熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大阪・奈良へのショート・トリップ(2)

2020年02月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   1月13日に、国立文楽劇場で、1日中文楽を鑑賞して、翌日14日は、夕刻のJAL便で羽田へ帰るまでの時間、奈良を訪れることにした。
   朝早くホテルを出て、上六から近鉄で西大寺に出て西ノ京に向かったのだが、久しぶりに、あっちこっちで、通勤客のラッシュに出くわし、昔を思い出す。
   西大寺で、樫原神宮行きの鈍行に乗り換えると、それからは、まったく、奈良の田舎。
   多少駅舎も近代化しているが、薬師寺と唐招提寺しかない鄙びた佇まい。
   私が、初めてこの西ノ京を訪れたのは、もう、半世紀以上の前の話で、破れた筑地塀の間から、見え隠れしていたのは薬師寺の東塔だけ。
   尋ねる人とない、寂しい田舎で、良く覚えていないが、雨漏りのするような寂しい堂内で、聖観世音菩薩像と薬師三尊像の素晴らしい姿を仰ぎ見たような気がする。
   しかし、東塔は、文句なしに美しく素晴らしかった。

   その後、京大の教養部の美学の授業で、上野照夫教授に連れられて薬師寺を訪れて、薬師寺の美について話を聞き、当時、副管長であった高田好胤師から講話を受けた。
   何故か強烈に印象に残っているのは、自分は男前なので、罪が深いと冗談交じりに話した話。
   それから、東塔について、天武天皇が事業半ばにして崩御し、その後を継いだ皇后の持統天皇が完成した塔で、三重塔は天武天皇、三重の裳腰は持統天皇、二人の愛の結晶であるから、美しいという話。

   この好胤管長に、金堂の再建を依頼された天下の宮大工西岡常一が、タレント坊主は嫌いだと、誤解して一時は断ったのだが、心血注いで完成させた暁には、西塔再建まで実現させたのであるから、すごい出会いである。
   フェノロサが「凍れる音楽」と激賞したこの塔、6重の塔を思わせる絶妙のコントラストで、九輪の上に天女の舞う水煙と宝珠を頂く凄く美しい塔で、私は、これを見たくて、薬師寺を何度も訪れている。
   前回は、大修理中であったが、今回は、5月の落慶 慶賛法要ならびに奉納行事を前にして、ほぼ、板囲いが外されて、懐かしい全容を現しつつあった。
   
   
   

   国宝の吉祥天画像「麻布著色吉祥天像」が、通常は非公開だが、正月の吉祥悔過会の際(1月1日 - 15日)に金堂薬師三尊像の前に安置されると聞いていたので、14日だったので、期待して行ったのだが、国宝は3が日だけで、それ以降は、平成の吉祥天像、すなわち、女流画家の模写が展示されていた。
   売店で、両方の絵を絵ハガキで見比べたが、確かに良く描けていてはいるものの、雰囲気は全然違う。
   私自身、東京か京都の国立博物館で、実物を見た記憶があるので、それほど苦にはしていないが、やはり、少しは失望した。
   

   さて、この日、最初に拝観したのは、東院堂の聖観世音菩薩像である。
   薬師三尊像のように黒光りのする実に美しい美男の、軽快な井出達のモダンな御仏で、私が、一番最初に憧れた仏像である。
   この像は、新しい伽藍とは関係なく、半世紀前に訪れた時と同じ国宝の建物東院堂に安置されていて、懐かしい。

   ところで、今回は、残念ながら、新しい食堂と玄奘三蔵院が閉まっていて、入れなかった。

   
コメント
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