熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

首里城焼失、世界遺産とは

2019年11月07日 | 学問・文化・芸術
   琉球の魂とも言うべき首里城が、業火にみまわれ、焼失した。
   失火原因は、正殿の電気系統が濃厚で、配線にショート痕があったと言うことであるから、悲しいことに、完全に人災である。

   もう、20年以上になるが、沖縄に出張して、休日に、首里城を訪れて半日を過ごし、琉球・沖縄の歴史に思いを馳せた。
   新しい建物であったが、威厳と風格のある立派な佇まいは、強烈に印象に残っている。

   首里城跡地も世界遺産に認定されているのだが、先にレビューした東大の「ブレイクスルーへの思考」の中で、西村幸夫教授が、日本の世界遺産について興味深い話をしている。
   世界遺産は、アスワンハイダムの建設で水没するアブシンベル神殿を守ろう、「世界の宝を守る」と言う運動を皮切りに始まった。
   最初は、ヨーロッパの感覚で価値を評価して認定されるのは石造りの教会やモニュメントなどヨーロッパのものばかりであったが、日本は木造だし、中東は日干し煉瓦だが、これらにも価値がある筈だと、多様に観なければならないと価値の転換が起きた。
   1992年に、日本が世界遺産条約に参加するようになって、ヨーロッパと日本の、文化に対する感覚が全く違うと言うことが認識されるようになった。
   日本の建造物は、割とコンスタントに細かな修理をして保たせている。柱を丁寧に補修しながら、腐りかけたら取り換える。壁は取り換えていいんだという感覚である。
   木造の建物の保存は100年ほど前から組織的に行っており、技術者育成も以前からずっとやっていて、修理についても何百年にわたって続けてきており、東照宮の場合など17世紀ころから行われてきた修理の資料がすべて残っていて、資材は新しく変わっていても、技術そのものは連綿と続いているわけで、ヨーロッパの石の古さは物が古いと言うだけで、日本は技術が古いのであって、どっちが良くてどっちが劣っていると言えますか、と言うわけである。

   さて、首里城は、1980年代末から本格的な復元が行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
   2000年(平成12年)12月に、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であって、復元され今回焼失した正殿などの建物や城壁は世界遺産に含まれていない。 と言うことである。
   しかし、西村教授の言に従えば、正殿などの建物は、十分に、世界遺産の資格はあるであろう。

   ところで、焼失前の首里城の復元にかかった総事業費は1986〜2018年度の33年間で約240億円に上った。と言うから、それ以上のコストがかかるかもしれない。
   辺野古移設の膨大な支出を考えれば、そして、沖縄のことを本当に思うのなら、超法規であろうとも、沖縄の魂である首里城を、早急に、復元すべきであろうと思う。
   文化遺産と言うものは、途轍もない精神的支柱となるのである。

   私と沖縄との接点は、何度かの沖縄旅行の思い出と、組踊と琉球舞踊、
   組踊は、琉球音楽にのせて演じる沖縄独特の歌舞劇で、能の名曲をテーマに脚色した舞台が多いようで、私は、2016年1月に、横浜能楽堂で、能「羽衣」を模した組踊「銘苅子」を見て、その優雅で美しい舞台に感激して、それ以降、関東地方で、行われた組踊と沖縄舞踊を、知る限り鑑賞している。
   最近では、今年の3月に、国立劇場で、天皇陛下御在位30年記念、国立劇場おきなわ開場15周年記念、組踊上演300周年記念実行委員会共催事業と銘打っての記念公演、天皇皇后両陛下がご来臨になった天覧公演で、組踊「辺戸の大主」組踊「二童敵討」を鑑賞しており、
   今月下旬の国立能楽堂の公演 組踊「銘苅子」と組踊「二童敵討」を、その原曲の能「羽衣」と能「放下僧」とを鑑賞することにしており楽しみにしている。
   首里城を舞台に演じられば、いかばかり素晴らしいか、思いを馳せている。
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