熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イスラエル・ロビーが米国を危うくしている・・・J.J.ミアシャイマー&S.M.ウォルト

2007年09月13日 | 政治・経済・社会
   米国は、イスラエルに対して並外れた援助と外国支援を与えているが、これは、イスラエル・ロビーの存在がなさしめる業で、このような無批判かつ無条件の支援を続ける関係は米国の国益を冒しているばかりではなく、イスラエルにとっても良いことではない。
   アメリカでのタブー中のタブーであるイスラエルロビー批判を真っ向からやってのけたのは、シカゴ大のJ.J.ミアシャイマー教授とハーバード大のS.T.ウォルト教授で、この本「イスラエル・ロビーとアメリカの外交」(副島隆彦訳)だが、アメリカでは出版できず、「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」経由で世に出たと言う。
   二人は国際関係論の権威で、謂わば、東大と京大の法学部の看板教授が批判の出来ない圧力団体の国益に反する悪影響を徹底的に検証して真実を白日に曝したようなものであるから、そのインパクトは極めて大きい。

   「イスラエル・ロビー」とは、イスラエルを利する方向に米国の外交を向かわせるべく、影響力を行使している諸団体や個人の緩やかな連合体のことである。
   米国がイスラエルを無条件に後押しするように促し、イスラエル・パレスチナ紛争、災いをもたらしているイラク侵攻、シリアやイランとの今尚続く衝突など、様々な米国の外交政策に重要な役割を果たし、その結果、米国の外交政策は米国の国益に適っていないのみならず、イスラエルの長期的利益をも損なっていると言うのである。
   メディアは勿論、大統領もその候補者も、上下両院議員の誰一人としても、イスラエル・ロビーの行為を非難するものはいない。

   しかし、二人は、ユダヤ人国家イスラエルの存在は十二分に正当化されるもので、イスラエルの存在が危機に曝された時には、米国はイスラエルを支援すべきであると認識した上で、イスラエル外交に対しては、バランスの取れたフェアなものでなければならないと言っているのである。

   世界中には、迫害されてきたクルドの民やバスクの人々など多くの不幸な民族がいるが、しかし、ユダヤ人ほど不幸な運命を背負ってきた民族はいないであろう。
   パレスチナの故地を負われて流浪の民となり、キリスト教徒たちが、十字軍時代には、数多くのユダヤ人を虐殺し、1290年から1497年にかけて、ユダヤ人を、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどから一斉に追放し、他の地域ではゲットーに押し込めた。
   東ヨーロッパやロシアではユダヤ人の抹殺計画が何度も実行され、ナチスによる600万ものユダヤ人大量虐殺によって頂点に達した。
   その他の反ユダヤ主義的な行為は最近まで横行し、いまだにネオ・ナチやクー・クックス・クランの動き等もあり、程度は多少緩いがアラブ世界においても抑圧されてきた。

   私自身は、全くユダヤ人に対しては偏見などないし、むしろ、クラシック音楽が好きなので、作曲家は勿論、現在の指揮者やオペラ歌手など多くの音楽家はユダヤ人なので親しみを感じている。
   ノーベル賞受賞者の30%以上はユダヤ人だと聞いたこともあるし、学問芸術の世界でユダヤ人の残した足跡は偉大である。
   
   ところで、この米国のユダヤビイキであるが、48年のイスラエル建国を後押ししてからは、米国はずっとイスラエルとアラブに対しては中立を守っていたと言う。
   しかし、1976年の第三次中東戦争、ソ連のアラブ諸国への武器供与などイスラエルが存続の危機に曝され、米国内の親イスラエル派諸団体の影響力伸張などによって、米国のイスラエルへの急速な傾斜が進行して行った。
   したがって、最近40年くらいの短い間でのイスラエルとの緊密な関係なので、過去の宗教的信念や過去の米国の中東への関与と言う理由では、歴史的には、現在の特殊な関係を正当化できないと言うのである。

   (追記)ユダヤ人の友の思い出やアメリカのユダヤ音楽事情などのエピソード、ユダヤ人に対する私見を、このブログの2006年2月7日に、「チューリップやシクラメンの故郷イスラエル・・・平山郁夫の花の旅」で書いている。

   
   
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博士は一芸に秀で、多芸に通じる・・・ソニー中鉢良治社長

2007年09月12日 | 政治・経済・社会
   博士について、
   一芸に秀で、多芸に通じる
   テーマが変わった時に博士の真価が問われる
   ソニーの中鉢社長が、ご自分の体験を交えながら、イノベーション・ジャパン2007で、工学系の「博士」について興味深い話をした。

   もっとも演題が「イノベーション立国の実現に向けて」と言う基調講演で、イノベーション25に呼応した経団連のイノベーション戦略についての講演だが、ソニーのfelicaについて語るなど、後半のソニー関連の話や大学院の教育とのギャップなどの話の方が面白かった。
   felicaについては、1993年に準備室を設立してスタートしたが、初めて実現したのは1997年の香港のオクトパスカードで、suicaの実現は2001年、翌年にシンガポールで使われるようになった。今では全く当然のこととして重宝しているが、開発成就までには大変な苦労があったようで、イノベーションの「1、10、100」理論で説明していた。

   「1.10,100」とは、キー・テクノロジーの発見に要するエネルギーが1だとすると、商品生産への過程で必要なエネルギーはその10倍で、更に消費者に買って貰うためのマーケッティングには100倍ものエネルギーが必要だと言う理論である。
   発明・発見のシーズがいくら沢山生まれても、それを大量生産してヒット商品化してイノベーションが実現するのは千三つで、如何に難しいかと言うことだが、ソニーの場合には、オリジナルのオンリーワンの技術に拘りすぎるので尚更大変である。
   
   産学協働によるイノベーションがテーマであるから、東北大学岡村教授とのフェライトに関する共同開発の話から始まった。
   同じ東北大学博士課程の修了者・新入社員中鉢良治が配属されたのは、このフェライトの仙台工場であった。
   鉱山工学の専攻でありながら、毎日フェライトとの戦いで、8年間、孤軍奮闘、孤立無援で、人生何処か間違っているのではないかと苦悶しながら、少しもラクにならない生活の中で研究開発に励んで、メタルテープの開発に成功したと言う。

   このような経験が、冒頭に記した「一芸に秀で、・・・」と言う思いが生まれたのではないかと思う。山高ければ裾野広しと言うことであろうか。
   学生の頃、京大の法経教室で、湯川秀樹教授の「科学の分化と総合」と言う講演を聞いたが、あの時、湯川博士は、「いくら狭いテーマであってもそれを突き詰めて研究し追求して行くと全体像が見えてくる。それは、節穴に目を近づけて行けば行くほど、外の世界がはっきり見えてくるようなものである。」と語っていたのを思いだした。
   テーマが変わった時に真価が問われると言ったのは、鉱山工学が専門の畑違いが磁気テープ開発に成功したことを言うのであろうが、最近の博士課程を出た新入社員は、専門のことばかりに凝りかたっまって、その専門領域の仕事ばかりしたがって、役に立たないと言うことへの警告であるのかも知れない。

   ところで、大学の修士教育について、大学と企業との間にギャップがあることを話していた。
   最近、工学部修士課程の新入社員が多いが、企業側は、大卒よりそれ以上に訓練され教育された技術者の仕上げのエンジニアを期待しているのだが、大学では、博士課程の途中下車で研究者の入り口と言う位置づけで初歩的な教育しかしていない、と言うのである。
   アメリカの場合には、大学院のエンジニアリング・スクールは、MBAなどと同じで、プロの技術者を育成するプロフェッショナル・スクールだと聞いていたが、日本も、学者や高度な技術者を育成するための博士課程の大学院大学とプロフェッショナル育成のエンジニアリング・スクールを分ける必要があるのであろう。

