
何回も通ったジムの家だが、時を経ると忘れてしまう、タクシーの運転手への指示を間違って道を折れたために、ギルフォードの郊外を回り道してしまった。
ロンドンのタクシーでもそうだが、カーナビ等付いていない。ジムは機械に聡いので、自分のBMVには早くからカーナビを付けているが、使ったのを見たことがない。
Merrowの、Downside Road, 小高い丘の上の気持ちの良いオープンスペースの袋小路があり、その中ほどにジムの邸宅がある。道の左右に大邸宅が並んでいるが、定かには分からないが、各家の敷地は、1000坪は遥かに越えると思われるほど広い。
100坪程の前庭をバックに邸宅が建っていて、その後ろにプライベート空間の広いバックヤードが広がっている。
イギリスの家の特徴は、パブリックに接する前庭は、比較的狭いが、塀や生垣で囲われたプライベートな後庭は、遥かに広い。
私が住んでいたキューガーデンの家も、前庭は、大通りに面していて、植え込みと小さな花壇、それに、2台の車を駐車できる程度のスペースだったが、後庭には、温室が有り、大きなサクランボの木がある広い庭で、庭の花々の四季の移り変わりを楽しんでいた。
ジム夫妻は嬉しそうに出てきて迎えてくれた。私たちは、荷物を置いてそのまま、何時もの様に玄関広間を通り抜けて裏庭に出た。
広い庭は、なだらかに下に傾斜していて、境界の生垣の後にメドウが広がり、その後に緑に囲まれたギルフォードの家々、広大なサーレイ郡の田舎、そして、地平線の遥か彼方雲間の霞の奥にヒースロー空港が見える。
ヒースロー空港は、第5ターミナルが完成真近かで、白い帯が見えるのだから、巨大な(?)ターミナルが完成したのであろう。
キューに居た時、電話インタビューでアンケートに答えたあのターミナル5が完成したと言う、今昔の感である。
勝手口を出た庭に面した裏庭は、高台になっていて、公園のテラスの様に安楽イスやパラソルがセットしてあり、その下の庭にはスイレンが咲く池があり、その周りを四季の草花が覆っている。
私は、ここのチェアーに座って、涼風に吹かれながら、広大な緑滴るイングランドの田舎を見るのが好きで、ジムと何時間も色々なことを話す。
遠くに発着する航空機の幽かな灯を見ると郷愁を誘われる。
娘は、以前に何度も連れて来ており、帰国後も1ヶ月ほどこの家に滞在してマーゴに英語を教えてもらったり、ケントの大学、大学院中は結構ここで面倒を見てもらっているので、我が家の様に嬉々として振舞っている。
娘は、ほぼ人生の半分イギリスとオランダ(殆どイギリス)で生活しており、このイギリスが第2の故郷でもある。
ジム夫妻と知り合ったのは、仕事の関係で、私たちが開発していたビル・プロジェクトの大手クォンティティ・サーベイヤーの会長であった。
私がオペラが好きだったので、毎年、夏には、グラインドボーンのオペラに誘ってくれた。あの頃は、まだ古い劇場のあった頃で、兎に角メンバーでないとチケットが取れず、他にも誘いを受けたので、幸い何度もグラインドボーンの社交世界を経験させてもらった。
ロンドンの遥か南の郊外に住んでいた貴族がオペラ好きの奥方を喜ばせる為に自分自身の大邸宅内にオペラ・ハウスを作ってモーツアルトのオペラを上演した。
毎夏、オペラを上演し、ロンドン等から、紳士淑女達が正装して集い、華やかな社交舞台が形成された。
正午過ぎから、男はタキシード、女は、それに準じた服装をして集まり始める。広大な美しい庭に、モネの「草上の晩餐」スタイルで、思い思いにシートを広げたり、チェアーとテーブルをセットして、美しいイングランドの夏の午後を楽しむ。
庭のあっちこっちには、優雅なイングリッシュ・ガーデンに色取り取りの草花が咲き乱れ、池には水鳥が遊んでおり、遥か遠くハーハーの向こうには羊が草を食んでいる。
オーケストラピットには、主にロンドン・フィルが入り、指揮者と歌手は、超一流に近い若手主体だが、ここを経た超一流のオペラ歌手が多く、水準は極めて高い。
期間中、行き帰りに、ロンドンから特別列車が出ている。
来年、ジムが招待してくれると言うので、出かけようと思っている。
オペラは、遅い午後に始まり、晩餐の為の長い休憩を挟んで、夜遅く跳ねる。キューガーデンの家に帰り着くのは深夜、最初はリムジンで通ったが、イングランドの美しい田舎をドライブするのが楽しくなってからは、ベンツで通った。
ところで、このジム夫妻の広大な庭だが、自然とガーデニングを愛するマーゴの担当で、メカニカルなことはジムが担当するが、後は、必要に応じてガードナーや専門家を雇うが、殆ど、マーゴが1人で管理している。
庭の外れには、網を張った大きな畑があり、色々な木苺や果樹が実っている。季節ごとに極めて上等なジャムを手作りしていて、これがまた格別美味しい。
美しい草花も総て、マーゴが植えて育てている。
