熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大前研一著「さらばアメリカ」

2009年04月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アメリカの没落、ドル体制の終焉などと言った、もう、アメリカの時代は終わったと言わんばかりの本が、書店の店頭を賑わわせているが、実際のところ、何を持ってアメリカの力の衰退と言うのか、非常に難しいし、アメリカとは何たる国なのか、良く知らなくて論じているものが多すぎる。
   アメリカの覇権には、多くの問題があるが、民主主義や資本主義のように、最善のシステムではないが、次善の策と言うか、これ以上に良い体制が出来るかどうか分からないと言う意味から言えば、私自身は、このアメリカ中心のグローバル体制の修復、アップデートが、最も可能性の高いベターな体制だと思っている。

   この大前研一の新著「さらばアメリカ」だが、Solong, America!とタイトル付けしているように、著者には、永遠にさよならではなく、とりあえずのお別れと言う言う意味を込めて、多少、未練が残っていると言う。
   著者は、アメリカが、フェアネスと寛容の国であり、アメリカの基本的な自律神経に信頼を寄せたいと言う思いと、あまりにもお粗末でアメリカを批判など出来ない日本の現状を考えれば、と言うのである。
   
   最後の章で、さらばアメリカと言いながら、甦生させる3つの条件として、
   (1)世界に対して謝る
   (2)世界の一員になる
   (3)戦争と決別する を提示している。
   謝るのは、アフガン攻撃とイラク占領、および、金融危機で、国連に代わる新世界構想の構築と、アメリカ版憲法9条の提唱である。

   これら深刻な問題のかなりは、ブッシュ政権の置き土産で、殆ど墓穴を掘る状態にまで、アメリカを窮地に追い込んでしまった。
   賢い筈のアメリカで、民主主義の旗頭であるアメリカで、国民が至らなかったばかりに、アメリカ版青島ノック現象を引き起こしてしまったのが、ブッシュの選択であった。
   地球温暖化問題、世界の貧困の撲滅、人権の伸長、世界平和体制の構築等々、人類の将来にとって喫緊の深刻な課題を、この失われた8年で、取り返しがつかない状態にまで悪化させてしまったと言うことであろうか。
   
   大前は、憎憎しげに批判を続ける日高と違って、オバマ大統領に対しては、これほど素晴らしい演説をする大統領は空前絶後だと言わんばかりに、オバマを高く買っていて期待を述べている。
   一つ気になる指摘は、オバマ政権の「新モンロー主義」の危険性で、グローバリゼーションで世界のリーダーたるべきアメリカが、アメリカ国内の産業やアメリカ人雇用を守ることを優先する心配があることである。
   今回の世界的な恐慌のために、経済社会体制の維持優先で、形振り構わぬ金融機関の救済など、本来あってはならない資本主義と自由貿易体制への禁じ手を、ビッグスリーの救済に適用するオバマ政権の対応は、この一端であろうか。
   実質的に経営破綻を来たしてしまった企業を、いくら、安普請で補強しても駄目だと、ドラッカー先生が、草葉の陰で呟いている筈である。

   もう一つの指摘は、市民運動家出身のオバマは、「富の創出」ではなく「富の分配」に力を入れると言うポイントである。
   格差社会の深刻さを増幅し続けたアメリカとしては当然の公平な福祉社会への回帰であろうが、資本主義の牙城であったウォールストリートが疲弊し、地球温暖化対策のためにも新アポロ計画を打ち上げてイノベーションを追及しなければならないことなどを考えても、「富の創出」を、ないがしろには出来ない筈である。

   ところで、大前は、「初期動作」を誤った経済失政”三銃士”と名指しで、バーナンキ議長、ポールソン前財務長官、ガイトナー財務長官を、小気味良い切り口で論断し、如何に無能な施策を展開し今後の経済政策も危ういかを論じていて面白い。
   特に、冒頭で、建国以来前例がない「四権分立」になってしまったとして、その第四権力として、ポールソン前財務長官が、金融危機対策と言う大義名分のもと、国家権力の上を行くようなことを唯我独尊で、金融安定化法なる打ち出の小槌を編み出したと手厳しく糾弾している。
   