   産学協働は非常に素晴らしいことだが、中鉢社長が言っていた様に、使命を明確化して、大学は基礎研究、企業は応用研究・開発・事業化の推進と言う線で、シーズとニーズを上手くマッチングさせることが大切であろうが、あまり、大学の植民地化の促進は望ましいことでもなかろう。
   企業も日本の大学教育だけに期待するのではなく、従業員の国際化にはグローバル企業としての自由度が高いのであるから、もっとグローバル・ベースでの人財とイノベーションのシーズを求めて世界戦略を打つべきであろうと思う。
   
   この大学見本市シンポジウム主催者のJSTとNEDOは、最近、技術立国を目指した産学協働に非常に積極的に貢献しているが、イノベーション・ジャパンについては、アメリカのように軍隊がないから、壮大な国立科学技術研究所を設立して、戦略的な基礎研究を積極的にやるべきだと思う。
   
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世界からみた現在の日本・・・出井伸之氏

2007年09月11日 | 政治・経済・社会
   世界同時好況(と言っても今はサブプライム問題を引き金に世界経済は混沌としているが)を日本だけが実感できない。
   日本経済の基盤はモノ造りとサービス、すなわち、リアルエコノミーの世界で、IT,金融等バーチャルな世界のアメリカに完全に負けてしまい、有史以来の新興国の同時成長の谷間で遅れを取り、日本企業が中国に買われる時代になってしまった。
   金利安と安心して投資できる仕組みが出来ていないので、日本には海外から直接投資の金が入ってこない。
   日本の生きる道は、①循環型社会②アメリカ型の拡大主義の追及③日本独自の経済成長モデル、の内どちらかと言えば、21世紀の新都市国家の時代でもあり、アメリカのような大国の地位を目指して量の拡大を競うのではなく、世界の大国と出来る限り補完的な関係を築き、あらゆる分野で知識・技術を力にして行くべきである。

   こんな持論を、ソニーの出井伸之前CEOが、新書「日本進化論」の冒頭の「世界からみた現在の日本」の章で述べている。
   日本の未来をそれほど悲観する必要がないと言いながら、15年以上も踊り場でジッと動かなかったとは言えボリュームでは経済力世界第二位の日本を、既に、世界の大国から脱落して中進国になってしまったと言わんばかりの論調だが、確かに、日本の一人当たりのGDPや経済の国際競争力や成長性など多くの国際指標は悪化の一途を辿っている。
   これもみんなバブル、あの資産バブルの崩壊の所為だと言うのだが、そうではなく、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結してから、インターネットの普及やデジタル革命で世界の政治や経済が大きく変化したにも拘らず、日本は対応できなかった。このことが、日本経済が失速した真の原因である、と出井氏は言う。

   私は、1985年から1993年まで、ヨーロッパに住んでいて、ベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結をつぶさに現地で経験しているが、それよりも、印象に残っているのは、サッチャーによる金融ビックバンに揺れ動くシティの激動で、一人の金融マンに過ぎないジョージ・ソロスが大英帝国の主権に真っ向から挑戦し、世界に君臨し世界の富の象徴であった偉大なポンドに攻撃をかけて崩壊(?)させてしまったことであった。
   製造業がいくらダメッジを受けても経済への打撃は少ないが、金融が既に経済や国家の屋台骨を崩しかなないリバイヤサンになったしまったこと、そして、それも一人の人間の力であっても、あるいは、些細な金融部門の揺らめきであっても、一挙にシステムを破壊して世界を震撼せしめる起爆力を持っていることに気付いたのである。

   1993年以降は、インターネットが普及し、IT革命が進行し、デジタル技術の発展が産業構造を根本的に変革し、冷戦の崩壊で資本主義市場に参入した新興国を一挙にグローバル経済に巻き込んでしまった。
   IT機器等のモノの世界とドットコム企業の異常なブームで、IT革命の真の革命的な意義を誤解したために一時はITバブルを惹起したが、IT技術、その中でもデジタル技術は、産業革命を起こした蒸気機関や電気などと同列の、否それよりももっと強力な産業を根本から変革する大エネルギーであり、この技術が産業に浸透するにつれて、一挙に世界の経済力を高みに引き上げてしまった。

   この金融の世界とデジタル革命の恩恵から一番取り残されていたのは、出井氏が指摘するように日本そのものであった。
   不況だ不況だと言いながら、物質文明が豊かであった日本人には、轟音をたてて驀進するグローバリゼーションの激動と第三次産業革命の足音が全く聞えなかった、聴こうとしなかったと言うことであろう。
   モノ造りに精進し輸出さえしておれば経済成長だと考えて、円安にこれ勤めたが、これは既に時代遅れとなった重厚長大産業重視の高度成長期の工業化社会でのみ有効な政策だったが、日本はこれに固守し続けた。このあたりの日本経済の蹉跌(?)については、野口悠紀雄教授の「資本開国論」に詳しい。

   出井氏の論点は正しいとして、出井氏に聞きたい。
   インターネット革命への動きを察知して、オーディオ・ビジュアルに強いアナログ志向のソニーに、パソコンを中心としたIT部門を取り入れて、デジタル・ドリーム・キッズの方針のもとにITとAVの融合を図って、ソニーの成長を図ったと仰る。
   しかし、製品を入れ替えただけで、頭は全くアナログ志向の技術・製品優先のままであるから、利益目標に程遠い業績を続けているのではないのか。
   コンシューマー・エレクトロニクスやIT分野の世界では、エンジンやエネルギーとしてのIT技術をフルに活用、すなわち、ウイキノミクス革命による顧客やサプライヤー等を巻き込んだ共創やマスコラボレーションが主流となっており、ハイ・コンセプトやクリエイティビティが富を創造するスマイルカーブの先端・ソフトや素材が活況を呈している。時代は変わったと言われるが、ソニーの経営はいまだに旧態依然たる製造業に止まっているのではないのか。
   一線を退かれて時間が経っていてご自分の問題ではないとは思うが、当時と少しも変わっているように思えないので聴いて見たい。
   世界に冠たるソニーが、仰るような時代の潮流に乗れずに変われず、このように惨憺たる企業業績を引き摺っている限り、日本経済の回復には、まだまだ時間がかかると思わざるを得ないのである。
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国立劇場文楽公演・・・菅原伝授手習鑑

2007年09月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   吉田玉男一周年追善「菅原伝授手習鑑」が、今、東京国立劇場で公演されていて人気を博している。 
   菅丞相は、当然のこと、後継者の玉女で、玉男の左を8回遣ったと言うから、師匠直伝の芸が体に染み付いていて、実に格調の高い大きな丞相であった。
   丞相の伯母覚寿は人間国宝文雀、娘苅屋姫が和生、それに、文吾が素晴らしい判官代輝国を演じている。
   ところで、人間国宝簔助が一寸出だが奴宅内、それに、勘十郎が悪人・宿禰太郎と言った非常に灰汁の強い脇役を演じていて実に興味深い。

   今回は、玉男さんを追善する意味で、菅丞相が活躍する初段と二段目だけだが、正味4時間の非常に中身の濃い充実した舞台が展開していて息つく暇なく面白い。
   文楽と歌舞伎では、大分話の筋や登場人物の位置づけなど違っていて、その違いが面白いのだが、玉女の丞相は、非常に現代的な解釈の演技で、仁左衛門の演じる歌舞伎のような古風さを感じさせずに、オーソドックスで分かり易い。   
   
   今回の最後の「丞相名残の段」で、丞相が出立する時の人形の場合と本物の丞相の場合とでは、仁左衛門は人形の場合にはロボットのような動きをして完全に区別しているが、玉女の場合には、衣装や多少の動作で区別をつけている程度で殆ど差をつけずに自然に演じている。
   また、覚寿の機転で小袖で覆った香を焚く伏籠に隠れて別れを惜しむ仮屋姫との分かれの場合にも、仁左衛門よりも玉女の方が、はるかに、生身の人間に近く、可なり自然に仮屋姫に反応している。
   天神さんとして既に神になっていた菅原道真をどのように演じるのか、仁左衛門のように神性を重視するのか、玉女のように少し人間的に描くのかは難しい所だが、時代や人々の志向によっても違ってくるのであろう。

