花を育てて、写真を撮ることを楽しみにしているので、結構、花瓶に興味を持って買うことがある。
陶磁器の収集家でもなく骨董に興味があるという訳でもないので、買うと言っても、決して上等なものでもなければ、銘のあると言った類いのものでもない。
口絵写真の右側の花瓶の絵は、梅にウグイスで、何の変哲もない絵だが、リアルで綺麗なので買った九谷焼で、日本の花瓶は、花鳥風月、四季の移ろいを描いていて実にポエティックで、好きなので、無造作に、というのは、花道のイロハも知らないので、我流で庭に咲く花を投げ入れて楽しんでいる。
今、NHKの朝ドラのスカーレットでは、信楽焼の里が舞台となっていて、また、日経の私の履歴書では、楽焼の楽吉左衛門が記事を書いているし、期せずして、毎日、陶磁器に触れている感じである。
私が陶磁器に興味を持ち始めた切っ掛けは、オランダにいて、デルフト焼きの工房を見学したことで、その後、マッカムを訪れたりして、オランダ陶器を買い始めた。
その後、ロンドンに移り住み、紅茶からウエッジウッドに興味を持ち始めるのは当然で、出張や家族旅行で、ヨーロッパを飛び回ると、マイセンから、ウィーンのアウガルテン、ハンガリーのヘレンド、フィンランドのアラビアと、どんどん広がって行ったのである。
ボヘミアのガラス器や、フランスのバカラにも興味は移ってゆくが、勿論、安サラリーマンの悲しさで、おいそれと思うように買えるわけがない。
8年間ヨーロッパに住んでいて、あっちこっち歩いていたので、いろいろなヨーロッパ製の陶磁器やガラス器が、あったのだが、東日本を襲った3.11の大地震で、当時住んでいた千葉は、震度6弱か5強で、食器棚などが全開して、食器やオーナメントが飛び散って、無残にも、半数以上のものが、粉々に割れてしまって、足の踏み場もない状態になってしまった。
部屋は絨毯敷きであっても、3度襲った大地震で、落下して割れた陶磁器やガラス器の上に、次から次へと、残りの陶磁器やガラス器が落下してぶち当たるので、一溜まりもなく粉々に割れてしまう。
数が多かった所為もあってか、ウエッジウッドなどイギリス陶器が壊滅的な打撃を受けて、そのほか、ワイングラスも殆ど割れて、しばらく、ワインをまともに飲めなかったのを覚えている。
それに、揃っていたはずのセットものの食器が、あっちこっち欠品となって使い物にならず、日本で埋め合わすのなどは大変なので、諦めた。
懐かしい思い出の品々が、殆ど逝ってしまった悲しみは、当分、癒やせなかったが、残った食器やガラス器、オーナメントなどを、それまで以上に大切に反芻しながら使っているにで、まあ、良いかと思っている。
大地震以降、海外に行ったのは、ロシアと中国だけなので、海外製の食器類は増えず、増えるのは、和食器や日本製の花瓶だけである。
訪れたのは、備前焼と萩焼の里くらいで、あまり動かなくなってしまったので、最近は、近くの店へ出かけていったり、昔は行かなかった骨董店やリサイクルショップを訪れたり、ネットショップなどで、珍しいものを求めたりして楽しんでいる。
しかし、長い人生で、有り余るほど、ガラクタ食器や花瓶に溢れているので、家族は、一つ買うごとに嫌な顔をしており、ぼつぼつ、年貢を納めなくてはならないと思っている。
しかし、暇になると、まず、訪れるのは、本屋であって、その次は、陶器関係のショップを、椿の絵が描かれたものはないかと探訪しているのであるから、やはり、趣味なのかもしれないと思っている。
陶磁器の収集家でもなく骨董に興味があるという訳でもないので、買うと言っても、決して上等なものでもなければ、銘のあると言った類いのものでもない。
口絵写真の右側の花瓶の絵は、梅にウグイスで、何の変哲もない絵だが、リアルで綺麗なので買った九谷焼で、日本の花瓶は、花鳥風月、四季の移ろいを描いていて実にポエティックで、好きなので、無造作に、というのは、花道のイロハも知らないので、我流で庭に咲く花を投げ入れて楽しんでいる。
今、NHKの朝ドラのスカーレットでは、信楽焼の里が舞台となっていて、また、日経の私の履歴書では、楽焼の楽吉左衛門が記事を書いているし、期せずして、毎日、陶磁器に触れている感じである。
私が陶磁器に興味を持ち始めた切っ掛けは、オランダにいて、デルフト焼きの工房を見学したことで、その後、マッカムを訪れたりして、オランダ陶器を買い始めた。
その後、ロンドンに移り住み、紅茶からウエッジウッドに興味を持ち始めるのは当然で、出張や家族旅行で、ヨーロッパを飛び回ると、マイセンから、ウィーンのアウガルテン、ハンガリーのヘレンド、フィンランドのアラビアと、どんどん広がって行ったのである。
ボヘミアのガラス器や、フランスのバカラにも興味は移ってゆくが、勿論、安サラリーマンの悲しさで、おいそれと思うように買えるわけがない。
8年間ヨーロッパに住んでいて、あっちこっち歩いていたので、いろいろなヨーロッパ製の陶磁器やガラス器が、あったのだが、東日本を襲った3.11の大地震で、当時住んでいた千葉は、震度6弱か5強で、食器棚などが全開して、食器やオーナメントが飛び散って、無残にも、半数以上のものが、粉々に割れてしまって、足の踏み場もない状態になってしまった。
部屋は絨毯敷きであっても、3度襲った大地震で、落下して割れた陶磁器やガラス器の上に、次から次へと、残りの陶磁器やガラス器が落下してぶち当たるので、一溜まりもなく粉々に割れてしまう。
数が多かった所為もあってか、ウエッジウッドなどイギリス陶器が壊滅的な打撃を受けて、そのほか、ワイングラスも殆ど割れて、しばらく、ワインをまともに飲めなかったのを覚えている。
それに、揃っていたはずのセットものの食器が、あっちこっち欠品となって使い物にならず、日本で埋め合わすのなどは大変なので、諦めた。
懐かしい思い出の品々が、殆ど逝ってしまった悲しみは、当分、癒やせなかったが、残った食器やガラス器、オーナメントなどを、それまで以上に大切に反芻しながら使っているにで、まあ、良いかと思っている。
大地震以降、海外に行ったのは、ロシアと中国だけなので、海外製の食器類は増えず、増えるのは、和食器や日本製の花瓶だけである。
訪れたのは、備前焼と萩焼の里くらいで、あまり動かなくなってしまったので、最近は、近くの店へ出かけていったり、昔は行かなかった骨董店やリサイクルショップを訪れたり、ネットショップなどで、珍しいものを求めたりして楽しんでいる。
しかし、長い人生で、有り余るほど、ガラクタ食器や花瓶に溢れているので、家族は、一つ買うごとに嫌な顔をしており、ぼつぼつ、年貢を納めなくてはならないと思っている。
しかし、暇になると、まず、訪れるのは、本屋であって、その次は、陶器関係のショップを、椿の絵が描かれたものはないかと探訪しているのであるから、やはり、趣味なのかもしれないと思っている。