
有楽町朝日ホールで、日伊シンポジューム「人類の遺産 国際協力で守る」が開かれて、日伊の文化遺産の保護・修復に携わる専門家の先生方が出席し、遺産保護の状況の説明および今後の対策や国際協力等について討論を行った。
世界文化遺産の赤十字運動を推進している平山郁夫氏(ビデオ出演)やイタリア文化省J.プロイエッティ局長などの総括講演の後、日本とイタリアのこれまでの文化遺産保護活動について具体的に説明が行われた。
日本の場合は、タリバンによって破壊されたバーミアンの大仏やカンボジアのアンコールワットなど中東からアジアにかけての文化活動について説明があったが、やはり、イタリアは世界に冠たる文化遺産を擁するこの道の先進国で、桁外れの活動を行っている。
クロアチアやモンテネグロなど戦争で破壊された旧ユーゴ諸国、イラン・イラク、アフリカ、中南米、北京の紫禁城を筆頭に中国各地の文化遺産の保護にも手を染めていて、その活動は世界各地に亘っており膨大な専門家を派遣して、文化遺産の修復・保護のみならずローカルの専門家の育成に努めている。
タリバンが、世界を敵にまわして戦っていた時、バーミアンの大仏を爆破してしまったが、仏教遺跡である大仏破壊は、彼らにとっては、タダの異教の飾り物で痛くも痒くもないのだが、人類の共通の貴重な文化遺産であることの認識が欠落していた。
イスラムに支配された土地の仏教遺跡の仏像などは、偶像崇拝禁止なので、バーミアンの大仏のように、殆ど、顔が削り取られたり、あるいは、目が刳り貫かれたりして破壊されている。
しかし、今回の大仏爆破は、バンダリズムの極地、文化文明への限りなき反逆である。
貴重な人類の文化遺産に対して、戦争ほど恐ろしいものはない。
ヨーロッパの歴史的な文化都市は、二度の大戦で、容赦なく破壊しつくされたが、幸いにも、アメリカに残っていた最後の叡智によって京都、奈良が破壊から免れて助かった。
しかし、戦争によって荒廃した日本は、日本人の心まで荒廃させてしまって、当時、現在国宝になっている多くの貴重な仏像など文化遺産が路傍に転がっていたり、良くても湿気が多くて朽ちかけた倉庫におかれて見向きもされなかったと言う。
米軍に徴用されるのを恐れて、その前に記録を残そうと入江泰吉が仏像を写し続けたのもあの頃。
戦争は、絵画や彫刻など貴重な芸術品の争奪戦でもあり、特に、ヒットラーとスターリンの虚虚実実の争奪戦争は凄まじかったし、その間に、失われていった文化財も数限りない。
日本軍も、中国での戦いで、故旧博物館の芸術品輸送中に多くを喪失しており、北京原人の骨も移送中になくしてしまっている。
イラク戦争で、バグダッド博物館が略奪されたが、文化遺産を守るイタリア隊が必死になって復旧作業をしたと言う。
玄奘三蔵が、バーミアンを訪れた時、大仏は金色に輝き、巨大な大仏が涅槃姿で横たわっていたと記録しているが、それを頼りに塵一つも逃さじと日本隊が復旧作業に気の遠くなるような努力を続けている。
戦争だけは絶対にしてはならない。ひよわな文化文明が真っ先に犠牲になって消えていってしまう。
今回のシンポジュームで、イタリアのカンパニア州文化財・景観監督官のステファノ・デカーロ氏は、「遺跡の発掘は、発見ではなく学問である。根源的な人間のニーズを、追及することであって、個々の人間の文化的、歴史的アイデンティティを明かしてくれるが、究極は、人類共通の偉大な存在と価値を教えてくれる。」と言っていたが、偉大な文化遺産の与えてくれる教訓は限りなく豊かで深い。
余談だが、私は、幸いにも、ヴァチカン宮殿のシステナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」と天井画、それに、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、両方とも、修復前、修復中、修復後、と何回か見る機会を得ており、イタリア人専門家の修復技術の途轍もない実力を垣間見ている。
大学生の時、気が触れた京大生が、太秦の広隆寺の半跏思惟像の弥勒菩薩の指を折ったことがあった。修復後見に行ったが、何処を修復したのか分からなかった。
ヴァチカンのミケランジェロのピエタ像も、ロンドンのナショナル・ギャラリーのヴェラスケスの「ヴィーナスの化粧」も、いくら近づいて見ても、何処を修復したのか全く分からない。
それほど、重要な人類の文化遺産の修復・保存は進んでいるが、その前に、人類全体が、先人の偉業に対して敬意をはらうことで、そして、その貴重な文化遺産を大切にすることであろう。
文化財の修復・保存・維持については、日本の技術は世界でも最高水準だと言われているので、イタリアに伍して十分に歴史貢献は可能であると考えられる。