   この金融危機に対する大前の論述も、その後のアメリカの政治、社会、文化など実に幅広い分野で展開されている持論も、流石にアメリカを知り尽くした世界的な識者としての大前の面目躍如で、類書にはない強烈な魅力充満で示唆に富んでいて面白い。

   アメリカこそ、テロの黒幕だと言って如何にアメリカの世界戦略が利己的であるかも述べており、正に、勝てば官軍負ければ賊軍を地で行くのがアメリカであると言うことなのだが、悲しいかな、これでも、他の体制よりもマシかも知れないと思わざるを得ない現実が悲しい。
   好き勝手にあっちこっちの国に一方的に戦争を仕掛けながら、宣戦布告なしに真珠湾を攻撃したとして日本を批判するのは、全く筋違いだと言う意見には同感で、
   アメリカが、少しずつ、唯我独尊の世界観が通らなくなって来ていることを、頭を打ちながら気づき始めて行くのが、さらばアメリカへの足音だと思っている。
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源平桃の咲き乱れる田舎の春

2009年04月07日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   花は桜と言うけれど、当初は、花は梅であった。
   梅は春一番に華やぐ花木であるし、それに、香りの何とも言えない優雅な花木なのに、派手さが足らない所為か、平安時代頃から、桜にお株を奪われてしまったと言う。
   繊細な感覚と美意識の日本人が、全山紅葉、全山桜満開と言って、ボリュームとスケールたっぷりの華やかな花舞台を愛でて騒ぐのは、一寸そぐわない感じがするが、無駄を一切省略したシンプルな侘び寂びとは対極にありながら、この振幅の豊かさが、日本人の本当の国民性かも知れないと言う気がしている。
   ぼろでも錦を纏う極彩色の歌舞伎の世界と、鄙びた古社寺の佇まいを等しく愛する日本人の美意識は、長い伝統と歴史で培われてきた日本人のバックボーンと言うところであろうか。

   変な前置きになってしまったが、春には、桜の開花宣言から始まって満開などの花情報が駆け巡るなど、日本人は桜が好きなので、桜一色に染まってしまうのだけれど、春の花は、桜だけではないと言いたかったのである。
   春の花では、木偏に春の椿が、初秋から咲き続けるので一番息が長いのだがこれは別として、梅や桜に似た花木では、桃がある。
   桃の節句の3月3日には、桃の花など咲かないので不思議だが、これは、本来の旧暦なら、ほぼ桜の季節と一致するので、正に、桃の季節となる。

   私は、桜の季節になると、昔歩いた奈良や京都の田舎へ行きたくなるのだが、この千葉でも結構風情のある桜の名所や花の咲く公園などあるので不自由はなさそうである。
   先日、郵便局で、2009さくら紀行 関東50選「千葉編」と言う記念切手を見つけて買ったら、千葉の桜の名所が10箇所選ばれている。
   一番近くにあるのは、「吉高の大桜」で、ここへは何度も出かけており、このブログでも書いたが、最近では、人でごった返しており、駐車場探しが大変で、車でのアクセスも不便なので行く気はしなくなっている。
   結局、ものぐさを決め込んで何処へも行かないと言うことになる。

   さて、桜の季節になると、先ほど触れた桃の花も同時に満開になるので、この桃の花が爛漫と咲き誇る千葉の田舎を歩くのを楽しみにしている。
   農家の庭先や畑に植えられている源平桃の大木が、静まり返った鄙びた田舎の春を華やかに彩るのである。
   桜と違って、このあたりの源平桃は、八重咲きの枝垂れで、一本の木に、赤、白、ピンク、および、その混合色の花が、びっしりと咲き乱れて弧を描いて垂れ下がっており、その華やかさと艶やかさ、そして、そのボリューム感は圧倒的である。
   花桃の木は、桜や梅と違って、単植だが、その一本だけの鮮やかさが、存在感抜群で、他の花木にはない風格を具えている。

