上から下まで、欺瞞に満ちた民主主義を忘却した政治の貧困さ。
憲法学者の大半が違憲だと言って警告したにもかかわらず、コンニャクのように押し曲げて違憲法案(?)を通し、融通無碍に憲法を操る政治であれば、何でもできる筈なのに、憲法改正だと勢い付く政治の危うさ。
平和日本として、世界中から認められているのなら、このままで良いのではないかと思う今日この頃、何となく、幼い頃に聞いた軍靴の足音が、かすかに、耳元に聞こえてくるような気がする。
何故か分からないが、この2~3日、私が11年前にこのブログで書いた「
人類は何故戦争から開放されないのか・・・アインシュタインとフロイトの往復書簡」が、検索されてヒットしている。
何かの予感のような気がするので、今日は、これをそのまま再録して、私の平和への願いを伝えたいと思っている。
人類は何故戦争から開放されないのか・・・アインシュタインとフロイトの往復書簡
2006年04月22日 | 政治・経済・社会
神保町の某書店で、面白い本を見つけた。見つけたと言うのは、当らない、何故なら以前に一度この本に出会っていて何故だか買いそびれて忘れていたのだが、偶然再会したからである。
それは、アインシュタインとフロイトと言う超偉大な人類の頭脳が、国際連盟の依頼で、ヒットラー台頭の少し前1932年に戦争について往復書簡を交わしたが、その手紙の翻訳と養老先生の解説がついている「ヒトはなぜ戦争をするのか?」と言う本である。
国際連盟からの提案で、アインシュタインが、「誰でも好きな方を選び、今の文明でもっとも大切な問いと思える事柄について意見を交換できることになって、またとない機会に恵まれて嬉しい限りだ」と言って、フロイトに書簡を送り、「人間を戦争と言うくびきから解き放つことはできるのか?」と問い掛けた。
ポッダム近郊カプートに住んでいたアインシュタインには、ヒットラーの軍靴の足音が聞こえていたのであろう、「なぜ少数の人たちが夥しい数の国民を動かし、自分達の欲望の道具にすることが出来るのか?」「国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく―このようなことがどうして起こり得るのであろうか?」と問うている。
ナショナリズムは自分には縁がないと言って、アインシュタインは、
「戦争の問題を解決する外的な枠組みを整えるのは易しいように思える、すべての国家が一致協力して、一つの機関を作り上げれば良い。
この機関に国家間の問題についての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ねるのです。」
「「国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。」と言っている。
この見解に対してフロイトは、アインシュタインの説と同じ結論だとして「戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致協力して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きた時にはこの機関に裁定を委ねるのです。それしか道がないのです。」と言う。
しかし、その為には2つの条件、即ち、そのような機関が現実に創設されること、そして、自らの裁定を押し通すに必要な力を持つことだが、国際連盟も含めて第2の条件を満たすことは不可能であると言って現実性を疑問視している。
世界政府の実現が理想だとする二人の見解も、未だに国連さえ上手く機能し得ておらず、一国覇権主義を強引に推進するブッシュ政権のネオコン政策によって、二度の過酷な大戦の試練を経て築き上げてきた国際的な平和協調主義が危機に瀕してしまっている。
またアインシュタインは次のようにも言っている。
「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られて、相手を絶滅させようとする欲求が!」
「教養のないヒトより知識人ほど、大衆操作による暗示にかかり致命的な行動に走り易い。生の現実を自分の目と耳で捉えずに、紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするからだ。」
理知的で限りなく聡明なドイツ国民が、ナチスの安っぽいアジに煽られてひとたまりもなく崩壊し奈落に転落して言った予兆を、アインシュタインは克明に告発している。
「貴方の最新の知見に照らして、世界の平和と言う問題に改めて集中的に取り組んで頂ければこれほど有難いことはない」、縋り付く様な思いでフロイトに問題を投げかけているのである。
フロイトはやはり精神分析の創始者で偉大な人文学者であり、多少理屈っぽく4倍ほどの長い返信を書いている。
人と人との利害の対立は、基本的に暴力によって解決されていると言う話から始めて、本能的な要求が戦争に駆り立てるのだとアインシュタインに全面的に同意する。
精神分析の衝動の理論を引用して、「愛エロス」と破壊衝動が結びついた衝動が幾つも合わさって人間の行動が引き起こされるとして、理想的なのは、当然、人間が自分の衝動をあますことなく理性のコントロール下に置く状態だと言っている。
文化の発展が、人間の心のあり方を、「知性を強めること」と「攻撃本能を内に向けること」に変えてしまって、戦争はこれに対して対極。戦争への拒絶は、単なる知性的感情的レベルの拒否ではなく、平和主義者の体と心の奥底から沸きあがってくる強い希求だと言うのである。
「このような文化の発展による心の在り方の変化と、将来の戦争がもたらす途轍もない惨禍への不安――この二つが近い将来の戦争をなくす方向に人間を動かしてゆくと期待できるのではないでしょうか。
文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことが出来る!」
これがフロイトの結論と言えば結論だが、現在でも、悲しいかな戦争の抑止力は原子爆弾のみ。しかし、1人の気の狂った人間によるボタン操作一つで世界中を戦争の惨禍に巻きこんで、この宇宙船地球号を破壊してしまう。
私は、このようなことが例へ起こらなかったとしても、人類の文化文明、そして、経済社会の発展(?)によって地球環境、そして、そのエコロジーを破壊してしまって、人類の歴史は終わってしまうと思っている。
遅いか早いか時間だけの問題である。
地中海をアジアに向けてアリタリアで飛んでいた時、眼下に、真ん中が吹っ飛んでしまって側の痕跡だけが微かに残るサントリーニ島の島影を見て、文明が進みすぎて崩壊したアトランティスのことを思い出した、丁度同じ心境である。