   この丞相名残のところの木像の丞相が登場する場面での丞相の扱いについて、玉男は、「文楽藝話」で木像と本物の仕分けについて面白い話をしている。
   宿禰太郎の登場で、出立のために木像の丞相が、立ち上がって下手の階を下りる所で、足を動かさないのが口伝になっていたが、浄瑠璃本文では何も書かれていないし、不自然な歩き方よりは人間の丞相にちかく目線だけは下げずに足を少し動かす方が良いと考えて演出を改めた。
   また、最後の本物の丞相の旅立ちの所では、以前は天上人のように沓を履いていたが、冠もせず笏も持っていないのに沓はおかしいと思って草履に改めた。

   感極まって苅屋姫が伏籠の中から嗚咽の声を漏らした時、覚寿が覆いの小袖の右袖を上げると玉女は振り返ってジッと伏籠の中の苅屋姫を見つめていたが、目を合わせたのはこの時だけで、『「鳴けばこそ、別れを急げ鶏の音の」から段切りまで、苅屋姫のことを気遣いながらも、決して顔を合わさないよう、左右の袖を交互に上げて遮る。』と言う玉男の言を守っていた。
   苅屋姫と皇弟の斎世親王との逢引を政略に利用されて失脚した丞相だが、その娘との永久の別れの最後の部分での玉女の人形遣いが一番理に適っていると思った。
   この少し前に、宿禰太郎父子の悪巧みを知って殺された覚寿の娘・立田の死を前にして、「某これへ来たらずば、斯かる嘆きもあるまじ」と言って合掌して悔やみの涙を流す人間丞相であるから、少なくとも一度は、苅屋姫には目を合わさないと筋が通らないのである。

   この丞相は、特に「筆法伝授の段」では、正面に鎮座したままで動かず、全編にわたって、殆ど動きのない人形なので、非常に表現や演出が難しいようである。
   この一時間以上にわたる素晴らしい「丞相名残の段」を、正に天下一品の美声の持ち主豊竹十九大夫が緩急自在の名調子で謳い上げ、これに、凄い迫力で三味線の豊澤富助が負けじとばかり唱和する。
   「大夫さんは段切りを盛り上げて派手に語られますけど、人形はそれにつられて大きな振りになってはいけない。ぐっと肝で受け止めて、あくまで抑えて遣う。」と玉男は語っているが、玉女の遣う人形は、正に神性と人間丞相を兼ね備えた素晴らしい丞相で、玉男の究極の芸が新しい後継者に乗り移ったような素晴らしい舞台であった。

   非常に面白かったのは、簔助の奴宅内で、宿禰太郎に命令されて立田の死骸を池から引き上げて、下手人にされて牢屋へぶち込まれようとするそれだけの役なのだが、出だしから客の笑いを誘い、裸になって池に飛び込む前に唾をつけて耳栓をする芸の細かさ、
   それに、池から上がってからの仕草がまた秀逸で、舞台正面では覚寿と宿禰太郎の対決が佳境に入っているのに、下手の舞台脇で冷えた身体を提灯に跨って腰を左右に振って股間を暖めていて、その仕草ばかりを見ている客は笑いを抑え切れずに爆笑。

   勘十郎の宿禰も達者な芸で、ぬっと出てきて、柱にヤモリのように身体を斜めに張り付いて、立田と苅屋姫の内緒話を立ち聞く出だしからユニークで、悪は悪だが憎めない何処か抜けた悪で、楽しみながら遣っている、そんな舞台である。

   この段の何と言っても中心人物は、文雀の覚寿で、少し足元があやしくなってきているが凄い芸で、玉女の登場を力強く支えていて感動的である。
   実に瑞々しく健気な苅屋姫を遣う弟子の和生との呼吸がぴったりである。
   やはり、このような威厳と重厚さ、品のある立役の輝国を演じられるのは文吾である、そんな凛とした舞台であった。
   立田前の玉英、武部源蔵の玉輝、その妻戸浪の紋豊、左中弁希世の文司など、脇を固める人形も夫々素晴らしく豊かな舞台を作り出している。

   筆法伝授の段での嶋大夫と三味線竹澤宗助の感動的な浄瑠璃も忘れ難い。
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サムスン電子の苦悩

2007年09月09日 | イノベーションと経営
   日本の電機業界をごぼう抜きにして世界に君臨してきた韓国サムスン電子に陰りが見えてきた。 
   FT記事によると、ソニーのウォークマンやアップルのiPodのようなキラー・アプリケーション、独自の市場を生み出す商品を作ったことがなかったからだと言う。
   それでも、売上10.9兆円、最終利益1.01兆円(NHK調べ)と言う桁違いの業績で、ソニーなど足元にも及ばない。

   NHKの朝の経済番組に、サムスン電子のユン・ジョンヨンCEOが登場し、成長戦略などを語っていたが、サムスンについては殆ど無知ではあるが、この番組と日経ビジネスのFT翻訳記事を土台にして、私なりのイノベーション論を展開してみたい。

   1999年に韓国は経済的な危機に陥って呻吟していたが、その後やや回復に向かった段階で、サムスン電子は、果敢な成長政策に転じて、新しい世紀に入ると一気に設備投資を拡大したが、これが幸いしてグローバル経済の高度成長の波に乗って、不況でリスクを取れなかった日本企業を尻目に一気に世界のトップに躍り出た。
   この段階でのサムスンの成長は、半導体や液晶部門や家電分野での旧来の技術の応用や深化、イノベーションがあっても持続的イノベーションで、製品による差別化と言うよりもトップ企業としての利点を生かした価格競争力での世界制覇であったように思えた。
   ところが、ここに至って、シャープの液晶など日本企業の追い上げ急で、生産技術有利に陰りが見え始めてきた。

   NHKでは、スピード重視の経営について質問され、ジョンヨンCEOは、資源の分配とプロセス管理が重要であるとコメントしていた。
   前者は、経営資源を迅速かつ適格に分配して管理すること、後者については、原料調達から販売までのプロセスと経営全般の意思決定のプロセスのコントロールで、今日では益々時は金なりであり、シンプルかつスピードが何よりも大切だと言うことであった。
 
   世の中の動きで何が大切かを見誤ると大変なので、顧客や専門家に話を聞き、資料を調べて、的確に時代や潮流の変化を捉えるべく努力していると強調していた。
   これらの経営方針は、確かに正しい。しかし、これまでのサムスンの好業績が、規模の拡大による価格競争優位にあったとするならば、そして、FTが説く如くキラー・アプリケーション、すなわち、市場開拓型の破壊的イノベーション的な、独自開発による技術や製品がなくて、持続的イノベーションだけに頼った技術戦略だけで生きて来たのであれば、将来は極めて暗いと言うべきであろう。
   サムソンの位置づけだが、技術的には、最先端の生産技術を誇る日本と高度なソフトに強いアメリカからビハインドであることを考えれば、独自技術の優位がなければ、規模の経済で躓くと業績の悪化は早い。

   FTは、サムスンに対して、「急成長の踊り場迎え、ヒット商品開発待ったなし」と独自の市場を生み出す製品の開発、すなわち、ブルーオーシャン戦略が急務であることを説いている。
   10年後にソニーの二の舞にならないようにと言うことのようだが、ソニーは、独自技術の開発を継続しており、破壊的イノベーションのシーズを生み続けている。
   しかし、その開発した技術をシーズにして破壊的イノベーションを生み出せない。要するに、経営戦略のなさと経営力に問題があるだけなのである。