   私も、昔、良く知らずに、桜の木が虫にやられて枯れた跡に、源平花桃を植えた経験があるが、桃は成長が早く、虫や細菌に弱くて大変な目にあったので直ぐに切ってしまったのだが、やはり、広々として地味の肥えた畑地に植えられるのが桃にとっても一番良い。
   都会化の波が押し寄せて、どんどん、野山が消えて行っているが、私の歩く佐倉の田舎には、まだ、昔懐かしい田園風景と農家の営みが残っている。
   鶯がしきりに鳴き続けているし、雉が下りてくる。
   森や林を背負った林間の農家には、水田農家とは違った自然との共生があり、畑にも農家の庭にも、季節の花々が咲き乱れていて、実に美しい。
   椿、ボケ、杏、雪柳、それに、庭先には、色々な春の草花が咲き誇っている。

   このように素晴らしい田舎だが、誰も訪れる人はなく、カメラを持って歩いているのは私だけで、時々、立ち止まっては、野良仕事をしている農家の主婦と話し込む。
   立派な源平桃の木も、30年は経っていないと言う。
   私がお嫁に来た時には、まだ、この木はなかったと言うのだから確かである。

   美しい源平桃を愛でていたら、小鳥たちが、忙しくしきりに桃の花を渡り始めた。
   良く見ると、メジロとシジュウカラである。
   くちばしを花に突っ込んでいる様子を見ると、桃の花にも蜜があるのかも知れない。
   
(追記)吉高の大桜は、今、5分咲きとかだが、樹齢400年と言う山桜で、とにかく、黄色い菜の花畑をバックに直径25メートルの円弧を描く勇姿は壮観で、印旛村を訪れて一見する価値は十二分にある。(桜専用ダイアル 0476-98-1125)
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春爛漫の佐倉城址公園

2009年04月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   東京より少し遅れたようだが、今、千葉のソメイヨシノが一番美しい季節である。
   近くの公園の桜も、ここ二三日の暖かさで一挙に開花し、春爛漫の陽気に誘われて、千葉の桜の名所は賑わっていると言う。
   久しぶりに、佐倉城址公園の春を楽しもうと思って出かけてみたら、歴史博物館の休館日の平日にも拘わらず、普段の駐車場は満杯で、あっちこっちの駐車場も大変な混雑振りで、ビックリした。

   この佐倉城址公園は、関東には珍しく、色々な種類の桜の木が植わっているのだが、やはり、大半はソメイヨシノで、特に、歴博の建物近くに多く、逆に、奥の本丸近辺には、ずっと遅れて開花する八重桜が多いので、かなり長い間桜を楽しむことが出来る。
   この日は休館日だったが、歴博の建物から見るパノラマのように展開するソメイヨシノが美しい。
   何しろ、城址は、土地が広くてオープンなので、桜の木も、実に大らかに伸び伸びと天高く広がっていて、都心の桜のように無理に選定されていじけたりはしていないのが良い。

   私は、ソメイヨシノの紋切り型のスタンダード・ナンバー的なイメージに多少違和感を感じているので、最近では、他の種類の桜の木を追っかけながら桜鑑賞をしている。
   そのような目で見ると、私の好きな椿と同じで、桜にも随分色々な種類があるものである。

   それに、付き合いが悪い所為もあるが、桜の木の下で宴会をしたり、歌って騒いだ記憶もないし、桜の思い出は、何故か、京都や奈良、それに、あっちこっちで見た田舎の自然に溶け込んで静かに咲き乱れる桜の風情ばかりである。
   賑やかな桜の名所で桜を見ても、回りを見ていないと言うか、賑やかな喧騒が目や耳から消えてしまっているのかも知れない。

   この日感激したのは、本丸から茶室に向かう途中の空堀際に咲く一本のヤエムラサキザクラの何とも言えない匂う様な優雅な花姿であった。
   木そのものは貧弱な小木だが、緑葉を輝かせ始めたイロハモミジをバックに、薄くて透き通るようなピンクの花びらを、微風に誘われて小刻みに、踊るようになびかせていた。

