熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場:文楽・・・「靭猿」「信州川中島合戦」

2016年02月19日 | 今日の日記
   今日は何となく忙しい一日であった。
   11時開演の国立劇場の午前中の文楽第一部の予約をしていたので、そのつもりで鎌倉を出たのだが、10時から始まる能楽祭のチケットを予約しなければならなかったので、電話だけの予約故に、どこかで、電話をしなければならない。
   横浜駅から、何回も電話をしたのだが、予約開始の時間帯には、予約電話の殺到で電話が錯綜していてつながる筈がない。
   結局、車内では電話が出来ないので、渋谷についてから電話をしたところ、繋がったものの、既に時遅しで、意図したチケットは取れなかった。

   劇場のチケットは、普通は、インターネットで予約ができるのだが、能楽協会の公演のチケット取得者は老人が多いので、ITディバイドで、電話予約だけにしている感じである。
   都民劇場のチケット取得も、はがきか電話だけで、インターネット予約ができないのだが、やはり、老人の会員が多いので、抵抗があるのであろう。

   2年前に、ロシアのマリインスキー劇場やボリショイ劇場のチケットをネットで取得したのだが、この時など、ロシア語が時々出てきて戸惑ったが、予約が完了すれば、バーコード付きのチケットがメールされてきて、それをプリントアウトして直接劇場に持ち込んだら、全く造作なく入場できた。
   それ以前に、解放直後のチェコのプラハのオペラでも、それに、イギリスのロイヤル・オペラやニューヨークのメトロポリタン・オペラなど、欧米の劇場のチケットは、もう、思い出せないほど以前からインターネットで取得しているが、何の問題もなかった。
   ロンドンのハー・マジェスティー・シアターなど、20年以上も前だが、「オペラ座の怪人」のチケットを紛失して困ったのだが、これはクレジット・カードで取得していたので、劇場に行ったら、追跡してくれて、すぐに再発行してくれた。

   余談だが、日本は、インターネットに関しては、完全に後進国で、チケット販売は勿論、e-taxなどITガバメントが一向に進展しないのも当然であろうと思う。
   IOT,クラウド等々、ITC革命の凄まじさが、鳴り物入りで騒がれているのだが、企業は勿論多くの組織などでもそうであろうが、日本の老人を主体としたITディバイド、ICT革命への抵抗のために、日本社会全体のインターネット嫌悪環境の存在が、どれほど、日本の経済社会の発展進歩の阻害要件になっているか、考えてみれば恐ろしいと思っている。

   無駄話がながくなってしまったが、あれやこれやで、劇場に着いたのは、11時15分で、「靭猿」は、半分終わっていて、横暴な大名に脅されて、猿引きが、猿を殺そうとして鞭を振り上げたところ。
   これは、先日も、茂山七五三家の狂言「靭猿」をレビューしたが、元々は狂言の曲で、これが、歌舞伎に、文楽に脚色されている人気舞台である。

   興味深いのは、殺されるのも知らずに、猿引きの鞭を取った猿が、鞭を竿代わりにして舟を漕ぐ仕草で踊り出し感動した大名が、猿の命を助けるのだが、その後、狂言では、心を許した大名が、猿と一緒に浮かれて踊ると言うほのぼのとした曲になっている。
   ところが、歌舞伎や文楽は、喜んだ猿引きが、武運長久、御家繁盛、息災延命、富貴万福を祈って、猿を舞わせて、自分や大名たちも踊ると言う安直な祝祭劇になっている。
   文楽の場合は、人形遣いが猿の人形を遣うので、それえほど感じないのだが、狂言や歌舞伎は、可愛い子方や子供役者が猿をコミカルに演じるので、楽しめる。
   猿曳が、三輪大夫、勘壽、大名が、始大夫、文司、太郎冠者が、南都大夫、清五郎、猿は、玉誉、三味線は、清友、團吾ほか。
   軽快な舞台が、面白かった。

   さて、次の「信州川中島合戦」は、「輝虎配膳の段」と「直江屋敷の段」を続けて、2時間の長舞台で、一気に魅せて楽しませてくれる。
   玉男の山本勘助や玉也の長尾輝虎の堂々たる威容も素晴らしいが、やはり、この舞台の主役を遣う和生の勘助の母越路であろう。
   動きを殆どセーブしながら、人形の表情を微妙に変化させて心の襞を丁寧に表現していて、流石である。

   とにかく、この舞台は、実際の信玄と謙信との5次にわたる信州川中島の合戦とは、史実と違っていて、この最後の戦いで、勘助も戦死しており、ウィキペディアによると、
   江戸時代の文学・美術における勘助は、『甲陽軍鑑』をもとに江戸前期から、武田信玄に仕えた「軍師」としての人物像が軍談や実録、浄瑠璃、絵画作品を通じて定着し、勘助の人物像が確立した。また、勘助の家族、とりわけ母の越路(架空の人物)が劇化され、たびたび取り上げられている。特に著名な二作は、
   近松半二、三好松洛ら6人合作の浄瑠璃『本朝廿四孝』の三段目「筍掘り」
   近松門左衛門作の浄瑠璃『信州川中島合戦』の三段目立端場「輝虎配膳」とのこと。
   三国志の諸葛孔明のような「軍師」とあがめられた勘助人気にあやかった近松門左衛門の創作の冴えと言うべきであろうか。

   川中島の合戦で、武田信玄に負けたのは、武田側に、山本勘助と言う素晴らしい軍師がいるからで、これを、逆に、召し抱えようと、長尾輝虎が、直江山城守(幸助)を介在して、勘助の母越路を呼び寄せて仲立ちさせようとするのだが、その意図を見抜いた越路が、輝虎が将軍から拝領した小袖を古着は着ないと突き返し、老母を餌にして勘助を釣ろうとするのかと、輝虎が自ら捧げ持って提供した配膳を蹴飛ばすと言う暴挙。
   越路に付き添ってきた言葉の不自由な勘助女房お勝(簑二郎)が、琴の調べに歌を乗せて舅の命乞いをするのも感動的。
   義太夫と三味線の、希大夫と清馗、咲甫大夫と清介、清公(琴)の名調子、
   和生の越路は勿論、簑二郎のお勝、直江女房唐衣の一輔の女形の素晴らしさ、そして、幸助の直江の凛々しさなど、人形も魅せてくれる。

   「直江屋敷の段」では、お勝の名を語った直江女房唐衣(実は、勘助の妹)の母大病と言う手紙に誘き寄せられて、勘助が、直江屋敷に登場。
   偽手紙の一件で切り結ぶお勝と唐衣の刃に、母越路が、倒れ込んで自害を試み、瀕死の身で、輝虎への詫びと勘助の命乞いを切々と訴える。
   感激した輝虎が、敵に塩を送って、勘助を解放。
   出来すぎたハッピーエンドだが、門左衛門のフィクションながら面白い。
   特筆すべきは、この段で、引退した住大夫の愛弟子文字久大夫の満を持した感動的な義太夫に、源大夫の子息藤蔵の素晴らしい三味線が、観客を魅了する。

   素晴らしい文楽の舞台だと思うのだが、第二部の嶋大夫引退披露狂言が、早々に完売ながら、残念ながら、空席が目立つ。
   第二部と第三部は、千穐楽に観劇することにしている。
   国立劇場前庭の梅は、満開を過ぎた感じ。
   
   
   
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