熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

終戦記念日

2006年08月15日 | 生活随想・趣味
   61回目の終戦記念日であるが、あまり感慨はない。

   真珠湾攻撃の少し前に生まれて戦争の中を過ごし、貧しかったけれど明るかった復興の中を必死になって生きて来て、気がついたときには安保反対で河原町をデモしていた。
   大学を出て直ぐに企業戦士の仲間入りをして、日本の急速な経済成長の波に翻弄されながら、いつの間にかフィラデルフィアの大学を出て、サンパウロを皮切りに、ロンドンパリを股にかけていた。
   今は、第一線を離れて、経営コンサルタントの看板を掲げながら、勉強と趣味に生きている、と言うところであろうか。
   この永い間に、広島にも長崎にも行ったし、色々なところで、終戦記念日を迎えたが何の特別な記憶も思い出もない。

   私は、激しい戦争を、西宮で経験しているので、毎夜のように、爆撃砲火に焼けて神戸の方の空が赤く染まっていたのを覚えているし、大阪の街が灰燼に帰して全くの焼け野原になってしまっていたのも覚えている。
   電灯の光を真っ黒な覆いで囲って暗くした室内でひっそりと夜長を過ごし、警戒警報のサイレンが鳴ると、頭巾を被って防空壕に駆け込んだ。

   天気の良い日など、上空に小さなB29の白い影を見ていると空からきらきらと銀紙のようなものが美しく輝きながら落ちて来た、打ち落とされた日本の飛行機の残骸であった。
   終戦直後には、飛行機製造工場の庭に、無残にも爆破された飛行機の残骸が転がっていた。
   幼時の記憶だが、断片的に、そんなことどもを微かに覚えている。

   あれから、もう61年。
   子供心にも、戦争は絶対してはならないと思った。
   高校生になった頃から、神武景気とかで経済に活況を帯びてきたが、それまでは、日本国中本当に貧しくて、皆生きるために必死であった。
   しかし、日本人みんな今日より明るかった。昨日よりは今日、今日よりは明日、と未来に希望が持てたからである。

   小泉首相は、今朝、靖国神社に参拝した。
   ニューヨークタイムズの電子版「小泉神社論争を更に深刻化」にこんなことが書いてあった。
   「靖国神社に祭られている250万人の英霊に祈りを奉げた後、小泉氏は、平和への祈りの為に靖国神社を訪れたと言った。しかし、日本の内外での多くの批判に対しても、靖国神社は、平和を祈念するための適当な場所でもないし、頑迷な日本軍国主義のシンボルでもある。
   靖国批判の焦点は、1978年に密かに合祀された14人のA級戦犯にある。」
   ワシントンポストの「小泉戦争神社への怒りに油を注ぐ」には、
   「靖国神社のグラウンドは、日本の戦時中の残虐行為を軽くあしらっている戦争博物館のホームでもある。上映されているフィルムでは、まだ、日本軍は、自衛行為として真珠湾を攻撃したとしている。」

   世界の常識が、常識にはならない文明国がこの地球上にあると言うことであろうか。
   ノック青島現象が何時まで続くのか、益々、混迷を深める世の中の動きが気になる今日この頃である。
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