   茶室の傍には、濃いピンクのキクモモが満開に咲き乱れていて、白い桜との対象が美しい。
   この口絵写真は、池畔の小道から遊歩道を茶室に向かって上る坂道のワンショットで、新緑をバックに、キクモモとサクラのコントラストが映えて綺麗であった。
   人影がないのは、少しシャッターチャンスを待っていたためだが、上野公園の桜とは違って、長閑で自然を味わえるのが、田舎の良さかも知れない。

   池は、水が温み、透き通った水面に睡蓮が芽を出し始め、その合間を、亀と大きな鯉が悠々と泳いでいる。
   真っ白な花をつけたこぶしの大木と、芽吹き始めた柳の新緑が、地面を覆うようにかぶさった風景は、正に、春たけなわである。
   池畔には、黄色いタンポポが画鋲のように張り付き、あやめの葉が勢い良く伸びている。

   水生庭園の畑では、アヤメや菖蒲や杜若の若芽が、満を持して出番を待っていて、そのエネルギーの凄まじさに感動さえ覚えるのだが、毎年同じことの繰り返しでありながら、新しい芽吹きの度毎に、新鮮な驚きを感じさせてくれる自然の営みに感謝しなければならない。

   昔、改革開放まえに、中国の田舎を、香港から汽車で北に走ったことがあるが、貧しかった都会地とは違って、車窓を走る豊かな自然に育まれた長閑な田舎の風景の美しさに感激したことがある。
   あの北の国にも、春が訪れて、同じように、草木が芽吹き始めているのだろうと思うと少しほっとする。

   

      
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高等教育こそがアメリカの最優良産業・・・ファリード・ザカリア

2009年04月05日 | 学問・文化・芸術
   「アメリカ後の世界」の中で、アメリカの将来について、ザカリアは、中国やインドでの新卒技術者数が、アメリカのそれを圧倒しており、アメリカの科学技術の将来は危ういと言う通説は、完全に間違っていると論破し、アメリカの高等教育の卓越性は、他の追随を許さないと説いている。
   中国とインドの数字には、簡単な技術しか習得していない二年制三年制の大卒者が過半で、それに、自動車整備士や修理工まで含まれているとすれば、質では、アメリカの方がはるかに上で、人口比では比べものにならないと言うのである。

   また、ザカリアは、世界に冠たるインド工科大学(IIT)についても、10億の国民から選ばれた最良の頭脳であることは間違いないが、「平凡な設備、無気力な教師、創造性に欠ける授業など、実際のIITは様々な面で二流の教育機関」だと言う。
   IITの優秀性は、優秀な学生を選抜する良く出来た入試試験だが、教師と施設の質では、アメリカの月並みな工科大学の足元にも及ばない。たとえ、IITなどを卒業しても、インドや中国では、大学院教育の質が極端に低いので、数多くの学生が留学のために故国を離れなければならない。
   毎年、インドでコンピュータ科学の博士号取得者は、35~50人だが、アメリカでは1000人だと言うのである。

   もう一つのアメリカ教育の欠陥として指摘されている小中高の学力の低さだが、アメリカの真の問題は、教育の質が悪いと言うのではなく、教育へのアクセスが悪い点にある。アメリカ国内の地域間、人種間、社会経済的地位間の成績のばらつきは、総合点からは見えて来ないが、マイノリティの貧困層に属する子供の成績が、大きく足を引っ張っている所為である。
   上位20%の生徒は世界のトップクラスで、正課と課外の区別なく、不眠不休で勉学に励む姿は、アイビーリーグを訪問すれば誰でも見ることが出来ると言うのである。(私も、アイビーリーガーだったが、勉強をよくするのは確かだが、不眠不休は疑問。)

   ザカリアは、「高等教育こそがアメリカの最優良産業だ」として、中国の研究者による定量分析と、英国の「タイムズ高等教育便覧」による世界の大学ランキングを引用して、上位10位の内、アメリカの大学が、夫々8校および7校占めており、優良大学の過半はアメリカであり、人口5%のアメリカが、高等教育の分野を完全に支配していることは事実だと言う。
   
