熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ストラトフォードのシェイクスピア旅(11)ウォリック城を訪れる-2

2023年09月26日 | 30年前のシェイクスピア旅
   外に出て、宮殿の外れのゴースト・タワーの側にある塚山の望楼に上ってみた。
   眼下には壮大な庭園が開け、その中を緩やかにエイボン川が蛇行している。その向こうには、ストラトフォードやコッツウォルドの沃野が広がっている。
   この庭園は、18世紀半ばに、造園家ランスロット・ブラウンによって造られたもので、小山あり、谷あり、中州ありで、エイボン側にあるので、河畔からは、ガーデン越しに城の宮殿が見える。残念ながら、今回は時間がなくて、ガーデンを散策できなかった。

   今回、興味があったのは、アーデンの森がどんな森なのか、知りたかったことである。
   シェイクスピアの戯曲には、森のシーンが随所に登場する。しかし、その森は、ドイツの森のように、真っ黒で、一度入り込むと出てこられないような、鬱蒼とした森ではないはずだとと言う気がしている。ドイツの森は、一度しか行っていないが、シュヴァルツヴァルト(黒い森)に代表されているように、鬱蒼とした原生林のような大海原の雰囲気で、その中では人が住めない全く阻害された世界と言った感じがするが、シェイクスピアの描く森は、きっと、故郷アーデンの森に違いない、それを見たい、と言うのが今回の旅の一つの目的であった。

   眼下には、ずっと遠くの方まで、緑の森や田畑が広がっている。それは、ドイツの森と全く違っていた。相当部分は森林で覆われているが、鬱蒼とした森林地帯には程遠く、所謂、ニュー・フォレストで、小さな村や農地が散在する樹木の多い田園地帯という雰囲気である。あの当時、このアーデンの森には、牧草地の麦畑に交じって、小規模な工業や鉄鉱山があったと言う。
   ”お気に召すまま”で、ジェイクイーズが、「この世界は総べてこれ一つの舞台。人間は男女を問わず総べて、出ては消えて行く役者に過ぎぬ。」と唱えた森も、”真夏の夜の夢”で、タイターニァがボトムと戯れた森も、”ウィンザーの陽気な女房たち”で、ファルスタッフが妖精たちにいたぶられるラストシーンも、このアーデンの森が舞台なのであろう。眼下の、緑滴るエイボン川を飽きずに眺めながら、シェイクスピアの世界を反芻していた。

  中庭に戻って、城壁に上る。ベアー・タワーとクラレンス・タワーの上を歩いて、ガイズ・タワーに達する。タワーに入って細い螺旋階段を上る。シーザーズ・タワーと共に、この城で最も高い塔で、眺望は素晴しく、鄙びたウォリックの町が見え、その背後に森と田園地帯が広がっている。大きな建物は、セントメアリー教会だけで、黄緑色の牧草地が点在する濃い緑色の沃野が何処までも続いている。
   マクベスの城は、スコットランドだが、最終幕のバーナムの森がダンシネンの丘に攻め上ってくる光景は、何処であろうかと思いながら、中世の城の高い望楼からの展望を楽しんでいた。
   シェイクスピアの頃には、この城は厳然と建っており、隣町に住んでいたので、城内に入らなかったとしても、城のことは十分に聞いていたであろうし、城下に来てこの城を見上げたであろう。シェイクスピアの戯曲で重要な位置を占めている英国史劇が、比較的リアルであるのは、英国の話であると言う以外に、この典型的な素晴しい中世の城郭ウォリック城が身近にあって、よく知っていたからであろうと思う。

   なお、口絵写真は、ウィキペディアからの借用だが、城の望楼からウォリックを展望した風景のようなので、前述の描写の参考になろう。
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