熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イチジクの実・・・ギリシャを思い出す

2007年09月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ギリシャが燃えている。
   ギリシャは、子供の頃からの私の憧れの地。もう30年も前になるが、初めてパルテノンの丘に登った時には、本当に感激した。
   プラトンやソクラテス、フェィディアスがこの地に立っていたのかと思うと感激一入であった。
   その後、ギリシャの遺跡や田舎を歩いたが、殆ど緑がなくて岩や土壌が丸出しに露出した荒涼とした大地が広がっていて、緑滴る山紫水明の日本とは全く違っていたが、そのギリシャが、今、猛暑と異常乾燥のために、全土に非常事態宣言が発せられるほど激しい山火事に覆われて燃えていて、人工衛星からも赤い炎が見えると言う。
   オリンピアの遺跡まで火事が迫ったと言うのだが、憎むべきは地球温暖化によるエコシステムの破壊である。早く火事が終息して欲しい。
   このギリシャの果物がイチジクである。
   食後のデザートのイチジクは実に美味しい。
   オリーブの陰に隠れているが、イチジクこそギリシャの果物で、乾燥イチジクが名産でもある。

   わが庭のイチジクの木には沢山実がなっていて、毎日あっちこっちから実が色付いて来る。
   植えて最初に実がなった時には、十分に熟した甘いイチジクを食べることが出来たが、最近では、まず、大きなヒヨドリがやって来て突き始め、去年は、クマンバチの来襲で危なくて近寄れず、その後、メジロが来て実を突付いていたので写真を撮ったりしていた。
   ところが、今年は、完熟直前にヒヨドリが突付き始めて殆ど食べてしまう。その為か、クマンバチや、コガネムシや蟻など昆虫達の訪れがなく、食べ残しの実に小さな虫が付いている程度でおさまっている。

   厚紙を筒状にして実を一つ二つ保護してみたがヒヨドリの方が賢い。
   鳥に食べられることは別に気にしないが、私自身もお相伴に与ろうとしてイチジクの木を植えたのであるから、多少は賞味したい。
   そう思って、ヒヨドリの先回りをして少し柔らかくなったのを摘果して1日置いておくと、可なり甘くなって美味しく食べられることに気がついた。
   実を食べる時には、根元から皮を剥くのも良いが、ギリシャか他のヨーロッパの国か忘れたが、レストランのギャルソンが、二つに横から輪切りにして、スプーンを皮に沿ってくるりと回すと上手く中身を取り出せることを教えてくれた。
   
   ところで、イチジクの葉は、アダムとイブが最初に纏った謂わば衣服のようなものだから、歴史の古い由緒正しい植物なのである。
   私は、失楽園の舞台が中東であるならば、イブが蛇に貰ってアダムに与えた果物はリンゴではなくイチジクではなかったかと思っている。
   北方のリンゴであるのは一寸辻褄が合わないし、それに、イチジクはアラビア半島の原産でもあるし、渡辺淳一ではないが失楽園のイメージにはイチジクの方がはるかに相応しいような気がしているのである。

   江戸時代の始めに日本に渡来したということだが、奈良時代に、シルクロードを経て遥かペルシャあたりから多くの胡人が訪れていたので、イチジクが渡来していても良さそうだが、乾燥イチジクは持って来ていたとしても、無花果で種がないので、根付かなかったのであろうか。
   イチジクは、すぐ成長して大きく育ち、殆ど手入れしなくても、沢山実を結ぶ。
   尤も、園芸店が鳴り物入りで売っていたフランスの高級苗を買って植えてみたが、木だけ大きくなっておかしな実しか付かず邪魔になったので、切り倒してしまった。
   ギリシャやアラビアのような広々とした荒地に似合う木のように思う。
コメント
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