   このブログで、何度もソニーの戦略のなさについて書いているが、早い話、PS3が任天堂のWiiに負けているのは、技術の問題ではない。
   高度なセルを使い、数台つなげばスーパーコンピューターにもなり、必要もない高画質のブルーレイを装備するなど、たかがゲーム機に、任天堂の数倍もの開発費をかけて製作した限りなくオーバースペックのPS3を売り出したが、PS2に群がった顧客も愛想をつかして安くて面白いWiiに流れてしまった。
   「家族の誰もが楽しめる」安くてソフトも豊かで面白いWiiのマーケット・セグメンテーション戦略に完全に負けてしまった。
   任天堂のブルーオーシャン戦略に完全に負けてしまったのである。
   タイムズの報道によると、PS3を1台売ればソニーは200ドルの赤字だが、Wiiを1台売れば任天堂は50ドルの利益を得ており、ソフトではなくハードで利益を得る新しい戦略だと褒めている。

   世界一のものを造れば顧客は喜んで買うと言う技術神話から抜け出せないソニーの悲劇でもあるが、iPodでアップルに負け、デファクトスタンダードを未だに取れずにブルーレイで躓き、TVをはじめ肝心のコンシューマー・エレクトロニクス分野でもダントツの一位の製品の全くないソニーの凋落振りは、総て、マーケット戦略、ブルーオーシャン戦略のなさにある。

   さて、本題のサムスンだが、第一に人材、第二に技術、第三に資金が大切だと言っていたが、「地域専門家」と言う人材育成制度を採用して、1年間何の制限も付けずに、従業員を海外各地に何千人単位で派遣して自学自習させている。
   グローバルベースでの国際感覚を持った従業員の育成で、国内市場が狭くてグローバルでしか生きる道がないのだと、ジョンヨンCEOは控え目に言っていたが凄い戦略である。
   成長を持続させる為には、世界一の技術集団を育成し、ブルーオーシャン戦略を打ち続けること。もっとも、ソニーのように最先端の技術を追求することだけではなく、顧客を巻き込んで、IT,デジタル革命によるマスコラボレーションを活用して共創することであろう。
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小澤征爾の指揮棒

2007年09月08日 | クラシック音楽・オペラ
   今日、NHK BShiで午後から深夜に及んで小澤征爾特集を放映していた。
   スイッチを入れた時には、既にN響とのベートーヴェンの運命が始まっていたのだが、この後のサイトウ・キネンとのブラームスの交響曲第一番も大変な熱演であり感激して見ていた。
   最近、小澤征爾は、指揮棒を持たずに指揮をしているが、指揮棒について面白い逸話を話していた。

   ウィーン・フィルの演奏会で、アパートから出る時に指揮棒を忘れて会場に入り、ライブラリアンに頼んだら5本ほど持ってきたが、長かったり短かったり大きなキャップが付いていたりで意に沿わず、指揮棒なしでストラヴィンスキーの「春の祭典」を振った。
   これが意外に都合がよく、誰も何も言わないし、その後指揮棒なしで通していると言うことである。

   ところで、この小澤征爾の持っていた指揮棒だが、フィラデルフィア管のユージン・オーマンディから貰ったものだと言う。
   演奏会の時、オーマンディが可愛がってくれていて、自分自身の特別仕立ての楽屋を使わせてくれた時に、机が少し開いていて中を覗くと指揮棒があった。
   釣竿の先端部分を使って根元にコルクをあしらった特別製の指揮棒で、しなって柔軟性があり、中々良いので無断で拝借して使っていた。
   ところが、これをオーマンディが知る所となり電話を架けて来た。正直に言えばあげたのにと怒られたが、後から6本ほど送ってきてくれたと言うのである。

   オーマンディの特別の楽屋と言えば、オーマンディが音楽監督をしていたフィラデルフィア管弦楽団の本拠地アカデミー・オブ・ミュージックだと思う。
   小澤が何時オーマンディの指揮棒を持ち出したのか分からないが、1973年にボストン交響楽団の音楽監督になってから程なく、楽団を引き連れてフィラデルフィアに来た。
   アカデミーの演奏会に出かけて、小澤の素晴らしいブラームスを聴いたのだが、この時に、小澤はオーマンディの楽屋を使っていたのだから、指揮棒を持ち出したのかも知れない。
   私自身は、この時から小澤のファンとなって、日本にいるときは、ずっと新日本フィルの定期会員を通しており、また、オペラやオーケストラの演奏会には結構通ってきたのだが、何時まで、指揮棒を持っていたのか記憶にはない。
   サイトウキネンをロンドンで振ったときには、指揮棒を持っていたはずだが、とにかく、今日のNHKの放映で、髪黒グロの若い小澤征爾を見て、30年以上も前に見て聴いた時にはどんなにダイナミックだったのか興味深かった。

   ところで、もう一つ指揮棒で興味深い経験をしたのは、1970年の大阪万博の時に、カラヤンがベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を開いた時のことである。
   私は、運命と田園、合唱の2回だけしか行けなかったが、この時、運命の演奏途中に、激しいタクト捌きで、カラヤンの指揮棒が折れて、激しい勢いで左に吹っ飛んだ。
   この後、何でもなかったかのように、カラヤンの指揮棒なしの華麗な指揮が続いたのだが、非常に貴重な経験であった。
   師匠カラヤンが指揮棒なしの華麗な演奏をしていたので、小澤征爾もそれに倣ったのかと思ったが、違っていたので、偶然の女神も粋なはからいをするものだと思って面白かった。

   今夜、サイトウキネンのライブで、小澤がベルリオーズの「幻想交響曲」を指揮していたが、これも、万博の時のニューヨーク・フィルのコンサートのレナード・バーンスティンの幻想を思い出して聴いていた。
   演奏が終わった直後に、ボックス席から立ち上がって大声で「ブラボー、ブラボー」と叫ぶガラの悪い(?)若者がいたが、これが若き日の小澤征爾だったのである。
   この時、舞踏会のワルツの演奏の時、バーンスティンは、正に踊るように実に美しく優雅に指揮していたのを記憶しているが、今夜の小澤は、その点、優雅さには欠けた。もっとも、素晴らしい幻想交響曲であったことには違いない。

   ロンドンのロイヤル・フェステイバル・ホールで何本か歴代指揮者の指揮棒が展示されていた。あっちこっちで指揮棒を見ているが、指揮者によって随分バリエーションがあるのに驚いた。
   昔の指揮棒は杖のようで、床を叩いて指揮したと言い、リュリなど、それで足を強く叩き過ぎて、それが元で亡くなったと言うが、指揮棒と指揮者の逸話を集めれば面白いかも知れない。
   

   

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消せるボールペン・・・新市場開発型の破壊的イノベーション

2007年09月07日 | イノベーションと経営
   パイロットのフリクションボール・ペンは、普通の水性ボールペンだが、軸後部のゴムで擦ると、書いた字は綺麗に消せる。
   空気で洗う三洋電機の洗濯機、温めるシャープの冷蔵庫、突然変異のホンダの小型自動車、見栄えのしない東芝のテレビ、ハードディスク記録形の日本ビクターと日立のビデオカメラ等々、日経ビジネスが、「顧客を裏切る」で、消費者の意表をついた逆転の発想による新製品を取り上げて、ヒット商品特集をしている。

   小さな破壊的イノベーションの例であるが、すぐに追随者の追撃を受けるので、ほんのつかの間の創業者利潤しか追求出来ないが、しかし、同じ様な製品ばかり作って過当競争ばかりしている日本製造業としては、ハイコンセプト、クリエィティビティの知価社会に向かっての良い傾向であろう。
   
   ビデオカメラの場合には、DVD方式で先行していたソニーや松下が、本体のハードディスクを記録媒体にしたビクターや日立のハイブリッド型に追い討ちをかけられて、これが標準仕様になりつつあると言う。
   デジカメで、カメラ本体のディスクに記録できるものがあるがこれが結構重宝している。普通に考えれば、大きさの固定しているDVDでは小型化は無理であり、DVDではスペアの準備が必要でこれが煩わしく、日進月歩で性能が向上して大容量化・小型化が進んでいるハードディスクの方が望ましい筈だが、固定観念に固まった業界では中々転換できない。
   ソニーと言う会社は、ウォークマンがiPodにやられたのは、iTunesだけではなく、ウォークマンのカセットテープを動かす駆動部分が不要にされてしまったためだと言うことさえ、まだ教訓に出来ない会社のようである。

