インターネットを叩いていると、次の記事にであった。
”京都市民の怒り爆発寸前? JR嵯峨野線「インバウンド大混雑」”
京都市を走るJR嵯峨野線の混雑が深刻さを増している。嵐山地区へ向かう外国人観光客が殺到しているためだが、抜本的な混雑解消策は取られないまま。どうしてだろうか――。と言うのである。
外国人観光客の大半が向かうのは、右京区と西京区にまたがる名勝の嵐山地区。右京区の嵯峨嵐山駅に到着するまでの約15分間、・・・ 外国人観光客が一斉に下車すると、列車がガラガラ状態でホームを離れる一方、改札前が大渋滞に。やがて、外国人観光客は渡月橋や竹林の道、保津峡を走る嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車など嵐山の名所へ向かい、陽気な歓声を上げていた。しかし、足として使っている地元民にとっては堪ったものではない。
京都駅あたりから嵐山に行くのなら、バスもあるし、地下鉄や阪急電車や嵐電などを乗り継げば混雑を避けて行けるのだが、JR嵯峨野線が一番便利なのであろう。
もう60年以上も前になるが、私が学生の頃、この山陰本線の鈍行に乗って、嵐山に向かう観光客など殆どいなかった。今昔の感である。
さて、私がここで語ろうとするのは、旅は、若いときに積極的にやるべきだと言うことである。
2週間連続した自由な時間が取れたら、このブログの記事に収容した「ニューヨーク紀行」をリピートして、METでオペラを楽しみ博物館で芸術鑑賞三昧、そして、わが母校のあるフィラデルフィアへセンチメンタルジャーに出ようと思っていたのだが、如何せん、杖をついての老人旅では無理なので諦めている。
しかし、今ともなれば、残念だとも思っていないし、旅に行けなくても、何故か、これまでの多くの旅の経験に満足しており、その思い出を反芻するのを楽しんでいる。
このブログの他の「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」、「初春の上海・江南紀行」、「晩秋のロシア紀行」は引退後の記事なのだが、20世紀後半現役時代には、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパでの14年間の海外生活などを通して、随分世界中を歩いてきたので、見るべきものは見たと言う心境で、思い残すことは殆どない。
まず、旅のはしりだが、幸い、大学が京都であったし、ビジネス生活も初期は大阪であったので、寸暇を惜しんで、古社寺巡礼、歴史散歩に明け暮れていた。
観光案内書があっても貧弱で、和辻哲郎や亀井勝一郎の本や、平家物語や源氏物語の原典など、歴史書や美術書など総合してイメージを作り上げて、自前の旅を楽しんでいた。
例えば、今は綺麗になっているが、嵯峨野や嵐山も草深い田舎と言った感じで、祇王寺など朽ち果てた佇まいで、隣の滝口寺などどこから入れば良いのか分からないくらい荒れ果てていて、勿論、尋ねる人など居なかった。しかし、小脇に抱えた平家物語の物語が彷彿として浮かび上がってくる、祇王祇女そして仏御前、横笛と滝口入道の悲恋など、平家物語の世界に引き込まれて感激しきりであったのを、昨日のように覚えている。
伊丹から東一条の大学に通っていたので、時には、河原町四条に向かわずに、途中で桂から嵐山に転進して、嵯峨野で沈没、
嵐山嵯峨野は、私の懐かしい青春時代の散歩道だったが、歳を取ってから能狂言に通い始めたので、今でも、平家物語や源氏物語が私の心に息づいている。
その嵐山嵯峨野が、インバウンドでパンク寸前だという。
今昔の感の激しいのは、グラナダのアルハンブラ宮殿、
一番最初に訪れたのは、ブラジルからの帰途1979年4月だと思うのだが、観光客も少なくて、一日中、殆ど人の居ない宮殿内を十二分に楽しんだ。その後、2回ほど訪れたが、世紀末には、入場チケット取得から大変で、室内の鑑賞など数十秒刻みで移動させられるという銀座並みの混みよう。
自由に楽しめたベニスのサンマルコやドカーレ宮殿も短時間では入れず、ウフィッツィ美術館も飛び込みでは入場できないという。それも、前世紀の話で、今では、特別予約のついたガイドツアーでないと、名だたる観光名所の入場や観劇チケットの取得など無理なのであろう。
私は、1985年から1993年にかけてヨーロッパ在住であったので、クリスマスと夏休暇シーズンに、自由気ままな自分自身でアレンジしたヨーロッパ旅行を敢行してきた。もう、あの頃までが、本当の良きヨーロッパを楽しむ限界であったのであろうと思っている。
欧州旅と観劇行脚に入れ込んだお陰で、一文無しになってヨーロッパから帰ってきて苦労したが、二度とない千載一遇のチャンスを利用して経験した貴重な人生であったので、誇りにさえ思っている。
自由の身になってからゆっくり世界旅行を楽しもう等というのは、邪道であろう、ヨーロッパのあっちこっちで、ツアーについて行けずに沈没したり、途中でギブアップしたりしていた多くの老年の日本人観光客を見ているので、無理をしてでも、若いときに時間を割いて旅に出るべきである。海外旅の醍醐味の一つは、何でも見てやろうと積極的に行動して異文化異文明との遭遇に感激して楽しむこと、歳を取ってからでは遅い。
それに、世界人口が80億を超えて、中印など豊かになった新興国の観光客がワンサと押しかけているので、早く行かないと、なにもかも観光できなくなってきてしまう。
私は、今でも、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、修復前、修復中、修復後の3回、鑑賞出来たのは奇跡だと思っている。
