
日経ホールで開かれた”06 四国観光シンポジューム[夢四国21世紀―心と自然回帰の旅]で、アレックス・カーが、「美しい日本の残像」について語り、節操のない乱開発の為に日本人が、如何に大切な日本の貴重な美しい風景を壊してきたか、その軌跡について熱っぽく語った。
私の手元にあるのは、アレックス・カーの警告の書「美しい日本の残像」と「犬と鬼」であるが、いずれも日本の貴重な文化に対するバンダリズムに対する告発書であるが、日本に魅せられて日本を限りなく愛するアメリカ人から見た現代日本文化論でもある。
1964年12歳で来日し、指宿から稚内まで日本全国を回ったが、1971年に殆ど人の訪れない高知と徳島の県境の「祖谷」谷で中国の山水画のようなファンタスティックで神秘的な風景に接して感激し、民家を買ったのが日本にのめりこんだ始めだとか。
翌年慶応に留学したが、殆ど授業に出ず、祖谷に通って遊んでいたと言う。
今回のスピーチは、アレクッス・カーが撮影したスライドを使って、ユーモアを交えながら、人跡まれな田舎の野山さえも乱開発で如何に切ったり張ったりして破壊されているかを語っていたが、聞いていて胸が痛くなってしまった。
彼が住んでいる桃源郷のような(?)僻地である日本で一番深いと言う祖谷谷にも、かずら橋の側に、イベント広場と言う大きな駐車場が生い茂った草木を切り倒して白い土石をむき出しにして建設されている。
光り輝く渓流の水面に映えた美しい草花を写した写真を、逆ズームでワイドに切り替えると、川岸には無粋な道路がうねり、その上の山腹はコンクリートの切り貼りで無残な姿を晒している。
全く人が住んでいる訳でもなく、何の使用目的もないような山中に、過去の開発計画があって予算があるために、自然の景観を無視して山腹を切り刻み、川岸は自然を壊して醜悪な護岸を築いている。
工事現場に立てられた立て看板の文字が「人に優しい 環境に優しく ○○建設」。
架かった橋や護岸に彫刻や飾りのオマケ、オブジェが付いているが、醜悪でも芸術まがいの偽装であれば良いのか、ときつい事を言う。
面白かったのは、日本の景観を壊した元凶は高名な建築家だと言って、黒川や磯崎を写真付きで非難、しかし、景観と調和した安藤忠雄の建物は褒めていた。
京都の三十三間堂の正面の鈴なりになった電線の塊の写真を見せて、外人が真っ先に見るのはこの景色であること、そして、アメリカから来た高校生が、京都の綺麗な旅館から出て見たら、眼前に電線がびっしり張られて看板の派手派手しい裏長屋風情の路地が見える、これを見てインドのようだと言った話をして、文明国だとは到底思えないとコメントした。
開発や建設は決して悪いことではない、要は、やり方だという。
美しい自然や日本の貴重な風景が壊されて行くのに、観光に携わる人も色々な関係者も、勿論、識者さえも何も言わないが、これに慣れてしまうのが恐ろしいとも言う。
とにかく、戦後からだと思うが、日本人は、都市や田舎の景観を無茶苦茶に壊して、痛くも痒くも感じなくなってしまった。
仕事や金儲けになれば、何でも受注して建設してきた建設会社のCSRは、手抜き工事や偽装工事の排除は勿論だが、環境や景観保存に相応しくない建設工事を請け負わない良識を持つことかもしれない。
株式会社「庵」の会長として、京都の町屋を改造して活性化したり、日本の古い文化遺産のような民家をリファーブリッシュして日本の文化を守ろうと努力していると言う。
ヨーロッパの町並みや景観保存、環境保護に対する熱意は、尋常ではない。
あの中秋の名月の時に、月光に照り映えて輝く美しい桂浜の突端の岩は、コンクリートの張りぼてだと言うことを知っている人は日本人にどれだけ居るであろうか、悲しいけれどこれが日本であり、ヨーロッパでは絶対に有り得ないことでもある。
ところで、カーの話だが、建築や景観専門家とは違った視点から日本の建築や景観、風景、風物など、造詣の深い日本文化学を駆使しながらの話は豊かで面白かったが、確かに、ズームレンズばかり使って美しく見えた所だけの写真を撮っていると、つい本当の風景写真が写せなくなるのではないかと思ってしまった。
