熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

パヴァロッティ逝く

2007年09月06日 | クラシック音楽・オペラ
   台風9号が首都圏直撃のNHKニュースの合間に、ルチアーノ・パヴァロッティ逝去を知った。
   私にとって最初のパヴァロッティとの遭遇は、もう40年以上も前になるが、東京文化会館でのイタリア・オペラ「リゴレット」でのマントヴァ公爵での衝撃であった。
   その頃は、外国オペラと言えば、その前に観た大阪フェスティバル・ホールのバイロイト・オペラの「トリスタンとイゾルデ」とイタリア・オペラの「ボエーム」くらいで、オペラについては全くの初歩でよく知らなかったのだが、とにかく、ルチアーノ・パヴァロッティのテノールに圧倒されてしまった。
   晩年のマリオ・デル・モナコも聴いたが、パヴァロッティの黄金のトランペットの冴は群を抜いていた。

   それから、アメリカとロンドンで数回、実際にパヴァロッティのオペラの舞台を観たのは限られているが、映画やビデオ、TV放送などでパヴァロッティ体験は数限りない。
   リリコ・レッジェーロと言う声質のテノールでベルカント・オペラを得意としていて、器用なドミンゴとは対照的にレパートリーは殆どイタリア・オペラに限られているのだが、
   残念だったのは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、折角チケットを苦労して手に入れながら、開演に遅れて、シュトラウスの「バラの騎士」のイタリア人歌手を地下の劣悪なモニターTVで見なければならなかったことである。

   アメリカでは、フィラデルフィアにいた時に、演目は失念してしまったが、フィラデルフィア・オペラで、サザーランド・ボニング夫妻との親交が篤かった時で、サザーランドと若くて美しかったフレデリカ・フォン・シュターデとの共演の愉快なモーツアルトの舞台を観たことがある。
   このアカデミー・オブ・ミュージックは、ミラノ・スカラ座をこじんまりしたような美しい劇場で、昔、フィラデルフィア管弦楽団のシーズン・メンバー・チケットを持っていた頃には、終演後にユージン・オーマンディをよく楽屋に訪ねて行った。

   ロンドンでの思い出の舞台は、ドニゼッティの「愛の妙薬」のネモリーノで、パヴァロッティそのものが地で行っているような舞台であったが、「人知れぬ涙」は、本当に涙が零れるほど美しくて感激して聴いていた。
   もう一度は、同じくロイヤル・オペラで、プッチーニの「トスカ」のカヴァラドッシである。サンタンジェロの刑場での処刑前のアリア「星も光りぬ」を、城壁に背を持たせて中空を仰ぎながら、切々と歌うルチアーノ・パヴァロッティの表情をニコンの双眼鏡で凝視していたが、実際に、顔を限りなく曇らせて涙を一杯に溜めて泣いていたのである。
   その前に、ドミンゴの「星も光りぬ」をロイヤルオペラのケンウッド野外オペラで観ていたが、対照的な舞台であった。

   私には、ロストロポーヴィッチやビバリー・シルスなどの死も限りなく寂しかったが、話題の多かったルチアーノ・パヴァロッティについては特に印象深かったので、パソコンを叩いて世界のメディアのパヴァロッティ追悼記事を弾き出してプリントした。
   ドラッカー逝去の時と同じで、厖大な量だが、今回は、写真や映像がフンダンに溢れていて収拾がつかないほどである。

   早速、METが、「Legendary Tenor Luciano Pavarotti Daies at Age 71」と言う追悼文をホームページの冒頭に掲げている。
   METの最後の舞台は、2004年3月13日のトスカのカヴァラドッシであったとか。
   METで歌ったのは378回で、殆どイタリア・オペラだが、例外は、「イドメネオ」と先のイタリア人歌手だと記しているが、返す返すも残念である。
   ところで、最後のトスカだが、体調を壊して何度もキャンセルして、MET出入りを禁止された曰くつきのオペラだが、やはり、真っ先に追悼文を掲げるあたりはMETである。

   ミラノ・スカラ座もホームページのトップに追悼文「Goodbye to Luciano Pavarotti」 を掲げている。
   1964年9月のツーリング・リサイタルからの付き合いで、1992年12月の「ドン・カルロ」の舞台まで、ヴェルデイ11演目、ドニゼッティ6演目、ベッリーニ5演目等々150公演だったと言う。
   この最後の「ドン・カルロ」の舞台も、調子が悪くて、厳しいスカラ座の天井桟敷より散々ブーイングが出たとイギリスのメディアが伝えていたのをロンドンに居て聞いたが、世界のファンが何時も最高のテノールを期待している以上、生身の体の悲しさ、仕方がなかったのであろう。

   何れにしろ、多くの話題を残しながら、前世紀最大のテノールの一人が逝ってしまった。
   ご冥福を心からお祈り致したい。
コメント
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