そのマーゴが、来日時に見た京都の紅葉の鮮やかな赤い色が目に焼きついて離れないと言う。
ロンドンのタクシーでもそうだが、カーナビ等付いていない。ジムは機械に聡いので、自分のBMVには早くからカーナビを付けているが、使ったのを見たことがない。
Merrowの、Downside Road, 小高い丘の上の気持ちの良いオープンスペースの袋小路があり、その中ほどにジムの邸宅がある。道の左右に大邸宅が並んでいるが、定かには分からないが、各家の敷地は、1000坪は遥かに越えると思われるほど広い。
100坪程の前庭をバックに邸宅が建っていて、その後ろにプライベート空間の広いバックヤードが広がっている。
イギリスの家の特徴は、パブリックに接する前庭は、比較的狭いが、塀や生垣で囲われたプライベートな後庭は、遥かに広い。
私が住んでいたキューガーデンの家も、前庭は、大通りに面していて、植え込みと小さな花壇、それに、2台の車を駐車できる程度のスペースだったが、後庭には、温室が有り、大きなサクランボの木がある広い庭で、庭の花々の四季の移り変わりを楽しんでいた。
ジム夫妻は嬉しそうに出てきて迎えてくれた。私たちは、荷物を置いてそのまま、何時もの様に玄関広間を通り抜けて裏庭に出た。
広い庭は、なだらかに下に傾斜していて、境界の生垣の後にメドウが広がり、その後に緑に囲まれたギルフォードの家々、広大なサーレイ郡の田舎、そして、地平線の遥か彼方雲間の霞の奥にヒースロー空港が見える。
ヒースロー空港は、第5ターミナルが完成真近かで、白い帯が見えるのだから、巨大な(?)ターミナルが完成したのであろう。
キューに居た時、電話インタビューでアンケートに答えたあのターミナル5が完成したと言う、今昔の感である。
勝手口を出た庭に面した裏庭は、高台になっていて、公園のテラスの様に安楽イスやパラソルがセットしてあり、その下の庭にはスイレンが咲く池があり、その周りを四季の草花が覆っている。
私は、ここのチェアーに座って、涼風に吹かれながら、広大な緑滴るイングランドの田舎を見るのが好きで、ジムと何時間も色々なことを話す。
遠くに発着する航空機の幽かな灯を見ると郷愁を誘われる。
娘は、以前に何度も連れて来ており、帰国後も1ヶ月ほどこの家に滞在してマーゴに英語を教えてもらったり、ケントの大学、大学院中は結構ここで面倒を見てもらっているので、我が家の様に嬉々として振舞っている。
娘は、ほぼ人生の半分イギリスとオランダ(殆どイギリス)で生活しており、このイギリスが第2の故郷でもある。
ジム夫妻と知り合ったのは、仕事の関係で、私たちが開発していたビル・プロジェクトの大手クォンティティ・サーベイヤーの会長であった。
私がオペラが好きだったので、毎年、夏には、グラインドボーンのオペラに誘ってくれた。あの頃は、まだ古い劇場のあった頃で、兎に角メンバーでないとチケットが取れず、他にも誘いを受けたので、幸い何度もグラインドボーンの社交世界を経験させてもらった。
ロンドンの遥か南の郊外に住んでいた貴族がオペラ好きの奥方を喜ばせる為に自分自身の大邸宅内にオペラ・ハウスを作ってモーツアルトのオペラを上演した。
毎夏、オペラを上演し、ロンドン等から、紳士淑女達が正装して集い、華やかな社交舞台が形成された。
正午過ぎから、男はタキシード、女は、それに準じた服装をして集まり始める。広大な美しい庭に、モネの「草上の晩餐」スタイルで、思い思いにシートを広げたり、チェアーとテーブルをセットして、美しいイングランドの夏の午後を楽しむ。
庭のあっちこっちには、優雅なイングリッシュ・ガーデンに色取り取りの草花が咲き乱れ、池には水鳥が遊んでおり、遥か遠くハーハーの向こうには羊が草を食んでいる。
オーケストラピットには、主にロンドン・フィルが入り、指揮者と歌手は、超一流に近い若手主体だが、ここを経た超一流のオペラ歌手が多く、水準は極めて高い。
期間中、行き帰りに、ロンドンから特別列車が出ている。
来年、ジムが招待してくれると言うので、出かけようと思っている。
オペラは、遅い午後に始まり、晩餐の為の長い休憩を挟んで、夜遅く跳ねる。キューガーデンの家に帰り着くのは深夜、最初はリムジンで通ったが、イングランドの美しい田舎をドライブするのが楽しくなってからは、ベンツで通った。
ところで、このジム夫妻の広大な庭だが、自然とガーデニングを愛するマーゴの担当で、メカニカルなことはジムが担当するが、後は、必要に応じてガードナーや専門家を雇うが、殆ど、マーゴが1人で管理している。
庭の外れには、網を張った大きな畑があり、色々な木苺や果樹が実っている。季節ごとに極めて上等なジャムを手作りしていて、これがまた格別美味しい。
美しい草花も総て、マーゴが植えて育てている。
そのマーゴが、来日時に見た京都の紅葉の鮮やかな赤い色が目に焼きついて離れないと言う。