熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

平川 祐弘 :ダンテ『神曲』講義  宗教観

2023年09月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、ダンテの「神曲」を、もう少し勉強したいと思って読み始めたので、レビューの対象ではない。
   しかし、先に読んだ今道友信先生の「ダンテ神曲講義」のとは違った面白い知見も得たので、ここで、特に気になった宗教観について考えてみたいと思う。

   キリスト教徒でありキリスト教至上主義者のダンテは、強烈な独断と偏見で、この「神曲」を書いたのであるから、どんなに凄い歴史上の偉人であっても、悉く地獄へ落としており、当然のこととして、宗教に対しても容赦がない。

   特に酷いのは、地獄篇第二十八歌における、分裂分派の徒と見做して地獄に突き落として真っ二つにしているマホメットの描写で、詳細は省略するが、異教とはいえ、許されないほど常軌を逸している。当時、イスラム勢力が強くなっていて、ダンテなどは切歯扼腕だったようで、それに、祖父の祖父カッチャグイダが、十字軍に参加して陋劣な民に殺されたと言う個人的な恨みもあったのであろう。

   興味深いのは、これに対して、イスラム教の始祖を地獄の底に落とし、イスラム寺院を下地獄の悪の城に見たてているダンテの「神曲」を、これから先も長く世界文学の最高峰と奉ることははたして賢明であろうか。ちなみに「神曲」はアラビア語への翻訳が英語からの重訳で1957年に出た由だが、地獄篇第二十八歌は削除されている。と言う著者の記述である。

   ユダヤ教に対しても容赦がない。
   キリストを死刑に導いたサドカイ派の会議の司会者であったカヤパを、「永劫の流謫の地」に落している。
   また、著者は、第二十三歌の「悪魔は嘘つき、嘘の父親という説」の典拠は「ヨハネ伝」であり、ルターのドイツ語訳で更にアンチ・セミティズムが増幅され、子供時代から教え込まれれば、ナチズムの台頭以前に反ユダヤ感情が培われるのは当然であろうと言う。

   面白いのは、この「神曲」で、辛うじて救いとなるのは、イスラム人でありながら、あの世で罰を受けない人として、名君の誉れ高かったサラディン王が、一人地獄の辺獄におかれて別格の待遇を受けていることである。
   著者は、
   ボッカッチオの「デカメロン」で、サラディン王がユダヤの富者で知者のメルキゼデックに、「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの法の中で、一番真実の法はどれか」と質問したところ、3人の後継者に同じ指輪を授けて後継者争いをさせて決着が着かなかったという逸話を語って、
   自分こそが真の法の所有者、自分こそが真の戒律を神から直接授かったものと思い込んでいる。しかし、三者の誰が本当に授かったのか、それは指輪の場合と同様、いまだに解決されていない。と答えたと言う。

   艶笑作家と低く観られているボッカッチオの方が、ダンテより、遙かに識見知見共に優れていたのが興味深い。
   さて、ダンテは、釈迦を地獄のどの谷に落すのであろうか。
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