熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・椿・式部咲き始める

2020年02月07日 | わが庭の歳時記
   式部は、花は、外弁は紅色で、中心は白覆輪の唐子咲きで、それ程大きな花ではないが、唐子咲きが、獅子咲きと思えるほどのボリュームのはなやかな花である。
   ことしは、異常と思えるほどたくさんの蕾をつけていて、咲けば華やかだが、摘まないと木が疲労するので様子を見ようと思っている。
   
   
   
   
   

   八重咲のフルグラントピンクが、一挙に、咲き乱れてきた。
   椿と言うよりも、可憐で繊細な草花と言う感じの花だが、沢山花をつけると、寒風吹きつける寒い日が続いているが、気分は春めいてくる。
   綺麗な花だが、蕊が散漫で蜜がないのか、メジロがまったく寄り付かないのが面白い。
   
   
   

   曙、エレガンス・スプレンダー、
   なぜか、わが庭には、ピンクの花が多い。
   
   
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パソコン故障、リフレッシュ

2020年02月06日 | 
   年明け頃から、パソコンの動きが重くなって、時々、フリーズして動かなくなる。
   「goo.ne.jpは応答していません。」という表示が出て、「Wevページを修復」をクリックしても動かず、そんな表示さえなく、ウンともスンとも言わなくなってお手上げになることが多くなってきたのである。
   殆ど毎日、ブログを書いている私には、インターネットが使えなければ大変だし、それに、寸秒を争うチケットの争奪戦には、参加できなくなる。

   マイクロソフトの有償サポートに入っているので、何度かエンジニアーに入ってもらって、修復を試みた。
   入ってもらったというのは、遠隔接続のサポートというシステムがあって、マイクロソフトのその方面の専門のエンジニアーが、パソコンを接続して、私のパソコンに入り込んで、画面をエンジニアーのパソコンに移し替えて、修理修復をしてくれるのである。
   すなわち、エンジニアーが、私の家に来て、私のパソコンを直接に、修理修復をしてくれるようなものである。

   3回ほど、お願いして、それぞれ、違ったエンジニアーに助けてもらったのだが、根本的には治らず、リフレッシュするのが適当だろうということになった。
   リフレッシュとはどういうことなのか、良く分からなかったが、アプリの大半は消去されるものの、パソコンを完全に初期化するのとは違うということであった。
   だめなら、パソコンを買い替えようと思っていたので、蘇るのなら、同じことだろうと思って、後は、アプリを再インストールすれば良かろうとリフレッシュすることにした。

   パソコンが、比較的スムーズに動く時間があるので、その合間を縫って作業したのだが、大半機械任せだといっても、途中で処理をまちがうと大変だし、結構、長い道程なので、エンジニアーの手を離れて、その後は、自分の作業で続ける必要があり、終わったときに、yahooやgooのホームページが現れた時には正直嬉しかった。

   しかし、問題は、翌日からで、まず、メールが消えてしまって使えない。
   plalaへ電話して指示を仰いだのだが、後で分かったことで、officeを消去しているので、outlookもwordなどのアプリも消えてしまっていて、それを、インプットし直さないと、埒が明かないのである。
   officeをインストールするのにプロダクトキーが必要だといわれて、自分で試みたが、途中で頓挫したので、改めて、マイクロソフトのエンジニアーに助けを求めたら、既に、インストール済みのdataを呼び起こすような作業で、プロダクトキーなど必要なく、かなり、楽に終わった。
   メールの方は、私のメールアドレスがパソコンのoutlookに現れているので、適当に、クリックして、メール修復を試みたのだが、一向に作動せず、誤って処理していたので、plalaのエンジニアーには、その修復に、大変お世話になった。

   それに、心配したのは、ウイルス対策で、ウイルスバスターの再インストールだったが、これは、何回か修復していたので、比較的楽にできた。
   写真関係のアプリは、キヤノンやニコンの、殆ど廃却していたDVDディスクを、四苦八苦して探し出し、インストールし始めたが、まだ、道半ば。
   まだまだ、沢山のアプリのインストールをしなければ旧に復せないが、必要に応じてやるしか仕方がないであろうと思っている。
   バックアップは、外付けハードディスクに保存したのだが、どうして、移せばよいのか、こんなことも一からで、ITディバイドから多少免れた後期高齢者にとっては、一寸した試練であった。

   リフレッシュしたといっても、大分良くなったが、まだ、少しは、途中で、フリーズして動き出すのを待たねばならない時がある。
   Windows10であるから、もう少し使いたいと思っているのだが、何時まで持つのであろうか。
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わが庭・・・椿タマグリッターズ実生苗咲く

2020年02月04日 | わが庭の歳時記
   タマグリッターズの実生苗が咲き始めた。
   庭植えの親木から僅かについた種からの5年苗の花である。
   まだ、40センチ弱の小さな木で、蕾を4つくらい残して、とりあえず、咲かせてみようと思って咲かせたのだが、親木の花と大分違うのである。
   まだ、1輪しか咲いていないので、良く分からないが、白覆輪の勝った外花弁は、玉ありあけに近いが、内側の鹿子咲きは、大分親木とは違う。
   
