熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場文楽公演・・・夏祭浪花鑑

2007年09月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   勘三郎がニューヨーク公演で人気を博した「夏祭浪花鑑」の文楽版。
   歌舞伎の舞台には殆ど記憶が残っていないので比較は出来ないが、ビデオで見た感じでは、勘三郎の団七九郎兵衛が笹野高史の三河屋義平次を殺害するシーンのある長町裏の段が凄かったが、この文楽でも、桐竹勘十郎の団七と吉田玉也の義平次のくんずほぐれつの舞台が人形を超越した凄い迫力で素晴らしかった。
   団七、釣船三婦(桐竹紋寿)、一寸徳兵衛(吉田玉女)の三人の侠客の義侠心と男の意地を軸としてその妻たちとの人間模様などを絡ませた世話物だが、大坂発と言うか江戸モノとは一寸違った雰囲気が残っていて面白い。

   見せ場は、やはり、前述の義平次殺害の場と、徳兵衛の女房お辰(簔助)が、磯之丞(吉田清之助)を玉島に連れ帰るには美しくて色香があり過ぎて世間の誤解を招きかねないと三婦に言われて、火鉢で真っ赤になった鉄弓で顔を焼くシーンである。
   武士の妻などと言って、その決然とした潔さなどが舞台に上がることがあるが、この場合は、身体を張って生きている任侠の女房としての心意気と言うものであろうか。
   歌舞伎では、「そのような顔になって徳兵衛に嫌われはせぬか」と言われて、「うちの人が惚れたのは顔じゃござんせん。ここでござんす」と言って右手で胸をたたくようだが、
   文楽では、「・・・コレお内儀、傷は痛みはしませぬか」「なんのいな、わが手にした事、ホホ、ホホ、オホホホホホ、ヲヲ恥ずかし」と袖覆う。
   簔助は、この気丈夫なお辰の心の揺れを実に鮮やかに人形の表情に託して演じきっていて感動さえ覚える。

   お辰が、刑期を終えた夫徳兵衛を迎えに大坂に来て、三婦とその女房おつぎ(桐竹紋豊)に会って、最初は世間話だったが、おつぎから玉島に帰るのなら磯之丞を連れて行ってくれと頼まれて、この惨劇が起こるのだが、黒衣装の凛とした簔助のお辰が舞台を引き締めている。
   お辰の登場は、この釣船三婦内の段だけだが、竹本住大夫の語りと野澤錦糸の三味線がまた素晴らしい。

   今月の日経の「私の履歴書」は、簔助である。
   日頃は、気づいた時にしか読まないが、簔助のところは、毎日欠かさずに楽しみながら読んでいる。
   履歴書だから、芸談は少ないが、戦後の文楽の苦難時代の苦労話を三和会の活動などを通して語っているが、丁度その頃、関西に住んでいたので、何となく雰囲気が分かって親しみが湧く。

   さて、団七の義父義平次だが、仲間と語らって道具屋にニセモノの香炉を高く売りつけたり、団七の名を騙って、磯之丞の想い人琴浦(吉田勘弥)を三婦宅から連れ出して叩き売ろうとするなど悪の限りを尽くす薄汚い吝嗇の極悪人で、これがもとで団七に殺されるのだが、いくら義理でも父は父、この関係が団七の運命を決める。
   琴浦を追って長町でやっと追いつき、懇願するが琴浦を返すどころか、チンピラの団七を一人前にしたのは誰だと散々悪口雑言。石を包んだ30両で騙されて琴浦を返すが、金がないと知って、雪駄で団七の眉間を割る。辛抱に耐えかねた団七が、抜刀して泥田の中を義平次を追い回して刺し殺す壮絶な殺人劇が展開される。
   玉男は、この極悪人の義平次の役が好きで、悪ければ悪いほど団七が引き立ち遣り甲斐があると言っていた。
   

   この時、団七の人形は裸になって、みごとな彫り物と赤褌姿を晒して見えの連続で観客を釘付けにする。この鮮やかな刺青姿は、歌舞伎からの逆移入だと言う。
   今回の「夏祭浪花鑑」は、三段目から九段目までだが、全編通しての主人公は団七で、勘十郎が実にきめ細かく豪快な団七を遣っている。
   簔助が、履歴書で、勘十郎の弟子入りの感動を綴っていたが、芸の伝承の素晴らしさを実感させる素晴らしい勘十郎の舞台である。

   この長町裏の段だが、団七を人間国宝となった竹本綱大夫、義平次を竹本伊達大夫の語り、鶴澤清ニ郎の三味線で浄瑠璃が展開していて、その迫力と緊迫感が素晴らしい。

   女形で芸達者な桐竹紋寿が、今回は、老練な人形捌きで三婦の重厚な侠客像を見せてくれている。
   吉田和生の団七女房お梶、玉女の一寸徳兵衛の素晴らしい人形が、勘十郎の団七の舞台を支えていることも今回の公演の成功の重要な要因であろう。
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