オスマン・トルコの絶頂期を極めた頃の王宮トプカプ宮殿にあった至宝が、今、東京都美術館で華やかに展示されている。
秋篠宮家の悠仁親王誕生を祝って特別展示された「金のゆりかご」(口絵写真)が異彩を放っているが、木製のゆりかごに沢山の宝石で飾られた金の板を貼り付けた豪華なもので、電飾に光り輝いている。
この至宝展に展示されている宝物は、殆ど、ルビー、エメラルド、トルコ石で装飾されているのだが、このゆりかごには、ブラジルからの輸入であろうか、多くのアクアマリンが使われていて明るく澄んだブルーが印象的であった。
ところで、オスマン帝国では、王子が生まれると、スルタン、王后、大宰相から三つのゆりかごが贈られる習慣があったようで、この会場にも、もう一つゆりかごが展示されていて、これは、胡桃材に貝の象嵌が施されたものでそれほど豪華ではない。
しかし、興味深かったのは、隣に展示されていた「出産用椅子」で、同じ様な装飾だが、しっかりした造りのシンプルな椅子の座る部分の厚板一枚の前方真ん中に大きな半円形の切込みが入っている。
この会場には、トプカプ宮殿のハーレムの生活を匂わせる装飾品や優雅な宮廷生活を示す食器や生活用品などが展示されていて興味深い。
ハプスブルク王朝の都ウィーンにまで攻め込んだオスマン帝国のスルタンの権力は絶大で、スルタン関係の展示品も多く、特に、入場チケットにもモチーフとして使われている君主の威光を示す王冠の代わりとして使われていたターバン飾りの豪華さは格別である。
4.9×4.25センチ角で厚さ1.6センチの262カラットのエメラルドを中心に、その上に大きなルビー飾り、周りをトータル500カラットのダイヤで装飾した豪華なもので、留め金がダイヤとエメラルドとのチェーンと言うのであるから豪華さもそうだが、工芸技術も相当なものである。
これだけ、ふんだんにダイヤが使われると安物のガラス細工のように見えてしまうのが不思議である。
面白かったのは、この権力者のスルタンでも失職すると困るので、手に職をつける習慣があった様で、コンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世は庭師、スレイマン一世は金細工師だったと言う。
あのトプカプ宮殿のハーレムの妃は、異国からの民たちで、その王子達がスルタンとなっていたのであるから国際的と言えば国際的だが、そう言えば、ロッシーニのオペラ「アルジェーのイタリア女」やモーツアルトの「後宮からの逃走」で、ムスリム王が西洋女に恋をするのも分かる。
もう一つ興味深かったのは、これは、西洋でも同じだが、中国陶磁器に対する憧れで、景徳鎮あたりの陶磁器を輸入して、取っ手を付けたり蛇口を付けたりしてイスタンブールの工房で金属加工を施して使用していたことである。
円筒形の中国製の染付けの座椅子に真鍮加工を施して大きな香炉を造っていたが面白い。
会場を歩きながら、私は、20年ほど前に長い間時間を過ごしたトプカプ宮殿の思い出を反芻していた。
ボスポラス海峡に突き出たイスタンブールの小さな岬の突端の小高い丘の上にあるトプカプ宮殿は、日本のお城のように聳えてもいなければ、ヨーロッパの宮殿のように巨大でも豪華でもなく、込み入っ建物が入り組んで配置されている公園のような雰囲気であった。
中に入れば、その繊細で優美な美しさに圧倒されるのだが、その佇まいは世界を震撼させたオスマントルコの印象とは程遠く、はるかに、文化と文明の深さを感じさせる、どちらかと言うと東洋的な雰囲気であった。
私自身は、サウジアラビアなどは別にして、この一度だけの一週間のイスタンブール旅と、何度かのグラナダやコルドバなどのスペイン旅行を通じてしかイスラム文化に接していないが、その繊細さと優雅さは群を抜いている。
この時、トプカプ宮殿の至宝もこの中の博物館で見て写真も撮った筈だが、豪華な宝石や金銀で装飾されたスルタンの素晴らしい短刀など僅かな作品の印象しか残っていない。
グラナダのアルハンブラ宮殿の方が纏まっている感じだが、この宮殿の方が、何故か、身近に感じたのを覚えている。
ハーレムも含めて宮殿の中をくまなく歩いた心算だが、何故か、ハーレムでは島原で見た輪違屋のことを思い出していた。
私は、6世紀にユスティニアヌス帝によって再建された東ローマ帝国のコンスタンチノポリス総主教庁のあったハギア・ソフィア大聖堂、それを、1453年にコンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世が即座にキリスト像を取り外してミフラーブを設えてモスクに変えてしまったアヤ・ソフィアを、真っ先に見たかった。
漆喰に塗りつぶされた強大なドームの天井に大きなキリスト像や、あっちこっちの壁面に、ハギア・ソフィアの遺構が残っていたが、東西の文化の壮大な遭遇を感じて感慨深かった。
巨大なブルー・モスクなど見てまわったが、そのスケールと壮大な美しさにイスラムの威光と文明の高さを感じていた。
もっとも、雑踏するイスタンブール市内の後進性やタイムスリップしたかのような人々の人いきれでむんむんするバザールの雰囲気など、全くちぐはぐな感じだが、スペインを通じてヨーロッパに、メキシコを通じてラテンアメリカにイスラムが与えた影響は少なくない筈である。
とにかく、アジアとヨーロッパの接点が、このイスタンブールで、ホテルの窓から、煌々と輝く満月がポスポラス海峡の海面に映っているのを見ながら、何故か、大きな歴史の流れを感じて感慨に耽っていた。