”京都市民の怒り爆発寸前? JR嵯峨野線「インバウンド大混雑」”
京都市を走るJR嵯峨野線の混雑が深刻さを増している。嵐山地区へ向かう外国人観光客が殺到しているためだが、抜本的な混雑解消策は取られないまま。どうしてだろうか――。と言うのである。
外国人観光客の大半が向かうのは、右京区と西京区にまたがる名勝の嵐山地区。右京区の嵯峨嵐山駅に到着するまでの約15分間、・・・ 外国人観光客が一斉に下車すると、列車がガラガラ状態でホームを離れる一方、改札前が大渋滞に。やがて、外国人観光客は渡月橋や竹林の道、保津峡を走る嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車など嵐山の名所へ向かい、陽気な歓声を上げていた。しかし、足として使っている地元民にとっては堪ったものではない。
京都駅あたりから嵐山に行くのなら、バスもあるし、地下鉄や阪急電車や嵐電などを乗り継げば混雑を避けて行けるのだが、JR嵯峨野線が一番便利なのであろう。
もう60年以上も前になるが、私が学生の頃、この山陰本線の鈍行に乗って、嵐山に向かう観光客など殆どいなかった。今昔の感である。
さて、私がここで語ろうとするのは、旅は、若いときに積極的にやるべきだと言うことである。
2週間連続した自由な時間が取れたら、このブログの記事に収容した「ニューヨーク紀行」をリピートして、METでオペラを楽しみ博物館で芸術鑑賞三昧、そして、わが母校のあるフィラデルフィアへセンチメンタルジャーに出ようと思っていたのだが、如何せん、杖をついての老人旅では無理なので諦めている。
しかし、今ともなれば、残念だとも思っていないし、旅に行けなくても、何故か、これまでの多くの旅の経験に満足しており、その思い出を反芻するのを楽しんでいる。
このブログの他の「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」、「初春の上海・江南紀行」、「晩秋のロシア紀行」は引退後の記事なのだが、20世紀後半現役時代には、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパでの14年間の海外生活などを通して、随分世界中を歩いてきたので、見るべきものは見たと言う心境で、思い残すことは殆どない。
まず、旅のはしりだが、幸い、大学が京都であったし、ビジネス生活も初期は大阪であったので、寸暇を惜しんで、古社寺巡礼、歴史散歩に明け暮れていた。
観光案内書があっても貧弱で、和辻哲郎や亀井勝一郎の本や、平家物語や源氏物語の原典など、歴史書や美術書など総合してイメージを作り上げて、自前の旅を楽しんでいた。
例えば、今は綺麗になっているが、嵯峨野や嵐山も草深い田舎と言った感じで、祇王寺など朽ち果てた佇まいで、隣の滝口寺などどこから入れば良いのか分からないくらい荒れ果てていて、勿論、尋ねる人など居なかった。しかし、小脇に抱えた平家物語の物語が彷彿として浮かび上がってくる、祇王祇女そして仏御前、横笛と滝口入道の悲恋など、平家物語の世界に引き込まれて感激しきりであったのを、昨日のように覚えている。
伊丹から東一条の大学に通っていたので、時には、河原町四条に向かわずに、途中で桂から嵐山に転進して、嵯峨野で沈没、
嵐山嵯峨野は、私の懐かしい青春時代の散歩道だったが、歳を取ってから能狂言に通い始めたので、今でも、平家物語や源氏物語が私の心に息づいている。
その嵐山嵯峨野が、インバウンドでパンク寸前だという。
今昔の感の激しいのは、グラナダのアルハンブラ宮殿、
一番最初に訪れたのは、ブラジルからの帰途1979年4月だと思うのだが、観光客も少なくて、一日中、殆ど人の居ない宮殿内を十二分に楽しんだ。その後、2回ほど訪れたが、世紀末には、入場チケット取得から大変で、室内の鑑賞など数十秒刻みで移動させられるという銀座並みの混みよう。
自由に楽しめたベニスのサンマルコやドカーレ宮殿も短時間では入れず、ウフィッツィ美術館も飛び込みでは入場できないという。それも、前世紀の話で、今では、特別予約のついたガイドツアーでないと、名だたる観光名所の入場や観劇チケットの取得など無理なのであろう。
私は、1985年から1993年にかけてヨーロッパ在住であったので、クリスマスと夏休暇シーズンに、自由気ままな自分自身でアレンジしたヨーロッパ旅行を敢行してきた。もう、あの頃までが、本当の良きヨーロッパを楽しむ限界であったのであろうと思っている。
欧州旅と観劇行脚に入れ込んだお陰で、一文無しになってヨーロッパから帰ってきて苦労したが、二度とない千載一遇のチャンスを利用して経験した貴重な人生であったので、誇りにさえ思っている。
自由の身になってからゆっくり世界旅行を楽しもう等というのは、邪道であろう、ヨーロッパのあっちこっちで、ツアーについて行けずに沈没したり、途中でギブアップしたりしていた多くの老年の日本人観光客を見ているので、無理をしてでも、若いときに時間を割いて旅に出るべきである。海外旅の醍醐味の一つは、何でも見てやろうと積極的に行動して異文化異文明との遭遇に感激して楽しむこと、歳を取ってからでは遅い。
それに、世界人口が80億を超えて、中印など豊かになった新興国の観光客がワンサと押しかけているので、早く行かないと、なにもかも観光できなくなってきてしまう。
私は、今でも、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、修復前、修復中、修復後の3回、鑑賞出来たのは奇跡だと思っている。