   ところで、デジカメ戦争だが、最近益々競争が過激化してきて、各社の主力製品を見ていても、次の新機種発売までの期間が非常に短くなって来ており半年を切る会社まで出てきている。
   しかし、その大半は、持続的イノベーションの範疇の改良と製品の高度化で、既に、消費者のニーズを越えてしまっている。
   画素数に限っても、プロならいざ知らず、素人が使うコンパクト・デジカメに、目の識別限界をはるかに超えている1000万画素の容量など必要がないにも拘らず、こんな無駄な製品競争に業者は血道をあげている。
   早い話、私は自分でプリントしているので知っているが、A4版サイズのプリントでも500万画素で十分で、まして普通のサービスL版では300万画素で御の字である。
   簡単なデジカメでも、夕焼け、逆光、ミュージアム、スポーツ、花などシーン別にプロ並みに写せる多様な素晴らしい(?)機能がついているが、使用者の99.9%は使っていない筈である。
   分かりもしない素人を煽るメーカーも悪いが、ヤマダ電気やビッグカメラやヨドバシカメラなどの無責任な販売競争にも責任がある。

   日本の製造業の過当競争は異常で、セミナーで京都のハイテクメーカーの某社長が、液晶TVなどシャープやソニーくらいで十分なのに押すな押すなで世界市場に繰り出す日本の家電メーカーなど正気の沙汰とは思えないと吐き捨てるように言っていたが、総合家電、総合電機で、集中と選択を誤って窮地に立った過去をまだ清算できないのである。
   デジカメや薄型TVなど、持続的イノベーションによる性能の向上は、とっくの昔に消費者のニーズを越えてしまっていて、ウイナー・テイクス・オールの世界となっており、更に、その利潤確保さえ難しくなってきている。
   ささやかであっても、この日経ビジネスが取り上げている「消費者を裏切る」新商品、新市場開発型の破壊的イノベーションによるブルー・オーシャンの開拓以外に、日本の製造業には、生きる道がないことを悟るべきであろう。 

(追記)写真は、あれがパリの灯だとリンドバーグが語りかけた「スピリット・オブ・セントルイス号」。前方に窓さえないが、大西洋を越えた。
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パヴァロッティ逝く

2007年09月06日 | クラシック音楽・オペラ
   台風9号が首都圏直撃のNHKニュースの合間に、ルチアーノ・パヴァロッティ逝去を知った。
   私にとって最初のパヴァロッティとの遭遇は、もう40年以上も前になるが、東京文化会館でのイタリア・オペラ「リゴレット」でのマントヴァ公爵での衝撃であった。
   その頃は、外国オペラと言えば、その前に観た大阪フェスティバル・ホールのバイロイト・オペラの「トリスタンとイゾルデ」とイタリア・オペラの「ボエーム」くらいで、オペラについては全くの初歩でよく知らなかったのだが、とにかく、ルチアーノ・パヴァロッティのテノールに圧倒されてしまった。
   晩年のマリオ・デル・モナコも聴いたが、パヴァロッティの黄金のトランペットの冴は群を抜いていた。

   それから、アメリカとロンドンで数回、実際にパヴァロッティのオペラの舞台を観たのは限られているが、映画やビデオ、TV放送などでパヴァロッティ体験は数限りない。
   リリコ・レッジェーロと言う声質のテノールでベルカント・オペラを得意としていて、器用なドミンゴとは対照的にレパートリーは殆どイタリア・オペラに限られているのだが、
   残念だったのは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、折角チケットを苦労して手に入れながら、開演に遅れて、シュトラウスの「バラの騎士」のイタリア人歌手を地下の劣悪なモニターTVで見なければならなかったことである。

   アメリカでは、フィラデルフィアにいた時に、演目は失念してしまったが、フィラデルフィア・オペラで、サザーランド・ボニング夫妻との親交が篤かった時で、サザーランドと若くて美しかったフレデリカ・フォン・シュターデとの共演の愉快なモーツアルトの舞台を観たことがある。
   このアカデミー・オブ・ミュージックは、ミラノ・スカラ座をこじんまりしたような美しい劇場で、昔、フィラデルフィア管弦楽団のシーズン・メンバー・チケットを持っていた頃には、終演後にユージン・オーマンディをよく楽屋に訪ねて行った。

   ロンドンでの思い出の舞台は、ドニゼッティの「愛の妙薬」のネモリーノで、パヴァロッティそのものが地で行っているような舞台であったが、「人知れぬ涙」は、本当に涙が零れるほど美しくて感激して聴いていた。
   もう一度は、同じくロイヤル・オペラで、プッチーニの「トスカ」のカヴァラドッシである。サンタンジェロの刑場での処刑前のアリア「星も光りぬ」を、城壁に背を持たせて中空を仰ぎながら、切々と歌うルチアーノ・パヴァロッティの表情をニコンの双眼鏡で凝視していたが、実際に、顔を限りなく曇らせて涙を一杯に溜めて泣いていたのである。
   その前に、ドミンゴの「星も光りぬ」をロイヤルオペラのケンウッド野外オペラで観ていたが、対照的な舞台であった。

   私には、ロストロポーヴィッチやビバリー・シルスなどの死も限りなく寂しかったが、話題の多かったルチアーノ・パヴァロッティについては特に印象深かったので、パソコンを叩いて世界のメディアのパヴァロッティ追悼記事を弾き出してプリントした。
   ドラッカー逝去の時と同じで、厖大な量だが、今回は、写真や映像がフンダンに溢れていて収拾がつかないほどである。

   早速、METが、「Legendary Tenor Luciano Pavarotti Daies at Age 71」と言う追悼文をホームページの冒頭に掲げている。
   METの最後の舞台は、2004年3月13日のトスカのカヴァラドッシであったとか。
   METで歌ったのは378回で、殆どイタリア・オペラだが、例外は、「イドメネオ」と先のイタリア人歌手だと記しているが、返す返すも残念である。
   ところで、最後のトスカだが、体調を壊して何度もキャンセルして、MET出入りを禁止された曰くつきのオペラだが、やはり、真っ先に追悼文を掲げるあたりはMETである。

   ミラノ・スカラ座もホームページのトップに追悼文「Goodbye to Luciano Pavarotti」 を掲げている。
   1964年9月のツーリング・リサイタルからの付き合いで、1992年12月の「ドン・カルロ」の舞台まで、ヴェルデイ11演目、ドニゼッティ6演目、ベッリーニ5演目等々150公演だったと言う。
   この最後の「ドン・カルロ」の舞台も、調子が悪くて、厳しいスカラ座の天井桟敷より散々ブーイングが出たとイギリスのメディアが伝えていたのをロンドンに居て聞いたが、世界のファンが何時も最高のテノールを期待している以上、生身の体の悲しさ、仕方がなかったのであろう。

   何れにしろ、多くの話題を残しながら、前世紀最大のテノールの一人が逝ってしまった。
   ご冥福を心からお祈り致したい。
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秀山祭九月大歌舞伎・・・玉三郎の阿古屋

2007年09月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   玉三郎の華麗な阿古屋の久しぶりの舞台であるで、とにかく、素晴らしくて、琴、三味線、胡弓の胸に響く音色をしみじみと噛み締めながら聞いていた。 
   この阿古屋だが、この半世紀近くの間に、歌右衛門と玉三郎の二人しか演者がなく、平成9年以降は、玉三郎一人で演じ続けている。
   音楽を通して裁判をすると言うユニークな発想の「琴責め」のお裁きだが、三曲を演奏しながら、源頼朝の暗殺を狙う思い人景清に思いを馳せると言う非常に心理描写の難しい舞台であるが、これを、玉三郎は、舞台正面やや下手よりの白州に座ったまま殆ど動かずに、琴、三味線、胡弓の音によせて華麗に演じ続ける。