しかし、あの高松塚古墳の壁画にカビが生えて消えかかっているとは、一体、何たることか。お粗末極まりないとも思っている。
世界文化遺産の赤十字運動を推進している平山郁夫氏(ビデオ出演)やイタリア文化省J.プロイエッティ局長などの総括講演の後、日本とイタリアのこれまでの文化遺産保護活動について具体的に説明が行われた。
日本の場合は、タリバンによって破壊されたバーミアンの大仏やカンボジアのアンコールワットなど中東からアジアにかけての文化活動について説明があったが、やはり、イタリアは世界に冠たる文化遺産を擁するこの道の先進国で、桁外れの活動を行っている。
クロアチアやモンテネグロなど戦争で破壊された旧ユーゴ諸国、イラン・イラク、アフリカ、中南米、北京の紫禁城を筆頭に中国各地の文化遺産の保護にも手を染めていて、その活動は世界各地に亘っており膨大な専門家を派遣して、文化遺産の修復・保護のみならずローカルの専門家の育成に努めている。
タリバンが、世界を敵にまわして戦っていた時、バーミアンの大仏を爆破してしまったが、仏教遺跡である大仏破壊は、彼らにとっては、タダの異教の飾り物で痛くも痒くもないのだが、人類の共通の貴重な文化遺産であることの認識が欠落していた。
イスラムに支配された土地の仏教遺跡の仏像などは、偶像崇拝禁止なので、バーミアンの大仏のように、殆ど、顔が削り取られたり、あるいは、目が刳り貫かれたりして破壊されている。
しかし、今回の大仏爆破は、バンダリズムの極地、文化文明への限りなき反逆である。
貴重な人類の文化遺産に対して、戦争ほど恐ろしいものはない。
ヨーロッパの歴史的な文化都市は、二度の大戦で、容赦なく破壊しつくされたが、幸いにも、アメリカに残っていた最後の叡智によって京都、奈良が破壊から免れて助かった。
しかし、戦争によって荒廃した日本は、日本人の心まで荒廃させてしまって、当時、現在国宝になっている多くの貴重な仏像など文化遺産が路傍に転がっていたり、良くても湿気が多くて朽ちかけた倉庫におかれて見向きもされなかったと言う。
米軍に徴用されるのを恐れて、その前に記録を残そうと入江泰吉が仏像を写し続けたのもあの頃。
戦争は、絵画や彫刻など貴重な芸術品の争奪戦でもあり、特に、ヒットラーとスターリンの虚虚実実の争奪戦争は凄まじかったし、その間に、失われていった文化財も数限りない。
日本軍も、中国での戦いで、故旧博物館の芸術品輸送中に多くを喪失しており、北京原人の骨も移送中になくしてしまっている。
イラク戦争で、バグダッド博物館が略奪されたが、文化遺産を守るイタリア隊が必死になって復旧作業をしたと言う。
玄奘三蔵が、バーミアンを訪れた時、大仏は金色に輝き、巨大な大仏が涅槃姿で横たわっていたと記録しているが、それを頼りに塵一つも逃さじと日本隊が復旧作業に気の遠くなるような努力を続けている。
戦争だけは絶対にしてはならない。ひよわな文化文明が真っ先に犠牲になって消えていってしまう。
今回のシンポジュームで、イタリアのカンパニア州文化財・景観監督官のステファノ・デカーロ氏は、「遺跡の発掘は、発見ではなく学問である。根源的な人間のニーズを、追及することであって、個々の人間の文化的、歴史的アイデンティティを明かしてくれるが、究極は、人類共通の偉大な存在と価値を教えてくれる。」と言っていたが、偉大な文化遺産の与えてくれる教訓は限りなく豊かで深い。
余談だが、私は、幸いにも、ヴァチカン宮殿のシステナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」と天井画、それに、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、両方とも、修復前、修復中、修復後、と何回か見る機会を得ており、イタリア人専門家の修復技術の途轍もない実力を垣間見ている。
大学生の時、気が触れた京大生が、太秦の広隆寺の半跏思惟像の弥勒菩薩の指を折ったことがあった。修復後見に行ったが、何処を修復したのか分からなかった。
ヴァチカンのミケランジェロのピエタ像も、ロンドンのナショナル・ギャラリーのヴェラスケスの「ヴィーナスの化粧」も、いくら近づいて見ても、何処を修復したのか全く分からない。
それほど、重要な人類の文化遺産の修復・保存は進んでいるが、その前に、人類全体が、先人の偉業に対して敬意をはらうことで、そして、その貴重な文化遺産を大切にすることであろう。
文化財の修復・保存・維持については、日本の技術は世界でも最高水準だと言われているので、イタリアに伍して十分に歴史貢献は可能であると考えられる。
しかし、あの高松塚古墳の壁画にカビが生えて消えかかっているとは、一体、何たることか。お粗末極まりないとも思っている。