熟年の文化徒然雑記帳

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PS:ダニ・ロドリック「テクノロジーではなく生産性に焦点を置く Focus on Productivity, Not Technology」

2023年07月19日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのダニ・ロドリックの論文「テクノロジーではなく生産性に焦点を置く Focus on Productivity, Not Technology」
   テクノロジーだけではダメで、生産性を上げなければ豊かになれないという経済理論である。

   経済学者は長い間、生産性が繁栄の基礎であると主張してきた。 国が持続的に生活水準を向上させる唯一の方法は、より少ない資源でより多くの商品とサービスを生産することで、 産業革命以来、これはイノベーションによって達成されてきたため、一般の人々の想像の中では、生産性は、技術の進歩や研究開発と同義語となっていた。
   しかし、科学技術の革新だけでは十分ではなく、 適切な種類の補完政策がなければ、テクノロジーの進歩は生活水準の持続的な向上につながらない可能性があり、場合によっては、国を後退させることにもなる。
   テクノ悲観主義者やラッダイトに陥るべきではないが、 しかし、生産性を、テクノロジー、研究開発、イノベーションと同一視することは要注意であって、 社会を豊かにする生産性の向上には科学技術の革新が必要ではあるが、 技術の進歩を広範な生産性の向上に変える為には、経済社会全般に亘った広範な普及を促進して、生産的な二元論を回避し、包括性を確保するように特別に設計された政策が必要である。と言うのである。

    新しいテクノロジーを採用する企業は生産性が向上し、テクノロジーの後進企業に勝つ。 しかし、生産的な社会と生産的な企業は同じではない。 ビジネスの生産性を促進するものは、国全体または経済全体のレベルでは機能しない可能性があり、場合によっては逆効果になる可能性もある。 企業には採用を選択したリソースの生産性のみに焦点を当てる余裕があるが、社会はすべての人々の生産性を向上させる必要があるからである。
   多くの経済学者は、たとえその直接的な利益が少数の企業や投資家にのみもたらされるとしても、テクノロジーの進歩は最終的にはすべての人に少しずつ波及すると考えているので、この区別を理解できていない。 しかし、この信念は、歴史的に完全には真実ではないことは、 産業革命は現代の経済成長期の幕開けとなったかもしれないが、1世紀の大半の間、ほとんどの普通の労働者に幸福の進歩をもたらし得なかったことからも自明である。
   さらに悪いことに、最近の急速な科学技術進歩の波によって、 新しいテクノロジーの便益は、少数の企業や従業員の狭い層など少数のプレーヤーに圧倒的に集中しており、従来の物語はさらに真実味を欠く。 原因の 1 つは、経済における交渉力を歪めたり、現代部門への部外者による参入を制限したりする不適切な制度や規制であり、 もう 1 つはテクノロジー自体の性質が、イノベーションは多くの場合、高度なスキルを持つ労働者や専門家など、特定のグループのみに力を与えているところにある。

   ハイパーグローバル化時代の矛盾の 1 つは、
    1990 年代以降、貿易コストが低下し、製造業の生産が世界中に広がるにつれて、低中所得国の多くの企業が世界のサプライチェーンに統合され、最先端の生産技術を採用するよって、その結果、これらの企業の生産性は飛躍的に向上した。 しかし、彼らが居住する国の経済の生産性は、多くの場合停滞、あるいは後退さえした。ことである。
   かつてハイパーグローバル化の代表格であったメキシコの事例は顕著で、
    1980 年代の政府の自由化改革と 1990 年代の北米自由貿易協定 (NAFTA) のおかげで、メキシコは製造品の輸出と対内直接投資のブームを経験した。 しかし結果は、肝心なところで見事な失敗に終わり、ラテンアメリカの他の多くの国々と同様、メキシコもその後数十年間、全要素生産性のマイナス成長を経験した。のである。
   メキシコの製造業は世界的な競争を強いられるにつれて確かに生産性が向上したが、 適応できなかった生産性の低い企業は最終的に閉鎖された。
    製造業、特に正規企業は雇用の面で縮小し、経済の労働力に占める割合はかつてないほど減少した。 その後、小規模な非公式企業が多数を占める経済の残りの部分の生産性はますます低下し、 その結果、世界指向の製造業における生産性の向上は、他の活動、主に非公式サービスの業績不振によって相殺された。これらは、メキシコの労働規制と社会保険規制の所為で、それが非公式化を促進し、正規部門の企業の成長を妨げているとされているが、 しかし、同じパターンの生産性二極化は、サハラ以南の国々だけでなく、他の多くのラテンアメリカ経済でも見られている。

   別の説明は、製造技術そのものの性質の変化に関するもので、グローバルバリューチェーンに統合するにはスキルと資本の要件が非常に大きいため、これらのリソースに恵まれていない国はコスト曲線の急激な上昇に直面し、企業の拡大と多くの労働力の吸収が妨げられている。 田舎から都市に集まってくる労働者には、生産性の低いつまらないサービスに群がる以外に選択肢は殆どない。
   根本的な原因が何であれ、この問題は、生産性を向上させるための政府戦略が的外れになり得る理由を例示している。 グローバルバリューチェーンへの組み込み、研究開発への補助金、投資税額控除のいずれの形であっても、従来の政策はしばしば間違った問題をターゲットにしている。 多くの場合、拘束力のある制約は、最先端の企業におけるイノベーションの欠如ではなく、むしろそれらの企業と経済の他の部分との間の大きな生産格差である。 サービス指向の小規模企業にトレーニング、公的意見、ビジネス サービスを提供することによって、経済全体の底上げを行うことの方が、上層部を引き上げるより効果的である可能性が高い。

   これは、IT人工知能の新時代への教訓となる。
    広範囲のタスクをより高速に実行できる大規模な言語モデルの可能性は、将来の生産性の大幅な向上に大きな期待をもたらしている。 しかし、このテクノロジーの全体的な影響は、その恩恵が経済全体にどの程度行き渡るかによって決まる。
   経済の重要な部分(建設、対面サービス、人間に依存する創造的な仕事)が AI の影響を受けないままであれば、AI による生産性の利点は限定される可能性がある。 これは、特定の活動の相対価格の上昇が経済全体の生活水準の向上を妨げる、いわゆるボーモルコスト病の一種であろう。

   社会を豊かにする生産性の向上には科学技術の革新が必要かも知れないが、それだけでは十分ではない。 技術の進歩を広範な生産性の向上に変えるには、経済全般にわたる広範な普及を促進し、生産的な二元論を回避し、包括性を確保するように特別に設計された政策が必要である。と言うことである。

   ボーモルコスト病を借用すれば、自動車製造業など機械器具や装備の技術革新によって絶えず生産性が上昇している産業部門と、弦楽四重奏などの実演芸術や看護、教育のような労働集約的な部門など、生産性が殆どまたは全く上昇しない部門があるように、政治経済社会総体の構造を総合的に改革して、整合性を持って社会全体の全要素生産性を上げない限り、生活水準の向上は実現できないと言うことであろうか。
   しかし、世界最先端を行く科学技術の開発発展に遅れをとり、生産性が非常に低いとクルーグマンが言う日本の未来は、言うならば埒外であろう、
   さすれば、どうすれば良いのか。
   To be, or not to be: that is the question:
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