   多くの捕り手に前後を囲まれて花道を静かに登場する豪華な打掛と俎板帯の傾城姿の阿古屋の何と素晴らしいこと、もうこの花道での見えから舞台が展開しており、この時と舞台最後の玉三郎の後姿の華麗さ美しさ。私は、簔助や文雀の後ぶりの美しさに何時も感激しているので、この玉三郎の華麗な見返り美人姿を舞台に移したような後姿を鑑賞出来るのを楽しみにしていた。

   どんな責め苦や拷問にも動揺しない阿古屋が、重忠(吉右衛門)の情けある問い掛けが辛かったと心情を吐露する。実際に、景清の行方など全く知らないのだから、「いっそ殺してくださんせ」と言って、きざはしにかけ上がり、中段に腰を下ろして身を投げ出し下手側に反り返って訴える玉三郎の姿は、正に、絵画の世界そのもので、帯の鮮やかな孔雀が格別に美しい。
   私は、この阿古屋の舞台は、玉三郎の三曲の素晴らしい演奏と随所に魅せる玉三郎の阿古屋の絵のような傾城姿、それに、景清に対する女心の機微を三曲の演奏に託して語りかける玉三郎の芸が総てで、裁き手である重忠や岩永(段四郎)など素晴らしい人物が登場するが、狂言回しに過ぎないと思っている。

   この阿古屋は、「壇浦兜軍記」の三段目、1732年に竹本座で初演されて、すぐに京都の歌舞伎の舞台で上演された所為か、全編にわたって浄瑠璃三味線が活躍し、岩永には、二人の黒衣が付いて人形のように人形ぶりで演ずるなど、文楽の影を色濃く引き摺っている。
   この点で、多少不満だったのは、玉三郎の三曲の演奏に伴奏の三味線の掛け合いが激しすぎて邪魔をしていたことである。三味線は、玉三郎の演奏の手をしっかり見届けながら演奏していたが、折角、生身の歌舞伎役者が舞台で三曲に正面きって対峙しているのだから、欧米流に、ソロをもっと生かすべきだと思った。

   玉三郎の演奏は、感動的で、特に、最後の胡弓など胸を打つほど美しい。
   この胡弓は、ジャー・パンファンなどの中国製の胡弓ではなく、三味線を小型にしたような和製の胡弓で、毛を沢山張った弓で外側からチェロのように演奏するのだが、重清が「胡弓擦れ」と指図するところが面白い。

   ところで、この音楽裁判だが、景清の行方を知っておれば阿古屋の三曲の演奏に乱れが出るはずだがそれがなかったと言って無罪になるのだが、そんなことが岩永には分かる筈がない。
   琴や三味線や胡弓の演奏を嘘発見器に仕立てた中々粋な歌舞伎である。

   颯爽とした威厳のある素晴らしい重清の吉右衛門、人形ぶりで実にコミカルで存在感のある赤面の段四郎、重忠の郎党榛沢六郎の染五郎など、夫々素晴らしい演技を見せてくれた楽しい舞台であった。
   
   二年前に、国立劇場で観た簔助と勘十郎(左遣い)の阿古屋の舞台を思い出した。この時は、当然、三曲は三味線方が演じるのだが、二人の手さばきや簔助の人形の顔の表情が実に良かった。
   私は、平家ビイキなので、平家物語に因んだ舞台は楽しんでいて、時々、岩波などの古典平家物語を引っ張り出して読んでいるが、中々味があって良い。
   
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トプカプ宮殿至宝展・・・イスタンブールの思い出

2007年09月04日 | 展覧会・展示会
   オスマン・トルコの絶頂期を極めた頃の王宮トプカプ宮殿にあった至宝が、今、東京都美術館で華やかに展示されている。
   秋篠宮家の悠仁親王誕生を祝って特別展示された「金のゆりかご」(口絵写真)が異彩を放っているが、木製のゆりかごに沢山の宝石で飾られた金の板を貼り付けた豪華なもので、電飾に光り輝いている。
   この至宝展に展示されている宝物は、殆ど、ルビー、エメラルド、トルコ石で装飾されているのだが、このゆりかごには、ブラジルからの輸入であろうか、多くのアクアマリンが使われていて明るく澄んだブルーが印象的であった。

   ところで、オスマン帝国では、王子が生まれると、スルタン、王后、大宰相から三つのゆりかごが贈られる習慣があったようで、この会場にも、もう一つゆりかごが展示されていて、これは、胡桃材に貝の象嵌が施されたものでそれほど豪華ではない。
   しかし、興味深かったのは、隣に展示されていた「出産用椅子」で、同じ様な装飾だが、しっかりした造りのシンプルな椅子の座る部分の厚板一枚の前方真ん中に大きな半円形の切込みが入っている。
   この会場には、トプカプ宮殿のハーレムの生活を匂わせる装飾品や優雅な宮廷生活を示す食器や生活用品などが展示されていて興味深い。

   ハプスブルク王朝の都ウィーンにまで攻め込んだオスマン帝国のスルタンの権力は絶大で、スルタン関係の展示品も多く、特に、入場チケットにもモチーフとして使われている君主の威光を示す王冠の代わりとして使われていたターバン飾りの豪華さは格別である。
   4.9×4.25センチ角で厚さ1.6センチの262カラットのエメラルドを中心に、その上に大きなルビー飾り、周りをトータル500カラットのダイヤで装飾した豪華なもので、留め金がダイヤとエメラルドとのチェーンと言うのであるから豪華さもそうだが、工芸技術も相当なものである。
   これだけ、ふんだんにダイヤが使われると安物のガラス細工のように見えてしまうのが不思議である。

   面白かったのは、この権力者のスルタンでも失職すると困るので、手に職をつける習慣があった様で、コンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世は庭師、スレイマン一世は金細工師だったと言う。
   あのトプカプ宮殿のハーレムの妃は、異国からの民たちで、その王子達がスルタンとなっていたのであるから国際的と言えば国際的だが、そう言えば、ロッシーニのオペラ「アルジェーのイタリア女」やモーツアルトの「後宮からの逃走」で、ムスリム王が西洋女に恋をするのも分かる。

   もう一つ興味深かったのは、これは、西洋でも同じだが、中国陶磁器に対する憧れで、景徳鎮あたりの陶磁器を輸入して、取っ手を付けたり蛇口を付けたりしてイスタンブールの工房で金属加工を施して使用していたことである。
   円筒形の中国製の染付けの座椅子に真鍮加工を施して大きな香炉を造っていたが面白い。

   会場を歩きながら、私は、20年ほど前に長い間時間を過ごしたトプカプ宮殿の思い出を反芻していた。
   ボスポラス海峡に突き出たイスタンブールの小さな岬の突端の小高い丘の上にあるトプカプ宮殿は、日本のお城のように聳えてもいなければ、ヨーロッパの宮殿のように巨大でも豪華でもなく、込み入っ建物が入り組んで配置されている公園のような雰囲気であった。
   中に入れば、その繊細で優美な美しさに圧倒されるのだが、その佇まいは世界を震撼させたオスマントルコの印象とは程遠く、はるかに、文化と文明の深さを感じさせる、どちらかと言うと東洋的な雰囲気であった。
   私自身は、サウジアラビアなどは別にして、この一度だけの一週間のイスタンブール旅と、何度かのグラナダやコルドバなどのスペイン旅行を通じてしかイスラム文化に接していないが、その繊細さと優雅さは群を抜いている。

   この時、トプカプ宮殿の至宝もこの中の博物館で見て写真も撮った筈だが、豪華な宝石や金銀で装飾されたスルタンの素晴らしい短刀など僅かな作品の印象しか残っていない。
   グラナダのアルハンブラ宮殿の方が纏まっている感じだが、この宮殿の方が、何故か、身近に感じたのを覚えている。
   ハーレムも含めて宮殿の中をくまなく歩いた心算だが、何故か、ハーレムでは島原で見た輪違屋のことを思い出していた。

