倉庫のロイヤルオペラのパンフレットを探していたら、ロンドン時代の旅行記録が出てきた。
この片割れは、このブログで、既に、欧米時代の観劇記録として、このブログで、「欧米クラシック漫歩(32)」として掲載済みだが、
今回のは、この後編の「ストラトフォードの休日」という40ページほどの旅行記である。
8年間のヨーロッパ駐在から帰国して2年後の1995年夏におこなった5日間の旅日記で、かなり克明な記録なので実に懐かしく、シェイクスピアの聖地である当時のストラトフォード・アポン・エイボンやRSCのシェイクスピア劇の様子なども良く分かるので、思い出を辿りながら、改めて採録してみたいと思う。5年間、イギリスに住みながら、膨大な写真以外何も記録を残さなかったのだが、その写真も倉庫に埋もれて難渋しないと探せない。その意味では、旅記録ながら私の経験したイギリスがぎっしりと詰まっていると思っているので、貴重な代替記録である。
(1)旅のはじめに
イギリスの永住ヴィザを持っていたので、更新のためには、2年以内に再入国しなければならないと言う規則があるので、休暇を取って、ギルフォードの英人友人宅への訪問とストラトフォードでのRSCのシェイクスピア劇鑑賞目的の5日間の駆け足旅行であった。
まず、旅程が決まると、ストラトフォード・アポン・エイボンのホテルの予約である。
この街は何度も出かけていて熟知しているので、ミシュランの赤本を開いてホテルの目途をつけた。これまでは、すこし郊外のシャトーホテルやクラシックなシェイクスピア・ホテルに泊まっていたので、今回は、街中のこぢんまりしたホテルをと思って、ファルコン・ホテルに電話を入れた。このホテルは、シェイクスピア当時の天井の低い骨董の建物で、一階の柱と二階の柱がくの字形に曲がっていて白壁の黒い木枠が美しい。向かいに、シェイクスピアが晩年に済んでいたニュープレイスがあり、隣のチャペルの裏に、子供の頃に通っていたグラマー・スクールがあって、路地裏から、シェイクスピアが飛出してきても不思議ではない雰囲気なのである。おそらく、シェイクスピアもこのホテルで、コーヒーを憩いながら友と世間話を楽しんでいたのであろう。電話を入れたら、24日は空き部屋があるが25日はダメだという。
1泊だけ予約を入れて、次に、シェイクスピア小劇場のスワン座の向かいにあるアーデン・ホテルに電話を入れたら、スンナリとOKが出た。このホテルはこれまで何度も予約を試みて失敗していたので、正に幸いと、ファルコンをキャンセルして、クレジット番号を伝えて正式に予約した。
次は、ロイヤル・シェイクスピア劇場のボックス・オフィスに電話して、チケットを予約することである。
ロンドン時代から、RSCのメイリング・リストは続けているので、手元に、パッフレットとスケジュール表はある。
RSCの大劇場は、24日は「じゃじゃ馬ならし」、25日は「ロミオとジュリエット」、スワン座は、24日は休演で、25日は「テンペスト」。
木造の木組みが美しい、正に、クラシックな芝居小屋の雰囲気のスワン座で、テンペストを楽しみたかったが、大劇場の「ロミオとジュリエット」は、エイドリアン・ノーブルの演出なので、見逃す手はない。結局、二夜とも、大劇場になった。
夏の休暇シーズンであったが、月曜と火曜であった所為なのか、幸いにもスーパーシートが手に入った。最高の席で、38ポンド(当時 5500円)と安く、満足であった。スーパーシートは、平土間席の中央真ん中と二階席前列正面にあるだけで、手にした平土間席は、比較的舞台にも近くて素晴しい席であった。
これも、クレジットカードの番号を伝えて、予約した。海外からの予約など、日常茶飯事なので、日本の住所を言っても気にする風もなく、当日、ボックスオフィスで、チケットをピックアップすれば良いのである。
最近は、電話で予約したことがないので現状は分からないが、当時は、ロイヤル・オペラでも、ウィーンでも、ミラノでも、プラハでも、この制度で、クレジットカードのデータを伝えてチケットを予約をして、劇場でピックアップするのが常態であって、全く問題はなかった。
ハー・マジェスティ劇場の「オペラ座の怪人」のチケットをなくして劇場に掛け合ったら、パソコンを叩いてデータを探し出して、当日、劇場でチケットを再発行してくれたことがある。
さて、旅行の予約は、他にはロンドン往復航空券はJALに入れれば済むことで、ギルフォード、ロンドン、ストラトフォード・アポン・エイボン間の英国内の移動は、鉄道とレンターカーにするつもりなので、ぶっつけ本番で、臨機応変に移動することにした。
