アメリカの没落、ドル体制の終焉などと言った、もう、アメリカの時代は終わったと言わんばかりの本が、書店の店頭を賑わわせているが、実際のところ、何を持ってアメリカの力の衰退と言うのか、非常に難しいし、アメリカとは何たる国なのか、良く知らなくて論じているものが多すぎる。
アメリカの覇権には、多くの問題があるが、民主主義や資本主義のように、最善のシステムではないが、次善の策と言うか、これ以上に良い体制が出来るかどうか分からないと言う意味から言えば、私自身は、このアメリカ中心のグローバル体制の修復、アップデートが、最も可能性の高いベターな体制だと思っている。
この大前研一の新著「さらばアメリカ」だが、Solong, America!とタイトル付けしているように、著者には、永遠にさよならではなく、とりあえずのお別れと言う言う意味を込めて、多少、未練が残っていると言う。
著者は、アメリカが、フェアネスと寛容の国であり、アメリカの基本的な自律神経に信頼を寄せたいと言う思いと、あまりにもお粗末でアメリカを批判など出来ない日本の現状を考えれば、と言うのである。
最後の章で、さらばアメリカと言いながら、甦生させる3つの条件として、
(1)世界に対して謝る
(2)世界の一員になる
(3)戦争と決別する を提示している。
謝るのは、アフガン攻撃とイラク占領、および、金融危機で、国連に代わる新世界構想の構築と、アメリカ版憲法9条の提唱である。
これら深刻な問題のかなりは、ブッシュ政権の置き土産で、殆ど墓穴を掘る状態にまで、アメリカを窮地に追い込んでしまった。
賢い筈のアメリカで、民主主義の旗頭であるアメリカで、国民が至らなかったばかりに、アメリカ版青島ノック現象を引き起こしてしまったのが、ブッシュの選択であった。
地球温暖化問題、世界の貧困の撲滅、人権の伸長、世界平和体制の構築等々、人類の将来にとって喫緊の深刻な課題を、この失われた8年で、取り返しがつかない状態にまで悪化させてしまったと言うことであろうか。
大前は、憎憎しげに批判を続ける日高と違って、オバマ大統領に対しては、これほど素晴らしい演説をする大統領は空前絶後だと言わんばかりに、オバマを高く買っていて期待を述べている。
一つ気になる指摘は、オバマ政権の「新モンロー主義」の危険性で、グローバリゼーションで世界のリーダーたるべきアメリカが、アメリカ国内の産業やアメリカ人雇用を守ることを優先する心配があることである。
今回の世界的な恐慌のために、経済社会体制の維持優先で、形振り構わぬ金融機関の救済など、本来あってはならない資本主義と自由貿易体制への禁じ手を、ビッグスリーの救済に適用するオバマ政権の対応は、この一端であろうか。
実質的に経営破綻を来たしてしまった企業を、いくら、安普請で補強しても駄目だと、ドラッカー先生が、草葉の陰で呟いている筈である。
もう一つの指摘は、市民運動家出身のオバマは、「富の創出」ではなく「富の分配」に力を入れると言うポイントである。
格差社会の深刻さを増幅し続けたアメリカとしては当然の公平な福祉社会への回帰であろうが、資本主義の牙城であったウォールストリートが疲弊し、地球温暖化対策のためにも新アポロ計画を打ち上げてイノベーションを追及しなければならないことなどを考えても、「富の創出」を、ないがしろには出来ない筈である。
ところで、大前は、「初期動作」を誤った経済失政”三銃士”と名指しで、バーナンキ議長、ポールソン前財務長官、ガイトナー財務長官を、小気味良い切り口で論断し、如何に無能な施策を展開し今後の経済政策も危ういかを論じていて面白い。
特に、冒頭で、建国以来前例がない「四権分立」になってしまったとして、その第四権力として、ポールソン前財務長官が、金融危機対策と言う大義名分のもと、国家権力の上を行くようなことを唯我独尊で、金融安定化法なる打ち出の小槌を編み出したと手厳しく糾弾している。
この金融危機に対する大前の論述も、その後のアメリカの政治、社会、文化など実に幅広い分野で展開されている持論も、流石にアメリカを知り尽くした世界的な識者としての大前の面目躍如で、類書にはない強烈な魅力充満で示唆に富んでいて面白い。
アメリカこそ、テロの黒幕だと言って如何にアメリカの世界戦略が利己的であるかも述べており、正に、勝てば官軍負ければ賊軍を地で行くのがアメリカであると言うことなのだが、悲しいかな、これでも、他の体制よりもマシかも知れないと思わざるを得ない現実が悲しい。
好き勝手にあっちこっちの国に一方的に戦争を仕掛けながら、宣戦布告なしに真珠湾を攻撃したとして日本を批判するのは、全く筋違いだと言う意見には同感で、