   
   
   
   
   

   実生苗なので、ついた雄蕊によって変化するのは当然なのだが、ちょっと意外だったのは、むしろ、玉の浦系の、見たこともないような鹿子咲きの花が咲いたので、新種ではないかと喜んでいる。
   私は、タマ系は、次の写真のタマグリッターズとタマカメリーナ、
   ほかに、タマアメリカーナと玉ありあけの4種しか持っていないので、勿論、断言はできないが、鹿子咲きの椿を意識して育ててきたし、バリエーションが増えれば素晴らしいことである。

   いずれにしろ、先に紹介したように、実生苗で、変わった花の咲いた椿を2株得ることができたし、最近、出るはずのないような白花や薄いピンクの花を咲かせた実生苗も生まれた。
   なぜだか、分からないが、実生苗の変化のみならず、枝変わりの枝を挿し木するなど、ツバキを育てていると色々な発見があって面白い。
   
   
   

   まだ、蝶や昆虫が飛び回る時期ではないので、専ら、虫媒役は、メジロが引き受けていて、毎日、つがいでわが庭を訪れて、梅や椿の枝を飛び回っている。
   
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わが庭・・・クリスマスローズ咲き始める

2020年02月03日 | わが庭の歳時記
   陽当りのよいところのクリスマスローズが咲き始めた。
   クリスマスローズというので、クリスマスに咲くのかと思ったら、クリスマスに咲くのは、ヘレボルス・ニゲル (Helleborus niger) という種類だけで、春の花だというから、わが庭のクリスマスローズの開花が遅いというわけではないのである。
   ポット苗で買ったのを、適当に庭の空地を見つけて植えただけで、放置しているので、条件の合ったところに植えた株は、育って、そうでないところの株は、いつの間にか消えいる。
   20株くらいは植えたと思うのだが、結構大株に成長していて、派手に花を咲かせてくれるので、下草として重宝している。
   
   

   ほかの株では、花茎が見えないので、まだかと思って、株本を見ると、花茎が、少しずつ、地面から顔を出している。
   すっくと花茎が伸びて、蕾が開き始めるまでには、まだ、随分、時間がかかりそうである。
   前年の葉がそのまま残っている株もあるし、完全に葉がなくなってしまった株もあるのだが、根茎が残っているのであろう、どちらからも葉と花径が伸びて花が咲く。
   園芸本やインターネットの育て方解説には、細かいことが書いてあるが、公園に群植するクリスマスローズを見ていても、ほとんど放任だし、神経質になることはないと思っている。
   
   
   
   
   
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大阪・奈良へのショート・トリップ(3)

2020年02月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   薬師寺を訪れると、前後して、必ず、唐招提寺へ行く。
   玄奘三蔵院を塀越しに、5分ほど、きれいな水の流れる小川沿いに北へ歩くと、唐招提寺の南大門に出る。
   こじんまりした寺院で、この門を入ると、正面奥に、重厚な金堂が見える。
   この金堂は、最近、大修理が終わったところで、テレビでも、その工事が放映されていたが、背後に建つ講堂に、詳細な木組みを示した模型が展示されていて、大屋根を支えるための補強などが示されていて興味深かった。
   木材を補修した個所など散見されたが、金堂そのものは、まったく前と同じ佇まいで、大改修など何のその、太古の雰囲気を醸し出していて凄い。

   金堂は、廬舎那仏坐像を安置する仏殿で、左右に、千手観音立像、薬師如来立像、その前の左右に、梵天・帝釈天立像、堂の四隅に、四天王立像が安置されていて、すべて奈良時代の国宝というから凄い。
   勿論、仏像だけの仏殿なので、内陣や外陣はなく、仏像だけの奈良時代の金堂建築唯一の遺構だという。
   戸が開かれているので、網の間から、仏像が良く見える。
   私は、十一面観音に興味があるので、金堂の仏像の中で、十一面でもある千手観音立像が好きである。
   残っている手は、953本というから凄い。
   

   境内は、薬師寺のように広くてオープンではなく、こじんまりしてコンパクトだが、端正で美しい塔頭が並んでいて、非常に気持ちが良い。
   奥の開山堂には、鑑真和上の身代わり像が安置されており、上野で拝見した時の雰囲気とはほとんど違ってはいないほどリアルで素晴らしい。
   

   開山堂の背後から門を出て、裏の鑑真和上御廟に行くと、その手前の杉林の地面の苔が美しい。
   京都の寺社では、よく見る庭の風景だが、奈良では、比較的珍しい。
   

   さて、唐招提寺は、鑑真和上のお寺で、天平宝字7年(763年)ここで遷化し、弟子の忍基が鑑真の彫像を造り、現代まで唐招提寺に伝わっている国宝唐招提寺鑑真像である。
   私は、大学に入ったころに、井上靖の「天平の甍」を読んでいたので、鑑真和上が、如何に凄い中国の高僧であったかということをよく知っている。
   若い留学僧普照と栄叡の偉さは筆舌に尽くしがたいが、5度にわたる艱難辛苦の船旅を乗り越えて来日した鑑真和上の凄さは、人知を超越している。

   鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授け、その後、常設の東大寺戒壇院が建立された。
   唐招提寺で、鑑真和上を偲んだ後であったので、東大寺に歩いて、時間の都合で、戒壇堂だけ訪れた。
   非常に小さくてシンプルなお堂だが、天平彫刻の傑作と言われる凄い四天王像が安置されていて、これを見るために、何度訪れたか、乾漆 不空羂索観音立像など凄い国宝仏が集まっている法華堂・三月堂とともに、私の好きな東大寺の拝観スポットである。
   

   この日、完成なった興福寺の中金堂を訪れた。
   単層裳腰つき寄棟づくりの重厚な巨大な建物で、明るくオープンな広い堂内に、興福寺の本尊釈迦如来坐像が安置されている。
   金ぴかで真新しい感じなので、何となく有難味に欠けてしまうのだが、左右に、国宝の四天王立像や、重文の薬王・薬上菩薩立像や大黒天立像が安置されているものの、威圧されてこじんまり見えるのが面白い。
   重文の吉祥天倚像は、厨子の扉が閉まっていたので拝見できなかった。
   直ぐ傍、五重塔の隣に国宝仏の沢山ある東金堂があるのだが、時間がなくて入れなかった。
   
   

   その後、奈良県庁の屋上と展望台に上って、奈良と周辺を一望した。
   あまり知られていないようだが、奈良を訪れて、まず、最初に上って、奈良の地図を頭に入れるに格好の場所である。
   ここから見た風景は、
   
   
   
   
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大阪・奈良へのショート・トリップ(2)

2020年02月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   1月13日に、国立文楽劇場で、1日中文楽を鑑賞して、翌日14日は、夕刻のJAL便で羽田へ帰るまでの時間、奈良を訪れることにした。
   朝早くホテルを出て、上六から近鉄で西大寺に出て西ノ京に向かったのだが、久しぶりに、あっちこっちで、通勤客のラッシュに出くわし、昔を思い出す。
   西大寺で、樫原神宮行きの鈍行に乗り換えると、それからは、まったく、奈良の田舎。
   多少駅舎も近代化しているが、薬師寺と唐招提寺しかない鄙びた佇まい。
   私が、初めてこの西ノ京を訪れたのは、もう、半世紀以上の前の話で、破れた筑地塀の間から、見え隠れしていたのは薬師寺の東塔だけ。
   尋ねる人とない、寂しい田舎で、良く覚えていないが、雨漏りのするような寂しい堂内で、聖観世音菩薩像と薬師三尊像の素晴らしい姿を仰ぎ見たような気がする。
   しかし、東塔は、文句なしに美しく素晴らしかった。

   その後、京大の教養部の美学の授業で、上野照夫教授に連れられて薬師寺を訪れて、薬師寺の美について話を聞き、当時、副管長であった高田好胤師から講話を受けた。
   何故か強烈に印象に残っているのは、自分は男前なので、罪が深いと冗談交じりに話した話。
   それから、東塔について、天武天皇が事業半ばにして崩御し、その後を継いだ皇后の持統天皇が完成した塔で、三重塔は天武天皇、三重の裳腰は持統天皇、二人の愛の結晶であるから、美しいという話。

   この好胤管長に、金堂の再建を依頼された天下の宮大工西岡常一が、タレント坊主は嫌いだと、誤解して一時は断ったのだが、心血注いで完成させた暁には、西塔再建まで実現させたのであるから、すごい出会いである。
   フェノロサが「凍れる音楽」と激賞したこの塔、6重の塔を思わせる絶妙のコントラストで、九輪の上に天女の舞う水煙と宝珠を頂く凄く美しい塔で、私は、これを見たくて、薬師寺を何度も訪れている。
   前回は、大修理中であったが、今回は、5月の落慶 慶賛法要ならびに奉納行事を前にして、ほぼ、板囲いが外されて、懐かしい全容を現しつつあった。
   
   
   

   国宝の吉祥天画像「麻布著色吉祥天像」が、通常は非公開だが、正月の吉祥悔過会の際(1月1日 - 15日)に金堂薬師三尊像の前に安置されると聞いていたので、14日だったので、期待して行ったのだが、国宝は3が日だけで、それ以降は、平成の吉祥天像、すなわち、女流画家の模写が展示されていた。
   売店で、両方の絵を絵ハガキで見比べたが、確かに良く描けていてはいるものの、雰囲気は全然違う。
   私自身、東京か京都の国立博物館で、実物を見た記憶があるので、それほど苦にはしていないが、やはり、少しは失望した。
   

   さて、この日、最初に拝観したのは、東院堂の聖観世音菩薩像である。
   薬師三尊像のように黒光りのする実に美しい美男の、軽快な井出達のモダンな御仏で、私が、一番最初に憧れた仏像である。
   この像は、新しい伽藍とは関係なく、半世紀前に訪れた時と同じ国宝の建物東院堂に安置されていて、懐かしい。

   ところで、今回は、残念ながら、新しい食堂と玄奘三蔵院が閉まっていて、入れなかった。

   
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