秋篠宮家の悠仁親王誕生を祝って特別展示された「金のゆりかご」(口絵写真)が異彩を放っているが、木製のゆりかごに沢山の宝石で飾られた金の板を貼り付けた豪華なもので、電飾に光り輝いている。
この至宝展に展示されている宝物は、殆ど、ルビー、エメラルド、トルコ石で装飾されているのだが、このゆりかごには、ブラジルからの輸入であろうか、多くのアクアマリンが使われていて明るく澄んだブルーが印象的であった。
ところで、オスマン帝国では、王子が生まれると、スルタン、王后、大宰相から三つのゆりかごが贈られる習慣があったようで、この会場にも、もう一つゆりかごが展示されていて、これは、胡桃材に貝の象嵌が施されたものでそれほど豪華ではない。
しかし、興味深かったのは、隣に展示されていた「出産用椅子」で、同じ様な装飾だが、しっかりした造りのシンプルな椅子の座る部分の厚板一枚の前方真ん中に大きな半円形の切込みが入っている。
この会場には、トプカプ宮殿のハーレムの生活を匂わせる装飾品や優雅な宮廷生活を示す食器や生活用品などが展示されていて興味深い。
ハプスブルク王朝の都ウィーンにまで攻め込んだオスマン帝国のスルタンの権力は絶大で、スルタン関係の展示品も多く、特に、入場チケットにもモチーフとして使われている君主の威光を示す王冠の代わりとして使われていたターバン飾りの豪華さは格別である。
4.9×4.25センチ角で厚さ1.6センチの262カラットのエメラルドを中心に、その上に大きなルビー飾り、周りをトータル500カラットのダイヤで装飾した豪華なもので、留め金がダイヤとエメラルドとのチェーンと言うのであるから豪華さもそうだが、工芸技術も相当なものである。
これだけ、ふんだんにダイヤが使われると安物のガラス細工のように見えてしまうのが不思議である。
面白かったのは、この権力者のスルタンでも失職すると困るので、手に職をつける習慣があった様で、コンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世は庭師、スレイマン一世は金細工師だったと言う。
あのトプカプ宮殿のハーレムの妃は、異国からの民たちで、その王子達がスルタンとなっていたのであるから国際的と言えば国際的だが、そう言えば、ロッシーニのオペラ「アルジェーのイタリア女」やモーツアルトの「後宮からの逃走」で、ムスリム王が西洋女に恋をするのも分かる。
もう一つ興味深かったのは、これは、西洋でも同じだが、中国陶磁器に対する憧れで、景徳鎮あたりの陶磁器を輸入して、取っ手を付けたり蛇口を付けたりしてイスタンブールの工房で金属加工を施して使用していたことである。
円筒形の中国製の染付けの座椅子に真鍮加工を施して大きな香炉を造っていたが面白い。
会場を歩きながら、私は、20年ほど前に長い間時間を過ごしたトプカプ宮殿の思い出を反芻していた。
ボスポラス海峡に突き出たイスタンブールの小さな岬の突端の小高い丘の上にあるトプカプ宮殿は、日本のお城のように聳えてもいなければ、ヨーロッパの宮殿のように巨大でも豪華でもなく、込み入っ建物が入り組んで配置されている公園のような雰囲気であった。
中に入れば、その繊細で優美な美しさに圧倒されるのだが、その佇まいは世界を震撼させたオスマントルコの印象とは程遠く、はるかに、文化と文明の深さを感じさせる、どちらかと言うと東洋的な雰囲気であった。
私自身は、サウジアラビアなどは別にして、この一度だけの一週間のイスタンブール旅と、何度かのグラナダやコルドバなどのスペイン旅行を通じてしかイスラム文化に接していないが、その繊細さと優雅さは群を抜いている。
この時、トプカプ宮殿の至宝もこの中の博物館で見て写真も撮った筈だが、豪華な宝石や金銀で装飾されたスルタンの素晴らしい短刀など僅かな作品の印象しか残っていない。
グラナダのアルハンブラ宮殿の方が纏まっている感じだが、この宮殿の方が、何故か、身近に感じたのを覚えている。
ハーレムも含めて宮殿の中をくまなく歩いた心算だが、何故か、ハーレムでは島原で見た輪違屋のことを思い出していた。
私は、6世紀にユスティニアヌス帝によって再建された東ローマ帝国のコンスタンチノポリス総主教庁のあったハギア・ソフィア大聖堂、それを、1453年にコンスタンチノープルを陥落させたメフメト二世が即座にキリスト像を取り外してミフラーブを設えてモスクに変えてしまったアヤ・ソフィアを、真っ先に見たかった。
漆喰に塗りつぶされた強大なドームの天井に大きなキリスト像や、あっちこっちの壁面に、ハギア・ソフィアの遺構が残っていたが、東西の文化の壮大な遭遇を感じて感慨深かった。
巨大なブルー・モスクなど見てまわったが、そのスケールと壮大な美しさにイスラムの威光と文明の高さを感じていた。
もっとも、雑踏するイスタンブール市内の後進性やタイムスリップしたかのような人々の人いきれでむんむんするバザールの雰囲気など、全くちぐはぐな感じだが、スペインを通じてヨーロッパに、メキシコを通じてラテンアメリカにイスラムが与えた影響は少なくない筈である。
とにかく、アジアとヨーロッパの接点が、このイスタンブールで、ホテルの窓から、煌々と輝く満月がポスポラス海峡の海面に映っているのを見ながら、何故か、大きな歴史の流れを感じて感慨に耽っていた。