アメリカが、少しずつ、唯我独尊の世界観が通らなくなって来ていることを、頭を打ちながら気づき始めて行くのが、さらばアメリカへの足音だと思っている。
アメリカの覇権には、多くの問題があるが、民主主義や資本主義のように、最善のシステムではないが、次善の策と言うか、これ以上に良い体制が出来るかどうか分からないと言う意味から言えば、私自身は、このアメリカ中心のグローバル体制の修復、アップデートが、最も可能性の高いベターな体制だと思っている。
この大前研一の新著「さらばアメリカ」だが、Solong, America!とタイトル付けしているように、著者には、永遠にさよならではなく、とりあえずのお別れと言う言う意味を込めて、多少、未練が残っていると言う。
著者は、アメリカが、フェアネスと寛容の国であり、アメリカの基本的な自律神経に信頼を寄せたいと言う思いと、あまりにもお粗末でアメリカを批判など出来ない日本の現状を考えれば、と言うのである。
最後の章で、さらばアメリカと言いながら、甦生させる3つの条件として、
(1)世界に対して謝る
(2)世界の一員になる
(3)戦争と決別する を提示している。
謝るのは、アフガン攻撃とイラク占領、および、金融危機で、国連に代わる新世界構想の構築と、アメリカ版憲法9条の提唱である。
これら深刻な問題のかなりは、ブッシュ政権の置き土産で、殆ど墓穴を掘る状態にまで、アメリカを窮地に追い込んでしまった。
賢い筈のアメリカで、民主主義の旗頭であるアメリカで、国民が至らなかったばかりに、アメリカ版青島ノック現象を引き起こしてしまったのが、ブッシュの選択であった。
地球温暖化問題、世界の貧困の撲滅、人権の伸長、世界平和体制の構築等々、人類の将来にとって喫緊の深刻な課題を、この失われた8年で、取り返しがつかない状態にまで悪化させてしまったと言うことであろうか。
大前は、憎憎しげに批判を続ける日高と違って、オバマ大統領に対しては、これほど素晴らしい演説をする大統領は空前絶後だと言わんばかりに、オバマを高く買っていて期待を述べている。
一つ気になる指摘は、オバマ政権の「新モンロー主義」の危険性で、グローバリゼーションで世界のリーダーたるべきアメリカが、アメリカ国内の産業やアメリカ人雇用を守ることを優先する心配があることである。
今回の世界的な恐慌のために、経済社会体制の維持優先で、形振り構わぬ金融機関の救済など、本来あってはならない資本主義と自由貿易体制への禁じ手を、ビッグスリーの救済に適用するオバマ政権の対応は、この一端であろうか。
実質的に経営破綻を来たしてしまった企業を、いくら、安普請で補強しても駄目だと、ドラッカー先生が、草葉の陰で呟いている筈である。
もう一つの指摘は、市民運動家出身のオバマは、「富の創出」ではなく「富の分配」に力を入れると言うポイントである。
格差社会の深刻さを増幅し続けたアメリカとしては当然の公平な福祉社会への回帰であろうが、資本主義の牙城であったウォールストリートが疲弊し、地球温暖化対策のためにも新アポロ計画を打ち上げてイノベーションを追及しなければならないことなどを考えても、「富の創出」を、ないがしろには出来ない筈である。
ところで、大前は、「初期動作」を誤った経済失政”三銃士”と名指しで、バーナンキ議長、ポールソン前財務長官、ガイトナー財務長官を、小気味良い切り口で論断し、如何に無能な施策を展開し今後の経済政策も危ういかを論じていて面白い。
特に、冒頭で、建国以来前例がない「四権分立」になってしまったとして、その第四権力として、ポールソン前財務長官が、金融危機対策と言う大義名分のもと、国家権力の上を行くようなことを唯我独尊で、金融安定化法なる打ち出の小槌を編み出したと手厳しく糾弾している。
この金融危機に対する大前の論述も、その後のアメリカの政治、社会、文化など実に幅広い分野で展開されている持論も、流石にアメリカを知り尽くした世界的な識者としての大前の面目躍如で、類書にはない強烈な魅力充満で示唆に富んでいて面白い。
アメリカこそ、テロの黒幕だと言って如何にアメリカの世界戦略が利己的であるかも述べており、正に、勝てば官軍負ければ賊軍を地で行くのがアメリカであると言うことなのだが、悲しいかな、これでも、他の体制よりもマシかも知れないと思わざるを得ない現実が悲しい。
好き勝手にあっちこっちの国に一方的に戦争を仕掛けながら、宣戦布告なしに真珠湾を攻撃したとして日本を批判するのは、全く筋違いだと言う意見には同感で、
アメリカが、少しずつ、唯我独尊の世界観が通らなくなって来ていることを、頭を打ちながら気づき始めて行くのが、さらばアメリカへの足音だと思っている。