   私は、6世紀にユスティニアヌス帝によって再建された東ローマ帝国のコンスタンチノポリス総主教庁のあったハギア・ソフィア大聖堂、それを、1453年にコンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世が即座にキリスト像を取り外してミフラーブを設えてモスクに変えてしまったアヤ・ソフィアを、真っ先に見たかった。
   漆喰に塗りつぶされた強大なドームの天井に大きなキリスト像や、あっちこっちの壁面に、ハギア・ソフィアの遺構が残っていたが、東西の文化の壮大な遭遇を感じて感慨深かった。
   巨大なブルー・モスクなど見てまわったが、そのスケールと壮大な美しさにイスラムの威光と文明の高さを感じていた。
   もっとも、雑踏するイスタンブール市内の後進性やタイムスリップしたかのような人々の人いきれでむんむんするバザールの雰囲気など、全くちぐはぐな感じだが、スペインを通じてヨーロッパに、メキシコを通じてラテンアメリカにイスラムが与えた影響は少なくない筈である。
   
   とにかく、アジアとヨーロッパの接点が、このイスタンブールで、ホテルの窓から、煌々と輝く満月がポスポラス海峡の海面に映っているのを見ながら、何故か、大きな歴史の流れを感じて感慨に耽っていた。
   
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技術のブラックボックス化は正しいグローバル企業戦略か?

2007年09月03日 | イノベーションと経営
   ”バブル崩壊で疲弊した製造業の立て直しの一つのキーワードは国内立地でブラックボックス化。戦略部品から一貫生産と言う。”
   こんな戦略に従った破竹の勢いのシャープの亀山第二工場でのオペレーションとアップルのiPodの生産方式を比較しながら、西岡幸一氏が、今日の日経朝刊で、「選択はiPodから亀山まで 国際分業の隠された真実」と題するコラムで、製造業のあり方について論じている。
   シャープの戦略も松下の戦略も技術のブラックボックス化であり、日本のトップレベルの製造業の殆どは、自社独自の技術の開発とその技術の更なるイノベーションの追求によるコスト削減と差別化に経営の主眼をおいている。
   しかし、私自身は、この閉鎖的な戦略は、オープン化とグローバルベースでの統合的生産システムが益々重要性を持ち始めた今日においては、趨勢に逆行しており、(短期的には良かろうが)長期的には有効な戦略だとは思えない。

   グローバル企業の経営戦略の大変革については、IBMのサム・パルミサーノ会長兼CIOが、フォリン・アフェアーズ2006年MayJune号の「The Globally Integrated Enterprise」と言うタイトルの論文で非常に重要な多くの問題提起をしているが、標題どおり、20世紀の閉鎖的な階層構造で価値を生む一体型の多国籍企業体制は時代遅れとなり、今や、製造と価値の創造を地球規模で統合すると言う新しい目標の実現を目指すグローバル企業の時代であり、グローバルベースで最適化を目指して戦略を立て経営を行わなければ生きて行けないと言う。
   
   これは、非中核業務の負担や労働コストの削減などと言う次元の話ではなくて、各種の業務や専門知識や能力を積極的に運用することで企業を様々な形でオープン化して、最終的にパートナーやサプライヤーや、顧客と一体化して統合したクリエイティブな生産ネットワーク、すなわち、グローバルな規模で設計・製造を行う統合された生産エコシステムの確立の必要性を説いているのである。

   このグローバルに統合された企業活動の例として、ドン・タブスコットとアンソニー・D・ウイリアムズは、「ウイキノミクス」でボーイングの787の開発におけるグローバル・ベースのオープンなマス・コラボレーション・システムについて語っている。
   ボーイングは、プライム・システム・インテグレーターとしてチームをリードするが、総てのサプライヤーをパートナーとして遇し、中核部分は残すがそれ以外の資産は総て切り離して一切の情報をオープンにして、全員で唯一つの図面を共有して、787の設計・製造・メインテナンスに至るまでライフサイクル全部に渡って全員でコストとリスクをシェアして開発を進めている。
   コストと時間の短縮は驚異的で、パートナーのイノベーションが随所で生み出されている言う。

   ボーイングが自社の財産であるノウハウや秘密情報を開示すればするほど、不利となると一般的には考えられるが、これは間違いである。このグローバル・ベースの高度なコラボレーションを行うために培われたノウハウやソフトウエア、そして、システムを運営するためのマネジメント能力などは、余人を持って代え難い貴重な知的財産であり、これこそがGlobally Integrated Enterpriseの経営革新の真骨頂である筈である。
   アップルのiPodが、遥かに技術的に劣っていたにも拘らずソニーを出し抜けたのは、このあたりの一寸した差であろう。
   

   オープンソース・システムで、一切無料奉仕のボランティアが作り上げたリナックスがゲイツのマイクロソフトを脅かし、インターネットの電子事典ウイキノミクスが、知の宝庫であったエンサイクロペディア・ブリタニカを遥かに凌駕するデジタル時代であること、そして、既に世界中の巨大製造業においても自社独自での新製品の開発は、資金的にも自社の科学者や技術者の能力限界を遥かに超えてしまっていることなどを考えれば、閉鎖的な自社開発のイノベーションに拘っている時代ではないと思う。
   フィリップスやレゴなど、自社製品を攻撃するハッカーまで仲間に抱き込んで製品開発を進めており、実際にも、自社の僅かなエンジニアや開発者よりも、何億何十億といる自社製品のユーザーを活用して、製品設計や開発を任せた方が有利であることは間違いない。

   シャープの亀山工場は、最新鋭の巨大なガラス基板を使った液晶パネル工場のようで、西岡氏の記事では、全容を把握しているのは会長と社長だけだろうと言う。
   もしそうなら、秘密かつブラックボックスと言う意味からは流石であろうが、コーポレートガバナンスの観点からは絶対あってはならないことで、必ず知っておくべき重要な経営情報を知らないのは役員の善管注意義務違反であり、そうでなければ、理解出来ないほどの馬鹿であるかのどちらかである。
   苦言ついでに言えば、所詮ブラックボックスと言ってもTV受像機の液晶パネルであり、クリステンセンの言う持続的イノベーションであるから、トップを走っているうちはまずまずとしても、既に、消費者のニーズを追い越してしまっており、このままではコスト競争に明け暮れるだけで、新しいイノベーターがTV市場に新市場開発型の破壊的イノベーションを興して参入して来れば駆逐されるだけである。
   東芝が顧客となったことは喜ばしいが、社長と会長だけしか知らないようなブラックボックス戦略が何時まで持つかのか、興味津々である。

   
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イチジクの実・・・ギリシャを思い出す

2007年09月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ギリシャが燃えている。
   ギリシャは、子供の頃からの私の憧れの地。もう30年も前になるが、初めてパルテノンの丘に登った時には、本当に感激した。
   プラトンやソクラテス、フェィディアスがこの地に立っていたのかと思うと感激一入であった。
   その後、ギリシャの遺跡や田舎を歩いたが、殆ど緑がなくて岩や土壌が丸出しに露出した荒涼とした大地が広がっていて、緑滴る山紫水明の日本とは全く違っていたが、そのギリシャが、今、猛暑と異常乾燥のために、全土に非常事態宣言が発せられるほど激しい山火事に覆われて燃えていて、人工衛星からも赤い炎が見えると言う。
   オリンピアの遺跡まで火事が迫ったと言うのだが、憎むべきは地球温暖化によるエコシステムの破壊である。早く火事が終息して欲しい。
   このギリシャの果物がイチジクである。
   食後のデザートのイチジクは実に美味しい。
   オリーブの陰に隠れているが、イチジクこそギリシャの果物で、乾燥イチジクが名産でもある。