私の手元にあるのは、アレックス・カーの警告の書「美しい日本の残像」と「犬と鬼」であるが、いずれも日本の貴重な文化に対するバンダリズムに対する告発書であるが、日本に魅せられて日本を限りなく愛するアメリカ人から見た現代日本文化論でもある。
1964年12歳で来日し、指宿から稚内まで日本全国を回ったが、1971年に殆ど人の訪れない高知と徳島の県境の「祖谷」谷で中国の山水画のようなファンタスティックで神秘的な風景に接して感激し、民家を買ったのが日本にのめりこんだ始めだとか。
翌年慶応に留学したが、殆ど授業に出ず、祖谷に通って遊んでいたと言う。
今回のスピーチは、アレクッス・カーが撮影したスライドを使って、ユーモアを交えながら、人跡まれな田舎の野山さえも乱開発で如何に切ったり張ったりして破壊されているかを語っていたが、聞いていて胸が痛くなってしまった。
彼が住んでいる桃源郷のような(?)僻地である日本で一番深いと言う祖谷谷にも、かずら橋の側に、イベント広場と言う大きな駐車場が生い茂った草木を切り倒して白い土石をむき出しにして建設されている。
光り輝く渓流の水面に映えた美しい草花を写した写真を、逆ズームでワイドに切り替えると、川岸には無粋な道路がうねり、その上の山腹はコンクリートの切り貼りで無残な姿を晒している。
全く人が住んでいる訳でもなく、何の使用目的もないような山中に、過去の開発計画があって予算があるために、自然の景観を無視して山腹を切り刻み、川岸は自然を壊して醜悪な護岸を築いている。
工事現場に立てられた立て看板の文字が「人に優しい 環境に優しく ○○建設」。
架かった橋や護岸に彫刻や飾りのオマケ、オブジェが付いているが、醜悪でも芸術まがいの偽装であれば良いのか、ときつい事を言う。
面白かったのは、日本の景観を壊した元凶は高名な建築家だと言って、黒川や磯崎を写真付きで非難、しかし、景観と調和した安藤忠雄の建物は褒めていた。
京都の三十三間堂の正面の鈴なりになった電線の塊の写真を見せて、外人が真っ先に見るのはこの景色であること、そして、アメリカから来た高校生が、京都の綺麗な旅館から出て見たら、眼前に電線がびっしり張られて看板の派手派手しい裏長屋風情の路地が見える、これを見てインドのようだと言った話をして、文明国だとは到底思えないとコメントした。
開発や建設は決して悪いことではない、要は、やり方だという。
美しい自然や日本の貴重な風景が壊されて行くのに、観光に携わる人も色々な関係者も、勿論、識者さえも何も言わないが、これに慣れてしまうのが恐ろしいとも言う。
とにかく、戦後からだと思うが、日本人は、都市や田舎の景観を無茶苦茶に壊して、痛くも痒くも感じなくなってしまった。
仕事や金儲けになれば、何でも受注して建設してきた建設会社のCSRは、手抜き工事や偽装工事の排除は勿論だが、環境や景観保存に相応しくない建設工事を請け負わない良識を持つことかもしれない。
株式会社「庵」の会長として、京都の町屋を改造して活性化したり、日本の古い文化遺産のような民家をリファーブリッシュして日本の文化を守ろうと努力していると言う。
ヨーロッパの町並みや景観保存、環境保護に対する熱意は、尋常ではない。
あの中秋の名月の時に、月光に照り映えて輝く美しい桂浜の突端の岩は、コンクリートの張りぼてだと言うことを知っている人は日本人にどれだけ居るであろうか、悲しいけれどこれが日本であり、ヨーロッパでは絶対に有り得ないことでもある。
ところで、カーの話だが、建築や景観専門家とは違った視点から日本の建築や景観、風景、風物など、造詣の深い日本文化学を駆使しながらの話は豊かで面白かったが、確かに、ズームレンズばかり使って美しく見えた所だけの写真を撮っていると、つい本当の風景写真が写せなくなるのではないかと思ってしまった。