憲法学者の大半が違憲だと言って警告したにもかかわらず、コンニャクのように押し曲げて違憲法案(?)を通し、融通無碍に憲法を操る政治であれば、何でもできる筈なのに、憲法改正だと勢い付く政治の危うさ。
平和日本として、世界中から認められているのなら、このままで良いのではないかと思う今日この頃、何となく、幼い頃に聞いた軍靴の足音が、かすかに、耳元に聞こえてくるような気がする。
何故か分からないが、この2~3日、私が11年前にこのブログで書いた「
人類は何故戦争から開放されないのか・・・アインシュタインとフロイトの往復書簡」が、検索されてヒットしている。
何かの予感のような気がするので、今日は、これをそのまま再録して、私の平和への願いを伝えたいと思っている。
人類は何故戦争から開放されないのか・・・アインシュタインとフロイトの往復書簡
2006年04月22日 | 政治・経済・社会
神保町の某書店で、面白い本を見つけた。見つけたと言うのは、当らない、何故なら以前に一度この本に出会っていて何故だか買いそびれて忘れていたのだが、偶然再会したからである。
それは、アインシュタインとフロイトと言う超偉大な人類の頭脳が、国際連盟の依頼で、ヒットラー台頭の少し前1932年に戦争について往復書簡を交わしたが、その手紙の翻訳と養老先生の解説がついている「ヒトはなぜ戦争をするのか?」と言う本である。
国際連盟からの提案で、アインシュタインが、「誰でも好きな方を選び、今の文明でもっとも大切な問いと思える事柄について意見を交換できることになって、またとない機会に恵まれて嬉しい限りだ」と言って、フロイトに書簡を送り、「人間を戦争と言うくびきから解き放つことはできるのか?」と問い掛けた。
ポッダム近郊カプートに住んでいたアインシュタインには、ヒットラーの軍靴の足音が聞こえていたのであろう、「なぜ少数の人たちが夥しい数の国民を動かし、自分達の欲望の道具にすることが出来るのか?」「国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく―このようなことがどうして起こり得るのであろうか?」と問うている。
ナショナリズムは自分には縁がないと言って、アインシュタインは、
「戦争の問題を解決する外的な枠組みを整えるのは易しいように思える、すべての国家が一致協力して、一つの機関を作り上げれば良い。
この機関に国家間の問題についての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ねるのです。」
「「国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。」と言っている。
この見解に対してフロイトは、アインシュタインの説と同じ結論だとして「戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致協力して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きた時にはこの機関に裁定を委ねるのです。それしか道がないのです。」と言う。
しかし、その為には2つの条件、即ち、そのような機関が現実に創設されること、そして、自らの裁定を押し通すに必要な力を持つことだが、国際連盟も含めて第2の条件を満たすことは不可能であると言って現実性を疑問視している。
世界政府の実現が理想だとする二人の見解も、未だに国連さえ上手く機能し得ておらず、一国覇権主義を強引に推進するブッシュ政権のネオコン政策によって、二度の過酷な大戦の試練を経て築き上げてきた国際的な平和協調主義が危機に瀕してしまっている。
またアインシュタインは次のようにも言っている。
「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られて、相手を絶滅させようとする欲求が!」
「教養のないヒトより知識人ほど、大衆操作による暗示にかかり致命的な行動に走り易い。生の現実を自分の目と耳で捉えずに、紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするからだ。」
理知的で限りなく聡明なドイツ国民が、ナチスの安っぽいアジに煽られてひとたまりもなく崩壊し奈落に転落して言った予兆を、アインシュタインは克明に告発している。
「貴方の最新の知見に照らして、世界の平和と言う問題に改めて集中的に取り組んで頂ければこれほど有難いことはない」、縋り付く様な思いでフロイトに問題を投げかけているのである。
フロイトはやはり精神分析の創始者で偉大な人文学者であり、多少理屈っぽく4倍ほどの長い返信を書いている。
人と人との利害の対立は、基本的に暴力によって解決されていると言う話から始めて、本能的な要求が戦争に駆り立てるのだとアインシュタインに全面的に同意する。
精神分析の衝動の理論を引用して、「愛エロス」と破壊衝動が結びついた衝動が幾つも合わさって人間の行動が引き起こされるとして、理想的なのは、当然、人間が自分の衝動をあますことなく理性のコントロール下に置く状態だと言っている。
文化の発展が、人間の心のあり方を、「知性を強めること」と「攻撃本能を内に向けること」に変えてしまって、戦争はこれに対して対極。戦争への拒絶は、単なる知性的感情的レベルの拒否ではなく、平和主義者の体と心の奥底から沸きあがってくる強い希求だと言うのである。
「このような文化の発展による心の在り方の変化と、将来の戦争がもたらす途轍もない惨禍への不安――この二つが近い将来の戦争をなくす方向に人間を動かしてゆくと期待できるのではないでしょうか。
文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことが出来る!」
これがフロイトの結論と言えば結論だが、現在でも、悲しいかな戦争の抑止力は原子爆弾のみ。しかし、1人の気の狂った人間によるボタン操作一つで世界中を戦争の惨禍に巻きこんで、この宇宙船地球号を破壊してしまう。
私は、このようなことが例へ起こらなかったとしても、人類の文化文明、そして、経済社会の発展(?)によって地球環境、そして、そのエコロジーを破壊してしまって、人類の歴史は終わってしまうと思っている。
遅いか早いか時間だけの問題である。
地中海をアジアに向けてアリタリアで飛んでいた時、眼下に、真ん中が吹っ飛んでしまって側の痕跡だけが微かに残るサントリーニ島の島影を見て、文明が進みすぎて崩壊したアトランティスのことを思い出した、丁度同じ心境である。