったし、初めて聴いた曲だったが、この作曲家の交響曲第一番は、メンデルスゾーンがライプチッヒで初演して成功をお収めたと言うことであるから、非常に親しみ易い曲で、楽しく聞いた。
   次のホルン協奏曲も初めてだと思うが、冒頭の勇壮な感じのホルンから魅力的で、とにかく、ベルリンフィルの首席ホルン奏者だと言うドールの演奏は流石で、私など、弱音の柔らかくて福与かな天国からのようなサウンドの素晴らしさに、感激しきりであった。
   このドールは、熱狂的な観客の拍手に応えて、アンコールで、メシアンの「恒星の呼び声 峡谷から星たちへ より」を演奏したのだが、これ程、強弱緩急自在に取り交ぜて、多彩なサウンドを、ホルンが奏でることが出来るのかと、驚いてしまった。

   ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、主に、欧米でだが、何回聞いたであろうか。
   結構、あっちこっちの博物館や美術館を芸術行脚で通い続けてきたので、この曲のイメージとは全く違うが、その都度、どこからか、この曲のプロムナードが、聞こえて来るような気がしたのである。
   大野和士のタクトが、都響から途轍もない素晴らしいサウンドを引き出し、観客を至福の頂点に導く。

   さて、残念だったのは、この日、ダブルブッキングをしていて、この都響のコンサートに行くか、国立演芸場の国立名人会に行くか、一寸、迷った。
   両方とも同じ時間帯で、両方ともチケットを持って家を出たのだが、藤沢から小田急に乗ったので、結局、初台に向かった。
   人間国宝一龍齋貞水の講談「真景累ヶ淵より 宗悦殺し」をミスってしまった。
   都響のプロムナードコンサートは、年5回なので間が空きすぎて忘れていたので、仕方がない。
   先月、私用で、文楽「加賀見山旧錦絵」も行けなくて、チケットをふいにしてしまったが、最近、歳の所為でもなかろうが、こんなことが多くなっている。
   尤も、ヨーロッパにいた時には、とにかく、チケットを押さえておかないとチャンスを逸するので、オペラやオーケストラのシーズンメンバー・チケットを取得するなど、これと思った公演には、事前にチケットを手配しておいたが、出張や仕事で、随分、チケットを無駄にしてきたが、それよりは、ましであり、日本も中々チケット取得が難しくなってきており、これも、時代の流れなのであろうと思っている。
コメント
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