熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

小澤征爾の指揮棒

2007年09月08日 | クラシック音楽・オペラ
   今日、NHK BShiで午後から深夜に及んで小澤征爾特集を放映していた。
   スイッチを入れた時には、既にN響とのベートーヴェンの運命が始まっていたのだが、この後のサイトウ・キネンとのブラームスの交響曲第一番も大変な熱演であり感激して見ていた。
   最近、小澤征爾は、指揮棒を持たずに指揮をしているが、指揮棒について面白い逸話を話していた。

   ウィーン・フィルの演奏会で、アパートから出る時に指揮棒を忘れて会場に入り、ライブラリアンに頼んだら5本ほど持ってきたが、長かったり短かったり大きなキャップが付いていたりで意に沿わず、指揮棒なしでストラヴィンスキーの「春の祭典」を振った。
   これが意外に都合がよく、誰も何も言わないし、その後指揮棒なしで通していると言うことである。

   ところで、この小澤征爾の持っていた指揮棒だが、フィラデルフィア管のユージン・オーマンディから貰ったものだと言う。
   演奏会の時、オーマンディが可愛がってくれていて、自分自身の特別仕立ての楽屋を使わせてくれた時に、机が少し開いていて中を覗くと指揮棒があった。
   釣竿の先端部分を使って根元にコルクをあしらった特別製の指揮棒で、しなって柔軟性があり、中々良いので無断で拝借して使っていた。
   ところが、これをオーマンディが知る所となり電話を架けて来た。正直に言えばあげたのにと怒られたが、後から6本ほど送ってきてくれたと言うのである。

   オーマンディの特別の楽屋と言えば、オーマンディが音楽監督をしていたフィラデルフィア管弦楽団の本拠地アカデミー・オブ・ミュージックだと思う。
   小澤が何時オーマンディの指揮棒を持ち出したのか分からないが、1973年にボストン交響楽団の音楽監督になってから程なく、楽団を引き連れてフィラデルフィアに来た。
   アカデミーの演奏会に出かけて、小澤の素晴らしいブラームスを聴いたのだが、この時に、小澤はオーマンディの楽屋を使っていたのだから、指揮棒を持ち出したのかも知れない。
   私自身は、この時から小澤のファンとなって、日本にいるときは、ずっと新日本フィルの定期会員を通しており、また、オペラやオーケストラの演奏会には結構通ってきたのだが、何時まで、指揮棒を持っていたのか記憶にはない。
   サイトウキネンをロンドンで振ったときには、指揮棒を持っていたはずだが、とにかく、今日のNHKの放映で、髪黒グロの若い小澤征爾を見て、30年以上も前に見て聴いた時にはどんなにダイナミックだったのか興味深かった。

   ところで、もう一つ指揮棒で興味深い経験をしたのは、1970年の大阪万博の時に、カラヤンがベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を開いた時のことである。
   私は、運命と田園、合唱の2回だけしか行けなかったが、この時、運命の演奏途中に、激しいタクト捌きで、カラヤンの指揮棒が折れて、激しい勢いで左に吹っ飛んだ。
   この後、何でもなかったかのように、カラヤンの指揮棒なしの華麗な指揮が続いたのだが、非常に貴重な経験であった。
   師匠カラヤンが指揮棒なしの華麗な演奏をしていたので、小澤征爾もそれに倣ったのかと思ったが、違っていたので、偶然の女神も粋なはからいをするものだと思って面白かった。

   今夜、サイトウキネンのライブで、小澤がベルリオーズの「幻想交響曲」を指揮していたが、これも、万博の時のニューヨーク・フィルのコンサートのレナード・バーンスティンの幻想を思い出して聴いていた。
   演奏が終わった直後に、ボックス席から立ち上がって大声で「ブラボー、ブラボー」と叫ぶガラの悪い(?)若者がいたが、これが若き日の小澤征爾だったのである。
   この時、舞踏会のワルツの演奏の時、バーンスティンは、正に踊るように実に美しく優雅に指揮していたのを記憶しているが、今夜の小澤は、その点、優雅さには欠けた。もっとも、素晴らしい幻想交響曲であったことには違いない。

   ロンドンのロイヤル・フェステイバル・ホールで何本か歴代指揮者の指揮棒が展示されていた。あっちこっちで指揮棒を見ているが、指揮者によって随分バリエーションがあるのに驚いた。
   昔の指揮棒は杖のようで、床を叩いて指揮したと言い、リュリなど、それで足を強く叩き過ぎて、それが元で亡くなったと言うが、指揮棒と指揮者の逸話を集めれば面白いかも知れない。
   

   

コメント
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