   このことについては、大前研一氏も、近著「さらばアメリカ」において、同じくタイムズの資料に基づいて、「アメリカの強さの秘密は大学にあり」として、アメリカの高等教育制度の突出した優秀性について言及している。
   ただし、アメリカの大学のレベルが高いのは、アメリカ人の知能レベルが高いからではなく、驚くほど国際化して門戸を開いて世界中から優秀な人材を集める仕掛けをビルトインした国境を越える「人材吸収システム」にあるのだと強調している。

   このタイムズ2008ランキングには、東大が19位に入っているのだが、最近の事情は疎いにしても、私自身の日米での経験から言えるのは、ほかの事はともかく、日本の学生は勉強しなさ過ぎると言うことで、学生が、学問芸術を軽視し知への憧れと探求を怠っていると言うか、この程度のお粗末な勉強量では、知の爆発しているグローバル時代に対応など出来る筈がないと感じている。

   ザカリアの説明で面白かったのは、インドの教育システムは、英国式ないしヨーロッパ式の教育手法の影響で、日本と同じような暗記と頻繁な試験を重視する詰め込み式で、自分自身、「毎日大量の知識を頭に詰め込み、試験の前には一夜漬けで暗記をし、翌日にはすっかり忘れると言うことを繰り返していた」と言う。
   ところが、留学先のアメリカの大学は、別世界で、正確性と暗記は求められず、人生での成功に必要なこと、精神機能の開発に重点が置かれていて、考えるための教育であった。

   アメリカが数多くの起業家、発明家、リスクテイカーを生んでいるのは、この資質ゆえでもあり、知力には試験で測れない部分があって、アメリカには、想像性、興味、冒険心、大志などを育む学びの文化がある。
   この文化は、人々に、伝統的な知恵や権威に挑戦する力を育み、失敗を犯し失敗から這い上がる力を与えるとともに、学生の創意と機転と問題解決能力を育て優秀な学生が報われる制度を醸成していると言うのである。

   これらの論点については、このブログで何度も論じているので、これ以上の深入りは止めるが、ザカリアも大前研一も、アメリカの衰えについて言及していながら、アメリカの底力である知的世界への挑戦力の健全性を説いている点を注視したいと思っている。
   
   
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春の嵐山・嵯峨野を歩く(3)~太秦の広隆寺へ

2009年04月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   大覚寺山門の傍から、京都駅と三条京阪行きのバスが出ている。都心から嵐山方面への定期バス路線で、停車駅が多くて、交通事情によっては一時間以上かかるのだが、ほかの交通手段を乗り継いでも同じくらいの時間がかかるので安上がりでかなり便利である。
   太秦の広隆寺へは、嵐山に取って返して嵐電嵐山駅から、帷子ノ辻などと言った何となく古の香りがする駅のある京都の田舎を、チンチン電車で行くのも悪くないが、東京へ帰る時間もあるので、バスに乗った。

   私が広隆寺を訪れるのは、あの国宝第1号で有名な弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」)ではなくて、同じ霊宝殿に安置されている国宝の木造不空羂索観音立像を拝観するためである。
   寺の説明書きでは、高雅な仏像と言う表現がなされているが、私自身は、日本で最も美しい仏像の一つだと思っている。

   日本には、国宝の不空羂索観音像は3体存在していて、最も有名なのは、東大寺三月堂の壮大な国宝仏像群に囲まれて真ん中に鎮座まします乾漆不空羂索観音像で、私の最も好きな仏像の一つなのだが、もう一つは、興福寺南円堂にある不空羂索観音坐像である。
   私自身は、不空羂索観音像が好きだと言うのではなく、仏像を見て、瞬間的に感じる第一印象で、仏像への好みを決めていると言う感じだが、一時、十一面観音を追っかけていたこともあるので、やはり、好みは、このあたりの観音像であるのかも知れない。

