熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・「芸術祭寄席」

2018年11月28日 | 落語・講談等演芸
   11月27日の国立演芸場の公演は
   特別企画公演 明治150年記念
   芸術祭寄席 ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―
   プログラムは、次のとおりである。
   

   ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―と言うサブタイトルがついているのだが、特にその雰囲気を感じさせるのは、玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」、そして、強いて言えば、 上野の停車場へ走る人力車を語った桂やまとの落語「反対俥」くらいであろうか。
   春風亭昇太の落語「権助魚」、桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」、立花家橘之助の浮世節「たぬき」、柳家権太楼の落語「文七元結」も、明治と関連付ければ、そうかなあと思えるのだが、何も、明治にこだわらなくても、面白ければよいと思って聞いていた。
 
   それぞれ、選ばれた芸であるので、素晴らしかったが、やはり、感激して聞いたのは、トリの権太楼の落語「文七元結」。
   
   「文七元結」は、圓朝の人情噺で、
   長兵衛は、素晴らしい腕を持った左官職人でありながら、博打と酒で身を持ち崩して借金で二進も三進も行かなくなり、堪り兼ねた娘お久が女郎屋「角海老」に自ら身売りして拵えた50両を、持ち帰る途中で、回収金50両を盗まれて身投げしようとしていた白銀町鼈甲問屋近江屋の手代文七に「命はカネでは買えない」と言ってくれてやると言う、お人好しか馬鹿か男気があると言うのか、そんな気風の良い江戸の男の話である。
   赤貧芋を洗うがごとき貧しい生活をしていて、呼び出されて「角海老」の女将に会いに行く時にも、半纏しかなくて女房お兼の着物を脱がせて着て行き、金をなくして帰ってきて、腰巻も屑屋に売って裸同然の姿で衝立の陰に隠れているお兼と血の雨が降る大ゲンカ、
   そこへ、盗まれたと思っていたカネは置き忘れだと分かり、近江屋の主人卯兵衛が文七を連れてお礼に参上し、娘を身請けした上に、文七に暖簾分けをして独立させるので娘を嫁にと願い出るというハッピーエンドで終わる。

   これまで、この物語は、落語で聞くよりも、歌舞伎の舞台で、観る方が多かった。
   最初は、幸四郎(白鷗)の長兵衛に染五郎(幸四郎)の文七、
   しかし、何回か観ているのは、菊五郎の長兵衛と時蔵のお兼、それに、菊之助と梅枝の文七、尾上右近のお久、私には、菊五郎と時蔵の夫婦像が目に焼き付いている。

   落語では、三遊亭圓丈で、2回聴いている。
   歌丸の圓朝ものは、かなり聴いているので、聴いたか聴いていないかは別として、何となく、語り口は分かるような気がしている。

   歌舞伎では、大河端の直後は、長兵衛宅の凄まじい夫婦げんかで幕が開くが、落語では、文七が店に帰り、盗まれたと思っていた50両が置忘れで届いていたという話から始まり、舞台が近江屋に移って、大店の人間模様が描かれていて興味深い。
   お久が苦界に身を沈めた50両だという話でありながら、命の恩人の名前も住所も聞かなくて窮地に立った文七に、番頭の平助が、立て板に水、水を得た魚のように、吉原の女郎屋情報を開陳して店の名を羅列して思い出させる当たりなど、「固いと思っていた番頭さんが!」と主人卯兵衛を唸らせる当たり、怪我の功名としても、まさに落語の世界で、番頭はかくあるべきと江戸ビジネスの一端を垣間見せて面白い。

   圓丈の「文七元結」の独特な圓朝の世界に感動を覚えて、この噺の凄さを知った。
   おそらく、歌丸が語れば、昭和平成の語り部よろしく、しっとりとして胸にしみこむ圓朝の世界を再現させてくれたのであろうが、権太楼の「文七元結」は、真剣勝負そのものの剛腕直球の鋭く冴えた語り口で、登場人物が、権太楼に乗り移ったような臨場感あふれる熱演で、江戸落語の奥深さ、年季を重ねたいぶし銀のような芸の輝きを実感して感動した。
   子供の不祥事で、親が世間に頭を下げ続ける世相を語って、逆に、親が悪いと始末に負えないと、枕を端折って語り始めて、40分みっちりと「文七元結」を語り切ったのである。

   立花家橘之助の浮世節「たぬき」は、昨年の襲名披露公演できいていて二回目、しっとりとした、正に文明開化ムードで素晴らしい。
   非常にパンチの効いたエネルギッシュな落語「反対俥」を語った桂やまとが、下座でたぬきサウンドを奏しながら、たぬきのぬいぐるみ姿で舞台に登場して、器用に小鼓を打って、 橘之助の三味線と浮世節に唱和して、芸達者ぶりを披露していた。

   玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」は、伊藤博文の機転と才知で、長州藩士5人が、ロンドンへ密航する話で、足軽ながら向上心に燃える伊藤俊輔が後に総理大臣に上り詰める秘密の片鱗を見せていて、下剋上、波乱万丈の明治維新が、革命なしに成し遂げえたワンシーンが見えて面白かった。
   上智をでた才媛でインテリ浪曲師、とにかく、パンチの効いたはつらつとした語り口が、最高で、新しい浪曲の世界を開いてくれるであろうと、期待している。

   私が、幼少年から青年時代を送ったのは、敗戦の混乱期から、神武景気を経て東京オリンピック、やっと、日本が立ち上がりかけた時代であったから、正に、第二の明治維新。
   敗戦で荒野と化した国土で、食うものも真面に食えずピーピー言って子供時代を過ごした私自身が、幸運に恵まれたというべきか、学生歌の文句ではないが、”フィラデルフィアの大学院を出て、ロンドンパリを股にかけて”、企業戦士として欧米人と闘いながら地球を歩いて来れたのは、今思えば、夢の夢。
   しかし、修羅場を潜っての苦難の連続、
   玉川奈々福の浪曲を聴いていて、涙する思いであった。

   春風亭昇太が、落語「権助魚」を語る前に、まくらに、幕末に、薩摩や長州が、無謀にもイギリスと戦端を交え、やっと、国家として立ち上がりかけた新生日本が、大国中国やロシアに挑んでそれも勝ったと言う話をしながら、豊かに成り過ぎて、新鮮味を有難みも薄れてしまった今の世相を、笑いに紛らわせながら、語っていた。
   初めて食べたピザの途轍もない美味しさ、欲しくても食えなかった寿司を、初月給を握って寿司屋に行って食べた時の興奮、
   幼いガキが、回転寿司屋で器用にパネルを操作し、そして、高級寿司屋で、トロやウニなどを食っている昨今・・・何が人間にとって幸せなのか、
   「権助魚」も中々の話芸開陳であったが、昇太のぼやきマクラも面白い。

   桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」は、喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らなくて本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁を試み、お半と長右衛門をここへ出せと言ったら、桂川で心中したと言われて、汽車で来れば良かった。と言ったとぼけた話。
   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、桂雀三郎の大阪弁も冴えていて面白かった。
   
コメント
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