(追記)以降、土曜日と日曜日に、書けるだけ書いてみようと思う。
この片割れは、このブログで、既に、欧米時代の観劇記録として、このブログで、「欧米クラシック漫歩(32)」として掲載済みだが、
今回のは、この後編の「ストラトフォードの休日」という40ページほどの旅行記である。
8年間のヨーロッパ駐在から帰国して2年後の1995年夏におこなった5日間の旅日記で、かなり克明な記録なので実に懐かしく、シェイクスピアの聖地である当時のストラトフォード・アポン・エイボンやRSCのシェイクスピア劇の様子なども良く分かるので、思い出を辿りながら、改めて採録してみたいと思う。5年間、イギリスに住みながら、膨大な写真以外何も記録を残さなかったのだが、その写真も倉庫に埋もれて難渋しないと探せない。その意味では、旅記録ながら私の経験したイギリスがぎっしりと詰まっていると思っているので、貴重な代替記録である。
(1)旅のはじめに
イギリスの永住ヴィザを持っていたので、更新のためには、2年以内に再入国しなければならないと言う規則があるので、休暇を取って、ギルフォードの英人友人宅への訪問とストラトフォードでのRSCのシェイクスピア劇鑑賞目的の5日間の駆け足旅行であった。
まず、旅程が決まると、ストラトフォード・アポン・エイボンのホテルの予約である。
この街は何度も出かけていて熟知しているので、ミシュランの赤本を開いてホテルの目途をつけた。これまでは、すこし郊外のシャトーホテルやクラシックなシェイクスピア・ホテルに泊まっていたので、今回は、街中のこぢんまりしたホテルをと思って、ファルコン・ホテルに電話を入れた。このホテルは、シェイクスピア当時の天井の低い骨董の建物で、一階の柱と二階の柱がくの字形に曲がっていて白壁の黒い木枠が美しい。向かいに、シェイクスピアが晩年に済んでいたニュープレイスがあり、隣のチャペルの裏に、子供の頃に通っていたグラマー・スクールがあって、路地裏から、シェイクスピアが飛出してきても不思議ではない雰囲気なのである。おそらく、シェイクスピアもこのホテルで、コーヒーを憩いながら友と世間話を楽しんでいたのであろう。電話を入れたら、24日は空き部屋があるが25日はダメだという。
1泊だけ予約を入れて、次に、シェイクスピア小劇場のスワン座の向かいにあるアーデン・ホテルに電話を入れたら、スンナリとOKが出た。このホテルはこれまで何度も予約を試みて失敗していたので、正に幸いと、ファルコンをキャンセルして、クレジット番号を伝えて正式に予約した。
次は、ロイヤル・シェイクスピア劇場のボックス・オフィスに電話して、チケットを予約することである。
ロンドン時代から、RSCのメイリング・リストは続けているので、手元に、パッフレットとスケジュール表はある。
RSCの大劇場は、24日は「じゃじゃ馬ならし」、25日は「ロミオとジュリエット」、スワン座は、24日は休演で、25日は「テンペスト」。
木造の木組みが美しい、正に、クラシックな芝居小屋の雰囲気のスワン座で、テンペストを楽しみたかったが、大劇場の「ロミオとジュリエット」は、エイドリアン・ノーブルの演出なので、見逃す手はない。結局、二夜とも、大劇場になった。
夏の休暇シーズンであったが、月曜と火曜であった所為なのか、幸いにもスーパーシートが手に入った。最高の席で、38ポンド(当時 5500円)と安く、満足であった。スーパーシートは、平土間席の中央真ん中と二階席前列正面にあるだけで、手にした平土間席は、比較的舞台にも近くて素晴しい席であった。
これも、クレジットカードの番号を伝えて、予約した。海外からの予約など、日常茶飯事なので、日本の住所を言っても気にする風もなく、当日、ボックスオフィスで、チケットをピックアップすれば良いのである。
最近は、電話で予約したことがないので現状は分からないが、当時は、ロイヤル・オペラでも、ウィーンでも、ミラノでも、プラハでも、この制度で、クレジットカードのデータを伝えてチケットを予約をして、劇場でピックアップするのが常態であって、全く問題はなかった。
ハー・マジェスティ劇場の「オペラ座の怪人」のチケットをなくして劇場に掛け合ったら、パソコンを叩いてデータを探し出して、当日、劇場でチケットを再発行してくれたことがある。
さて、旅行の予約は、他にはロンドン往復航空券はJALに入れれば済むことで、ギルフォード、ロンドン、ストラトフォード・アポン・エイボン間の英国内の移動は、鉄道とレンターカーにするつもりなので、ぶっつけ本番で、臨機応変に移動することにした。
(追記)以降、土曜日と日曜日に、書けるだけ書いてみようと思う。