   わが庭のイチジクの木には沢山実がなっていて、毎日あっちこっちから実が色付いて来る。
   植えて最初に実がなった時には、十分に熟した甘いイチジクを食べることが出来たが、最近では、まず、大きなヒヨドリがやって来て突き始め、去年は、クマンバチの来襲で危なくて近寄れず、その後、メジロが来て実を突付いていたので写真を撮ったりしていた。
   ところが、今年は、完熟直前にヒヨドリが突付き始めて殆ど食べてしまう。その為か、クマンバチや、コガネムシや蟻など昆虫達の訪れがなく、食べ残しの実に小さな虫が付いている程度でおさまっている。

   厚紙を筒状にして実を一つ二つ保護してみたがヒヨドリの方が賢い。
   鳥に食べられることは別に気にしないが、私自身もお相伴に与ろうとしてイチジクの木を植えたのであるから、多少は賞味したい。
   そう思って、ヒヨドリの先回りをして少し柔らかくなったのを摘果して1日置いておくと、可なり甘くなって美味しく食べられることに気がついた。
   実を食べる時には、根元から皮を剥くのも良いが、ギリシャか他のヨーロッパの国か忘れたが、レストランのギャルソンが、二つに横から輪切りにして、スプーンを皮に沿ってくるりと回すと上手く中身を取り出せることを教えてくれた。
   
   ところで、イチジクの葉は、アダムとイブが最初に纏った謂わば衣服のようなものだから、歴史の古い由緒正しい植物なのである。
   私は、失楽園の舞台が中東であるならば、イブが蛇に貰ってアダムに与えた果物はリンゴではなくイチジクではなかったかと思っている。
   北方のリンゴであるのは一寸辻褄が合わないし、それに、イチジクはアラビア半島の原産でもあるし、渡辺淳一ではないが失楽園のイメージにはイチジクの方がはるかに相応しいような気がしているのである。

   江戸時代の始めに日本に渡来したということだが、奈良時代に、シルクロードを経て遥かペルシャあたりから多くの胡人が訪れていたので、イチジクが渡来していても良さそうだが、乾燥イチジクは持って来ていたとしても、無花果で種がないので、根付かなかったのであろうか。
   イチジクは、すぐ成長して大きく育ち、殆ど手入れしなくても、沢山実を結ぶ。
   尤も、園芸店が鳴り物入りで売っていたフランスの高級苗を買って植えてみたが、木だけ大きくなっておかしな実しか付かず邪魔になったので、切り倒してしまった。
   ギリシャやアラビアのような広々とした荒地に似合う木のように思う。
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地球温暖化を無視し続けるアメリカ

2007年09月01日 | 地球温暖化・環境問題
   「温暖化はでたらめだ」と、アメリカの石油や製鉄、自動車、電力と言った分野の企業や業界団体が、地球機構連合や環境に関する情報協議会(CEI)を結成して、「温暖化を事実ではなく仮設と位置づける」ことや温暖化に対する研究への疑念を広めることに邁進してきた。
   石油業界と太いパイプを持つブッシュ大統領が、石油・石炭業界の元ロビイストを気候関係の政策に携る重要ポストに据えることで、科学者が作成したデータを修正させたり公表を阻止してきており、ブッシュ政権下では、温暖化対策を強化しようと言う議員の試みは悉く頓挫してしまった。
   業界では、エクソンモービルが、シンクタンクを使って学者を買収し、温暖化に反論している。J.D.ロックフェラー四世上院議員等も、「妖しげなデータを広めてきたCEI」などに1900万ドル資金提供していると非難した。エクソンモービルも、昨今の世論の動きや逆風に逆らえず、心を入れ替えて献金を減らし、次の大統領に冷遇されるのを恐れて防戦に努めている。

   サブプライム世界経済危機特集の記事も色あせるくらい強烈な調子で、謂わばブッシュ産業複合体Bush-Industrial Complex(?)の地球環境保護運動ぶち壊し戦争を糾弾しているのが、ニューズウイークの9月5日号である。
   アル・ゴアが、「不都合な真実」で、ブッシュが大統領選で国民に約束しておきながら悉く環境保護関係の公約を破棄し、京都議定書をも反故にしてしまったことを暴露しているが、私自身は、ブッシュのイラク戦争に関する誤り(これも許せない)よりも、この環境破壊活動に加担したブッシュの反人道主義的かつ反文明政策の方がはるかに罪が重いと思っている。

   ニューズウイークの報道では、あのカタリーナ級の大ハリケーンが何本もアメリカを直撃し、アメリカ人にグローバルベースのエコシステムの破壊が、如何に人類の生命を危機に陥れているかを、実際の気候変動がダメッジを与えて教えない限り、アメリカ人の態度は変わらないと言う。
   先日もこのブログで書いたが、中国やインドなどの新興開発国の人々がアメリカ人並の生活水準を維持し始めれば、瞬時に、エコシステムは破壊されて地球は崩壊してしまうのだが、その時期は急速に近付いてきている。
   解決方法は、ただ一つ。エコシステム維持のための最大炭酸ガス排出量を算出して世界人口で割り、その数字を国の人口に掛け算して各国の排出量限度額を決めてそれを守らせることである。
   現実には、先進国の排出量をこの段階にまで減らせる筈がないが、それを基準に国際協議を行うことで、文明国、先進国の既得権などあってはならず、もし、これまでその基準値よりはるかにオーバーして炭酸ガスを排出していたのなら、ペナルティとして一挙にその国の人々の生活水準を下げることである。
   そうでなければ、中国やインドの人々の二酸化炭素排出量を規制することなど出来ない。不可能であれば、人類破滅への道を歩んで行く以外に選択肢はない。

   核拡散の問題もそうだが、核保有国が、新しい国が核を保有しないように核拡散防止に躍起になっているが、現状ではこれはこれで必須の条件ではあるが、本来、核保有国だけが核を保有する権利があるなどと言うのはおかしい。
   私は、フィラデルフィアで院生であった頃、アメリカの友人達に、日本に核爆弾を二発も投下した以上、アメリカ人には、世界規模での核管理能力なりその資格は一切ない、あると考えるなら、それはアメリカ人の傲慢であると言っていた。アメリカは、世界の警察であり国際秩序を守る義務と責任があるのだと反論して来たが、そのような強者の論理は許せなかった。

   この記事の隣に、ロバート・サミュエルソンの経済コラム「メディアが陥る「悪者捜し」の愚」が掲載されていて、ニューズウイークの論調に対して「義憤と善悪二元論への単純化では地球温暖化は解決しないと反論している。
   サミュエルソンの考えは、業界やブッシュ寄りで、押し寄せてくる現実の多くは食い止める技術がないのでアメリカが対処できない問題であり、異を唱えるのは自由社会の命の筈で、ことの重大さや解決に疑問をさしはさむ人物をバカか変人、業界の手先として扱うのはおかしいと主張する。

   サミュエルソンは、解決策として、二酸化炭素を地中に埋める技術の開発、ハイブリッドカーの電池性能向上、ガソリン税の引き上げ、自動車の燃費規制、天然ガスの採掘増などを提言しているが、抜本的な改革は何も言えずに、アメリカがいくら削減しても、中国と他の国に相殺されてしまうと言う。悪いのは、中国やインドが豊かになって自動車が増えるからだと言わんばかりである。
   地球温暖化の解決には、技術開発で、倫理問題と捉えるのはメディアの間違いだと言う。
   地球環境問題に対しての、危機意識の欠如と言うか、西欧や日本の基準から言うと可なりの認識不足と言うか、そんな保守反動気味の学者であるサミュエルソンが、永い間ニューズウイークの経済コラムを書き続けていると言うこと自体が驚きだが、案外これが一般的なアメリカ人の考え方なのかも知れない。
   何れにしろ、これもアメリカの胃袋の大きさを示しているのだと思えば面白いが、私にはサミュエルソンの論調は許せない。
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