   この広隆寺の木造不空羂索観音立像だが、元々、講堂に安置されていたようだが、現在は、霊宝殿の弥勒菩薩半跏像の対面の出口のところに置かれていて、反対側の入り口には、国宝の木造千手観音立像があり、対をなしている。
   3メートル以上もある堂々たる仏像で、お顔は、丸顔でやや頬のふっくらとした切れ長の目と鼻筋の通った凛々しい風貌で、実に神々しい。
   体躯は、すっきりと、まったく贅肉のない、しかし、柔らかな肉体を感じさせるしなやかさで、胸前で二手が合掌し、二手が与願印を結び、羂索や蓮華・錫杖・払子などを持った四手のある八臂で、その指が実にスマートで優しくて優雅なのである。

   仏像は、モノセックスだと思うのだが、私は、やはり、女性的な優しい風貌の仏像が好きで、一番最初に美しいと思って感動したのは、薬師寺の銅造聖観音立像なのだが、その後、室生寺をはじめとした十一面観音像に惹かれ、結局、丸顔のふっくらとした凛々しい仏像が好きになり、この広隆寺の木造不空羂索観音立像も、その延長のような気がする。
   尤も、私の女性の好みは、一寸この仏像感と違うのだが、気の所為か、不思議な気がしている。

   私が、最初に、広隆寺を訪れたのは、40年以上も前だが、まだ、京大生が弥勒菩薩半跏像に触って、指を落として床に捨てたと言う事件の記憶が残っていた頃であった。
   当時は、観光シーズンでも殆ど拝観客も少なくて、堂内には自分一人だけと言う状態だったが、私は、美しさに魅せられて像に触れたと言うのは嘘のような気がしていた。
   赤松の小さな木像で、暗所でありながら、赤みがかった珍しい神秘的な仏様が、右手を頬にあてて思索する表情が実に優雅で、カール・ヤスパースを感激させたのであろうが、美しいと言う印象とは一寸違っている。
   この仏像の正面に、畳張りの床机が置かれていて、座ってお祈りしなさいと言うことであろう。悩みや苦しみを優しく取り除いて頂けると言うので、女学生が、座って熱心に手を合わせていた。
   弥勒菩薩半跏像を意図して造られたと言う同じような像で、もう一つ印象深いのは、法隆寺の奥にある尼寺・中宮寺のブロンズ様の黒光りのする美しい木像菩薩半跏像で、表情は、ずっと優しくて、親しみが持てる感じで、私は好きである。

   さて、この堂内には、この弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」)の横に、もう一体の弥勒菩薩半跏像(通称 「泣き弥勒」)、木像十二神将、そして、先の2体の仏像で、合計14体の国宝佛が安置されている。
   私は、これらを入れ替わり立ち代り場所を変えながら、小一時間じっくりと見ながら、薄暗い堂内で過ごした。
   
   その後、少し時間があったが、まっすぐ、バスで京都駅に出て、のぞみで東京に帰った。
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ビル・エモット著「世界潮流の読み方」

2009年04月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   最近2年間に、日本の新聞や雑誌に掲載されたビル・エモットの論文を纏めたのが、この新書「世界の潮流の読み方」。
   サブプライム以降の世界経済の動きがあまりにも早いので、エモットの論文の冴えも今一つだが、やはり、視点の違ったイギリス人の目から見た経済評論は、非常に示唆に富んでいて面白い。

   冒頭、エモットは、今回の世界的な大不況に対して、「アメリカの主導権の終焉と考え、アジアやBRIC’s諸国に支配力が移行し、ドル覇権の終焉と考えるのは間違いだと思う。」と述べている。
   こう言いながらも、最早世界経済の中心は欧米ではないと述べるなど、確かに、ファリード・ザカリアの説くごとく、脱アメリカの世界は、覇権国のない多極化した世界の様相を呈してくるとは思うが、
   私自身は、さりながら、丁度、イギリスからアメリカに覇権が移行して行ったように、その変化は少しづつで、特に、今回の世界的な大恐慌は、多少形は変わってくるにしても、ドル体制の補強、アメリカ資本主義の屋台骨の建て直し以外に道はないと考えている。

