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10日から休暇を取ると結構長い夏休みとなる。
連日のようにテレビでは、帰省ラッシュや海外旅行など旅の話題で沸いている。
もう、身体に負担がかかって、旅から縁遠くなってしまった私には、関係がない話なのだが、何となく、若かり頃の夏休み休暇を思い出してそわそわしてくるのが不思議である。
旅に興味を持ち始めたのは、もう60年以上も前の学生時代で、当時は、学割の周遊券とユースホステルを併用して貧乏旅行ができたので、九州と北海道を周遊した。
海外旅行は、1972年にアメリカに留学して東部の都市を回ったり、大学の団体が主催したフロリダ・メキシコ旅行に参加したのが最初であった。
翌73年のクリスマス休暇に、フランス人留学生がPANAMの里帰り便をチャーターして空席を安く提供してくれたので、これに便乗してヨーロッパ旅行をした。ミシュランやアメリカの旅行ガイドブックやクックの時刻表などを参考にして旅程を決めただけで、ぶっつけ本番でパリから旅をスタートした。交通手段は、欧州全線有効なユーレイルパスとタクシーだけで、ホテルも駅に着いてから決めて、旅程はあって無きがごとしで、フランス、スイス、イタリア、オーストリアなど自由に動いて、2週間後にパリから帰った。フィラデルフィアの夜景を眼下にした時には、故郷を感じて懐かしさせ覚えた。
クレジットカードがあったのかどうか記憶はないが、当時、夏のボーナスをはたけば、親子3人のこの旅行は賄えたのである。
その後、しばらくして、ブラジルに赴任したり、長くヨーロッパに住んだりして、海外生活が長かったので、仕事上でも家族旅行でも、頻繁に旅に出た。
海外に居れば、ほぼ、クリスマス休暇と夏季休暇は、全員が(特に、私の場合は代表者であったので)休暇を取って休まざるを得なかったので、必ず、事務所から離れて、海外旅行に出ることにしていた。
日本人の同僚は、長い休暇に馴染まない人が多かったので、小休暇に切り替えて事務所に出ていたようであった。
前述のヨーロッパ旅行に味をしめて、家族旅行などプライベートな旅は勿論、自身の出張や公的旅行も、殆ど全て自分で計画して手配して、エージェントにはチケットを頼むくらいであったが、この方が思い通りに対応できて便利であった。
このブログでも、旅行記を掲載しているが、パック旅行に便乗したのは、最近になってからのロシアと中国の旅だけである。
最後に、行きたいと思ったのは、フィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーで、この口絵写真の独立記念館と自由の鐘を仰ぎ見て、一番最初に見た異国の思い出を噛みしめながら、母校を訪れたいと思ったのである。ついでに、ニューヨークで、METでオペラやミュージアムでの美術行脚、このブログの「ニューヨーク紀行」を反芻したいと願っていたのだが、もう、アメリカを自由に歩ける体力の自信がない。
次の写真は、イギリスのカンタベリーのある繁華街の夜景、
旅の疲れを癒しながらギネスをあおいだ懐かしい憩いのひと時、
傘寿を超えた老兵には、涙が零れるような旅の思い出が充満している。
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