熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NHKの大河ドラマと「鎌倉殿の13人」

2022年12月29日 | 映画
   NHKの大河ドラマだが、今年の「鎌倉殿の13人」が第61作目だという。
   第1作の「花の生涯」が、1963年だと言うから、もう随分歴史のある記念的なテレビドラマである。
   私の大学時代からのスタートであるから、殆ど記憶がなくなっているが、この間、14年間、海外生活を送っているので、15~6回は見ていないけれど、かなり、熱心にテレビの前にかじり付いていたと思う。
   しかし、録画は続けていたものの、最近では、2016年の第55作の「真田丸」の後半から何故か見なくなっていたのだが、今年は、我が町「鎌倉」が舞台なので、珍しく、ほぼ最初から最後までずっと見続けてきた。
   息の長い連続ものなので、途中で途切れてしまうと見なくなってしまうのだが、見始めると途中で止まらなければ最後まで続く。

   「鎌倉殿の13人」は、少し、殺伐としていた所為もあって、視聴率は良くなかったようだが、私は歴史物が好きなこともあって、違和感なく楽しませて貰った。
   史実とは多少違った筋立てや、フィクション場面があったりして、物語性を増幅してはいたが、器用な脚色で魅せてくれた。お笑いや娯楽性を意識して削いだのか、正攻法の歴史物語としてストレートに演じていたようで、私には、好ましかった。

   主役「北条義時」を演じた小栗旬については、もう、20年近く前から、蜷川幸雄の一連のシェイクスピア戯曲に出演して、シェイクスピア役者としての素晴しい舞台を観ていたので、非常に期待して観ていた。
   イギリスでは、ローレンス・オリヴィエ、ケネス・ブラナーを初めとして、名優の多くはシェイクスピア役者であり、私など、RSCの舞台に通いつめていた頃があるので、特に、舞台でのリアルな演技に感銘を受けている。
   私は、小栗旬の義時には、テレビであるからアップが多いので、微妙な仕草や特に顔の表情などの心理描写を注視していて、その表現の豊かさやその繊細さに魅せられていた。シェイクスピアの舞台ではないので、重要な台詞回しは大分雰囲気が違っていて、映画同様の会話調なのだが、いずれにしろ、何の夢も野心もない平々凡々とした田舎の若侍から、徐々に試練を潜り抜けながら権力の頂点に上り詰めて行く義時の数奇な運命を巧みに演じきっていて壮快であった。
   今日の放映の「総集編」を観ていると、早回しの映像のように微妙なニャンスは消えてしまっているが、義時の生きとし軌跡が良く分かって面白かった。

   もう一つ興味深かったのは、歌舞伎役者の登場で、実際に舞台で観たときの印象と大分違っていて、別な人物像が見え隠れしていて非常に新鮮であった。
   彌十郎、猿之助、愛之助、松也、獅童、染五郎などの突出したキャラクターの表出など出色で、シェイクスピア役者や宝塚歌劇出身の女優など舞台経験を経た役者の演技には、それなりに舞台で積み重ねや年期以上の蓄積があらわれるのであろう、実に芸達者である。

   頼朝の大泉洋や政子の小池栄子初めとして殆どの役者は、映画やテレビでしか観ていないのだが、流石にNHKで、非常に人を得た見事なキャスティングである。
   一人一人に感慨を覚えながらも上手く表現できないのが残念なのだが、演技とは言え、その人物に成り切っていて、何の抵抗もなく物語に引き摺り込まれて、喜怒哀楽を共にして観ていて、歴史を追体験しているつもりになるのだから、たいしたものである。
   能面を付けた能楽の舞台と同じで、時代劇であるために髪型や衣装など登場人物が今様でないので、その分、現実離れしていて余計に劇的効果が増幅されて、役者の地が消えてしまう感じで都合が良い。

   やはり、大河ドラマは、それだけの値打ちがあり、1年間通して観ていると色々教えられることがあって、それに、日本の歴史に触れて、古典芸能とは違った日本文化の息吹を感得して楽しむ良さがある。
   総集編を見ながら、オリジナルの映像を思い出しつつ、物語を追っていた。
   
コメント (1)
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