   世界的な経済秩序にガタがきた場合には、アメリカのドルや資本主義体制に代替できるシステムはなく、ユーロやEU経済の弱体化や、日本を含めた先進国においてもその他新興国においても、経済的な打撃はアメリカよりはるかに大きいことが、これを物語っており、世界でのGDP比率が20パーセント近くに落ちたとは言え、アメリカの経済力の巨大さと影響力の凄さは少しも衰えてはいないのである。
   悪のエネルギーも巨大だが、アメリカ経済にビルトインされている進取の気に富んだ活力の巨大さは、他の追随を許さない筈である。


   エモットのアメリカ経済へのコメントで注目すべきは、アメリカ経済社会の社会主義化である。
   これは、今回の米国政府が、AIGやシティを実質支配下に取り込むと言ったアメリカ資本主義の牙城であるウォール・ストリートさえ国有化してしまったと言うことを言っているのではなく、
   ファニーメイやフレディマックと言う巨大な金融機関が、米住宅ローン総額の半分に近い巨大な民間金融機関の住宅ローン債務に、保証や融資を行ったのに対して、全面的に保証救済すると言うのは、社会主義以外のナニモノでもないと言うのである。

   オバマ政権が、今後抜本的に推進しようとしている医療保険制度改革については、未加入者4000万人を強制加入させようとするであろうし、今回の金融危機を惹起した金融機関の危険な賭けの再発防止のために、規制の強化など政府の介入を促進するなど、社会主義化へ更に大きな一歩を踏み出すに違いないと言う。
     
   新興国の中国とインドについても、面白い論調を展開している。
   中国の驚異的な経済発展は、歴史的に極めて特異だと言われているが、これは間違いで、政治体制が、共産主義的中央集権制であったと言う以外は、日本が開拓したモデルの完全なる模倣以外の何ものでもないと言う。
   これは東アジア諸国がとった経済発展モデルとも共通で、
   製品とその部品について、貿易の自由化を行ったこと、
   急増する多額の投資に対処するため、国内貯蓄を増やしたこと、
   国内市場では、政府主導の元で激しく寡占競争させたこと、
   政治的、社会的安定を図り、教育に重点を置いたこと、
   輸出増進のために、安価な為替相場を長期間維持したことetc.
   オリンピックまで同じで、どこのアジアの国もよく似ており、新工場、道路、港湾、飛行場、住宅、事務所やその他の建設に向けられた投資が、極めて重要な役割を果たしたと言うのである。
   何十年も前に流行った日本追随の雁行経済発展論の現代版とも言うべきだが、ロストウのテイクオフ理論を多少修正すべきかも知れないと思うと面白い。

   エモットの指摘で面白いのは、インドの方で、日本人のインドへの警戒感の強さとインドへの投資の消極さに触れて、あまりにもそれが続くと、チャンスを失して、大きな失敗につながると警告している。
   今や、インドは、多くの深刻な障害を乗り越えて高度成長期に入ろうとしており、中国における投資リスクを分散させる良策ともなるので、もっと、インドに注目せよと言うのである。
   
   更に興味深いのは、流石に、ヨーロッパでの覇権争いで苦しんでいるイギリス人だけあって、エモットは、アジア共同体で日本が主導権を握るためにも、早く、インドを抱き込んで置けと言うのである。
   中国にとってもインドにとっても、アジア共同体の組成は、国力の進展を待って遅い方が良いのだが、日本は早ければ早い方が良い。インドは、中国ほど将来の自分の力に自信が持てないから、共同体への関与を、日本は中国よりインドに説得できる。
   インドを共同体作りの協力者として囲い込めば、中国も参加せざるを得なくなると言うのである。

   更に、エモットは、タタ・モーターの30万円を切る「タタ・ナノ」に注目していて、インドは、製造業大国になると予言している。
   この車については、別なところで、クリステンセンの「ローエンド・イノベーション」の威力に関連して論じたし、プラハラードの「ネクスト・マーケット」での義足ジャイプル・フット等ついても論じたので端折るが、インドの製造業については、経済ピラミッドの底辺市場の拡大と言った「ネクスト・マーケット」アプローチによる巨大なビジネス創造の観点から、特に注目すべきだと思っている。
   雁行型経済発展とは違ったインド的な工業化形態が、新しい軌跡を描く筈なのである。
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